学習通信050705
◎最初に出現した一つの生き物から……
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これまでのドイツ観念論がまったく間違っていたことが洞察されると、人びとはどうしても唯物論に行きつくほかはなかった。
しかし、よく注意してほしい、一八世紀の単に形而上学的なもっばら機械論的な唯物論に、ではなかったのである。
以前の歴史をすべてあっさりしりぞける素朴な革命家ふうのやりかたにたいして、現代唯物論は、歴史を人類の発展過程であると見ていて、そこで作用している運動諸法則を発見することを自分の課題としている。
〔また、〕一八世紀のフランス人たちのもとでばかりかヘーゲルでも支配的であった自然の観念──〈自然とは、ニュートンが説いたような永遠の天体とリンネが説いたような不変の生物の種とでできていて、小さく循環しながら運動しているいつまでも自己同一的な全体である〉、という観念──にたいして、現代唯物論は、自然科学のいまからそう遠くない時代のもろもろの進歩を総括する。
これによると、自然にも同様に時間上の歴史があり、諸天体も生物のもろもろの種──好都合な状況があればその天体上に住むことになる──も生成し消滅するのであり、循環は、そもそもそうしたものが認められている限り、もっと限りなく大きな規模のものだ、というのである。
この両方の場合に〔歴史でも自然でも〕、現代唯物論は、本質的に弁証法的であって、他の諸科学の頭上に君臨する哲学をもう必要としていない。
すべての個々の科学に、事物と事物についての知識との全体連関のなかでの自分の地位をはっきり認識せよという要求が迫ってくると、全体的連関を取り扱う特別な学問は、たちまちどれも余計なものになる。
そのときにこれまでの全哲学のうちでまだ自立して存続するものは、思考とその諸法則とについての学問−形式論理学と弁証法とである。
そのほかのものは、すべて解消して自然と歴史とについての実証科学になってしまう。
(エンゲルス著「反デューリング論-上-」新日本出版社 p40-41)
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進化ということ
私は、いまでこそ生物学者の一員になりましたが、中学や高校で生物学を習ったときには、本当の話が、とってもつまらない科目だと思いました。消化酵素の名前やら、複雑なシダの生活環やら、光合成の道筋やら、覚えることばかりたくさんあって、何も考えることがないような気がしたからです。それに比べると、物理学などは、少ない数の原理がわかっていればいろいろな問題を解くことができて、ずっとおもしろいと思ったものでした。いま思えば、あれは、何をするものなのかもわからないような複雑な機械の部品を、無目的に全部覚えさせられているような感じだったといえるでしょう。
ところが、大学に入ってから、ある二つの授業があったおかげで生物の面白さに開眼しました。一つはDNAの話で、もう一つは、動物の行動と進化の話でした。この二つの授業で、私は生物学の理論と言えるものを知り、まさにドブジャンスキーの言う通り、進化を技きにしては生物学のどんな現象も意味を持たないこと、逆に言えば、進化がわかると生物学がごちゃごちゃした部品のただの寄せ集めではないことがわかる、ということを実感したのです。
それでは、進化とは何でしょうか? それは、本書全体のテーマでありますが、簡単に言うと、生物が時間とともに変化していくことをさします。生命はこの地球上にたった一回だけ出現しました。いま現在見られる何百万という種、過去に絶滅してしまったものを含めれば億の単位に近い種は、すべてが、最初に出現した一つの生き物から変化してできたものです。また、生き物は、さまざまに異なる環境に進出し、それぞれの進出先の様子によくあうように変化しましたが、これも、もとは異なるタイプの生き物だったものが変化して、それぞれの環境に適応した生き物ができあがったのです。
