学習通信050619
◎知的直観のはたらき……

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2 宇宙の果てを問う

字宙は無限か有限か

 宇宙は無限だ。太陽は、夜空に輝く無数の星の一つに過ぎない。そう主張してやまなかったヨーロッパ中世の哲学者ジョルダーノ・ブルーノ(一五四八ー一六〇〇)は、ローマカトリック教会により、生きながら焼き殺された。神を深く信じていたのに。

 望遠鏡の発明(一六〇八年)以前のヨーロッパ世界において、宇宙は地球と同じ物質の世界ではなかった。中世キリスト教では、宇宙は神が創った完全無欠の世界と堅く信じられていた。まして無限の宇宙など、教会の説く世界を否定する、もってのほかの異端だったのである。だがブルーノは、無限こそがこの世界の本質であり、地球も太陽も「充満と空虚で満たされた諸世界」の中で、自転し運動する天体のーつとして認識されると信じた(ブルーノ『無限、宇宙および諸世界について』、清水純ー訳、岩波文庫)。無限こそが、全能の神の証であると。

ブルーノの哲学はコペルニクス(ー四七三−一五四三)をふまえていたとはいえ、まだ「思想」であって科学の裏付けを十分に持ってはいなかった。それにしても、ブルーノも彼を火あぶりにしたローマ教会も、宇宙の解釈を主張することにおいて、なんと苛烈だったのだろう。

 それより二〇〇〇年も前、仏教を創始したインドの釈尊(ゴータマ・シッダールタ=仏陀、紀元前五〜四世紀)は、ヴェーダの哲学者たちから意地の悪い質間責めにされた。いわく、「あなたは悟りを開いたそうだ。では世界のことはすべてお見通しだろう。この世界は無限に大きいのか、それとも限りがあるのかね」。釈尊の答えは「無記(黙って答えない)」だったと、経文は伝える。「限りがある」と答えれば、「それはどこにあるのか、見てきたのか」と反問される。「限りがない」と言えば、「ないことが、どうしてわかるのか」と問い返される。どちらにしても窮地に立つことを見越しての、意地悪い質問なのである。釈尊はおそらくそれを見通したうえで、そんな質問は現世の人の苦しみを救うのに何の役にも立たない、と言いたかったのかも知れない。

科学は問いつめることから

 釈尊のこの挿話は現代からみても面白いが、ここでは科学という面から、中世キリスト教に現れる西欧思想と、仏教に代表される東洋思想について少し考えよう。

 絶対の創造主を信じ、水晶の透明な球が何十個も地球を取り巻いて回転するという、今から見ればとんでもない宇宙像を真剣に追求した西欧社会で、近代科学が発達した。一方、この世界は何者かによって作られたのではなく最初から存在し、人間はその宇宙自然の一存在にすぎないと合理的に考えてきた東洋社会では、科学や宇宙観はあまり発達しなかった。その理由は西欧と東洋の歴史的・社会的な違いがからんで複雑だからここで深く触れるつもりはないが、とても興味深いことだ。

 だが、この話から少なくとも一つ、指摘できるポイントがある。「科学は、物事を問いつめることから始まる」ということだ。西欧社会では、キリスト教の内部でも、世界をとことん理解しようとする厳しい努力やせめぎあいがあった。それは、古代ギリシアの自然哲学やアラビアの観測天文学からの流れも汲んでいる。ブルーノだけでなくコペルニクスやガリレオもそうした「宇宙の理解」のために身の危険を冒した。やがて自然の追求と科学とはヨーロッパ王侯貴族たちの欠かせない教養の一つになり、さらに市民社会・産業社会の発展の、大きな武器にまでなって行った。

 釈尊の答えは、二五〇〇年前の社会ではそれで良かったかも知れない。だがそこに止まって、世界についての問いかけ・追求をやめてしまえば、科学は生まれないし、宇宙のことも分からない。理解は、疑問とこだわりとから生まれる。

 落語で物知り顔の大家さんをとっちめる熊さん・八つぁんの果てしない質問、「それで、その先へどんどん行くと、どうなるんで?」は、人類永遠の問いだろう。いつの世も、人は問い統ける。世界の果てはどうなっているんだろう? と。答えを求めて、天文学者たちはより大きな望遠鏡を作り、より遠くへと観測を続ける。そして、思いもよらない新しい宇宙の姿を見つけるのだが、それでも宇宙の果ては、そのはるか彼方なのである。しかしこういう問いと努力とを積み重ねて来た結果、私たち人間の宇宙は、太陽系から星団へ、銀河へ、膨張宇宙へと、とてつもなく大きく豊かに拡がった。

