学習通信050610
◎生きた心=c…生きた頭=c…

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文章読本

「名文」の条件

 戦前、谷崎潤一郎のをはじめ、「文章読本」というのがはやったことがあった。最近また、その復活のきざしがある。尻馬に乗って私も、名文のサンプルを二つ、ここにあげてみたい。

 どちらも、一昨年の北海道十勝労働学校サマーセミナーのガリ版刷りの文集からぬいてきて、私のメモ帳にはさみこんである。「無断転載を禁ず」とは書いてなかったし、「私のメモ帳から」と題して書いているのだから、そのまま書きうつすことにする。
 私が考える「名文」の条件は、(1)内容があること、(2)内容に釣り合った表現があること、この二つである。

K君の文章

 その一つは、このサマーセミナーの事務局長をつとめたK君のもの。「あともどりできない時間旅行者たちへ」と題されている。

「学生時代、とにかくSF小説をむさぼり読んだ。
 スペースオペラから、タイムトラベルもの、国産では、星新一のショート・ショート、筒井康隆のドタバタSFが好きだったし、小松左京のシリアスなやつも良かった。ニューウエーブとよばれるインナースペースものの難解なのにも挑戦した。
 だから、友人たちからよく冷やかされた。お前は現実ばなれしていると。
 それでも、おかまいなしに読みふけったし、太陽系に生物の存在する可能性がないことがわかって、天文学的な〈孤独〉におそわれ自殺した人に、俺は共感する≠ネどと口走って、キ印あつかいされたりした。
 UFOを信じ、四次元世界はどうしたら行けるのか考えてばかりいた。

 卒業と同時に、あれほどのめりこんでいたSFとプッツリ縁が切れた。友人たちがいうほど現実ばなれした人間なんかではなく、むしろ、きわめて常識的な人間≠ナあることが、はっきりした。もっとも、社会に入って空想科学的な思考をつづけるほど自分はアホじゃないと思っていたし、第一、学生時代に将来展望ももたない順応型人間であったからである。
 そして、タイムマシンに乗らずとも、あっというまに九年すぎた。
現実派≠セったはずの男が、今、学習協の運動にのめりこんでいる。
 職場を変えにゃ、社会は良くならん≠ニ労働運動までやっている。
 学生時代の友人たちは、やっぱりいうだろうか、オマエハゲンジツバナレシテルヨ≠ニ。

 この九年間の時間旅行≠ナは、いろんな経験をしてきた。労働学校に入った。今度は主催者側に回った。組合ぎらいが分会の書記長にもなった。恋愛もし、結婚して、子供も生まれた。もちろん、それほど特殊な経験ではない。
 ただその間、科学的社会主義の理論を学んだだけのことなのだが」

K君の文章(続)

 「それでも、時々SF的思考に走ることがある。パラレルワールド(多元的宇宙)というものである。かんたんにいえば、この世界と別な世界がいくつもあって、この世界にいるこの僕の他に、あの世界やあっちの世界にも僕が存在し、自然の法則から、そこにいるすべての僕の人生から、全部異なっている、というアイデアのSFである。

 だから、むこうの世界では、僕はこんな活動をやっていなくて、こんな職場にいなくて、別な女性と恋愛し、結婚して……etc。(カアちゃん、おこらないで)

 こんなことを考える時は、きまって職場や運動でゆきづまりかけた時である。だから僕以外の人にも、きっとサマーセミナーに集まったみんなの中にも、ないだろうか。

 しかし残念ながら、みんなやっばりこの世界で生きるしかないのだ。たとえ、一生労働者≠ニして生きる道しかなくてもだ。そして、みんなが今の職場や人生で矛盾にぶつかって、やり直しの人生や別の人生を望んだとしても、タイムマシンを持っていない僕としては、その願いをかなえてはあげられないので、せめて共に、こちらの世界をなんとか良くするために勉強してがんばろうというしかないのである。

〔付記〕残念ではあるが、タイムマシンが発明される見通しはない。何故ならば、僕は子孫たちに、もしタイムマシンが出来たら、一九八二年の御先組様に会いに行くこと≠代々の家訓とするつもりであるが、いまだに誰一人あらわれないからだ」

(高田求著「新人生論ノート PART U」新日本出版社 p80-83)