つまり、前章であげたいろいろなおもしろい事実は、生物が進化するからこそ起こる現象です。化石などの証拠を見れば、生物が進化することは疑いのない事実です。そこで、進化の研究は、どのような時間スケールで、どのような道筋で進化が起こったのかということを解明する研究と、いったいどうして生物は変化できるのかという、進化のメカニズムを探る研究とにわけることができます。本書では、後者に重点をおいて話していくことにしましょう。
(長谷川真理子著「進化とはなんだろうか」岩波ジュニアー新書 p11-13)
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日本の歴史は世界のなかでも独特
日本の明日をつくるのは、だれでもない、日本の国民自身で、自分が動かないと何も変わらない≠アういう意志を一人一人が持って、毎日の暮らしのなかに生かしていくことが、日本を変える力になる、私はそう思います。二十一世紀は、その力がほんとうに新しい日本を築いていく時代にしたいと思います。
私たちが生きている日本という国、日本という社会は、これまでの歴史でも、世界でなかなか独特の道を歩んできています。
じつは、日本の歴史の問題で、マルクスを読んでいて、面白い問題にぶつかったことがありました。マルクスが『資本論』を公刊したのは、一八六七年、ちょうど明治維新の前の年なのですが、『資本論』には、幕末の日本の社会事情が詳しく出てくるのです。人糞を畑にまいて農業をやっていることや、ヨーロッパと日本の庶民生活の比較など、いわば世情にたいへん明るい。そのなかに、中世のヨーロッバの封建社会の事情を知りたいと思ったら、ヨーロッバの歴史の本をみるより、いまの日本に行ったほうがよい≠ニいう有名な文章がありました。
私は、マルクスは、日本についての知識をどこで仕入れたのか、と長年疑問に思っていたのですが、あるとき、オールコックという、幕末の日本に来たイギリスの初代公使の回顧録『大君の都』を読んで、マルクスの日本知識の源泉はここにあったのか、と気づきました。日本の政治・社会体制は中世ヨーロッパと同じだ≠ニいう見方も、オールコックが自分の観察から引き出した結論でした。
私は、そこから考えたのですが、江戸時代の日本の政治・社会制度が、中世ヨーロッパと同じだということは、歴史の問題としては、非常に興味のある間題です。
これは、べつにヨーロッバから日本が意識的に輸入した制度ではないのです。
最初の武家政権が誕生した源平の動乱から始まって、南北朝の内乱、戦国時代、織田・豊臣・徳川の政権交代と、動乱の波は四百年以上にわたって日本社会をくりかえし襲いましたが、そうして到達した徳川幕府の全国統治の体制は、ヨーロッバの中世とほとんど同じ封建体制だったのですね。
ヨーロッパのように、ローマの崩壊の時期がゲルマンの侵入と結びつくとか、そういう外的な動乱がないなかでの社会の変化ですから、前の社会体制から完成した封建体制に移りかわるまでに四百年以上もかかっているのですが、それが期せずしてヨーロッパの中世とほぼ同じだったわけで、歴史の流れの面白さを痛感しました。
同時に、もっと長い目で日本の歴史をみてみると、日本は、世界史の上で経験された社会体制のほとんどを、この列島の上で経験してきた、という貴重な歴史を持つ国となっています。
まず階級のない原始共産主義の社会が、旧石器、新石器と数十万年の歴史を持つことがわかってきました。
ついで最初の国家が生まれますが、それを支えるのは、日本型の奴隷制です。その上に古代国家が栄えました。それからいくつもの動乱を経て、江戸時代には、封建社会が完成する。そして明治維新以後は、資本主義の時代でしょう。
だいたい世界各国をみても、これだけ典型的な形で、社会発展史を経験してきた、という国は、日本以外にはちょっと見当たらないのです。
つまり、日本の歴史は、社会は不動のものではなく、体制そのものが、歴史とともに変化し発展するものだ≠ニいうことの、なによりの生き証人だと言えるでしょう。
(不破哲三・井上ひさし「新 日本共産党宣言」光文社 p300-303)
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◎「〔歴史でも自然でも〕、現代唯物論は、本質的に弁証法的」と。