学習通信050706
◎セミセミセミセミセミ!……
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セミの鳴き声の不思議
奥本……九五年の夏は九四年に続いて猛暑だったんですが、セミの数が多かったですね。アブラゼミがものすごく多い。ふつうの虫であんなに道端で死体の見つかる虫というのは、ないですね。チョウチョの死体が道端にバタバタ落ちているなんてないでしょう?
養老……夏にサンディエゴにいる娘のアパートに行ったんだけど、寝ていると、アパートの前を通る車がうるさいんですよ。「ここは車がうるさい」と言ったら、娘が「鎌倉の家にいたら虫がうるさい」と言うんだ。鎌倉に帰ってきて、朝、目が覚めたら、確かにものすごくうるさい(笑)。セミがワンワン鳴いている。人によってどっちがうるさいかというのは、違うんだけれど。
奥本……幕末に日本に来た外国人の書いたものを見ていると、横浜あたりから入るわけですが、「富士山がきれい」というのと、夏だと「セミがうるさい」という、その二つをたいてい書いていますね。
池田……セミは、慣れない人はうるさいと思いますよ。僕も方々の外国へ行ってるけど、日本みたいにセミがうるさいところはないでしょう? だいたいはアブラゼミですね。高尾山の僕の家のまわりだと、カナカナ、ヒグラシがいるんですよね。
奥本……あれは涼しげで……。
池田……涼しくないですよ。明け方の四時半ぐらいから鳴くし、すぐそばで鳴くんですよ。遠くで鳴いてると「カナカナカナ……」と、いかにも涼しげだけど、朝の四時半にすぐそばで、キンキンキンキンと鳴くんですよ。一匹鳴きだすとみんなつられて鳴く。全山ヒグラシになっちやうから、その声で起きちやう(笑)。夜が明けてくるとアブラゼミでしょう、ミンミンゼミでしょう、めったにいませんけど、ときどきクマゼミでしょう、ツクツクボウシでしょ。もう一日中セミが鳴いている。最近は明るいもんだから夜になっても鳴いていて、すごい音ですよ。
養老……鎌倉の家のまわりではクマゼミが鳴いていたよ。シャアシャアシャアって。
奥本……クマゼミは増えていますか?
養老……いや、暑かったからじゃないですか。僕は、毎夏一回か二回クマゼミの声を聞きますよ。子供のときは採りたくて、鳴くとすっ飛んで行くんだけど、アッという間にいなくなっちゃうんだ。
池田……クマゼミは、たぶん高尾山では繁殖していないと思います。よそから飛んでくるんじゃないかと思いますね。八月の半ばのわずかな期間、ほんとうに暑いときだけ鳴きますね。
奥本……クマゼミとアシダカグモはだいたい静岡までですね。それがたまにこっちへ飛んでくるくらいでしょう。
池田……分布の範囲はモンキアゲハと似てるかな。モンキアゲハはもう少し北までかな。逗子にもたくさんいるし。
奥本……モンキアゲハは都内では、文京区の家の庭で一回だけ見たことがあります。
池田……ああいう音を聞き慣れない人は、やっぱり気持ち悪いんじゃないですか。アメリカの十七年ゼミが鳴く年というのはきちんと決まっていて、そのときになると人々が疎開してしまうじゃないですか、うるさくて我慢できないからって(笑)。
養老……メルボルンに体が全部グリーンのやつがいるんだ。ものすごい大きな声で鳴くの。あれは声が大きいよ。
池田……でも、そんなに個体数はいなかったでしょう?
養老……うん。あれはヒグラシと同じで、日没のきっかり十五分前に鳴く。ダーッと鳴いてすぐに止まるから、まだいいんだけど、その時間に家の玄関にとまって鳴いてたことがあって、それは一匹だけなのにものすごくうるさかった。あれはおそらく音量のいちばん大きいセミのひとつじやないかしら。
池田……いかにも原始的な変なセミでしょう?
奥本……音量の点でいえば、ヒグラシの伸間で腹ががらんどうの、タイワンヒグラシあたりがいちばんじやないですか?
池田……ああそうか。復がでかいからかもしれないね。オーストラリアのやつも腹がボテッとしててね。
養老……音の大きさを測ったらおもしろいだろうね。
奥本……ヨーロッパだと南仏のセミが有名で、『マルセルの夏』という映画の導入部分にジジジジジジジと声が入るけど、単調なんですね。日本のセミみたいにいろんな声では鳴かないですね。
養老……家にセミの陶器を貼リつけているのはあのへんでしたね。
奥本……そうです。ロワール川から南ですね。東南アジアにはわけのわからないセミがいますよね。タイで「ウエィシシシシシシッウエィ、ウエィシシシシシシッウエィッ」というような声で鳴くのがいるけど、あれなんか鳥なのか蛙なのかキリギリス・コオロギの仲間なのかセミなのか、わからないですね。
池田……そうですね。蛙かセミか、よくわからないのがありますね。
奥本……日本人には、セミの声というとミーンミンとか、カナカナと決まってるんだけど、東南アジアあたりに行くと違いますね。
池田……セミも、ときどきうまく鳴けないやつがいるでしょう?
