学習通信050607
◎あまりにも無謀です……

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下層の人々の生活条件の改善は、社会にとってこのましいことである。

 下層の人々の生活条件がこのように改善されたことは、社会にとって利益とみるべきか、それとも不都合とみるべきか。答えは一目瞭然である。さまざまな種類の使用人、労働者、職人は、すべての巨大な政治社会の圧倒的大部分を構成している。この大部分の者の生活条件を改善することが、その全体にとって不都合とみなされるはずはけっしてない。どんな社会も、その成員の圧倒的大部分が貧しくみじめであるとき、その社会が隆盛で幸福であろうはずはけっしてない。それに、人民全休を食べさせ、着させ、住まわせるこれらの人々が、自分自身もかなり十分に食べたり、着たり、住んだりするだけの、自分自身の労働の生産物の分け前にあずかるのは、まったく公正なことなのである。

 貧困は、たしかに結婚への意欲をくじくけれど、かならずしもそれを妨げはしない。それは、出産にとって好都合でさえあるかにみえる。ハイランドのなかば飢えている婦人は、しばしば二〇人以上の子供を産むことがあるが、これと反対に衣食足りている貴婦人は、しばしば一人の子供も産めないことがあるし、ふつうは二人か三人で力がつきてしまう。不妊は、上流婦人のあいだでは広くみられるが、下層階級の婦人のおいたでは、きわめてまれである。女性の贅沢は、おそらく享楽への心の高まりをかき立てるだろうが、それと同時に出産能力をつねに弱め、しばしばそれをまったくなくしてしまうように思われる。

 しかし貧困は、たとえ出産を妨げないにしても、子供たちの養育にはすこぶる不都合である。

 ひ弱な植物は、非常に寒冷な土壌や非常にきびしい気候では、芽ばえはしても、まもなく枯死してしまう。私がよく聞く話であるが、スコットランドのハイランド地方では、一人の母親で二〇人もの子供が生れても、そのうちの二人とは生きていない、ということも、珍しくはないそうである。経験に富んだ数人の将校が私に確言したところでは、かれらの連隊の兵士たちの子供の全部をあてても、連隊を補充できるどころか、鼓手や笛手を連隊に供給することすらできなかったという。兵営付近ほど元気のよい子供たちがおおぜいいるところはあまりないのだが、それらの子供のうちでもごく少数の者しか、十三、四歳まで生きられないらしい。ある地力では、生れた子供の半分が四歳になるまでに死に、多くの地方では七歳になるまでに、またたいていの地方では九歳か十歳になるまえに死んでしまうようである。

こうした高い死亡率は、主として庶民の子供たちのあいだでいたるところに見出される。そうした庶民は、もっとよい地位の人たちがするのと同じ程度の配慮で子供たちの面倒をみる余裕がないのである。庶民の結婚は、上流の人々の結婚よりも多産的であるのが普通であるが、成年に達する割合では、庶民の子供たちのほうがいっそう小さい。孤児の養育院や、教区の慈善事業で養育された子供たちのあいだでは、死亡率は、庶民の子供たちの場合よりもさらに大きいのである。

 あらゆる種類の動物は、その生活資料に比例して自然に増殖する。そして、どんな種類の動物も、これを超えて増殖することはできない。だが、人類の文明社会では、生活資料の乏しさが人間種族の増殖に限界を設定しうるのは、低い階層の人々のあいだだけのことであって、しかもそういうことができるのは、かれらの多産的な結婚から生れる子供の大部分を死亡させるという方法以外にはないのである。

労働の報酬が豊だと、人口の増殖を刺激するとともに庶民の勤勉をも増進させる

 労働に豊かな報酬が支払われると、低い階層の人々は子供たちによい衣食を与えることができ、その結果、多数の子供を育てることができるようになるから、増殖にたいする限界は自然に広げられ、また引き伸ばされるようになる。この場合、この豊かな報酬は、労働にたいする需要が必要とする程度に対応して増殖にたいする限界を拡大していくものだ、ということもここで指摘しておくに値する。もしも、こうした需要がたえず増加するならば、労働の報酬は必然的に労働者の結婚と増殖を剌激して、たえず増大する需要を、たえず増大する人口によって満たすことができるようになるにちがいない。

