学習通信050613
◎色とりどりのゆたかさで……

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新しき明日
  碓田のぼる

 今年は、石川啄木の生誕一〇〇周年にあたる。啄木は、明治絶対主義天皇制のもとでの「時代閉塞の現状」を、「明日の組織的考察」において打開しようとしながら、わずか二七歳で死んだ。しかし、時代に先駆していった、その思想と文学は、今日もなお、新鮮な感動を呼ぶ。
 啄木の故郷渋民村(現玉山村)を流れる北上川のほとりに、一基の歌碑がある。

やはらかに柳あをめる
北上の岸辺目に見ゆ
泣けとごとくに

 この一首を刻んだ歌碑は、高さ三・五メートル、幅一・六メートル、全重量一三トンといわれる御影石の壮大なもので、数ある啄木歌碑の第一号である。歌碑の裏面には、
 「大正十一年四月一三日無名青年の徒之を建つ」
と彫られている。一九二二(大正十一)年四月一三日は、啄木の没後満一〇年にあたる日である。日本共産党が創立される、ちょうど、三ヵ月前であった。恐慌につづく不作や凶作、米価暴落などによって、農民生活は破綻に追い込まれ、小作争議などが激発していた。労働運動の分野におけるストライキなども高揚していった。

 啄木歌碑第一号をつくった、「無名青年の徒」は、こうした激動的な時代のまっただ中にいたのである。それは、啄木の継承・発展にとって、きわめて象徴的な事であった。啄木とはやはり、日本人の青春だったのである。

新しき明日の来るを信ずといふ
自分の言葉に
嘘はなけれど……

 「大逆事件」に遭遇するなかでつくったこの作品には、啄木のすすみつつあった思想方向と、天皇制絶対主義とのたたかいが、鋭いキシミを立てているのが聞こえる。この歌の碑は、沖縄にしかない。那覇市内の真教寺の一隅である。チリチリするような南海の夏陽のもとで見た、わずか一メートルにも足らない、小さな歌碑にはじめて出合った感動は、いまも忘れられない。この歌碑を建てることを志したのも、また青年であった。差別と屈辱的支配のもとで、啄木のこの歌がどんなにか青年たちをとらえたことか、と思うと胸を熱くする。

 「いまの若い者は……」という不満が、いまはもうまったく若くない人びとの口からしばしば聞かれる。エジブトのピラミッドから出た象形文字にも似たようなことが書かれていたという。柳田国男は、青年にたいするそんな悪口は、「死の迫った老人の、青年の命にたいする嫉妬なのである」と、どこかで書いていた。老人の悪口など気にする必要がないのである。

 明日を主張し、語る事ができるのは、青年の特権である。時代を先どりしていけるのも、また若い人の鋭い感性と知性によってである。啄木のいった、「新しき明日」が、この若い世代によって切り開かれていくにちがいない。そう思うのは、柳田国男流にいえば、やっばり老化人間の、青年の生命カヘの羨望かも知れない。(うすだのぼる 一九二八年二月生れ歌人)
(「わたしたちの選択 あなたの未来」労働旬報社 p330-331)

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偉大な明日の物語

 一つの、二つの、幼年時代

 昨年暮れにもらった横浜労働学校修了文集から、知恵おくれの人たちの施設で保母をしているSさんの次のような文章を私のメモ帳のなかにしまいこんだ。

 「生まれは、川崎のはずれ。柿生という所です。その名の通り、柿がたくさんなります。私は、その柿を食べて育ちました。川崎というと、煙がモクモク、いかにも工業都市という印象を受けがちですが、私が子供の頃は、田んぼに咲くれんげの花に埋もれて遊び、朝早くに砂糖水をもって、カブト虫の出そうな所にそれを流し、しばらく時間をおいて、カブト虫をとりに出かける、というぐあいでした」

 また、十八歳のY君の文章。
 「東京の町田で生まれてから今日に至るまで、町田に住んでいます。幼年時代は、家の近くが山でしたので、夏になると毎朝、昆虫を捕りに行きました。それから数年後、宅地化が進み、現在では以前の面影すら消えて、あたり一面住宅街になってしまい、当時の記憶がかすかに残っているだけで、とても残念に思っています。なぜかといいますと、自然は一度破壊すると再生ができないからです」

 森林を枯らす酸性雨。地球の砂漠化、が進む。地球の未来を守れ。──そんな新聞記事の見出しが記憶の倉庫から頭をもたげてくる。

半世紀前のある未来像

 そこで私は、私のメモ帳のページをくって、イリーンの『偉大な建設の物語』(安田徳太郎訳『五ヵ年計画の話』昭和六年)からの抜き書きを探しだす。

 未来の都市は、お城(要塞、クレムリン)や市場ではなく、工場や発電所を中心につくられるだろうが、しかし住宅地は、公園の緑色の垣によって工場の煙突の煤煙から保護されるだろう、とイリーンは書いている。「白い共同住宅、学校、図書館、病院は花壇によってとりかこまれるであろう。どこの入口に入っても、緑色の巨人――樫の木、松の木、菩提樹があなたに挨拶するだろう」「今のようなカンカンゴーゴーなる音響や唸りの雑音の代りに、鳥の幸福な歌、樹木の静かな一様な、すがすがしいささやきが都会の街頭で聞かれよう」

