学習通信050528
◎「ちゃんとした人間になろう、なんて」……

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 大学のころ、絵画に造詣が深いフランス人の先生が、「本を読んでいると文字のなかからつぎつぎと景色が浮かびあがってきます」とおっしゃっていました。

 私はというと、本を読んでいると香りや音を感じることがよくあります。
 源氏物語では、日本がいかにも海洋国家だったことを伝えるように、さまざまな浦の波音や船の櫓、笹や竹が軒先に揺れるささやかな音がきこえてきました。
 アラビアンナイトからは、王さまたちの贅沢なお風呂に満ちた香油の香りや、「冷たい飲み物」の未知なる味が、手に取るように伝わってきました。
 インドの物語からは、むせかえるような人いきれや生活の音。聖書からは、荒涼としたユダの地に吹きすさぶ風の音。ギリシャ神話からは、コロスの響く太古の劇場の反響がきこえてくるのです。

 おせじにも文学少女とはいえない子ども時代を過ごしていた私ですから、読書の量はとても自慢できるものではありません。しかも、一冊の本を長い時間かけて読むという、まことに厄介な性格なため、読書はいつも亀の散歩並みに進みません。

 でも、何世紀も読み継がれている本を精読すると、つぎつぎと深い印象が心に刻まれていきます。
 文字から伝わる古代の音が、忙殺された心をほぐしてくれることもあれば、心に染み入ることばが、大きな決断を助けてくれることもあるのです。

 だから私は、どんなに忙しくても落ち込んでいても、必ず名著を枕元に絶やさず置いています。そして、折りあるごとに手にとるようにしているのです。それら本からのメッセージは、現実世界で迷いとまどう私に、遠くから不思議なシグナルを送ってくれるからです。
(三宮麻由子著「きっとあなたを励ます「勇気の練習帳」」PHP p86-87)

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では、チェーホフの「兄への手紙」(中村白葉訳)。

ニコライ・パーヴロヴィッチ・チェーホフヘ
 (一八八六年 モスクワにて)

 あなたはよく僕に、「人が自分を理解してくれない!」といってこぼしますね。ゲーテでもニュートンでも、そんなことはこぼしませんでしたよ。ただ、キリストだけはこぼしましたが、それだって自分の「われ」のことではなく、自分の教義のことだったのですからね。なあに、人々はあなたをよく理解していますよ。(中略)

 誓って言いますが、僕は兄弟として、またあなたに近い人間として、あなたを理解し、心からの同情を持っています……僕はあなたのすぐれた性格を、自分の五本の指のように知り、それを尊重し、この上もなく深い敬意をもって、それに対しています。(中略)

 ただあなたには一つだけ欠点があります。(中略)それはあなたのはなはだしい無教養です。どうぞ許して下さい。しかし、「真理は友情よりも大なり」です。(中略)知識のある人々の間にはいって、愉快な気持でいるためには──その中で、ひけ目を感ぜす、窮屈な思いをしないためには、ある程度の教養を積まなければなりません。(中略)

 僕の考えでは、教養のある人間とは、次のような幾つかの条件をそなえているものでなければならないのです。

 一、彼等は人格を尊重する。それゆえ、いつも寛容で、柔和で、慇懃(いんぎん)で、謙譲(けんじょう)である。彼等は金槌や、なくした消しゴムなどのために人騒がせをしない。誰かと一しょに生活をしても、彼等はそれを恩にも着なければ、別れる時にも、「君とーしょにはとても暮らせない!」などということを言わない。彼等は騒音をゆるし、寒さをゆるし、肉の焼けすぎをゆるし、だじゃれをゆるし、自分の家に他人のいることをゆるす。

 二、彼等はただ、乞食や猫に対して同情を持つばかりでなく、普通の眼には見えないもののためにも心を痛める。彼は某(なにがし)を助けたり、仲間の大学生のために学資を払ってやったり、母親に着せたりするために、夜も眠らないくらいである。(中略)

 四、彼等は正直で、火のようにうそを恐れる。つまらないことにもうそをつかない。うそは聞き手を侮辱するばかりでなく、その眼にうつる語り手をいやしくするものである。(中略)

 七、彼等はもし自分に才能があれば、それを尊重する。彼等はそのために、平安や、婦人や、酒や、虚栄を犠牲にする。彼等は自分の才能を誇りとする。人々と共に生活するだけでなく、人々に対して教育的な影響を与える使命を帯びていることを自覚している。(中略)

 八、彼等は自分の中に美しい感情を養おうとする。着のみ着のままでごろ寝をしたり、南京虫のひそんでいる壁のすき間をのぞいたり、悪い空気を呼吸したり、自分の歩く床の上につばを吐き散らしたり、安直に作られたものを食べたりすることは出来ない……

 彼等は歩きながらお酒を飲んだり、食物のはいった戸棚をかぎまわったりするようなことをしない。なぜなら、彼等は自分たちが豚でないことを知っているから。彼等はただ自由な時に、折にふれてお酒を飲むにすぎない。なぜなら彼等は、健全な精神の宿る健全なからだを求めるからだ。
 まあ大体こんなところですね。教養のある人というのは、こうしたものですよ。(中略)

 必要なのは間断のない昼夜の努力、たゆむことのない読書、研究、意志等です。毎時毎時が貴重です。(中略)

 早く僕たちのところへおいでなさい。そして、お酒のびんなんか割ってしまって、腰をおろして読書をなさい。せめて、まだお読みにならないツルゲーネフでも。

 虚栄心を捨てなければいけませんよ。あなたはもう子供ではないのですから……もうじき三十じゃありませんか。もういい時ですよ!
 待っています……みんなで待っていますよ。
   あなたのアントン