もし報酬が、この目的に必要な大きさよりも少なければ、かならずや人手の不足はまもなく報酬を引き上げるであろうし、また労働の報酬が右の大きさよりも多ければ、かれらの過度の増殖はかならずやまもなく、報酬をその必要な率にまで引き下げるであろう。市場は一方の場合には、労働がそれだけ供給不足であり、他方の場合にはそれだけ供給過剰であって、この過不足は、社会の事情が必要としている適当な率にまで、労働の価格をまもなくひきもどすであろう。このような仕方で、人間にたいする需要は、他のすべての商品にたいする需要と同じように、人間の生産を必然的に左右する。

すなわち、それがあまりに緩慢に進む揚合にはこれを速め、またそれがあまりに迅速な場合には、これを停止させるのである。世界のすべての国々において、すなわち北アメリカにおいて、ヨーロッパにおいて、シナにおいて、人間繁殖の状態を左右し決定するものは、人間にたいするこの需要なのである。そしてこの需要こそが、北アメリカでは繁殖を急テンポで進ませ、ヨーロッパではそれを緩慢で漸進的なものにし、またシナではそれをまったく停滞的なものにしているのである。

 奴隷の消耗はその主人の経費負担となるが、自由な使用人の消耗はその当人自身の負担となる、といわれている。しかしながら、後者の負担もじつは前者の負担と同じように主人の経費負担なのである。あらゆる種類の職人や使用人に支払われる賃銀は、その社会がたまたま必要とする需要が増加していようと、滅少していようと、停滞していようと、それぞれにおうじて職人と使用人の階層を全体として維持しつづけていくことができるようなものでなければならない。

しかし、たとえ自由な使用人の消耗が奴隷の消耗とひとしく主人の経費負担であるにしても、それは一般に主人にとって奴隷の消耗よりもはるかに安くつくのである。奴隷の消耗を更新したり修理したりする──といってさしつかえなければ──ためにあてられる基金は、ふつうは怠慢な主人や不注意な監督者によって管理される。

自由人について同じ役目を果すためにあてられている基金は、自由人自身の手で管理される。富裕な人の経済はふつうは乱脈になりがちで、奴隷の管理も自然に乱脈になる。これに反し、貧しい人の極度の節約とつつましい配慮とは、同じく自然に、自由人の管理のなかにあらわれてくる。このように管理が異なると、同じ目的でもそれを実行するのに異なった大きさの費用を必要とするにちがいない。

というわけで、あらゆる時代、あらゆる国民の経験に徴して明らかなことは、自由人によってなされた仕事は、奴隷によって行なわれた仕事よりも結局は安くあがるものだ、と私は信じている。こういうことは、普通の労働の賃銀があれほどに高いボストン、ニューヨーク、フィラデルフィアにおいてさえ、見受けられるのである。

 それゆえ豊かな労働の報酬は、富の増大の結果であるが、同じくまた、人口の増加の原因でもある。それについて不平を鳴らすのは、最大の社会的繁栄の必然的な結果や原因について泣きごとをいうのと同じことである。

 おそらくここで注目に値することは、労働貧民の状態、すなわち大多数の人民の状態が最も幸福で最も快適であるように思われるのは、社会が富をとことんまで獲得しつくしたときよりも、むしろ富のいっそうの獲得をめざして前進している発展的状態にあるときであるということである。労働貧民の状態は、社会の停滞的状態においてはつらく、社会の衰退的状態においてはみじめである。実際のところ、発展的状態こそ社会のすべての階級にとって、楽しく健全な状態である。停滞的状態は活気に乏しく、衰退的状態は憂鬱である。
(アダム・スミス著「国富論 T」中公文庫 p133-138)

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主張
「平等神話」の崩壊 格差是正へかじを切るとき

 最近、日本の不平等化の深刻さを示す報告が相次いでいます。
 内閣府の経済社会総合研究所は、日本の所得格差が一九九七年ごろから拡大し、とくにフリーターなど非正規雇用の増加によって、若い人たちの間で格差の拡大が急速に進んでいるとするリポートを発表しました(五月二十五日、「フリーターの増加と労働所得格差の拡大」)。
 リポートは、従来の実証研究から漏れていた非正規雇用や失業者を含むデータを使って所得格差を分析。その結果、不平等化がこれまでの研究よりもいっそう大きく、進み方も急であることが分かりました。