奥本……発音器が悪いんでしょう。
池田……慣れないせいかもしれない。家の近くで鳴いていたセミは、ミンミンゼミなんだけど、どもってるんだよね。
奥本……かすれ声のアブラゼミなんかもいますよ。筋肉の振動数が足りないようなやつが。
池田……セミは増えたというか、あまり減らないね。
奥本……たぶんお茶の水あたりでセミがあんなに多いのは、モグラのような天敵が少ないからじやないですか。
池田……確かに多いですよね。東大とかお茶の水あたりはミンミンゼミが多いですね。昔はミンミンゼミはあまりいなかった。ニイニイゼミが減ったでしょう? 家の網戸に二イニイゼミがとまったので、珍しいから採っとこうと思って、すぐに展翅しちやったけど、以前はニイニイゼミは珍しくなかったですね。昔の東京では最普通種のセミでした。
奥本……梅雨明けのころから出てくるでしょう。
養老……あれはいちばん早く出る。ほかのセミが出るころにはいなくなっちやうんだ。
奥本……ハルゼミを除けばですね。ハルゼミって、東京にいないでしょう?
池田……あんまりいないですね。大正天皇・昭和天皇の墓がある多摩御陵にはいますよ。でも、あそこで採るのもなんとなく気が引けるでしょう?(笑) 松がたくさんないとハルゼミは駄目なんじやないですかね。
奥本……セミの成虫の天敵はなんですか? とくにいないんじやないですか。カラスが食ったりするぐらいでしょうね。でも、カラスも今はいいもの食ってるから、セミなんか食わなかったりしてね。
池田……昔は、鳥が追っかけて食ってたような気がしますけどね。
奥本……鷹が食ってるのを見たことありますよ。
養老……ネコも捕るよ。うちの猫も捕るもの。桜の木に登ってセミを捕ってくるから、うるさくてしょうがないんだ。猫にはうるさいのがおもしろいらしくて、「ジーッ」っていってるのをくわえているんだよ(笑)。
池田……それは、ただ遊んでるんだよ。
(養老孟司・奥本大三郎・池田清彦「三人寄れば虫の知恵」新潮文庫 p133-138)
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セミの声
架空日記からの抜き書き
五月某日。今日、庭の片隅にセミのぬけがらがあった。
五月某日。家のものにきいてみたが、あれから誰もセミの声をきいていないらしい。
五月某日。今日、本屋に立ち寄った。背表紙を見てまわっているうちに、頭がおかしくなってきた。子どもの絵本コーナーにいって、やっとおちついた。セミを主題にした絵本をさがしたが、それは見あたらなかった。
五月十六日。今日、朝日新聞で読んだ第四十七回国際ペン東京大会の記事から、「文学と映像」分科会の項を次に書きうつす。
「井上ひさし氏は本屋や美術館に入った時に抱く無力感≠ノ触れ、新しく外部からもたらされる過剰な情報に現代人はうんざりしている≠ニ述べた。
だから、現代人に必要なのは外部から来るゴツゴツした新情報でなく、古い気持ちのいい土着的なムダ情報だ。夏休みの昼下がりのだれもいない校庭、セミが鳴いて宿直の先生がオルガンをひいている──そうしたなつかしい古い情報をだれもが取り戻すことによって、人間は自分の連続性を取り戻す……=v
セミセミセミセミセミ!
