学習通信050606
◎「見落とし」「思い違い」……
■━━━━━
第一章 科学的社会主義と党大会決議案
「社会主義・共産主義崩壊」論は、ソ連中心の大国主義の裏返し
自民党をはじめとする反共政治勢力やー部のマスコミのあいだでは、ひきつづき「社会主義・共産主義崩壊」論がさかんであります。しかし、ソ連や東欧のスターリン・ブレジネフ型の体制が破たんしたからといって、それをもって「社会主義・共産主義」そのものの崩壊をうんぬんすることは、ソ連とその支配体制を世界の社会主義の代表あつかいするものであって、まさにソ連中心の大国主義の裏返しだといわなければなりません。
科学的社会主義とは、なによりもまず学説、世界の歴史と現在を解明し、そのゆく手をしめす科学的な羅針盤であります。そしてこの学説を導きの指針として、世界の各国で自主的に展開される運動であります。あれこれの国が、さきに革命に勝利したからといって、その国の運動やそこでつくられた体制を、社会主義・共産主義の代表あつかいする根拠はどこにもありません。また、自国での運動の失敗をもって、それが世界の社会主義を代表しての崩壊だとみずからを位置づけるような特権≠ヘ、世界のいかなる国にもあたえられていないのであります。(拍手)
むしろ、これらの国の体制の本質や性格を、科学的社会主義の羅針盤にてらして分折し、解明することが必要なのであります。
歴史の試験に合格した科学的な羅針盤
党大会決議案は、こういう立場にたって、科学的社会主義の生命力を、学説・運動・体制の三つの見地から解明し、歴史の試練に耐えたその現代的な意義をあきらかにしました。このことは、全党の多数に大きな確信をあたえるとともに、国際的にも重要な反響をよんだのであります。
実際、まず学説についていえば、科学的社会主義の学説が、人類の羅針盤といってもよい意義をもつことは、あらゆる側面から実証されております。
その世界観は、唯物論と弁証法をもって特徴づけられます。唯物論とは、ひとくちでいえば、世界のあらゆる現象の根底に物質的な運動があるとする見地であります。弁証法とは、世界のすべてを運動と連関のなかでとらえる見方であります。
マルクスやエンゲルスが、唯物論と弁証法を一つに結びつけて、弁証法的唯物論の世界観をつくりあげたのは、百五十年前にさかのぼりますが、それいらいの人間知識の発展は、まさにこの世界観の正しさを立証するものでした。たとえば、自然科学についてみるとこの数十年来、ほとんどあらゆる分野で革命といってもよいような変革がおこりました。人間の自然認識が嵐のように発展しているといってもよいでしょう。そして、そのすべての発展が、唯物論と弁証法こそが自然にたいするただ一つの科学的な見方であることを、証明しているのであります。マルクス、エンゲルスの時代には、生命や精神の諸間題はまだ科学の解明がおよばないで、観念論に一定のよりどころを提供していました。しかしいまや自然科学は、この生命現象や精神現象の領域についても、それをささえる物質的な仕組みの解明の核心にせまりつつあるのであります。
エンゲルスがマルクスの二大発見とよんだ史的唯物論や剰余価値学説についてはどうでしょうか。
社会の仕組みは永久不変のものではなく、経済関係の発展を土台にしてかわってゆく、そして、その原動力が、搾取や抑圧に反対し社会の進歩をめざす人民の運動である──これが史的唯物論の基本見地であります。さらに科学的社会主義の先達たちは、人類の文明の歴史のあけぼのの時代に、原始共産制という、階級もなければ差別もない、対立も抑圧もないそういう共同社会の時代があったことを発見しました。この史的唯物論の基本は、いまでは日本の歴史自体が雄弁な証明となっています。
いまから四十六年前の一九四四年十月、戦時下の法廷で、宮本議長は、史的唯物論の見地から日本の歴史をとき、当時の「国体」や経済体制を永久不変の不可侵のものとする考え方にたいして断固とした批判をくわえました。宮本議長が社会発展のこの法則をといたときには、こういう見方は「国体」に反する異端者≠フ声とされていましたが、いまでは、それは歴史学の一般的な常識になっています。
たとえば、文部省の検定済みの高校教科書をひもといていただきたいと思います。そこには、経済関係の発展にともなって社会が交代してゆく様子が、日本の歴史にそって鮮やかに描きだされています。日本の歴史の出発点はどうだったか。たとえば、ある教科書は縄文時代について、こういっています。「当時の社会では貧富の差や身分のちがいがなく、人びとは集団で力をあわせて働き、収獲物を平等に分けあっていたと推定される」。そういう言葉こそ使っていないが、まさに原始共産制の叙述そのものではありませんか。
