学習通信050627
◎ドリル帳の一種ぐらいにしかみていない……

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 読書といえば、本を読む年齢というのが、私は思いのほか大事だったことにも気づいた。特に、子供から青年期にかけては発達期だから、これは一生に一度しかない貴重な時期ではないだろうか。若いとか年輩という差こそあれ、大人になってしまえば、何度同じ本を読んでも大人という意識の形で読むしかなくなってしまう。でも子供から青年期の意識はしなやかで、このときにしか感じられないことを感じるアンテナをもっていると思う。

私が椋文学を原風景として覚えていられたのも、この宝石のような時期に読んだからであって、もしこれが大人になってからの勉強だったら、けっしてこんな感動にはあずからなかったことだろう。

 子供のころに読んでおかねばならない本、読んでおけば素晴らしい宝石となって未来の自分を育む本、読書とはそういう宝石集めではないだろうか。
(三宮麻由子著「目を閉じて心開いて」岩波ジュニア新書 p57)

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 朝鮮の雁回(がんかい)山には、毎年三月の中ごろになると、北の国へ帰るつるの群れが集まってきます。そういう群れの一つを、一羽のたかがおそいます。伸問をとらえたたかに向かって、いく十羽と数えきれないつるの群れが、ひとかたまりになって死にものぐるいでとびかかります。たかを追いはらったつるの群れは、傷ついた仲間を二羽の大きくたくましいつばさで支えて、北の国へ去ってゆきます。

 この「つる」は、江口漢の短編で、『川をわたる歌声』(新日本出版社)におさめられています。読みすすんでいくうちに、仲間を競争あいてとしかみないように教育されている今の子どもたちに、この感動を伝えたいという気持が胸いっぱいにわきあがってきます。

 私たちの祖先は、こうした感動を書物によってではなく、直接自分の口で子どもたちに語ったのでした。しかし、書物が大量に普及している今日では、むかしは自分の体験やひとの話だけがたよりだった人間は、ものすごい量の新しい知識や体験を間接的に手にいれることができるようになりました。

同時に、書物は好戦思想をうえつけたり、エロ・グロ文化をはびこらせるなどの傾向を助長する手段としても利用されるようになりました。それだけに、子どもたちのために注意深くよい本を選びわけることが必要となっているといえます。でも、わたしたち親は、子どもにあたえる本の内容にどれほど関心をもっているでしょうか。

『聞く読書から読む読書へ』(増村・代田編 国土社)によると、親が子どもに本を読ませたいわけとしてあげているなかで、一番多いのは「知識をひろげるため」というものです。ほかにも、「文の理解力をつけるため」とか、「字をおぼえるから」とか、「発表力をつけるため」などいわゆる「学力」をつけることを読書に期待するものが、圧倒的多数をしめています。本をワーク・ブックかドリル帳の一種ぐらいにしかみていない親が、案外多いのではないでしょうか。

 一体、みずからのきびしい労働とたたかいのなかで生まれた民族の知恵や願いを、感動をこめて小さな後継ぎに語った先人たちの伝統は、どこへ消えてしまったのでしょうか。

自分の子どもにあたえる本のなかみをよくたしかめず、自分が理解もしていなければ感動もしない(読まないのだから!)ものを、子どもに押しつけているとしたら、その結果、せっかく買いあたえたのに見むきもしないと子どもを責め、やがて、子どもは本など読みたがらないものだと確信するようにさえなりかねません。

それでも「学力」をつけるためとあらば、子どもに喜ばれないのを知りながら、苦しい生活費をさいてでもせっせと本を買いあたえるということになってしまいます。

 子どもが親のあたえる本を読みたがらない原因の一つに、「ヤスモノ」を押しつけられるからということがあるようです。親がよく子どもに買ってやるものに、「世界の名作」がありますが、よく調べてみるとその大半は、原作のあとかたもないほど改作されたり抄訳された「名作」なのです。
「名作」の権威にまどわされてにせものを買う親の態度を、児童文学評論家の鳥越信氏は「くさってもタイ」のたぐいだといっていますが、くさったタイで「学力」をつけさせられる子どもこそいい迷惑というものです。

 それでもまだ、買ってもらえる子どもはしあわせです。東京のある小学校で調べた結果によると、年間をつうじて本を一冊も買ってもらえない子どもの比率は三九パーセント、図鑑や辞典類以外は買ってもらえない子どもは四六パーセントだったということです。この背景には、本が高すぎるという事情があることを見おとせません。毎日新聞社と全国学校図書館協議会が、全国の小・中学生を対象にしておこなった昭和四十一年度の調査によると、本を買わない理由のうちで、「値段が高すぎて好きな本が買えない」という答えがずばぬけた高率を示しています。

 一方、今の子どもたちのまわりには、好戦ムードや退廃的な思想をふりまく雑誌・テレビ番組・おもちゃなどが洪水のようにあふれています。こうしたなかで、科学的な認識力を育て集団的モラルをつちかうためのたいせつな文化財の一つである子どもの読みものについて真剣に考えることがどうしても必要になってきています。「ああ、マジェル様、にくむことのできない敵を殺さないでもいいように、早くこの世界がなりますように」と、「からすの北斗七星」のなかでさけんでいる宮沢賢治の願いを子どもたちに伝えたいものです。

また、洋菓子店のショーウインドゥをこわした犯人にでっちあげられた子どもたちが不買同盟で勝利し、がんこでわからずやの社長に大好きな洋菓子をふんだんに献上させるという、『チョコレート戦争』(大石真作・理論社)のような現代日本のすぐれた創作もたくさんあたえたいと思います。

 そのためには、おとなが子どもの本の真剣な読者になること、少なくとも真剣な関心をよせることがどうしても必要な時期にきているといわなければなりません。(H)
(代田昇著「子どもと読書」1968新日本新書 p9-12)

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◎「読んでおけば素晴らしい宝石となって未来の自分を育む本、読書とはそういう宝石集め」と。