セミといえば、何といっても
クマゼミだ。「セミセミセミセミセミ!」と鳴きたてる。そう聞くのは私だけの感覚かと思っていたら、「セミ」ということば自体がクマゼミの鳴き声をうつしたもので、中国語の蝉からきているのだという。
万葉集のなかにもセミの声が出てくる。
石走る滝もとどろに鳴くせみの声をし聞けば都し思ほゆ
(大石蓑麻呂)
これも「クマゼミを詠んだものだといわれています」と薩摩忠氏の『昆虫のうた』(NHKブックスジュニア)にある。ただし、深淵久孝氏の『万葉集注釈』はヒグラシ(カナカナ)説。万葉集に一〇回でてくるセミのうち、九回までがヒグラシと明記されているから、というのがその理由だが、これは逆に、ここだけヒグラシと書かれていないのだから、このセミはヒグラシではない、と主張することもできるだろうし、あるいはまた「万葉集では〔ヒグラシという語で〕広くセミー般をいう場合もあったらしい」(岩波古語辞典)とすることもできるのではないか。
それはそうと、ヒグラシ説をとれば、それはそれでそれなりの独特の趣をこの歌に与えるだろう。この歌は安芸国すなわち広島県での作と記されているが、そこから遠くない岡山県のある地方では、ヒグラシのことをヒグレオシミというよし。(川崎洋『方言の息づかい』草思社)
ツクツクホウシといううけとり方もあるようだ。「岩を打つ 滝のおと みやここいしつくづく耳をつく 蝉のこえ みやここいしつくづく」というのが、小島信一氏の『運命の歌=万葉集』(新人物性来社)におけるこの歌の現代詩説である。
この小島氏の現代詩説もまた、すてがたい味をもつ。「つくつくぼうしといふせみは、つくし恋しともいふ也。築紫の人の旅に死して此物になりたりと、世の諺にいへりけり」(横井也有『潟衣』)とあるが、これは類似の異伝も他にいろいろとあって、古くからの伝承に根をもつものであることを思わせる。蓑麻呂がきいたセミの声がこのツクツクホウシの声であったと解すれば、これはこれでまたごく自然に「みやここいしつくづく」とつながっていくだろう。「この旅、果もない旅のつくつくぼうし」という山頭火の句もそこに重なる。──私としてはそれでもやっぱりここのセミがクマゼミであるような、そうあってほしいような気がしてしかたがない。
天平八年の遣新羅使のこと
奥本大三郎氏の『虫の宇宙詩』(青土社)にも、この歌への言及がある。
「安芸国長門島で作られた歌とあるが、蝉の声と京都とがどうして結びつくのか、その必然性がもう一つ定かでない。要するに何を聞いても何を見ても都のことばかり考えているのである。そういう中央志向の強い役人に治められる地方の人間こそ災難である」
誤解は解いておきたいと思う。まず、ここでいう「みやこ」とは「京都」ではない。この歌は天平八年(七三六年)のもので、「みやこ」とは奈良の都である。それから作者の蓑麻呂は、東大寺の写経生だったらしいという考証があるが、とにかく地方の人間を治める役人なんかではありえなかった。彼が安芸国長門の島の磯に立ちよったのは、この年六月、新羅にむかって派遣された使節団の一随員としてであって、そこを治めにいったわけではまったくない。この遣新羅使の一行は、台風に悩まされ、伝染病に悩まされ、おおくの人びとが生きて帰れなかった。万葉集巻第十五のなかには、この多難の使節団一行にかかわる歌一四五首が収められている。蓑麻呂の歌はそのなかの一つ。
どうでもいいことみたいだが、この歌が伝えてくる「なつかしい古い情報」──「古い気持ちのいい土着的なムダ情報」を私は擁護したいのである。
「ムダノート」への結語
どうでもいいといえば、蓑麻呂がきいたセミが何ゼミであろうとどうでもいい、という人もあるだろうし、それはそれでもっともだ、とも思う。芭蕉が立石寺で聞いた「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」のセミが何ゼミか、というのと同様に。立石寺のセミはアブラゼミだ、と斎藤茂吉はいい、ニイニイゼミだ、と小宮豊隆はいい、結局はどうやら茂吉の負け、ということになったらしいが。
それはともあれ、それはとにかく、そもそもこういったことが問題になるのは、やはり日本なればこそだろう。ヨーロッパでは、南フランスかギリシャあたりまで南下しないと、セミの声はきかれないという。明治四十一年(一九〇八年)、ドイツの細菌学者コッホが日本に立ち寄った時、久里浜の松林で鳴くセミをきいて、あれは何という鳥か、と尋ねたそうだ。この話を私は前記の奥本氏の本で知ったが、そこで奥本氏は、氏にむかってあるアメリカ人が「はじめて日本に来たときは夏だったので、カマクラの家のまわりで蝉の声がうるさくて、あれが全部虫だと思うと非常な圧迫を感じたといって耳をふさぐマネをした」ということをも記していた。
このノートで私は「豊葦原瑞穂国の未来像」についてふれ、また「改造された地球としての天国」についてふれた。そこの夏を私はいろいろな種類のセミの声でみたしたいと思う、とつけくわえて、今回のこのムダノートをおわる。
(高田求著「新人生論ノート PART U」新日本出版社 p101-105)
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◎「なつかしい古い情報をだれもが取り戻すことによって、人間は自分の連続性を取り戻す」と。