学習通信050612
◎それが残っていることはおかしくなります……

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 「しつけ」ということばが何を意味するかは、人によって異なります。基本的な生活習慣とそのスキルを作り上げることに限って用いる場合から、社会的に許容・賞讃される行動と否認・叱責される行動を実行のレベルで区別できるようにすることを中心にする場合、さらにはそれらを「善・悪」としての表象レベルで自主的に判断できることを重視する場合など、かなりの幅をもっています。それらのさまざまなレベルを含めて論じてみたいと思います。その理由は話を進める中で明らかになってゆくはずです。

 ひとまず、「しつけ」を次のように呼んでおきます。その文化社会で生きてゆくために必要な習慣・スキルや、なすべきことと、なすべきでないことを、まだ十分自分で実行したり判断できない年齢の子どもに、はじめは外から賞罰を用いたり、一緒に手本を示してやったりしながら教えこんでゆくこと。そしてやがては自分で判断し、自分の「行動」を自分でコントロールすることによって、それを自分の社会的「行為」として実践できるように、周囲の身近なおとなたちがしむけてゆく営み。場合によっては、それは「保育」ということばと限りなく近づいて用いられることもあるかもしれません。それだけ「しつけ」の中には「保育」の基本問題が集約されているからでもあります。

 「しつけ」ということばに、よく「躾」という漢字があてられ、自分の身を美しくするという意味で大変いい字だと好んで使う人も少なくないようです。しかし「しつけ」という語は元来、着物を「仕付ける」ことと結びついて、私たち日本人の生活の中に根をおろして来ました。躾という字が示唆する「礼儀作法」も、しつけの重要な側面ではありますが、着物の「しつけ」が担っている意味の方が、しつけの過程の本質をよりよく表わしていると私は思います。着物を縫う時、あらかじめ形を整えるため仮に縫いつけておくのがしつけですが、大切なことは、いよいよ着物が本格的に縫い上がると、しつけの糸ははずす、ということです。しつけの糸はもはや不要であり、それが残っていることはおかしくなります。この「はずす」ことが、子どもの発達にとっても重要な意味をもつのです。

 ちなみに、外国語、たとえば英語でこれにあたる語としてはtrainingとか、disciplineなど「訓練」「教えこみ」という意味の語や、oenavior setting(行動を作り上げる)という語を用いるようです。これらのことばは、主としてしつけの過程のはじめの部分、つまり着物の例でいうと、しつけ糸で縫いつける部分を表わしていますが、後半の重要な「はずす」方のニュアンスが感じられません。

 日常の家庭生活の中での、着物を縫い上げることを指すことばが、そのまま子育てのことばとして取り上げられているところに、私たちの祖先の深い智恵とその文化を思わずにいられません。私のような古い世代は、秋の夜、母が明日の父に着せるべく縫い上げた着物のしつけ糸を、軽い音を立てながらはずしていた光景を思い出したりしますが、今の親や子どもにそうした経験はほとんどなくなったことも確かです。生活(とりもなおさず文化)の変化は見えないところでいろいろの影響をもってきます。着物を自分の手でしつけていた母親と、そうした経験の少ない今の母親とでは、子どもへのしつけ観も暗黙裡に変ってきているかもしれません。

 いずれにしても、しつけは、「しつけの糸をはずす」ことを目的としてなされるものであることはまちがいありません。
(岡本夏木著「幼児期」岩波新書 p24-27)

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 「まじめな子」に忍び寄る悲劇
しつけ過多見直しを
 救いはおおらかさ
      長谷川 博一

 子育てのさじ加減は難しい。つい干渉し過ぎてしまう。「お母さんはしつけをしないで」を著した東海女子大学の長谷川博一教授(臨床心理学)は、良かれと思う「しつけ」が子供をゆがめかねないことに警鐘を鴫らす。

 子供「お願いがあるんですけど……」 私「どうしたの?」 子供「あのう、お母さんには言わないでください」 私「うん、大丈夫だよ」
 こんなやりとりを何度繰り返してきたことか。
 「お母さんには言わないで」と頼んでくるのは近所に住む小中学生。多くは私の子供の友人だ。

 秘密にしてほしいことは、勉強しているはずの時間に遊びに来ていたこと、ためていたお小遣いで高額のものを買ったことなど。秘密の内容はさておき、これはとても奇妙な現象だ。親が知らないことを赤の他人の方がよく知っているのだから。「我が子のことは親が一番よく知っている」と、その子供たちの親は信じているに違いない。

 このように秘密を持つのは、決して不良っぱい子でも、勉強しない子でもない。むしろ成績優秀で、親の言いつけを守る「いい子」だ。「しっかりとしつけられてきた子供たち」を言い換えれば親の前で仮面をつけ、本当は家庭が息苦しいのにそうではない「フリ」をしながら過ごしている子ということになる。

 「人間、みんな我慢して生きているのだ。甘えてはいけない」。こんな反論が返ってきそうである。それに対しては「時代は変わった」と答えるしかない。忍耐や努力を美徳としてきた日本人がいる。そのツケが究極の悲劇として終焉(しゅうえん)を迎える、そんな時代に突入したのだと感じられて仕方がない。

