学習通信050615
◎科学の力によって……
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「見えないものが見える」
物理学の方法とは、観測された現象を、より根源的な物質とその法則で理解しようというものです。そのもっとも中心的な研究課題は、物質そのものの成り立ちや運動です。すべてのマクロ物質は原子や分子からつくられ、原子は原子核と電子で構成されており、原子核は陽子と中性子から成り、陽子や中性子はクオークという粒子からつくられている……、というふうに物質のより根源にせまってゆく、そして、それら各々の物質の階層(原子・分子──原子核──陽子・中性子──クオーク)の運動の法則は何かを調べる、というものです。
日本では、湯川秀樹博士が一九四九年に原子核の中ではたらく力の研究で、朝永振ー郎博士が一九六五年に光の相互作用に関する研究で、それぞれノーベル賞を授与されました。一九六三年に大学に入学した私も、このような素粒子物理学と呼ばれる分野に大いに魅力を感じました。自分もノーベル賞がもらえるような錯覚をしたのです。
しかし、世の中は広い。大学に入ると、すごい秀才がたくさんいるのがわかりました。とても、かれらとは太刀打ちできないと思いました。しかし、大学に残って勉強は続けたいと考えていました。両親はもう亡くなっていたので身軽だったし、大学の四年間だけではもの足らない気分が残っていたからです。自分が研究者として合っているかどうかについては、ほとんど考えませんでした。それは結果が出てみてわかることで、はじめから合う合わないなんて決められないと信じていたからです(今でもそう考えています。だから、逆に、はじめから「これしかない」と決めてしまうのもよくないと思っています)。
結局、私が選んだのは「天体核物理学」という分野で、湯川博士の弟子の林忠四郎教授の研究室でした。天体現象に原子核物理学の手法で切り込むという新しい分野で、林先生は世界的にも開拓者の一人でした。この分野を選んだ理由は、「見えないものが見える」ことに大きな興味を覚えたからです。
遠くの星は、地球からただ観測するだけで、繰り返し実験をしたり、加速器で内部を調べることはできません。しかし、物理学の基本法則を組み合わせ、厳密に論理を積み上げてゆけば、星の内部状態がわかり、その一生を明らかにできるのです。まさに、科学の力によって「見えないものが見える」ようになるのです。星の中には誰も入れませんが、見てきたようにどうなっているかがわかる、それはなんと素晴らしいことでしょう(実は、素粒子物理学にも未練はあったのですが、競争率が高くてとても試験に合格しないと思い、当時はまだ競争率の低い天体核物理学を選んだのが真相なのですが)。
(池内了著「科学の考え方・学び方」岩波ジュニア新書 p16-18)
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科学の現段階と不可知論
「科学」という語がscienceの訳語として成立し使用されはじめたのは明治七年(一八七四年)頃だそうですが、そこには「諸科の学」というニュアンスがこめられていたでしょう。
「諸科の学」といえば、中世スコラにおける自由三科trivium、自由四科quadriviumが想起されます。このtriviumというのは、もと「三つ辻」を意味するラテン語で、「瑣末・些細な、くだらない、陳腐な」を意味するtrivialという英語もこれに由来しています。quadriviumは「四つ辻」ということです。
自由三科とは、文法、修辞、弁論の三つをさし、説教の術、ないし議論の術として算術、幾何、天文、音楽の四つです。あわせて、七つの自由科と呼ばれました。
自由学科というのは、自由人の研究する学問、自由時間のいとなみ、といったニュアンスです。それがスコラにおける必修の学とされたわけですが、前章で述べたように、このスコラという語自体、自由時間を意味するギリシャ語のスコレからきており、自由時間をもつ自由人の研究、というニュアンスをもっていました。すなわち、職業的でない自由人の学校がスコラと呼ばれ、ここで教えられる七科の学にたずさわるものがスコラスティクスと呼ばれたわけです。
この七科の知恵は、その上に神の知恵の家、教会が建てられるべき七つの柱とされていました。すなわち、これらの「自由学科」は教会のひもつきとされていたわけでtrivialな詮議だてに堕するものとしての「スコラ」の悪名──「へりくつ」を意味するという──はここに起因します。
trivialという語が「瑣末、些細な、くだらない、陳腐な」という意味で使われるようになったのは「自由三科的」ということを経由してではなく、「三つ辻にころがっているような、ありふれた」ということから直接に来ているみたいですが、それはともあれ、教会のひもつきとされた諸科の学としてのtriviumがtrvialismにおちいることは避けがたいことでした。
ところで今日では、かつての「神の知恵の家、教会」の地位に大企業がついているみたいです。そういう方向への転換がはっきりしてきたのが、ほかでもない五〇年代の半ばでした。五〇年代の半ばにはじまった高度経済成長のなかで、大学は産学複合体化への傾斜をつよめ、諸科の学に大企業のひもがふとくつきはじめたのです。
科学者の研究が個別的なテ一マに細分化される傾向が、これにともなってすすみました。それはもはや、物理学、化学、生物学といったような古典的な諸科の学への専門化ということではありません。この点ではむしろ「学際化」の傾向が急速にすすんだのです。しかしこうした学際化による研究が個々のテーマに細分化されて、研究者をとらえこむようになりました。
そのもたらした成果は、もとより巨大なものでしたが、そのために「科学的な研究」とはそのような個別的テーマにひたすらのめりこむことで、他のことに関心をもつのは邪道だ、といったような感覚がひろがることにもなりました。自然を知らぬ自然科学者、といったものが登場しうることにもなります。こうなると、科学は、一般国民にとって、何かえたいのしれないブラック・ボックスのようなものとなり、科学者は、そのブラック・ボックスの個々の末端装置の操作者のように映じてきます。
