学習通信050604
◎あの小悪魔のはたらく余地……

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「雨ニモマケズ」
    宮沢賢治

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋(いか)ラズ
イツモシズカニワラッテイル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニイテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負イ
南ニ死ニソウナ人アレバ
行ッテコワガラナクテモイイトイイ
北ニケンカヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイイ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
ソウイウモノニ
ワタシハナリタイ

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雨ニモマケズ

 「おお、悪魔の言語!」

 加藤周一氏が、あるとき、あるフランス人のために、日本語の医学資料を見ながら翻訳を口述していた。
 「貧血、白血球減少症、幼若細胞の出現……」と加藤氏は読みながら訳し、フランス人は忙しく筆記していた。
 「また願粒細胞の形態学的変化、血小板減少症……」と加藤氏はつづけた。そして最後に
「……はみとめられない」といった。

 いって加藤氏自身おどろいた。フランス人はいった──「おお、なんたる言語か!」

 そこで加藤氏は、医学資料をそっちのけにして、「日本語の擁護」を弁じた。「しかし『源氏物語』は、いかに独特の味をそなえているか……」

 以上は、加藤氏の『読書術』(光文社カパブックス)から。いま改めて確かめてみるまで、私の記億のなかではあのフランス人の叫びが「おお、悪魔の言語!」というぐあいになっていた。
 官僚のつかう日本語には、この手のものがしばしばあるような気がする。そして裁判官の書く文章にも。


だが悪魔にもいろいろある

 だが「悪魔」といってもいろいろある。しやくし定規の神さまよりもずっと愛すべく、人間くさい悪魔もいる。

 「あなたが探している家は、この通りを二百メートルくらいまっすぐ行くと、右手に郵使局がありますから、その手前の四つ辻を左へ曲がり、五十メートルくらい行ったところにある朝日湯からさらに左に折れて、小さな橋を渡り、橋のたもとのタバコ屋から川岸にむかって並ぶ家を右に数えて三釘目……ではなくて郵便局のむかいのしもたやです」──こんなのが、その小悪魔が好んでつかう言語であり、それには日本語がもっとも適しているらしい。

 漫才師のルーティンの一つともいうべき右のギャグを、私は井上ひさし氏のエッセー集『風景はなみだにゆすれ』(中央公論社)からそのままとってきた。そこで井上氏は、オーストラリアでの体験を次のように語っている。

 オーストラリアのある大学の日本語科の学生三人が、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を英訳してみたといって見せにきた。見ると、まず最初に"That is the kind of man I want to be" ──次のようなのが、私がなりたいと欲するたぐいの人間である」とあった。

 これは、賢治の原文では最後に出てくる「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」にあたる。しかし、原文では最後になってやっと出てくるこの結びの言葉を最初にもってきたのでは、この詩全体にこめられている賢治の祈り、そしてそれを読者に共有させる言葉の力が消えてしまう。

 次の週、三人にあったとき、井上氏は彼らにいった──「あの詩の翻訳は不可能です。ぼくはこういう結論に達しましたが、あなたがたはどう思いますか」

失笑ニモマケズ正義ニモマケズ

 その井上氏はパロディーの名手である。その井上氏には「雨ニモマケズ」のいくつかのパロディーがある。(『にっぽん博物誌』朝日新聞社)
 だが、それらはあまり成功していない。たとえば、その一つは次のように始まる。

「野次ニモマケズ 失笑ニモマケズ 言ヒ損ヒニモ読ミ間違ヒニモメゲズ 丈夫ナ舌ヲモチ」

 そして、次のように終わる。
 「ヒデリノトキモヒデリデナイトイヒ サムサノナツモアツイトイヒ ミンナニ角影人形トヨバレ ホメラレモセヌノニ 妙二自信ヲモッタリスル サウイフ宰相デ ワタシハイツマデモアリツヅケタイ」
 鈴木前首相にたいする風刺としては、じつに痛烈で、じつに面白い。しかし、始めからそのことの見当がついてしまう点では、あまり面白くない。

 「噂ニモマケズ 正義ニモマケズ……」と始まり「アラユルコトヲ ジブンヲカンヂャウニ入レテ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ……」というぐあいにつづいていく第二のパロディーについても同様である。
 鈴木善幸氏や田中角栄氏にたいする井上氏の怒りが初めから表面に出すぎて、あの小悪魔のはたらく余地を奪っているようだ。

「女の気持ち」

 一枚のカードが「私のメモ帳」のなかにある。もうすっかり赤茶色に変色した新聞の切り技きがはりつけてある。十五年前の毎日新聞(一九六九年十一月十九日)、その「女の気持ち」欄にのった北海道のある主婦の投書で、「妻の座に思う」と題されている。

天井知らずに上昇する物価高に負けず
家計簿が赤字だらけになったころやっとノロノロベースアップの給料袋に負けず騒がず、あわてず、驚かず
いつも泰然と余裕のある精神を持ち
自分を飾ろうという欲はなく
自分のためには何もほしがらず
亭主や子供の食べ残しを食べ
掃除、洗たく、縫物、廃物利用が大好きで
子供のために夫への不満もすべてあきらめて
亭主が西へ行こうと東へ行こうと
いつもにこやかに、いってらっしやいませ、お気をつけてと送り出し
こづかいがなくなったといえば、だまって食費をけずってもさし出し
たまにはどこかへ巡れてってくれとは決していわずそれでもなお
何年たっても身ぎれいで、センスがよくて、ムードがあって
どんな場合でも夫の意見を尊重し
怒らず、腹も立てず、涙を見せず
欲求不満のヒステリーなど起こさない
そんな女房に、私は無理してなりたいとはおもわない。