 この手紙が私の胸を打ったのは、恐らく、チェーホフのやさしさが、私にわかったのだと思う。で、私が一番、この手紙を読んで興味をひかれたのは、「教養のある人間とは」というところだった。勿論、小学校の低学年だから、教養というはっきりしたものは、わからなかった。でも、どうやら、ちゃんとした人間になるのには、どうしたらいいか書いてあるらしい、と思った。

はっきりとわかったのは、本を読むのが必要、という所だった。だから、私は本を読むことにした。それまでも字は読めたし、本も読んでいたけど、まず、「本を読むこと」を心に決めた。

ちなみに、この『世界名作選』の中で、皇后様はケストナーの「絶望NO.1」という詩をお取り上げになった。私は、同じケストナーでも(1)のほうの「点子ちゃんとアントン」を、おぼえていた。抱腹絶倒の、点のように小さい女の子、点子ちゃんの活躍。以来、私は、すっかりケストナーのファンになり、とうとうケストナーの翻訳をいつもなさっているドイツ文学者の高橋健二先生に手紙を出し、文通をさせて頂(いただ)くようになった。私が大学生の頃だった。そして、高橋健二先生から、お互いの手紙の最後に「あいことば、ケストナー」と書くようにしよう、という御提案があり、それは、ついこの間、先生が九十五歳で亡くなるまで続いた。先生もユーモアのあるかただった。先生のお力ぞえで、ケストナーからお手紙も頂いた。高橋先生とお近づきになったおかげで、先生の訳していらっしゃるケストナーは勿論、ゲーテもヘッセも、グリムも読むことが出来た。考えてみると、小学校低学年の本が縁で、こんないいことがあった。

 本といえば他にも、いいことがあった。高校生か、もう少し上の頃、私は、英国の女流作家、ダフネ・デュ・モーリアに夢中になった。出版されるそばから読んだ。一般的には「レベッカ」が、映画にもなったので有名だけど、私は、「愛はすべての上に」が中でも好きだった。「愛すればこそ」もよかった。題名から受ける甘い感じではなく、不思議な神秘的な作品だった。で、私は、ずーっとデュ・モーリアのファンではあったけれど、いつの間にか、本は手許からなくなっていた。数年前にどうしても読んでみたくなり、本屋さんで探したり、知りあいの古本屋さんに頼んでみたりしたけど、どうしても全部は手に入らなかった。そんな時、たしか「徹子の部屋」で、どなたかと話しているとき、本の話になり、私はなんとかして、デュ・モーリアの本を手に入れたい、というような事をいった。なんと、ちょっとしてから、デュ・モーリアをお訳しになった大久保康雄さんの息子さんのお嫁さんから、お手紙があった。その手紙には、「もう残り少ないけれど、父の全集が一揃い、ありますので、よかったら、お送りします」ということが書いてあった。それは考えてもいないことだった。

 私が若い頃、読みたいものの多くの訳は大久保康雄さんだった。大久保康雄という名前は、私にとって、憧れの名前だった。残念ながら大久保さんは亡くなったけど、息子さんのお嫁さんが、私に全集を下さる、という、おやさしい、お申し出なのだ。こんな、うれしいことはなかった。私は、すぐ「頂きたいです」とお返事をした。いま私の机の上に、そのデュ・モーリアの全集・十冊が並んでいる。若い頃読んだときも好きだったけど、いま頃の年になって読んでも、ますます個性的な作家と思え、本でなければ、の良さを味わっている。これも本にまつわる、いいことなので、書いておくことにした。

 チェーホフの手紙にもどると、読書と、もう一つ私の気になったのは、二、の、普通の眼には見えないもののためにも心を痛める、という所だった。(眼に見えないもののため? おばけか、なんか?)。まあ、当時の私は、こんな程度のものだったけど、このことは忘れなかった。大きくなるにつけ、その普通の眼には見えないものが、どういうものか、少しずつ、わかって来た。読書をしよう、と心に決めたように、私は、この「眼には見えないもののためにも心を痛めること」も、やっていこう、と決めた。小学校の低学年の私は、大人から見れば手がつけられないダメな子だったに違いない。

あの頃、世間の誰が、私を見て、ちゃんとした人間になるのにはどうしたらいいかと考えて、チェーホフを、たどたどしく読んでいるのだ、と想像しただろうか。小学校を一年に入って数ヶ月で退学になった子が、実は、ちゃんとした人間になろう、なんて、一人で考えていたなんて。飛びはねてばかりいて、落ち着きがなく、面白そうなことがあると、すぐ頭をつっこみ、あらゆる穴にとび込んで、大人の話なんか聞いていない、と、みんなが思っていても、私は聞いていた。物も考えていた。

 いまの子どもだって、習慣がないだけで、もし、テレビゲームだの、そういったものがなくて、本を読んだら、きっと私と同じように、チェーホフの手紙を気に入ると思う。子どもは、そういうものを、神様から、ちゃんと貰って生まれて来ているのだから。

 ケストナーは、いっている。
 「子どもたちは、まだ、心で文字を、たどっているのだ」
 確かに。私は、チェーホフの手紙を、そんな風に読んだのだと思っている。
(黒柳徹子著「ちいさいときから考えてきたこと」新潮文庫 p42-49)

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◎「読書をしよう、と心に決めたように、私は、この「眼には見えないもののためにも心を痛めること」も、やっていこう、と決めた。小学校の低学年の私は、大人から見れば手がつけられないダメな子だったに違いない」と。

「眼には見えないもののためにも心を痛めること」……。
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