学習通信050701
◎直接にありあわせる……

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安保・自衛隊のこと、社会主義のこと
(京都・久御山高校の生徒たちへ 1998年12月)

──以上略

なぜ社会主義を唱えるのですか? ソ連の二の舞いではないでしょうか。

 私たちは、社会の段階的な改革論者で、社会はその社会で熟した問題を解決しながら、改革の階段を一段一段あがってゆくものだと、考えています。

 また、その階段を上がるかどうかを決めるのは、私たちだけではなく、社会の主人公(主権者)である国民です。

 そして、私たちは、いま日本が必要としているのは、社会主義の改革ではなく、「資本主義の枠内での民主的な改革」だと考えています。

 質問に直接お答えする前に、いまどんな改革に努力しているかということについての、基本的な考えを説明しました。ご了解ください。

 そのうえで、社会主義の問題に話をすすめます。私たちは、いま民主的な改革のために努力していますが、日本社会がすすんでゆく将来の展望としては、社会主義の改革が必要になると考えています。それは、日本の国民は、資本主義の社会──大企業の利潤が経済を動かす最大の動機となる社会──にいつまでも安住しているとは、考えないからです。

民主的な改革が、国民にとってよりよい日本を実現することは間違いありませんが、利潤中心の資本主義のしくみのもとにあるかぎり、バブルとその崩壊という苦難はなくなりませんし、失業、貧富の格差、環境破壊などの国民的な悩みもなくなりません。民主的な改革を実現した日本の国民は、やがてさらに進んだ改革に前進する力と条件を身につけるようになるでしょう。そして、その改革は、いろいろ中間の段階はあっても、「人間が主人公」という言葉が経済のしくみの上でも現実になる社会──社会主義の社会に向かうでしょう。

 社会主義というと、ソ連を思いだす方がまだ多くおられます。しかし、ソ連は「社会主義」を看板にしてはいましたが、実際には社会主義でも社会主義にむかう途中の社会でもありませんでした。社会主義の最大の特徴は、「人間が主人公」ですが、スターリンがその専制体制を確立して以後のソ連は、社会主義に向かう道を完全にふみはずして、人間尊重どころか、対外的には他民族を平気で併合し抑圧し、対内的には国民の人権を認めない「人間抑圧型」の社会に変質させてしまいました。

 日本共産党は、一九六〇年代にそのソ連から乱暴な攻撃をうけて以来、ソ連の横暴と三十年余にわたってたたかってきましたが、その経験にたって、一九九一年にソ連が崩壊したときには、世界の進歩を妨害する「巨悪」──ニセモノの「社会主義」の崩壊として、これを歓迎する声明をだしました。

 私たちは、「社会主義」を偽りの看板にした人間抑圧型の体制は、地球上に二度とその出現を許してはならないと考えています。
(不破哲三著「私たちの日本改革論」新日本出版社 p55-57)

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 社会主義のこの二つの流れの決定的な違いはどこにあったのか。その違いを、未来社会論にしぼって、より立ち入って検討してみましょう。

 第一は、マルクスが、資本主義社会の発展とその矛盾についての科学的な研究を徹底的にやったことです。そしてその中から、社会主義的な変革の必然性、この変革によって実現される未来社会──社会主義・共産主義の社会──の基本的な性格や特徴、この社会を準備する諸条件が資本主義社会の胎内でどのように発展するか、こういう問題を「科学の目」で詳細に明らかにしたのです。

 この研究を通じて、マルクスは、資本主義社会から新しい社会への変革の核心となり、また未来社会の経済の土台をなすのは、「生産手段の社会化」──生産者たちが、共同で生産手段を自分の手ににぎること──だ、ということ、これを実現することによって、搾取の廃止と人間の解放にも、「社会的理性」を発揮した経済の計画的な運営にも、生産力発展の新時代にも、壮大な道が開かれることを、科学的に解明しました。

 こういう仕事は、空想的社会主義者たちには、まったく手のつけられなかった、しかし社会主義・共産主義の理論と運動には決定的な意義をもつ領域でした。

 第二に、こうして社会主義・共産主義の目標を科学的に見定めながらも、マルクスは、空想的社会主義者たちとは違って、未来社会の詳細な青写真を描くことは、決してしませんでした。

 資本主義社会の諸矛盾を解決する、という問題についても、生産手段の社会化によって、その矛盾が解決されるという大局的、法則的な方向は明らかにしました。しかし、それが解決される形態がどういうものになるか、どんな方法がどんな順序でとられるか、そういうことを図式的に指示することはしなかったのです。「生産手段の社会化」という中心間題についてさえ、それが実現される形態はこうだということを、特定することはしませんでした。

 「科学の目」で資本主義社会から未来社会への発展を深くとらえながら、なぜ詳細な青写真を描かなかったのか、というと、それは、マルクスが、そしてエンゲルスも、本当の「科学の目」の持ち主として、人類社会の発展というものについて、たいへん深い洞察を特っていたからです。

資本主義のいろいろな矛盾の解決がどんな形態をとるのか、その解決にはどんな方法や措置が必要になるのか、またそれらがどんな順序で実行されてゆくか、こういう間題は、実際の歴史の歩みのなかで、そのときの、その社会の具体的な情勢に応じて規定されるものであって、いつでもどこでも適用できる万能薬的な解決策があるわけではありません。

すぐれた「科学の目」を特った人物だったからこそ、マルクスはそのことを誰よりもよく知っていたのです。そういう間題は、自分たちが活動している時代の情勢から推測して、あらかじめ決定できるものではない、そこでは、いよいよその解決が間題になるときに、そのことにあたる世代の英知と創造性が大いに発揮されるだろう、そこまで割り切ったのが、マルクスの立場でした。
(不破哲三著「マルクス未来社会論」新日本出版社 p16-18)

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 人間は、自分で自分の歴史をつくる。しかし、自由自在に、自分で勝手に選んだ状況のもとで歴史をつくるのではなくて、直接にありあわせる、あたえられた、過去からうけついだ状況のもとでつくるのである。

あらゆる死んだ世代の伝統が、生きている人間の頭のうえに夢魔のようにのしかかっている。
(マルクス著「ルイ・ボナパルトのブリューメル18日」マルクス・エンゲルス8巻選集B p153-154)

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◎「資本主義社会の諸矛盾……それが解決される形態がどういうものになるか、どんな方法がどんな順序でとられるか、そういうことを図式的に指示することはしなかった」と。