学習通信050617
◎情け容赦なく残虐に……

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子ども100万人が鉱山労働

こうしている間にも命失う
 ILOが停止要求

【ジュネーブ=ロイター」国際労働機関(ILO)は九日、各国政府に対し小規模鉱山での児童労働をやめるよう呼びかけました。そうした鉱山では百万人の子どもたちが危険な状態で苦役に従事しているとみられています。

 ILOによると、多くの子こどもたちが、狭く換気されていないトンネルで長時間の無償労働に従事。崩落や爆発の危険の中、重い荷物やウランを合む有毒物質を運んでいます。

 この呼びかけは、「児童労働に反対する世界の日」十二日)に先立って出されたもの。アフリカやアジア・ラテンアメリカで二億五千万人と推測される児童労働のひどい状態を浮き彫りにしています。

 「鉱山や採石場は、子どもたちがいるべき場所ではありません。危険すぎます。子どもたちはこうして話している間にもその命を失っているのです」。児童労働撲滅国際計画(IPEC)の責任者は、背景説明の中でこう強調、「行動へ移すことが重要」と訴えました。

 このような鉱山はほとんど、貧困がひどく、規制の及ばない遠隔地にあります。ILOはこの問題を五年から十年でなくしたいとしています。

 IPECの責任者は、「その期間内の絶滅を公約することは可能だと思う。この問題では政府や雇用主、労働者が共通の士台を見つけられる」と語りました。
(しんぶん赤旗 20050612)

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 女性の身体の状態にたいする工場労働の結果を正しく判断するためには、それより先に、児童労働と労働のあり方そのものを考察することが必要であろう。

新しい工業がはじまってから、子どもが工場で使われるようになった。はじめは機械が小型だったために──のちに大型になったが──ほとんど子どもだけが使われた。そして子どもは救貧院からつれてこられ、集団で「徒弟」として工場主のところへ、かなり長期間、賃貸しされた。彼らは共同で生活し、当然、雇主の完全な奴隷であり、情け容赦なく残虐にあつかわれた。すでに一七九六年に、このひどい制度についてパーシヴァル博士とR・ピール氏(現大臣の父で、彼自身は綿工場主)が公然とはげしい不満を申したてたので、一八〇二年の議会は徒弟法案を通過させ、これによって、極端な虐待はなくなった。

しだいに自由な労働者の競争がおこり、徒弟制度全体がなくなった。工場もしだいに都市に多くつくられるようになり、機械も大型化し、作業場の換気もよく、衛生的になった。しだいに成人や青年の仕事もふえ、労働する子どもの数は相対的にはいくらか減少し、労働につきはじめる年齢も高くなった。八歳や九歳未満の子どもはあまり雇用されなくなった。その後も、のちに見るように、立法権はさらに何回も、ブルジョアジーの金銭欲から子どもを守るために行動をおこした。

 労働者、とくに工場労働者の子どもの死亡率が高いということは、子どもが生後の数年間を不健康な状態ですごしていることを、十分に証明している。生き残った子どもにも同じ原因が影響しているが、もちろん、犠牲になってしまった子どもにたいするほどには、つよく影響していないだけである。その影響は、もっとも軽い場合には虚弱体質あるいは発育不全、したがって、ふつうの子どもより体力がないということになる。

工場労働者の九歳の子どもは、生活にもこと欠き、不自由をし、境遇も変わりつづけ、湿気と寒さと、衣類や住居も不足がちのなかで成長していくために、もっと健康な生活環境のなかで育った子どもにくらべれば、労働能力ははるかに劣っている。九歳になると子どもは工場へ送られ、一三歳になるまで毎日六時間半(以前は八時間、もっと前は一二ないし一四時間、それどころか一六時間も)働き、一三歳から一八歳までは一二時間働く。身体を衰弱させる原因はつづいており、これに労働が加わる。

もちろん、九歳の子どもでも、場合によっては労働者の子どもでも、毎日六時間半の労働に耐えることができ、しかも、目に見えるほどはっきりした、あきらかに労働が原因となった発育障害がおこらないことがあるということは、否定できない。しかし、息苦しく、湿気の多い、しばしば蒸し暑い工場の環境のなかにいつづけることは、けっして子どもの健康のためになるものではない。

しかし、肉体と精神の発達のためにのみ用いられるべき子どもの時間を、非情なブルジョアジーの貪欲の犠牲にし、工場主諸氏がもうけるために搾取しようとして、子どもから学校と戸外の空気を奪いとることは、どんな事情があるにせよ、やはりゆるせないことである。たしかに、ブルジョアジーはいう、もしわれわれが子どもを工場で雇わないとしても、子どもたちはその発育にとって好ましくない環境にいることに変わりはない──このことはまったく正しい──だがこのことは、ほんとうに大切なところへつきつめてみると、こういうことなのだ。

まずブルジョアジーは労働者の子どもを劣悪な環境におき、次にこの劣悪な環境を自分たちに有利に利用するのだ──ブルジョアジーは工場制度について責任があるのと同じくらい、自分に責任がある劣悪な環境を、いいのがれのためにもちだしている。彼らは、昨日犯した罪で、今日犯す罪の弁解をしているのである。そしてもし工場法が少なくともある程度彼らの手を縛らなければ、もともと労働者の幸福のためにのみ工場を建てたこれら「親切」で「人道的」なブルジョアジーは、どうやってこれら労働者の利益を守ってくれるのだろうか! われわれは、工場監督官が彼らを追跡する前に、彼らがどんなことをしていたかを、聞いてみよう。彼ら自身がみとめた証言である一八三三年の工場委員会の報告が、彼らを告発するであろう。
(エンゲルス著「イギリスにおける労働者階級の状態 上」新日本出版社 p222-225)

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◎「肉体と精神の発達のためにのみ用いられるべき子どもの時間を、非情なブルジョアジーの貪欲の犠牲にし、工場主諸氏がもうけるために搾取しようとして、子どもから学校と戸外の空気を奪いとることは、どんな事情があるにせよ、やはりゆるせないことである」と。