科学は非人間的であり、よくわからないが故に権威あるものであり、生活に密接な関係があるようでいてじつはあまり関係がない、というイメージは、こうしたことをも反映しているにちがいないし、その要素がますます大になってきている、と思います。
右に述べたことは、しかし、事柄の一面です。全体としては、現代科学は、全体的な連関の科学としての特徴をますますつよめているのであり、さきにふれた学際化の傾向も、そもそもそこから発生しています。
「ますますつよめている」といったのは、それがすでに前世紀にはじまった科学の歴史的な新段階の特徴であるからで、このことをいちはやく指摘したのはエンゲルスでした。エンゲルスの指摘を『フォイエルバッハ論』によってまとめてみましょう。
科学は実証を生命とします。そのかぎり、科学の歩みは、いきなり世界の全体的連関を問題にするところからはじまることはできません。さしあたってはそのかぎられた個々の領域についての実証的研究に専心せざるをえませんでした。もちろん、人間はその間、世界の全体的連関を問うことに無関心であったのではありません。しかし、実証の方法によってこれを解くことは、まだ不可能でした。
そこで、この仕事は「現実の連関のかわりに、哲学者の頭のなかでつくった連関をすえる」という仕方で、すなわち「まだ知られていない現実の連関を、観念的な空想的な連関でおきかえ、欠けている諸事実を考えだした像でおぎない、現実のすきまをもっぱら想像でみたす」という仕方でなされたわけです。こうしたいとなみが、自然の領域については自然哲学、社会とその歴史の領域では歴史哲学、法哲学、等々と呼ばれるものでした。
しかし、一九世紀になって、このような状況に根本的な転換が生じました。自然の領域におけるこの転換を告げる記念碑的な事件としてエンゲルスは、細胞学説の確立、エネルギー保存則の発見、進化論の確立、をあげています。
「この三大発見とその他の自然科学上の巨大な進歩のおかげで、いまではわれわれは、自然における諸過程のあいだの連関を個々の領域で指摘できるばかりでなく、個々の領域間の連関をも大体において指摘できるようになり、こうして経験的自然科学そのものが提供してくれる諸事実をもちいて、自然の連関の概観をほぼ体系的な形で描くことができるところまできている。」──社会の領域においては、史的唯物論の成立がこのような転換を可能にしている。
こうして科学は、自然と社会をふくめた世界の全体的連関を自分自身の研究課題としてとりあげる新しい時代に足をふみ入れたのだ。──エンゲルスの指摘は、このようなものでした。
今日の自然科学が、一九世紀よりさらに高度の水準において、エンゲルスが見とおした道を前進しつつあることは、疑いをいれません。たとえば、宇宙物理学と素粒子論とは、今日不可分のものとなっています。生命をいとなむ物質の研究と生命のない物質の研究との間にあるかに見えた万里の長城も、いまは消失しました。生物物理学、生化学、量子生物学、等々の名称がそのことを如実に示しているでしょう。
にもかかわらず、科学研究の現実のいとなみが、全体を見失った個別的テーマヘののめりこみになっているということは、何に起因するのでしょうか。中世の自由緒科の学における教会の地位に今日の大企業がついているということをおいて答えをだすことは不可能だ、と私には思われます。
もっともヽ中世のスコラにおける自由緒科の学にしても、教会の枠内にだけいつまでもとどまったわけではありません。その枠をふみこえる動きが出てくることは避けられないことでした。そして、そのようなふみこえにたいしては、くりかえし圧力がかけられました。そういうなかから「二重真理」の説が、苦肉の策としてかかげられる、ということもおきました。神の知恵の真理と人間の知恵の真理とを区別し、前者の優位をタテマエとして認めながら、両者がくいちがうこともありうることを主張しようとする──これが「ニ重真理」の説です。
先ほど疑問を出しておいたH氏の主張──科学が追求する「人間の幸福」と「人間の福祉」とを事実上区別するという──には、どこかこのニ重真理の説を思わせるものがあります。もっとも、その歴史的性格は同じではない、と思います。それはたとえば、ある歴史的条件のもとでは「はにかみ屋の唯物論」(臆病な、偽装した唯物論)としてあらわれた不可知論が、異なる歴史的条件のもとでは「はにかみ屋の観念論」としてあらわれるようなものです。「はにかみ」は「開きなおり」に転化することもありえます。そして、現代の不可知論は「開きなおった観念論」としての特徴を濃厚におびているみたいです。
「たとえば」として私はいま、不可知論をひきあいに出しましたが、私は一九五七年のH氏の主張に、一種の不可知論のにおいを嗅ぎとるものです。そしてH氏個人の問題をはなれていえば、このような不可知論が、ある種の開きなおりに通じることを危惧するものです。
H氏の不可知論は、氏が社会を科学の対象から完全にはずしていることと深くかかわっているでしょう。氏のいう「科学」には、社会科学のはいる余地がないみたいです。社会にかかわる事柄は、科学とは次元を異にするものとしての政治や道徳や宗教の問題としてだけとらえられています。
不可知論といえば、えたいのしれないブラック・ボックスのようなもの、という科学についてのイメージも、それ自身、不可知論につながるものです。そしてこの場合、「科学」からやはり社会科学がしめだされていること、「社会科学」をふくんでいる場合にも、その「社会科学」は、社会についての不可知論と結びついた、たんなる「政策科学」のたぐいとしてとらえられているだろうことも、いいそえておきたいと思います。
(高田求著「学習のある生活」学習の友社 p122-129)
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──この仕事は「現実の連関のかわりに、哲学者の頭のなかでつくった連関をすえる」という仕方で、すなわち「まだ知られていない現実の連関を、観念的な空想的な連関でおきかえ、欠けている諸事実を考えだした像でおぎない、現実のすきまをもっぱら想像でみたす」という仕方で──
学習通信050508