 「われわれすべての都会人の神経を現今かきまわしているような、ひっきりなしの雑踏やごたごたがなくなるであろう」
 「公共機関は住宅地からずっとはなれたところに設けられる。人間は静かな平和な場所に住まねばならぬ」
 「街路の交通はずっと少なくなり、現在あるようなぼう大な都会はなくなるであろう。人口十万の都会はあまりに大きいと考えられるであろう」

 都市と農村の区別はなくなる。今日のいわゆる農村には、農業工場の一系列を中心とした農業都市が勃興するだろう。
 ──半世紀前、私たちの先輩が思いえがいた地球の未来像、その社会主義的・共産主義的未来像は、このようなものであった。

「糞尿博士」の大風呂敷

 今日の目から見れば、右のイメージは、あまりにも牧歌的に素朴すぎるといわれるかもしれない。
ということはしかし、いっそう気宇壮大なかたちでこのイメージの改訂増補版をつくること、それが現代の課題だということでもあるだろう。

 そのための素材の一つとして「われもし大統領なりせば」「われもし総理大臣なりせば」と始まる文章が私のメモ帳には書き抜かれている。

 われもし大統領なりせば、アリゾナかニューメキシコの砂漠地帯に一大クロレラ培養池とクロレラ食品工場を建設するだろう、と「わたし」は述べている。貨車はこの工場からクロレラ飼料を満載してアメリカ各地に向け出発し、帰りには、牛や豚のフンを積んで帰ってくる。そのフンがまた、クロレラ飼料の原料となる。これはもっとも合理的な方法で、宇宙ロケット打ち上げの費用くらい、これでまかなえるかもしれない。そして、この方式でいけば、巨大な砂漠を有するアフリカやアラビアは、世界有数のたんばく食糧生産国となり、世界の食糧問題は一気に解決されるだろう、とも。

 われもし総理大臣なりせば──と同じ「わたし」は書いている──「わたしは、大都市に国立の一大糞尿処理および工場廃棄物処理工場をブッ建てるであろう。そしてこれを国家的大事業とし、優秀な頭脳をあつめ未来産業のあり方を示すモデルとするであろう」

 「この大工場では、有機物はこれを分解して元素のかたちにもどし、ガスはこれを集積して、炭酸ガス、アンモニアガス、水素ガス、硫化水素ガス、亜流酸ガスなどに分けてガスタンクにあつめる。無機物は、これを分離集積して、燐酸、塩酸、硝酸、硫酸などの酸あるいはその塩類と化し、鉄、銅、鉛、亜鉛、カドミウム、アルミニウム、マグネシウムなどの金属はこれを精製してのべ俸とする。……」

 同時に、微生物食糧生産のための一大工場を建設する。人畜の糞尿はクロレラの何よりの栄養。そこでつくられる食糧には、パンあり、菓子あり、肉あり、魚あり、野菜ありというぐあいに、あらゆる食品種類を網羅し、そしてそれはすべて無料配布とする。こうして食う心配がなくなった時、人間は初めて真に「考える葦」となり、豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)は考える葦の生い繁る国となる。

 「一方、国土は、その姿を太古のむかしにもどし、田畑は美しい大森林の姿をとりもどし、河川は清く、海は透明な青さをたたえるであろう。この大自然の中を、ジャンボ機が飛び、ハイウエーが走って、近代都市を結び……」

 「わたし」とは、日本クロレラ研究所副所長、日本藻類研究所長であった故中村浩氏。抜き書きは氏の著書『糞尿博士・世界漫遊記』(現代教養文庫)から。人びとよ、この「糞尿博士」の大風呂敷が包んでいる詩と真実に心をよせよ。

現代と未来のビルドゥングスロマーン

 そのような未来の地球では、人間のどのようなドラマがくりひろげられるだろうか。
 さきの文集からもう一つ、次のようなA君の文章を私は書きとった。

 「初めて労働学校を知った四、五年前、紹介してもらった女性にあこがれて、自分の気持ちがうちあけられなくて、相手より、自分の気持ちをはっきりと素直にいうことが大切だと教えられ、恋愛問題、が一歩進歩したと自信がつきました。その人はもう結婚相手がいるというので失恋に終わりましたが、その夜帰ってから布団の中で泣いたことが昨日のように思います……」

 これは現代のビルドゥングスロマーン(「若者が人間修業を体験して成長していく物語」)だ、と私は思った。現代はビルドゥングスロマーンが成立する時代ではない、といわれる。確かにそんな気もする。もしそうなら、それは現代の不幸、現代における青春の不幸を示しているだろう。しかし、現にここにこのような形で、現代のピルドゥングスロマーンの一ページがほほえましくも示されている……。

 未来の地球では、このようなビルドゥングスロマーンがさらに色とりどりのゆたかさで花咲きほこるであろう。
(高田求著「新人生論ノート PART U」新日本出版社 p85-90)

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◎「明日を主張し、語る事ができるのは、青年の特権である。時代を先どりしていけるのも、また若い人の鋭い感性と知性によってである」と。