学習通信050601
◎「問題は厳として、こう提起されている」……

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労働者階級と労働組合の誕生

資本主義生産の発展とともに、農民や手工業者は、土地と仕事場を失って、労働力以外にはなにももたない労働者階級が、ますます数多くつくりだされてきました。

 資本家との競争に負けて、手工業者の小さな親方は没落し、職人や徒弟とともに、資本家にやとわれて賃金をうけとる以外に生きる道のない労働者にならざるをえませんでした。新興の資本家たちは、こういう労働者を低い賃金で、一日に一四時間も一五時間もこきつかいました。

 労働者は、資本家のひどい搾取にたいして、はじめは個々ばらばらに、ついでは集団的に、さまざまな反抗をこころみ、ときには暴動をもおこしました。また、すこしずつの金をだしあって、相互扶助のためのクラブもつくりました。

 このような経験をつみかさねるうちに、労働者は、労働者どうしが競争しあって、仲問をだしぬいて目分だけがよい賃金やよい労働条件にありつこうとしたり、あるいは資本家に個人的に反抗していたのでは、自分たちの状態はますます悪くなるばかりであること、また突発的な暴動をおこしても、軍隊や警察の弾圧によって、たくさんの犠牲者をだすだけで、そのわりにかちとる成果が少ないことに気づいてきました。さらにいくらかの金をだしあっての相互扶助の活動には限界のあることも知ってきました。

 こうして、労働者は、じぶんたちの苦しい経験のなかから、労働者どうしが足をひっぱりあい、賃金や労働条件をひき下げる結果となる競争をおさえて、じぶんたちの生活をまもろうとする恒常的な団結の組織である労働組合(はじめは職業クラブとよばれていた)をつくりだしました。

 労働組合は、マルクスが『労働組合、その過去・現在・未来』でのべているように、資本家のひどい搾取に対抗して、せめていくらかでも賃金をひきあげ、労働時間を短縮しようという、労働者の「自然発生的なくわだて」から生まれてきたのです。

 手工業の技術にたよっていたマニファクチュア(エ場制手工業)から、産業革命がすすんで、大規模な機械制の大工業が支配的になる時代にすすむと、手工業者や農民はいっそう急激に没落して、大工業にやとわれる近代的労働者階級になってきました。その一方では、大工業を所有する産業資本家階級が圧倒的な経済力をにぎり、支配階級にのしあがってきました。
 こうして、資本家階級と労働者階級という資本主義社会の二つの基本的階級の対立は、誰の目にもくっきりとあらわれてきました。

 産業革命がすすむと労働者の生活はいっそう悲惨なものになりました。
 機械制の大工業が発展すると、労働者を工場に集中して、一時に大ぜい搾取することができますし、鉄道・汽船などの交通機関が発達して商品の市場が急速にひろがったために、資本家の利潤欲はさいげんなく大きくなりました。労働者にたいする搾取は、人間のたえられるぎりぎりの限度にまでつよめられ、機械に仕事をとってかわられて、いままでの技能が役にたたなくなった多くの熟練労働者の賃金はきり下げられ、婦人や子供までが大ぜい工場労働にひきいれられて、きわめて低い賃金でこきつかわれました。

 資本家たちは、おたがいにはげしく競争しあいながら利潤を追求しているので、大きな資本を投じて手に入れた工場の設備・機械を、できるだけ効率よくつかおうとします。そのために二交替制で昼夜ぶっとおしで操業し、婦人や子供の深夜労働もめずらしいことではないありさまでした。

機械打ちこわし運動から労働者が学んだもの

 こうして、最初は手工業的な熟練労働者によってつくられてきた労働者の団結の組織──労働組合が、低賃金と長時間労働に苦しめられながら働いている近代的な工場労働者のあいだにもひろがってゆくのは必然的なことでした。世界で最初に資本主義が発展し、産業革命を経過したイギリスで、紡績業・毛織物業・炭鉱業の労働者が団結しはじめました。

 労働者が階級的に団結し、生活をまもるために抵抗するのを資本家階級はだまってみとめてはいませんでした。かれらは国家権力によって、団結を禁止し、労働者階級の抵抗に弾圧・をくわえてきました。すでにフランスでは、フランス大革命直後の一七九一年に、ル・シャプリエ法という労働者の団結を禁止する法律が制定されていましたが、イギリスでも一七九九年に団結禁止法がつくられ、労働者が自分たちの組織をつくり、賃金や労働条件の改善のために団体行動をすることを全産業にわたって禁止し、きびしいとりしまりをおこないました。

 しかし、どんな弾圧も、労働者の団結をながくおさえつけておくことはできませんでした。それどころか、弾圧は逆に労働者の階級的自覚をいっそうたかめる役割をし、あらしに耐えぬく労働運動の土台をかためる結果になりました。

 もちろん、このような、労働者の階級的自覚のたかまりと、労働運動の前進は、たんたんとなめらかにすすんだのではありません。

 労働者は、じぶんたちの生活と権利をまもるために、ストライキや、政府にたいする請願デモなどの行動でたたかいましたが、それとともに手織物業者、農業労働者を中心に、イギリスの広はんな地域に、いわゆる「機械うちこわし」(ラダイト)運動がはじまりました。何万人という労働者・人民大衆が工場に放火し、機械をうちこわし、製品を海や川になげこみ、資本家とその家族を殺害するということまでおこりました。