社会の仕組みの現状を固定的にみて今日の資本主義社会を永久のものとするような見地が成リたたないことは、社会発展のこういう歴史にてらしてもあきらかであります。
資本主義論についてはどうでしょうか。先日、私たちは民間大経営の党組織専従者会議をひらきましたが、そこで大経営の職場の実態がこもごも報告されました。もちろん生産力や技術の発展段階はマルクスの時代とは大きく違います。しかし、搾取への渇望といいましょうか、人間の労働力をどこまでもしぼりとろうという要求、それを満たすための非人間的なやリ方について、いま、現在の日本の職場でおこっていることは、『資本論』で描きだされたことそのままであります。たとえば、マルクスは、資本主義的生産は「人間」を生産に付随した材料あつかいし、この「人間材料」の浪費という点では、史上最悪の制度だということを解きあかしました。この「人間材料」の史上最大の浪費者だという指摘は、日本の過労死を予言したものとして読んでも、けっして見当ちがいではないでしょう。
このようにマルクスの剰余価値学説が、資本主義批判として現代的な有効性をもつことは、今日の職場の現実に目をむければ、だれにもあきらかであります。そればかりではありません。大企業の利潤追求第一という経済の仕組みが深刻なゆきづまりに直面しており、「資本主義万歳、社会主義崩壊」と気楽にいえる状況にない、そういう状況をみるたびにマルクスの言葉を思いださざるをえない、こういったのは私ではなく、日本資本主義の頭脳集団のトップクラスの一人である人物であります。ここにもマルクスの剰余価値学説の現代性が証明されています。
社会主義とは、「社会のための生産」を根本原理とする、より高度な体制を展望したものですが、そういう体制へすすむ必然性とは、資本主義のこうした矛盾がその法則的な成熟のなかから生みだすものであって、東欧やソ連の体制が失敗したからといって、現代資本主義の矛盾そのものも、そこに基礎をおいた人類の歴史の発展の大局的な方向も、消え去るわけではけっしてないのであります。
第十八回党大会いらい、わが党が批判をくわえてきた「新しい思考」は、決議案でものべているように、この間かなりの「進化」をとげ、現代の帝国主義、独占資本主義を美化し、これとの協調を第一の行動原理とする方向にいちだんとあからさまにすすんできました。この「新しい思考」は、歴史の進歩にむかってたたかう人民が歴史をつくる原動力だとする史的唯物論の基本に背をむけている点でも、剰余価値論にもとづく資本主義批判を忘れ去って、日本にきたら日本の資本主義が「社会主義」にみえる、そういった立場におちいっている点でも、科学的社会主義の学説の根本的な放棄につうじるものといわなければなりません。(拍手)
科学的社会主義の学説は、世界の現実を正しくとらえ、人類のゆく手をしめす羅針盤としてまさに歴史の検証をへたものであります。さまざまな分野での人間知識の発展、世界的な情勢の変化、それからまた、その間の人類の豊富な経験、こういうものをたえず吸収し、たえず集大成しながら発展し前進している生きた学説であります。かつてレーニンは、この学説について「正しいがゆえに全能」といいましたが、その「正しいがゆえに全能」の羅針盤をもった航海者として、現代の世界に正面から挑戦しようではありませんか。(拍手)
科学的社会主義の運動論の真髄を
運動論の問題では、「社会の現実の矛盾をあきらかにし、その矛盾を人民にとってよりよい方向に打開する法則的な道筋にそって、必要な段階をへながら社会変革をすすめる」、ここに科学的社会主義の運動論の根本があるとのべた党大会決議案の見見地は、きわめて重要な意義をもっています。
これにたいして、「社会主義が直接運動の目標でないとさびしい」、「当面の課題をいうだけでは改良主義になるのではないか」、「日本の社会主義の青写真をしめさないと『社会主義・共産主義崩壊』論に対抗できない」などの意見が一部にありました。私は、こうした意見には、いくつかの大事な点の見落としがあることを指摘したいと思います。
第一は、今日の日本では、日米軍事同盟を軸とした対米従属の体制、国民にたいする日本独占資本の横暴な支配の体制、これらを打破することが、日本社会が国民多数の利益にそって前進するためにさけることのできない課題となっていることであります。わが党の綱領路線はこの現実から出発しています。そしてまた、決議案が「日本共産党はどのような日本をめざすか」という形でしめしているのは、同じ見地にたって、より当面的な課題と方向をあきらかにしたものであります。これが第一の大事な点です。
第二に、社会主義日本の展望についていえば、日本の社会の将来の展望として、これまでに日本国民がかちとってきた民主的な達成のすべてをひきつぎながら、どのような道をすすむべきかという大綱は、党の綱領および「自由と民主主義の宣言」で、すでにあきらかにしていることであります。あとでのべますが、社会主義・共産主義の体制論全般についても、わが党の見地は明確であります。
