学習通信050707
◎その観念とその現実とを区別……

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──それに、私生活では、ある人間が自分で自分のことをどう考え、どう言うかということと、その人間が実際にどういう人間で、なにをするかということとは区別されるが、歴史上の闘争ではなおさらのこと、諸党のことばや空想と、その実際の構造、その実際の利害とを区別し、その観念とその現実とを区別しなければならない。
(マルクス著「ルイ・ボナパルトのブリュメル18日」マルクス・エンゲルス8巻選集B 大月書店 p178)

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CGT書記 レオン・モーヴェ

指導の問題のいくつかの側面

 私たちの指導部は、構成が組合や支部の人的構成そのものを最大限に反映する、非常に広い指導部であるよう、つねに努力しなければならない。非常に広い指導部は、労働者をよく知る機会が多くなり、したがって、労働者を統一し、みなの思想・意志・要求・合言葉をよく反映する機会が多くなるだろう。

 もちろん、労働者たち、婦人たち、青年たちが学習し、闘争し、責任ある仕事につくのをたすけるように、いつも努力する必要がある。みなを信頼し、同時にみなが修養し成長するのにあらゆる援助と注意をあたえる必要がある。

 要求や行動スローガンを考えてかかげるのに、指導者の経験も大衆の意見も両方ともくみとらなければならない、という考えに組合が徹するかぎり、その結果は、組織にとってただますます有利になるばかりであろう。

 たしかに指導者は、自分の提案をのべなければならないが、経験が証明しているとおり、どんな資質や経験をもった人でも、大衆と、とくにまず組合員と討論し、自分の意見や提案をいつもしらべてみなければならない。

活動家の権威の基盤

 だれでも忘れていけないのは、活動家の権威が、組合の活動や人員数の発展にとても大切な意義をもつということである。

 ある活動家のおかげで組織が生まれ、成長する工場の場合のことをあげることができよう。また、何かの理由で、ある活動家が去ったために組織が危くなったこともあった。組合の力は、もちろんその勢力・加入組合員数・行動の有効性にあるが、これはそれだけ人間の役割、とくに活動家の役割を否定する必要があるということではない。

 しかし、権威とは、自分でぶらさげるものではなく、かちとるものなのである。

 指導者はまず、分折し指導する能力をもつことが必要だ。指導者は、自分を育てるためだけでなく、個々の状況をしらべて明快に説明し、いちばんよい案をつくれるように、ねばりづよく学習し考察する努力を実行する必要がある。指導者はこうやって権威をかちとるのだ。しかし、そのほかの資質も必要である。

 指導者は、堅固であると同時に、柔軟でなければならないし、つけくわえていえば、人間的でしかもその責任にふさわしくなければならない。

 という意味は、指導者は決定をまもるのに堅固でなければならず、説得力をもたなければならず、組織全体のなかでだけでなく、あれこれの同志のところでいったい何がうまくいっていないのかを見とおさなければならない。人間と、その可能性と、その障害とを認識することをまなばなければならない。それもいいたいのは、組合活動のなかでだけでなく、時には、人間的・個人的・家庭的な面からもたすけられる範囲で同志たちをたすけなければならない。

 しかし、もうのべたように、指導者は、自分の責任にふさわしくなければならない。この品格は、ことばづかい、みなり、たちいふるまいまでふくめ、あらゆる面でもたなければならない。それだけにまた、私たちのふるまいから生意気にみえるようなものを遠ざけ、下品にみえるようなものを遠ざけなければならない。あるがままの場所で、素直にあるがままの
姿でいなければならない。

 自分の場所で、生活し、着物をき、話をし、ふるまわなければならない。どこか一面に突飛なところがあってはならず、げびたことはいつも避けなければならない。活動家は、どの労働者にも、簡潔な、直裁な、わかりやすいことばづかいをしなければならない。

 指導者は、自分を選出した総会や大会にたいして自分のすべての行為に責任を負うている。もちろん、大衆に、組合員でない大衆にたいしても、責任を負うている。皆さんよく知られるとおり、指導者のふるまいは、組織にももちろんだが、外部にさえも、影響するものだ。

 よくあることだが、労働者は、あれこれの活動家を通じて組織というものを判断する。労働者にとっては、組織というものは、ある活動家、ある職員代表、ある工場委員に象徴されている。