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 受けつぐべき大事なものは「科学の目」

 科学的社会主義の特質はなにか、と言いますと、第一に、空想家であった先達たちのように願望から出発するのではなく、いま自分たちが生きている現実社会を「科学の目」で分析し、そこから、資本主義の矛盾や害悪を乗り越えた新しい社会形態とは、どんな社会にならざるをえないか、またより高度な社会に前進する条件が、いまの社会のなかでどのように準備されてゆくかを、その「科学の目」で明らかにしました。

彼らはまた、人類社会の長い発展の歴史をふりかえって、資本主義から社会主義への発展が、人類社会の合理的な発展の方向であることも、明らかにしました。マルクス、エンゲルスは、こういう仕事をすることで、未来社会論を科学のうえにすえなおしたのです。

 第二に、マルクス、エンゲルスは、空想的社会主義者たちの共通の特徴だった青写真主義を排しました。未来社会というものは、将来、そういう社会づくりが現実の問題になるときに、その世代の人間が、そのときの歴史的な条件のもとでつくってゆくものです。なにか青写真や設計図があらかじめつくられていて、それにそって社会を組み立ててゆけばよい、といったものでは絶対にありません。

 ですから、マルクス、エンゲルスは、資本主義社会の科学的な分析にもとづいて、この矛盾を乗り越えた社会は、大きな方向としてはこういう特徴をもった社会になるだろうという、ごく大局的な展望をしめしましたが、それ以上の詳細な設計図をつくって、将来の社会はこういうしくみになるはずだ、といった態度はとりませんでした。将来の歴史は将来の世代の人たちにまかせる、言い換えれば歴史に命令しない≠ニいうことで、マルクス、エンゲルスがこの原則的な立場を堅持したことは、非常に賢明なことだった、と思います。

 このことは、ちょっと考えてみれば分かると思います。マルクス、エンゲルスが活動した時代は、一九世紀の四〇年代から九〇年代、いまから百年以上前の時代でした。その当時の社会条件と言えば、同じ資本主義でも、現在とはまったく違っていました。だいたい、電気がまだ社会的に活用されていなかった時代です。エンゲルスは、晩年マルクスが細かい字で書いた『資本論』の草稿を読んで目を悪くしたと言われますが、夜は「人工の光」で仕事をしたと書いています。

この「人工の光」というのは、電灯ではなく、ガス灯の明かりだったのです。『資本論』が書かれた当時には、工場にいっても、機械を動かしている原動力は蒸気機関で、まだモーター(電動機)はどこにもありませんでした。こういう一九世紀の社会条件のもとで、マルクス、エンゲルスが将来の理想社会の青写真をつくり、それが科学的社会主義のいわば眼目となっていたとしたら、そんな理論は現在の条件では使い物にならないでしょう。

 マルクス、エンゲルスは「歴史に命令する」ような、そんなばかげたことはやらなかった。そうではなくて、彼らが用意したのは、現代の社会を分折し、またそのなかから未来社会を展望する「科学の目」でした。そこに、たいへん大事な意味があります。

 それが、どんな「科学の目」だったかということは、これからの講義の中身になるわけですが、マルクス、エンゲルスが到達した「科学の目」は、百年たっても百五十年たっても古くなっていないのです。それどころか、マルクス、エンゲルスが生きていた時代には、一つの特殊な考えと見られていたものの見方が、現代では、すでに世間のいわば常識になってしまったとか、マルクスもエンゲルスも予想しなかったような規模で、その正しさが証明されているとか、そういうことは無数にあります。

 かさねて言いますが、マルクス、エンゲルスが科学的社会主義の創始者だというとき、いちばん大事なことは、彼らが到達したもの、そしていま私たちが世紀をこえて受けつがなければならないのは、なによりもまずその「科学の目」であって、細目にわたる個々の命題ではない、ということです。そうであるからこそ、たとえば、マルクス、エンゲルスが『共産党宣言』を書いてから百五十年たち、『資本論』第一部が発行されてから百二十年以上たった時代に生きている私たちが、いまでもマルクス、エンゲルスから多くのことを学ぶことができるのです。

未来社会論の基礎にすえた科学とは……

 では、マルクス、エンゲルスが未来社会論の基礎にすえた科学とは何か、というと、これはたいへん広範なものです。レーニンはそれが大きく「三つの構成部分」からなっていると指摘しましたが、その三つの部分とは、未来社会論(社会主義論)に、世界観・哲学の間題、社会を分析する要となる経済学をくわえたものです。

