学習通信050624
◎遠い昔に聞いた本の風景……

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 永六輔さんとラジオで対談したとき、「富士山って、どんな山だと思いますか」と聞かれたことがある。

 どんな山、と聞かれて、こんな山と言える一つの姿を示すのは難しい。確かに、雪を頂いた美しい山の形はいろいろな人の説明を聞いて知っているし、富士山を訪れたこともあるので、あの独特の急勾配や溶岩の感触もおぼえている。樹海で探鳥したこともあるので、あの山のもつ不思議な静けさにも心覚えがある。でも永さんは、そんな瑣末(さまつ)ではなくて、山全体について聞いておられるらしかった。山の全容を目で見ることのできない私にとって、富士山という大きな山はどう映っているのですか、と聞いておられるのだろうという気がした。

ここで、「美しい山」とか「高い山」なんて答えたら、ほとんどコントである。どんなふうにお答えしようかと思ったとき、ふと、ずっとずっと昔に読んだ新田次郎さんの小説かエッセイのシーンを思い出した。そこで、こんなふうに申し上げてみた。

 「富士山というと、あの急勾配と溶岩が頂上まで続いているのだと思っています。そして、新田次郎さんの文章にあるように、冷たく厳しい風がいつも吹きすさんでいるのでしょう。私は北海道に行ったとき、まっすぐな風を知りましたので、富士山にもそんな大きな風が吹いているのだろうと思っております」

 この説明が当たっているかどうかは皆目分からないので、外れていたら平にご容赦を、といったところである。けれど永さんはじめスタッフの皆さんも、この答えにすこぶる納得してくださり、番組は楽しく進んでいったのである。

 新田さんの小説を読んだのがいつだったかさえも覚えていない。しかも、そのときは他の仕事が溜まっていて、そちらのために膨大な本と格闘している最中だったので、富士山の場面なんて意識にも上っていなかった。なのに質問に促されてとっさにそんな答えが浮かんだのだ。「読んでおいてよかった」と心から胸をなで降ろしたものである。

 ラジオといえば、私には忘れられない体験がある。やはり対談形式の番組だったが、このときのテーマは「椋鳩十(むくはとじゅう)の文学と現代」というもので、二時間のスペシャル番組だった。鹿児島県からはるばる飛行機で来られた、たかしよいち先生と、軽井沢で自然保護活動をしておられる理学博士の南正人さん、そして私が招かれたのである。番組は対談形式で、私はエッセイストとして感性の視点から椋文学を語ってほしい、ということだった。

 椋鳩十と言われて、私は「片耳の大シカ」とか、「大造じいさんとガン」くらいしか思い出せなかった。ほかにどんな作品があったのか、試しにインターネットでちょっと検索などしてみたが、タイトルがあまりにたくさん出てきたのでのっけからびびってしまった。小さいころ、私は病弱だったこともあって、いわゆる名作と名のつくものは、かなりたくさん読み聞かせてもらっている。だからきっと、このほかの椋作品にも触れていたに違いなかろう。でも悲しいかな、大人になり、邪念いっぱいの生活を送る昨今、小さいころに読んだ宝物のタイトルさえも思い出せない。情けないがこれが現実だった。

 そこで、私はあわてて図書館から椋作品を借り集め、手当たり次第に「予習」を始めた。「月の輪ぐま」「王者の座」「片耳の大シカ」から始まって数十編の物語を読み、分厚い伝記も読破した。

 ところがそのプロセスをこなすうちに、私は驚愕してしまった。数々の作品の文章にはほとんど覚えがないと言ってもよいくらいなのに、それらが物語る風景や風の匂い、鳥や動物の鳴き声には、信じられないほどはっきりとした心当たりがあったのだ。

 屋久島を見舞う激しい豪雨、それを洞窟の外に聞きながら鹿にしがみついて必死に暖をとる主人公たち、甘く乾いた香りのする納屋の干し草……。そんな大自然の中にはほとんど分け入ったことがない。納屋の干し草の上で、星空を仰ぎながら眠ったこともない。けれど、椋作品に出てきたそれらの風景は、みんな私が知っているものだった。これは、何なのだろう。

 そう、それは私自身の「経験」ではなく、遠い昔に聞いた本の風景だったのである。麻酔と手術の連続にあえぎながら日々を過ごした病院のベッドの上で、学校や習い事での忙しい一日を終えてようやく潜った布団の中で、長雨激しい日曜日の茶の間で、母が読んでくれた物語の遠い風景だった。あるいはそれは、ようやく紙の上で指を止めずに、スラスラと点字が読めるようになって、初めて音読して録音した物語の景色でもあった。

 読んでいた当時は、何の目的もなかった。受験に役立つと思ったわけでもないし、就職に有利になると思ったわけでもない。「そこに山があるから登る」という台詞ではないけれど、私はただ、そこに本があったから手当たり次第に読んでいた。母の朗読を聴くことが、一種の子守り歌のようでさえあった。あのころの読書なんて、そんなものだった。

 けれども、そんな小さな読書の積み重ねが、脳の深いしわのどこかにしまいこまれ、いつの間にか言葉という音律から一つの大きな風景となって、無意識の彼方にきちんと整理されていたのだろう。それが、こんなに時間を隔てて、突然大人となった私の意識に壮大なパノラマの姿で沸き上がってきたのである。