 指導者は、きまった方針、きまった決議を尊重させるためにあらゆる手をつくさなければならない。もちろん、形式的・官僚的にでも権威主義的にでもなく、である。いつも説得力のあるやり方で、やらなければならない。もちろん、組合民主主義の尊重に細心の注意を払わなければならない。

 このようにしてこそ、組合員と大衆にたいして、自分の全行為にほんとうに責任を負うことになるのだ。このようにしてこそ、自分の権威を組織に役立てることになり、このようにしてこそ組織の権威と効力との増大に寄与することになるのである。
(細井宗一編「労働組合幹部論」学習の友社 p173-177)

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党規約改定案の意義を三つの角度からみる

 第七回中央委員会総会以来のニヵ月間の討論のなかで、規約改定案についてはいろいろな議論がありましたが、圧倒的な流れは歓迎の声でした。各段階の党会議で出された意見の中からいくつかの主だったものをあげてみますと、「二十一世紀に国民とともに新しい日本をきずいていく党の姿が鮮明になった」、「党の組織と運営の民主主義的な性格がいっそう浮き彫りになった」、「一部の闘士のためのものではなく、広く国民を対象にした、日本共産党の規約として強く支持する」、「普通の人をどんどん党に迎え入れなければならない時代、その時代にふさわしい歴史的な改定だとみる」などなど、歓迎の多くの意見が聞かれました。これらの意見は、それぞれ改定案の核心をなす意義を的確に表現したものだと思います。

 なかには長く親しんだ前文がなくなることでさびしい≠ニいう思いをのべた人もいますが、その同志自身が「感情論ではだめだ」とみずからをいましめ、歓迎の声を広げていると報告されているのも、一つの特徴であります。

 そういう議論もふまえて、あらためて今回の党規約改定の意義をまとめてのべてみたいと思います。

 第一に、この規約改定案は、日本共産党と日本社会の関係が大きく変わったことに対応したものであります。開会あいさつでも紹介したように、規約の原型ともいうべきものを採択したのは、第七回党大会(一九五八年)でしたが、当時は三万数千の党員、国政選挙での得票百万票前後という時期でした。そこから出発して、現在では三十八万をこえる党員をもち国政選挙では七百万、八百万票前後の得票をえ、さらにより大きな発展をめざすという段階にあります。

 今度の規約改定案が、わかりやすさを重視し、誤解を生みやすい表現を除くことに力を入れたのも、日本社会の全体との対話と交流を広げること、また、改定案の第二条にあるように、「民主主義、独立、平和、国民生活の向上、そして日本の進歩的未来のために努力しようとするすべての人びと」に党の門戸を現実に開くことをもとめてのことであります。

 第二に、規約改定案は、「二十一世紀の早い時期に民主連合政府をつくる」という大事業を担いうる、大きな、民主的な活力に満ちた党をきずき上げる力となるものであります。私たちは、その見地から、規約の全条項を吟味いたしました。

 第三に、この規約改定案は、マルクス、エンゲルス以来の共産党論あるいは労働者党論をふまえ、それを現代日本的に展開したものであり、科学的社会主義の大道にたったものであります。改定案は、「前衛政党」という規定をとりのぞいたことが一つの特徴として注目されましたが、「前衛政党」の規定も、この事業の歴史のなかでみれば、一時期にあらわれた規定であって、科学的社会主義の事業とその共産党論、労働者党論の、最初からの本来のものではありませんでした。そのことは、七中総の報告でも指摘したところであります。

 私はいま,科学的社会主義の現代日本的な展開といいましたが、もともとこの理論は、人間の考えや行動を、時代をこえた固定的な枠組みにはめこもうとするものではありません。歴史的な条件の変化や人間知識の進歩に応じて、不断に発展することを特質とするものであり、そこに科学的社会主義の理論の生命力があります。

 そして、科学的社会主義の事業にとりくむ私たちが、先人たちから受けつぐべきものは、なによりも人間社会の進歩のために不屈に奮闘する変革の精神であり、また、不断に発展してゆく人間知識の成果をふまえて、社会と自然を科学の目≠ナとらえる努力をつくす科学的な態度であります。

 日本共産党は、どんな問題にたいしても、科学的社会主義のこの立場でのぞむ党であることを、あらためて強調するものであります。
(「日本共産党第22回大会特集 不破哲三 ─党規約改訂案についての中央委員会報告─」前衛臨時増刊号  2001年2月 p121-123)

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◎「ある人間が自分で自分のことをどう考え、どう言うかということと、その人間が実際にどういう人間で、なにをするかということとは区別される」と。