 これらを勉強するとき、ぜひ順においてほしいのは、そこでマルクス、エンゲルスが到達し展開した理論的な立場というものは、どの部分をとっても、人間社会の歴史のなかに突如二人の天才が生まれて、その天才の力で、ゼロからつくりだしたものではけっしてない、ということです。

 マルクスとエンゲルスは、私たちがいま科学的社会主義と呼んでいる理論的な立場に到達するまでに、ものすごい勉強をしています。

 経済学をとっても、それまでに各国で出された経済学の本を、マルクスほどたくさん読んだ経済学者は、当時のヨーロッパでただのー人もいなかったでしょう。毎日のように大英博物館に通って、有名な学者の著作はもちろん、無名の経済学者の著作からパンフレットまで、研究する値打ちのあるものは、すべて読み、吸収する。こうして、人間社会が歴史のなかで生み出したすべての価値あるものを吸収し、批判的に加工し、発展させて、『資本論』を書き上げたのです。

 哲学についても、マルクスがいちばん勉強したのは、ヘーゲル(一七七〇〜一八三一年)とかフォイエルバッハ(一八〇四〜一八七二年)とか、先立つ時代のドイツのいわゆる古典哲学の代表者たちですが、それにとどまらず、古代のギリシア、ローマの時代の哲学者たちの著作までも広く勉強して、いわばその歴史を総決算しながら、いま弁証法的唯物論と呼ばれている立場を仕上げてゆきました。

 このように、科学的社会主義の理論は、(イ)それまでの人間知識の価値ある成果のすべてを受けつぎ、(ロ)その「科学の目」で現実の社会と自然を徹底的に研究する、こうして到達され、仕上げられたものです。
 マルクス、エンゲルスが科学的社会主義の創始者だというとき、その意味あいは、宗教の創始者の場合とはまったく違います。

 宗教の場合には、キリスト教なら創始者であるキリストの言説、仏教なら釈迦の言説、イスラム教ならマホメットの言説が、最高の原理です。ですから、創始者の言説を研究し、これをいかに正しく解釈するかが、その宗教にとって最大の問題になります。

 ところが、科学的社会主義の場合には、創始者であるマルクス、エンゲルスの言説であっても、その値打ちは、それが真理をきちんと反映しているかどうかが、評価の基準です。マルクス、エンゲルスが述べたことであっても、この基準にあわないものは、間違いなのです。

 ですから、私たちが、マルクス、エンゲルスから「科学の目」を受けつぐという場合には、そういうことも頭において、受けつぐべきものをきちんと受けつぐ必要があります。

 いま述べてきた立場──マルクス、エンゲルスであれ、レーニンであれ、科学的社会主義の先輩たちの個々の言説を絶対化しないということは、日本共産党が早くから明確にしてきた立場でした。私たちは、いまから二十五年前、一九七六年に開かれた党大会(第十三回臨時党大会)で、この立場を、党の綱領と規約のうえで、より鮮明に規定づけることにしました。それまで、世界で何十年にもわたって使われてきた「マルクス・レーニン主義」という用語をいっさいやめて、日本共産党の理論的な立場を表現する用語は、綱領の上でも規約の上でも、すべて「科学的社会主義」という言葉で統一するようにしたのです。

それは、マルクスやレーニンの言っていることを絶対化しない、金科玉条にしないという私たちの立場を表すには、この理論を個人の名前と結びつけた「マルクス・レーニン主義」という呼び名は適切でない、と考えたからです。
 私たちの党は、この問題を、そこまで徹底して考えてきたのです。

なぜマルクス、エンゲルスの言説を絶対化してはならないのか

 問題を、もう少し分析的に考えてみましょう。
 マルクス、エンゲルスは、科学的社会主義の理論の創始者であり、彼らが到達した理論の核心は、百五十年の歴史を通じて、その正しさが証明されています。しかし、そこには、歴史的な制約や限界をまぬがれない部分も、すくなからず存在しています。