もっと詳細な社会主義日本の青写真がほしいという声についていえば、それをやることは観念的な混迷のもとになるだけだというのが、大事な点であります。社会主義日本の政治・経済の仕組みの細目がどうなるかという間題は、将来、日本国民の大多数の合意によって社会主義への選択が現実の間題になるときに、それまでに政治・経済・文化の諸方面でどのような進歩と前進が現にかちとられているか、そしてそのときの日本社会がどのような矛盾の解決に当面しているかなど、そういう事情に大きく左右される間題であります。そういうことをよく知っていたからこそ、マルクス、エンゲルスなど科学的社会主義の先輩たちは、社会主義運動が「理想社会」の青写真づくりにおちこむことをきびしくいましめたのであります。
改良主義、社会民主主義と科学的社会主義との根本的な違いも、社会主義の目標に到達するのを急ぐのかどうかにあるわけではありません。そのときどきの社会で人民の苦難の根源となっている間題の解決に正面からとりくむのか、それともそれを回避するのかが、根本のわかれ道であります。
世界的にも、第一次世界大戦がはじまったときに、あらゆる弾圧と迫害に抗して、反戦・平和の旗をまもりぬいたか、それとも帝国主義の支配勢力に頭をさげて戦争賛成の陣営にくわわったかに、共産主義の潮流と社会民主主義の潮流とがわかれた原点があったことは、決議案がしめしているとおりであります。
戦前の日本でも、社会民主主義の諸党派は、絶対主義的な天皇制の専制政治やその侵略戦争との対決を回避しながら、「社会主義」の目標をとなえるのは平気でした。社会大衆党などは、「満蒙に社会主義の新天地を」などといって、「社会主義」の看板で軍部の侵略戦争に迎合したのであります。このなかで、日本共産党は、主権在民の民主政治の旗、帝国主義戦争反対の平和の旗をかかげ、そのために「国体」変革をたくらむ党として極悪の犯罪者集団あつかいされましたが、不屈にその旗をまもりぬいたのであります(拍手)。ここに、科学的社会主義の党の本領があったことを銘記すべきであります。
現在でも、社会民主主義の潮流は、世界でも日本でも、西側軍事同盟とか独占資本主義の支配をはじめ、現存の体制に順応し妥協することを、共通の政治的特徴としています。スターリン・ブレジネフ型の体制が破たんした、これにたいして、それとは違うより民主的な社会主義をめざすのが社会民主主義だ、こういう誤解がかなりひろくありますが、これは現実をみない錯覚であります。イギリスでも西ドイツでも、戦後何回か労働党あるいは社会民主党の政権が生まれましたが、NATOの軍事同盟の体制にも、国民の経済生活にたいする独占資本の支配にも、これらの国ぐにでは、なんらの変更もおこらなかったではありませんか。
科学的社会主義の運動論の真髄を自覚的にとらえてこそ、今日の日本と世界で活動する科学的社会主義の党として、平和と社会進歩の事業への積極的な貢献ができるということを、ここで強調するものであります。
(「第19回党大会にたいする中央委員会の報告 不破哲三」月刊「前衛」1990年9月臨時増刊号 p35-39)
■━━━━━
ハインツェン氏の想定するところによると、共産主義とは、核心としての一定の理論的原理から出発して、そこからさらにかずかずの帰結を引きだすところの、ある種の教義である。これはハインツェン氏のとんでもない思い違いだ。
共産主義は教義ではなくて、一つの運動である。それは原理からでなくて、事実から出発する。
共産主義者はあれこれの哲学を前提とするのではなく、これまでの歴史全体、特殊的には、文明諸国における歴史の現在の事実上の諸成果を前提とする。
共産主義は、大工業とその諸結果、世界市場の造成、それとともに起こった無制限の競争、ますます激烈に全般的になっていまではもう完全な世界市場恐慌になってしまった商業恐慌、ブロレタリアートの発生と資本の集積、その結果としてのプロレタリアートとブルジョアジーとの階級闘争のなかから生まれたものである。
共産主義は、理論にかんするかぎりは、この闘争におけるプロレクリアートの地位の理論的表現であり、プロレタリアートの解放諸条件の理論的総括である。
(エンゲルス「共産主義者とカール・ハイツェン」マルクス・エンゲルス八巻選集@ お世話になります。大月書店p274-275)
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
◎「共産主義は、理論にかんするかぎりは、この闘争におけるプロレクリアートの地位の理論的表現であり、プロレタリアートの解放諸条件の理論的総括である」と。