急速に進んだ不平等

 九〇年代後半、学者やジャーナリストらが、実態にもとづいて日本の不平等化に警鐘を鳴らしました。
 政府は所得格差の拡大を認めず、「平等神話」にしがみついて反論しました。その先頭に立ったのが当時の経済企画庁(現・内閣府)です。
 日本は平等な国だから、格差を広げる「市場重視型改革の余地がある」(九八年、「日本の所得格差」)―。「構造改革」を加速すべきだという立場からの反論です。

 経企庁の反論の要点は、統計に見られる所得格差の拡大は、単に高齢化にともなう見かけ上の拡大にすぎず、同一世代内での所得格差は拡大していないというものでした。
 これに対し、今回の内閣府のリポートは、すでに九七年ごろから、高齢者だけでなく若者の中で所得格差が広がっていたことを明らかにしました。しかもそのテンポは、サッチャー政権が「構造改革」を強力に進めた八〇年代イギリスの格差拡大のスピードと、「大きな差はない」ほど急激だと指摘しています。

 九〇年代後半、不平等化が急速に進んでいた日本では、さらに雇用とくらしを痛めつける政治を強行してはならなかったということです。
 総務省の調査によると、ことし一―三月の、労働者に占める非正規雇用の割合は32・3%と過去最高、二十四歳以下では48・2%に達しています。ますます所得格差が広がっていることは間違いありません。

 小泉内閣をはじめ政府・与党が不平等を拡大する「構造改革」を推進してきたのは、くらしと雇用の実態を無視した失政です。いま必要なのは、格差を広げる「構造改革」路線を転換して、不平等化に歯止めをかけ、是正する方向に大きくかじを切ることです。
 ところが、政府・与党は一段と雇用・労働条件を不安定にする規制緩和を進め、社会保障では給付減・負担増を押し付け、庶民からいかに税金を吸い上げるかに夢中です。

無謀な大増税はやめよ

 税制による所得格差の是正効果は八七年の4・2%から二〇〇二年の0・8%へと、五分の一以下に急降下しています。所得税の最高税率は八七年の70%から37%へと半分近くに引き下げられ、所得再分配の機能を大幅に低下させました。

 所得課税の抜本見直しを議論している政府税制調査会の石弘光会長は最高税率の引き上げを否定し、「所得控除をいかに見直すかに尽きる」と記者会見でのべています。大企業とともに、高所得層の減税は「聖域」扱いです。所得控除を縮小・廃止すれば課税最低限が下がり、より低所得層に厳しい税制になります。
 加えて政府・与党は、中低所得層を直撃する定率減税の全廃と消費税増税を計画しています。
 不平等がいよいよ深刻となっている日本で税制の所得再分配の機能を破壊するのはあまりにも無謀です。
(しんぶん赤旗 2005.06.06)

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 労働者階級の状態は現在のあらゆる社会運動の実際の土台であり、出発点である。なぜならそれは、われわれの現在の社会的困窮の最高の、もっともあからさまな頂点だからである。

そこから、フランスとドイツの労働者の共産主義が直接に、またフーリエ主義やイギリスの社会主義が、ドイツの教養あるブルジョアジーの共産主義と同じく間接的に、生みだされたのである。

したがって、一方では社会主義理論に、もう一方ではこの理論の正当性についての判断に、確固とした基礎を与え、この理論に賛成するにせよ反対するにせよ、あらゆる夢想や幻想に終止符をうつためには、プロレタリアの状態を知ることが絶対に必要である。
(エンゲルス著「イギリスにおける労働者階級の状態 上」新日本出版社 p17)

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◎「どんな社会も、その成員の圧倒的大部分が貧しくみじめであるとき、その社会が隆盛で幸福であろうはずはけっしてない。」

◎「労働者階級の状態は現在のあらゆる社会運動の実際の土台であり、出発点である」と。