 私は仕事柄、犯罪を起こしてしまった人たちとかかわっている。近年顕著な傾向として危ぐするのは、彼らがしばしば「きちんとしつけられてきた子だった」という点だ。ある年齢で限界ラインを超えると、ため込んでいた感情のしこりが噴出し、仮面がはがれ、怒りの化身にひょう変してしまう。その時期が早ければ「ふつうの子の凶悪事件」と呼ばれ、遅ければ最近続けて発生した「家族道連れの心中」になるのかもしれない。

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 ただ気になるのは「しつけ」に関する最近の意識だ。内開府の三〇〇〇年の調査では子育てや教育の問題点で「家庭でのしつけや教育が不十分」とする父母が七〇%を占め、五年前よりー九ポイント増えた。これらが「しつけ過多」に結びつく可能性は否定できない。

 子供時代に、子供らしく伸び伸びと生きることができないと、どのような間題が派生するか。自分を否定し、他人や社会に脅威や疎ましさを覚えて、主体的に生きる構えは育たない。

 ある女子中学生の例をあげよう。「まじめで明るい子」と友人からいわれてきた少女が自宅の部屋で自殺した。机の引き出しの奥から、数ヵ月前に書き始めた秘密の日記が見つかった。そこには「こんな私なんか大嫌い」という文面がつづられていた。

 母親はいつも娘に「○○しちゃいけない」「OOしなさいよ」と事細かに指示してきたという。本人は一切口答えしなかった。はた目には「親はしっかりと、しつけていた」と映る。だが、いつの間にか少女の心は、自分はだめな人間で、ありのままの姿でいるのは許されない存在という意識で占められた。それが自殺の引き金になった。

 一方、あまりしつけられなかった子供たちは「理想のレール」を歩まなくても元気のある大人になっていくように思う。それは今の高齢者たちの姿を見ればわかる。彼らが子供のころ、親は日々の暮らしに追われ、結果的に放っておかれた。子供たちは脱線と軌道修正を繰り返しながら、自分で自分をしつけていたとも言えるのだ。

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 「しつけられた子供はみんな問題を抱えている」と決めつけているわけではない。それでも「そう腹をくくった方が無難だ」とは、声を大にして言いたい。ただし子供に仮面をつけさせた親を責めたくはない。今の親たちも同じようにやらされた子供時代をもち「この子のために」と信じて、精いっぱいに子育てをしているからだ。ここが最もやっかいなところでもある。将来の幸せを強く願うほど、子供を「しつけ(=勉強)」で縛り、子供から幸せを奪ってしまう。せつない悪循環がはっきりと見える。

 母親をしつけ過多に走らせる一因として、父親の態度は重要だ。子供の問題を母親に責任転嫁する場面をしばしば見るが、これは母親の不安をあおり、子供の支配に走らせる。父親も積極的に子供とかかわるのが望ましいが、せめて家族の心の支えになるべきだ。子供の成果にこだわらず、おおらかに構えていればいい。「しつけ」の重荷を少し軽くするだけでも母親の支配は緩む。
(日経新聞夕刊 050611) 「しつけ」の糸


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おとなたちのしているように育つ子

 『子どもは親の思うようにには育たない』──これは、しつけの大前提です。親は思いきってそう覚悟してしまった方がよろしい。そうすれば、親は子どものみかけ上の性格や欠点を、あたかも粘土細工でもいじるように、小手先で思いどおりにしようとは望まなくなるでしょう。それこそ、親子が枝葉にこだわらず、のびのびと自力を発揮していける大事な前提です。

 もう一つ。『子どもは、おとなたちのしているように育つ。』──第二の定理です。
 小さい子どもほど、一般に『言って聞かせる教育』の効果はうすいのです。『目でみせてやる(実感させてやる)教育』の効果が大きいのです。

 『学校へあがったらね、ハイと大きい声でお返事するんですよ』と、くどくどいうより、どこかの待合室で、○○さんと呼ばれたら、ハイと大きい声で返事をする母親となることです。

 授業参観にいって、先生にさされたわが子に、『わかっていたならなぜ答えなかったの』としかる母親は、PTAの会合で司会者に指名されたとき、ちゃんと自分の意見をいえる母親であるかどうかを、まずたしかめておきましょう。

 「とうちゃんが毎晩おそくまで汗水たらして働いているのは、お前を大学に進ませようと思えばこそじゃないか」といっても、子どもはなかなか勉強しません。

 親自身が勉強することです。今日は昨日より、明日は今日より、より人間的に高く生きたいという向上心をもって生きることです。新聞記事一つみていても、『あんたと関係ないでしょ、はやく勉強室へ行きなさい』では、親子の心はへだたります。『どうしてこんな悲しい事件が起きるんでしょうね』という親のそばでは、物事をつきつめて考えてゆこうとする心が育つでしょう。働き者の子どもにしたいと思う方は、つぎの四歳児のことばを味わってみて下さい。子どもは働く母親の健康な美しさを感じとっています。

かあちゃんの においわねえ
きょうこちゃんの うちの
こうばへ いっとるもんで
こうばの しごとの においがするよ
まえ ゆきえを つれていってくれたよ
かあちゃんが かえってくると
こうばの においが するの

(近藤・好永・橋本・天野著「子どものしつけ百話」新日本新書 p16-17)

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◎「自力を発揮していける大事な前提」と。

どのように理解するか、これまでの学習通信≠土台に深めよう。