 人類とその科学が存在する限り、宇宙は拡がってゆくだろう。それは、どんなに大きな宇宙になることだろうか。想像するだけでも、楽しい。
 自然と宇宙を知りたい

 小さな子供を見ていると、その旺盛な好奇心にいつも感心する。赤ちゃんははいまわり、何でもなめて、世界を知ろうとする。抱っこされれば、光る眼鏡に手を伸ばす。小学生の頃はみな、世の中のいろいろなこと、山や海や虫、さまざまな自然や遠い知らない世界のことを、知りたい、見たいという思いをたくさん抱えていたことだろう。

 私も子供の頃、まわりの自然がとても不思議だった。小学校の帰り道、砂利道を友達と歩きなから、ピカリと光る面を持つ砂利の一つを拾い上げる。自然の石が、どうしてこんなきれいな、暦いたような面を持っているんだろう。そこでポケットに大事にしまう。もちろんそのころは、結晶なんてものは全然知らない。

 電車に乗って、山や谷が通り過ぎるのを見る。大人は、水の流れが少しずつ台地を削って大きな谷を作るんだと教えてくれる。けれど車窓から見える谷底の流れはほんのチョロチョロで、岸を削っているとはとても思えない。ましてあんな巨大な谷を、いくら時間をかけても作れるわけがないじゃないか。不思議だった。

 私の父は判事で、まわりに理科系の人間はー人もいなかったから、誰に影響されたわけでもないらしい。小さい頃から本が好きで、地球や化石や恐竜の本をたくさん買ってもらった。小学四年生の時に私は、それまでに読んだ何冊かの本の内容をまとめてつなぎ合わせ、「太陽系の誕生から人間が現れるまで」を紙芝居に作って、みんなに見せた。世界を自分なりに理解し整理したいと思った。陽のあたる縁側でひとり紙芝居を描いていた時の気持ちの高揚は、いまでもかすかに思い出すことができる。

 だんだんと本を読んだり勉強したりしているうちに、そんな不思議なことが、自然の中に横たわる運動やメカニズムとして理解されてくるのが、また面白かった。谷を作る浸食の作用というものは長い時間かかるだけではなくて、大雨の時には激しい浸食や地すべりが起こるし、昔はもっと激しい時代もあったのだ。

自然は長い時間スケールでは変化に富むものだし、また変化は間欠的なのだということを自分なりに悟った時は、なんだか大いに興奮した。そういう目でまわりを眺めてみると、それまで見えていなかった、理解できなかった地形や自然が、急にいきいきと、親しみ深いものに見えた。

 小さな望遠鏡を作ったり買ってもらったりして天体を見る「宇宙少年」の時代を経験した人は、決して少なくないだろう。私もそうした天文少年だったけれど、私にとっての宇宙は、地球や周囲の自然とつながったものだった。現代ではブルーノの時代とはちがって、宇宙はすでに自然の一部と受け取られている。だから宇宙は遠くはあっても、まわりの白
然からひとつながりの「理解したい」対象として、私の中に定着していった。

3 科学と人間を考える

人間は理解し継承する

 自然も含めて自分が存在しているこの世界を「理解したい」と強く思うのは、人類という生物に共通した性質だろう。

 どんな生物も、生き延びて子孫を残すためにはまわりを正しく知り、正しく対応しなければならない。さもないと他の生物に食べられたり、ひからびたりして死んでしまう。だから、まわりを「知る」ためのさまざまな手段を発達させた。見る、聞く、匂いを嗅ぐ、味わう、触るといういわゆる「五感」は、少なくとも高等動物には共通している。好奇心も、「好奇心、猫を殺す」といったことわざがあるように、人間だけのものではない。けれど人間の場合、「知る」というよりはずっと進んだ認識の力を備えている。それは「理解」という言葉で表せるかも知れない。

 考えてみれば、人間は石や動物、植物や川の性質を良く観察し体験し理解して、それによって道具を作り、狩り、栽培し、水を引いて、何百万年かの間に地球上で卓越した力を持つ生物になってきた。知識も道具も発達し、やがて近代的な科学と技術にまで育った。そして天文学者は、望遠鏡を手に入れた。

 「理解」とは、単に「知る」だけではなく、系統だった筋道として認識し納得するということだろう。この能力によって人間は、見たところは複雑に見える自然の現象や社会についても、整理し納得して、自分のものとすることができた。しかもその際、七日の人や世界の人々が研究して残した記録を読み、その知識の上に自分の発見を加えて、考えをまとめる。場合によってはそれが正しいかどうか検証して、間違いを正す。

そうして得られた自分の新しい発見や考えを、今度は他の人々に知ってもらうために人に話したり、本に書いて発表したりするだろう。つまり私たちは、古今東西の人類が得た知識や思想・認識を、検証し修正しながら受け継いでゆくことができるのだ。個を超え、空間と時間を超えて知識を積み上げる。これは、地球上の生命の四〇億年におよぶ歴史の中でも人間だけが発達させた、本当にすばらしい能力だ。