 このような「機械うちこわし」の運動は、ひどい搾取の下で、団結の自由をうばわれている労働者、また機械制の大工業の発展によって職をうばわれる手工業的な熟練労働者、没落する手工業者などの、絶望的ないかりの爆発でした。同時にまた、当時の労働者はこのような形でたたかう以外に、決定的な抵抗の方法をみいだせなかったのです。

 この機械破壊運動は、資本家階級をふるえあがらせるとともに、反動的な国家権力が、労働者にきわめて残忍な強圧手段をとる口実をあたえました。

 労働者階級は、こういうたたかいの経験をへて、労働者を悲惨な境遇につきおとすのは、機械そのもののせいではなく、ほんらい人間の労働を楽にするはずの機械が、資本主義的に利用されることによって労働者と人民の窮乏をふかめる手段となっていること、たたかわなければならない相手は機械そのものではなく、資本主義制度であることにめざめてゆくのですが、それにはマルクスもいっているように「時間と経験が必要であった」のです。

 労働者階級の弾圧をおそれない不屈のたたかいは、資本家階級に、「団結禁止法」でとりしまるやり方が効果がないことをおもい知らせ、イギリスでは一八二四年に団結禁止法は廃止され、フランスその他の国でも、資本主義の発展の状態によって、年月の差はあっても、おおよそ同じような経過をたどりました。

2 労働者階級は政治権力をめざすたたかいにすすんだ

 いじょうのように、労働者の団結は、はじめは資本家のひどい搾取に抵抗して、賃金や労働条件の改善をかちとろうという「自然発生的」なくわだてからはじまり、そのたたかいは、日常的な、経済的は範囲のものでした。

 しかし、機械制の大工業の発展によって、労働者の数が急激にふえ、何百人、何千人という労働者がーつの大工場に集中されて働くようになり、何万人、何十万人という労働者が都市に密集して生活するようになります。手工業的な熟練労働者も、機械の採用によってその熟練は役にたたないものとなり、一般の工場労働者とおなじ状態におかれるようになりました。

 こうして、労働者が、じぶんたちはみな同じ共通の利害をもつ、企業・地域・職種のちがいをこえた、ひとつの階級であることを自覚する条件がととのってきます。そうして労働者階級全体の共通の利益にめざめ、全階級的な闘争にたち上がるようになると、そのたたかいは必然的に労働者階級独自の政治行動に発展してゆきます。
(北田寛二著「労働者の学習」労旬新書 p36-41)

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 ところが、プロレタリアたちがそこにおいて、彼らの階級としての組織をわれわれの眼前で完成させるところのストライキや団結やその他の形式について、正確な報告をする段になると、ある者は現実的恐怖にとりつかれ、ある者は先験的侮蔑をひけらかすのである。

 披抑圧階級は、諸階級の敵対関係を基礎とするすべての社会の、死活を制する不可欠な条件である。だから、被抑圧階級の解放ということは、必然的に、あらたな社会の創造ということをふくんでいる。

披抑圧階級が自己を解放しうるためには、すでに獲得された生産諸力と現存する社会的諸関係〔制度──ドイツ語版〕とがもはや共存しえない〔という段階に到達するという──同上〕ことが必要である。あらゆる生産用具のうちで、最大の生産力は、革命的階級そのものである。

階級としての革命的諸要素の組織は、〔一般に──同上〕ふるい社会の胎内に発生〔発展──同上〕しうるすべての生産諸カが〔すでに──同上〕存在することを前提している。

 このことは、ふるい社会の没落ののちに、一つのあらたな政治権力を集中的表現とするところの、一つのあらたな階級支配が、存在するようになる、ということを意味するであろうか? いや、そうではない。

 労働者階級の解放の条件、それは、あらゆる階級の廃止である、ちょうど、第三身分の、ブルジョア階層の解放の条件があらゆる身分とあらゆる階層との廃止であったのと同様に。

 労働者階級は、その発展の過程において、諸階級とその敵対関係を排除するある連合社会をもって、ふるい市民社会におき代えるであろう。そして、本来の意味での政治権力はもはや存在しないであろう。なぜなら、まさに政治権力こそ、市民社会における敵対関係の公式の要約〔公的表現──ドイツ語版〕だからである。

 そうなるまでは、プロレタリアートとブルジョアジーとのあいだの敵対関係は、階級対階級の闘争であって、この闘争がその最高表現に達するとき、それは全面的革命となる。だがそれにしても、諸階級の対立を基礎とする一つの社会が、最後の結末として血みどろの矛盾に、激烈な白兵戦に帰着する、ということは驚くべきことであろうか?

 社会運動は政治運動を拒否する、と言ってはならない。政治運動であって同時に社会運勣でないものは、絶対に存在しない。

 諸階級と階級対立がもはや存在しない事態においてのみ、社会的進化は政治的革命であることをやめるであろう。そのときまでは、社会のあらゆる全般的変革の前夜にあっては、社会科学の最後のことばは、つねに、次の一句に尽きるであろう、──

「戦いか、死か。血まみれの戦いか、無か。問題は厳として、こう提起されている。」ジョルジュ・サンド
(マルクス著「哲学の貧困」マルクス・エンゲルス八巻選集 p259-260)
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◎「諸階級と階級対立がもはや存在しない事態においてのみ、社会的進化は政治的革命であることをやめるであろう」と。