みごとだ。そしてここには、日本の民衆の抵抗の一つのパターンが示されているようにも思う。
(高田求著「新人生論ノート PARTU」新日本出版社 p74-79)

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 もしわたしの人生が、この国の歴史と未来に、少しでもよく、多く、力づよくかかわりをもち、役に立つことができるとすれば、その戦後の出発がさし示した道を、地道に歩いていくよりないだろう。未来、このあいまい模糊としたしろもの、しかしけっしてでたらめな法則によってゆがめることのできないもの、そこにわたしの道はつづいている、と思う。

 人間は居ながらにしてりっばではありえない。人も殺すし、しぼりもする、そういう人間はあとをたたない。けれども、そういう人間の手をしばり、人間のもっている心と心とを結びあい、その輪をたしかにひろげていくのも人間である。未来はこうした人間のものであるにちがいない。すばらしいもの、それは人間である。

 この全人間的な認識を、わたしに与えてくれたものは、やはり政治的な実践をとおしてだった。
 そして、わたしのその認識と生き方がほんとうにためされるのも、これからである。未来がそっちの方から、ためしにかかってくるのである。まいにちの生活をとおして、である。

………………

人生は苦しんで生きるねうちがある
           アラゴン

あのしあわせのひとときや 白熱のま昼どきや
亜麻いろの裂け目をもった 暗いはてしない夜など
すべてを語りつくさずに いつかこの世界から
わたしが出てゆくというのは やはり不思議なことだ
たしかに この世界を信ずるほどに たいせつなことはない
わたしとおなじような心をもった人たちがやってくるだろう
かれらも草の葉を撫で きみを愛するとささやき
夕やみのなかで声をひそめて 夢みるだろう

ほかのひとたちも わたしのように旅をするだろう
ほかのひとたちも ふと出会った子どもにほほえみかけ
その名まえを呼ばれると 振り返えるだろう
ほかのひとたちも 眼をあげて雲を見やるだろう

やはり 悦びにふるえる恋びとたちがあり
二人の最初の夜明けとなる朝がくるだろう
やはり 水が流れ風が吹き 光りがただようだろう
通り過ぎてゆく旅びとのほか  何も過ぎさりはしない

たとえ空が 一瞬 ひじょうに優しく見えたとて
それではまだまだすばらしさが足りなかったかのように
ひとびとがその胸に抱いている あの死への恐怖は
ほんとうに わたしにはよく理解できぬのだ

そうだ それはほんの短かい一瞬に見えるかも知れぬ
わたしのいのちは 杯からみち溢れる酒のように
溢れこぼれてゆく 悦びと苦しみとからなる
海もわたしたちの渇きをいやしきれはしない

しかもなお たとえむごくつらい時があろうと
いやおうなしに背骨ある重い袋に生まれついて
もだえくるしむこころをもとうと
また くちもとをゆがめさせる深い悩みがあろうと

わたしもまたしょうがい盗み子のように
あの胸えぐる苦悩をかかえてきたのだ
その苦悩という狐にこころ咬みくだかれた
眠れぬ夜や 戦争や 不義不正があろうと

じぶんの好きな主義や じぶんの信ずる宗教に
ひとをむりやり閉じこめ 引きずりこむために
ひとにおしつける あの恐ろしい権謀術数や
ひとのつまずきを笑うあざけりや中傷があろうと
底なし井戸にも似た呪われた日々があろうと
憎しみをみつめたあのはてしない夜があろうと
おのれが何かしでかしたかにさえも気づかぬ
手錠をもったかいらいと敵どもがいようと

ふと きみの心がおじけづき たじろぐとき
きみの心を痛めていることがらなどには眼もくれず
仕返しがくるぞという素朴なおどし文句を信じさせ
ひとに道を誤らせようとする連中の時代であろうと

あやしげな徒党をくんだやからが投げつける
あのとほうもない残忍さとやくざぶりとがあろうと
ばかげた思想を支持して 窓口雑言を並べたて
なおも気のすまぬ考が どんなひどいことを考え出そうと

この地獄の ありとあらゆる悪夢と傷ぐちと
生きわかれ死にわかれと 辱かしめとがあろうと
そうしてまた おろかな信仰を天にむけて
ひとがなおも希い祈ったすべてにもかかわらず


しかもなおわたしは言おう この人生はすばらしかったと
わたしがここで語りかけ わたしに耳傾けてくれるだろうひとに
くちびるにはただ ありがとうの一語をうかべながら
この人生は美しかったと わたしがなおも言うだろうほどに
                   (大島博光訳)

(土井大助著「詩と人生について」飯塚書店 p266-271)

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ソウイウモノニ
ワタシハナリタイ

「そんな女房に、私は無理してなりたいとはおもわない」と。

「この人生は美しかったと わたしがなおも言うだろうほどに」

……と。