小学生とおじいさん

 国立教育研究所が一八九六年にまとめた調査によると、理科は小学生にとっては「わくわくする」、「面白い」教科として、人気が高い。人間は世界を「知りたい」のだから、当然だろう。宇宙も小学生の人気の的で、町の科学館やプラネタリウムの講演会で宇宙の話をすると、小学生は目を輝かせて聞いてくれる。「質問は?」というと、われ先に手が挙がる。けれど調査では、中学・高校と上がるにつれて理科は人気が下がり、「嫌いな学科」になっていってしまう。残念なことだ。日本の受験教育、画一教育は、「知りたい」という人間本来の気持ちに蓋をしてしまうらしい。

 それでも、学校のクラブや熱心な先生、町の科学館などによって、自然や科学の社会教育活動も盛んに行われている。最近では各地の県や市町村に「公開天文台」と呼ぶ大きな望遠鏡を備えた施設がたくさん出来て、宇宙に親しむ活動を行い、とても元気なところが多い。私たちもハワイのすばる望遠鏡と各地の「公開天文台」や科学館とを結んで、ハワイから直接宇宙の映像を送るなどいろいろなイベントを計画している。「すばる」の成果を日本中の人々に見てもらい、宇宙と科学に関心を持ってもらえたらと思っている。

 もう一つ、講演会で気付くことを言えば、おじいさんたちの元気さだ。仕事を引退したおじいさんがたは、みなとても元気で好奇心旺盛だ。熱心に通い、納得いくまで質問をされる。まるで、昔の天文少年の時代を取り戻そうとするかのよう。忙しい仕事の間は忘れていた自然や科学への好奇心が、復活したのだ。おばあさんがたも元気だが、自然よりも俳句とか古典とか、文科系に関心が高いようである。

 ともあれ、「理解したい!」という好奇心は、やはり人間本来の性質なのだと思う。
(「科学のすすめ」岩波ジュニア新書所収 海部宣男「宇宙のはてのない航海」p112-121)

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結論と補足

 科学への信頼は回復されねばなりません。人間が人間であるために、人間の進歩のために、それは必要不可欠なことです。

 それは、科学への素朴な信頼へのたんなる回帰ではなく、自覚的な確信の獲得としてのみ実現されうるでしょう。

 そのためには、科学の土壌をとりもどすためのたたかいが不可欠です。そして、このたたかいのためには、社会的存在としての人間の自己認識の科学、社会科学が必要とされます。科学は社会科学をふくむのです。というよりも、自然と社会とが別々にあるわけではなく、自然を科学する人間が社会の外にいるわけではない以上、自然科学と社会科学とが別世界の存在でありうるわけがありません。

 「科学の土壌」とは、主体の側からいえば、感性です。計算が先にあるのではありません。先だつものは感性です。

「まず高等数学はなるべくこれをとりのぞかねばならぬ。戦場偵察においては望遠鏡の必要なるごとく、自然科学にとりては高等数学はじつに有力なる道具である。しかも 望遠鏡を見当ちがいの方向にむけ、またはその焦点をあわすに貴重な時間をついやすおそれあらば、むしろ肉眼をひらいて丘稜林野の概景を大観するを得策とする。本書の方針はこの肉眼偵察法である」

 片山正夫『化学本論』(一九一五年)の序文の一節です。宮沢賢治の机の上に国訳法華経がおかれていたことはよく知られていますが、これと並んで片山の『化学本論』一〇〇八ページがつねにおかれていたことは、まだそれほどには知られていません。

 さて、感性をふまえつつ、これを否定して悟性が成立します。そして、悟性にきたえられることによって感性は、知的直観というより高次の能力を獲得します。科学のいとなみは、これらの全領域を包括するものです。
 知的直観のはたらきは、問題意識のはたらきを前提とします。それを前提として知的直観がはたらくきっかけとなるものは、いろいろさまざまでありえます。過去の自然哲学、宗教哲学のたぐいのなかに、そういうヒント、機縁となるものを見いだすということも、いくらもありうるでしょう。

 それは、ニューサイエンス流の「東洋の神秘主義」礼賛とはまったく質を異にするものです。東洋のであろうと西洋のであろうと、神秘主義に色目を使うようなサイエンスは、サイエンスではありません。同時に、西洋のであろうと東洋のであろうと、神秘主義という形を歴史的にとった過去の人間の知的いとなみからも、自在に発想のヒントをくみとり、これを自家薬籠(やくろう)中のものとしていくところに科学の生態がある、ということができます。

 そういうことをふくめて、科学は芸術とともに人間的である、と思います。
(高田求著「学習のある生活」学習の友社 p136-138)

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◎「今から見ればとんでもない宇宙像を真剣に追求した西欧社会で、近代科学が発達した。一方、この世界は何者かによって作られたのではなく最初から存在し、人間はその宇宙自然の一存在にすぎないと合理的に考えてきた東洋社会では、科学や宇宙観はあまり発達しなかった」と。