 まるで、私が月の輪熊のいる森で育つたかのように、ブナの森の瑞々(みずみず)しい匂いが鼻孔に蘇ってくる。熊が滝に飛び込む地響きが足裏に伝わってくる。それはもはや、「本で読んだ」ことのある景色などというよそよそしいものではなく、まさに私の心に深く刻まれた原風景、おそらくは子供のころにしかできない記億法で覚えられた、生涯の宝となる命の源の空気であった。

こうして椋文学は、本人も知らないうちにしっかりと私の心に根づいて、生きるという暖かい活動の重みや、自然界に生かされているという種としての自覚をもたせてくれていたのであった。
(三宮麻由子著「目を閉じて心開いて」岩波ジュニア新書 p52-56)

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子どもたちに空想のつばさを

 これは、三鷹市のある親子読書会にはいっているおかあさんからきいた話です。この会は、おかあさんたちが組織し、企画・運営も自分たちでやっている会で、始めてからもう一年余になるそうです。

 子どもたちをまんなかに、おかあさんたちがそのまわりをかこんで一さつの本について話し合いをします。ときには親子で意見が対立することもあるそうですが、何でも思ったことをだれにも遠慮せず発言できるのが、この会の特長だということです。

 四月の月例会は、長崎源之助作『赤いチョッキをきたキツネ』(ポプラ社)を中心とする討論会で、作家も出席するというので、ふだんより大ぜいのおかあさんたちが集まりました。

 この本は、絵本の中にいたいたずらキツネが、ある日絵本からぬけだして、テッちゃんという幼稚園の子どものところへ遊びに来ます。テッちゃんは、ゾウのしっぽにネズミ花火をつけてパンパンとやるいたずらキツネが大好きでした。キツネはこの日から、たびたびテッちゃんのところへ来て遊ぶようになります。でもテッちゃんは、まもなく一年生になります。勉強とおけいこごとが忙しいので、キツネとも絶交します。おこったキツネは、ひとりで宇宙の冒険旅行にでかけ、さまざまなおもしろい冒険をします。でも、ある日ケガをして入院したテッちゃんのところへ、リンカーンの本のケースの中にかくれてまたかえってきます。こんな、むじゃきなお話です。

 子どもたちはテッちゃんになったり、キツネになったりしながら、ふだん自分たちがとめられている遊びや冒険を、お話の中で満喫できて大よろこびでした。

 このとき、作家の長崎さんから、子どもたちにこんな質問がだされました。

 「このあいだね、おじさんのところへ、この『赤いチョッキをきたキツネ』を読んだという子どもの先生から、感想文がおくられてきたんだよ。そのなかに『キツネさん、どうしてそんなにいたずらばかりするんですか。これからはテッちゃんの勉強のじゃまなんか、しないでくださいね』と書いてあったんだよ。みんな、どう思う? この感想文と同じなの?」

 キョトンとしていた子どもたちの数人が、「ちがう、ちがうよ。キツネ大好きだよ」とさけぶと、全部の子どもが賛成しました。
 そのおかあさんは「お話を読みきかせると、すぐに教訓にしてしまう親の姿勢について、わたしたちも考えさせられました」と、そのときの印象を話してくれました。

「このごろのおかあさんは、子どもに目がとどきすぎる、もっと放任して勝手なことをさせる時間をあたえたい」と、団地に住むあるおかあさんがいつか話していましたが、毎日のようにおこる子どもの交通事故のいたましいすがたを、テレビや新聞などで見るにつけ、つい、「ああしてはいけない」「こうしてはあぶない」という禁止のことばばかり、口からでてしまうというのがほんとうでしょう。

もっとのびのびと、自分で主体的に考える時間や場所をあたえてやらなかったら、小じんまりした、人のいいなりになる子どもに育ってしまいます。子どもがやりたいいたずらを本の中でかわってやってくれるいたずらキツネにかっさいをおくったからといって別に問題児になるわけではありません。

「こんなキツネみたいには、ならないよ」「こんな、キツネのような子とは、あそばないよ」

 これでは、子どもではなく小型のおとなです。またこんなことを、ことばでいわせて安心するような、安易な教育であっていいものでしょうか。

「シュバイツアーのように、自分をぎせいにしても、みんなのためにつくす人になるつもりです」とか、「世の中に戦争がなくなって、平和な世界になるようにしなければなりません」などと、本を読んでいとも簡単に反射的に感想を言ったり書いたりする子どもがいると、ついそれで安心してしまう教師も案外多いのではないでしょうか。

 しかし子どもたちにとっては、子どもたちの生活のなかや、もっと小さな身のまわりのことで、ひとつひとつ迷ったり、あともどりしたり、うそをついてしまったり迷惑をかけてしまったりする具体的な事実を、本を読みながら気づき、自分におきかえて考えていくことの方が、もっとたいせつなのです。

おざなりの教訓でなく、ほんとうに子どもが共感できる、ありのままの子どもたちの生活に密着した本をあたえ、思うぞんぶん空想の翼をひろげてかけまわらせたいものです。子どもが、自分たちの世界での相互連帯のなかで、未来への展望と生きる喜び、困難にくじけない力とを、読書の中からも獲得し、蓄積していけるように。(M)
(代田昇編「子どもと読書」新日本新書 p12-15)

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◎「おざなりの教訓でなく、ほんとうに子どもが共感できる、ありのままの子どもたちの生活に密着した本をあたえ、思うぞんぶん空想の翼をひろげてかけまわらせたい」と。