(1)実際、マルクス、エンゲルス自身、自分たちが到達した地点に安住して、ここが科学的な探究の終着駅だという態度をとったことは、ー度もありませんでした。マルクスは一八八三年に、エンゲルスは一八九五年に死にましたが、その最後の時まで、彼らは理論を発展させるために勉強に勉強をかさね、自分たちの理論をより豊かに、より正確なものとするための努力を惜しみませんでした。

──略──

(2)さらに大事なことは、人間知識も社会そのものも発展するということです。さきほど電気の話をしましたが、私たちが生きているこの時代に、私たちが日々経験していることで、マルクス、エンゲルスが知らなかったという問題は、いくらもあります。
 自然では、百五十年ぐらいの時間では、それほど大きな変化は起こりませんが、自然にたいする人間の認識は、この百五十年間に大変革をとげました。ですから、マルクス、エンゲルスの述べたことで、現代では古くさくなっているという命題は、たくさんあります。たとえば、エンゲルスは、サルから人間への進化を論じて、何十万年前に、インド洋の底に沈んだある大陸の上で起こったことだと書いていますが、現代の私たちの知識では、それは、ほぼ五百万年前に起こったことで、その舞台はアフリカだとされています。

 このように、社会の発展、人間知識の発展を考えれば、マルクス、エンゲルスの時代には見られなかった、新しい考察を必要とする問題が無数に出てくることは当然のことで、その点だけから見ても、私たちが、マルクス、エンゲルスの個々の命題に安住していられないことは、あまりにも明らかです。

(3)もう一つ、マルクスやエングルスも、理論のうえで間違うことがあります。これは、一八六六年──『資本論』第一部を公刊する前の年の話なのですが、マルクスが、トレモというフランスの怪しげな研究者の著作に出会って、すっかり気にいってしまったことがありました。ダーウインの進化論をこえる重要な著作を発見した、これで生物の進化も、大陸ごとの人間の人種的な違いも、地質の構成から説明できる≠ニ、興奮してエンゲルスに報告したのですが、エンゲルスはこれを読んで、この理論はとるに足らないものだ、彼は地質学も理解していない、この本は何の値打ちもない≠ニいって相手にしないのです。一八六六年といえば、歴史観にしても自然観にしても、マルクス、エンゲルスの科学的社会主義の立場がほぼ確立してきている時期です。その時点でも、マルクス自身、歴史と自然の見方で、こういう迷路に入りこむことがあるんだな、と、私は二人の手紙のやりとり(一八六六年八月〜一〇月)を微笑ましく読んだものでした。

 これは、一つの例ですが、マルクス、エンゲルスでも間違うことがある、というのは、いろいろな点で頭にいれておかなければならない点です。

 いろいろな角度から見てきましたが、その結論は、すべてを鵜呑みにする教条主義的な学習ではなく、核心をしっかり学びとり、それを受けつぐ学習が大事だ、ということです。

──略──

古典を読むことのすすめ

 科学的社会主義の勉強には、ぜひこういう心構えであたってもらいたいのですが、そのうえで、具体的な勉強の仕方としては、やはり古典を読むことをおすすめしたい、と恩います。

 マルクス、エンゲルスは時代的に古いから、もっと現代的なものを読もうと思って、科学的社会主義のいわゆる解説書とか入門書を勉強の中心にしようとする場合があります。こういうものは、ああ、科学的社会主義の理論とは、おおよそこういう組み立てになっているのかなど、全体の見取り図をつかんだりするのには役立ちますが、それはあくまで入門書であって、そこから肝心の「科学の目」をつかみとるということは、なかなかむずかしいと思います。

 マルクスやエンゲルスの書いたものを読みますと、たしかに時代背景や出てくる題材には一九世紀的な古さがあります。しかし、その時代に、彼らがどういう現実にぶつかったのか、どういう考え方、どういう方法でその現実と取り組んだのか、そしてどのようにして結論を出したのか、「科学の目」で現実と取り組んだ。生きた心≠ニいうか。生きた頭≠ニいうか古典からは、それが伝わってきます。

 「科学の目」をつかむ勉強をしようと恩ったら、本物にあたる必要があります。私は、そういう意味で、科学的社会主義の勉強にあたって、古典を大事にして読むことを、みなさんにぜひおすすめしたいのです。
(不破哲三著「科学的社会主義を学ぶ」新日本出版社 p15-26)

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「……こんなことを考える時は、きまって職場や運動でゆきづまりかけた時である」と。