学習通信050713
◎「家は一体である」という考え方……

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義理と人情には義務しかない………*

 日本の社会で権利というものが出てこないもうひとつの理由は、伝統的な社会規範である義務規範が日本人に非常につよい影響をあたえてきたからです。その代表的なものが義理人情≠ナす。いまでも日本人の間では義理人情に厚いというのは非常にいいこととされています。「義理がすたればこの世は闇だ」ということばもあるくらいで、日本人は義理人情のしがらみで生きています。義理人情は純粋に義務の体系であって、義理人情に縛られている間は権利という考え方は出てきません。戦後日本の社会になってから、しだいに権利という考え方が出てきて、義理人情が解体してきております。

 もちろん、義理人情そのものが、決してわるいということではありません。これは、文化の伝統というべきものですから、日本の国民は、だれでも、多かれ少なかれ、日常生活の中で、義理人情的考え方から脱却できません。しかし、それはむしろ道徳的、あるいは人間の精神的問題であって、法の世界の問題ではありません。

義理人情によって、人間の権利や自由が圧迫されてはならないのです。義理人情のために、言いたいことも言えない人、泣かされている人もたくさんいるのです。上に立つ人たちが義理人情をつかって、下の人たちを支配している例も無数にあるのです。このように、日本人が義理人情に弱いゆえに、それを利用して、下の人たちを押えつける傾向があることが問題なのです。

対立があるから権利が出てくる………*

 さらに権利について考えてみなければならないことは、互いに対立をする人問関係を前提としてはじめて権利が必要であるということです。対立関係のないところに、権利は必要ないのです。

 家庭を考えてみますと、ふつう、家庭で夫婦や親子の間に対立がなく、円満にいっている場合には、親子、夫婦の間にどういう権利と義務があるかということは考えないものです。夫婦、親子が仲よくやっていればそれでいいのです。

たとえば家庭にある財産について、だれにどういう権利があるかということは法律上きちんときまっていますが、テレビを買ってきた場合にテレビの所有権はだれのものにするか、私のものにするか妻のものにするか、子どものものにするか、あるいは共有にするか、共有ならば持ち分はどうするかなどとはふつう考えません。テレビの所有権が問題になるのは、夫婦が対立して離婚になるときとか、父親が死んで遺族の間で遺産争いが起こったときなのです。財産についてこのような対立があると、テレビの所有権はだれのものであるかということがあらためて間題になるのです。

 このように法は、対立関係が生じた場合に権利と義務のルールがどうなるのかということを念頭においてつくられております。

日本ではなぜ権利が根づかないか……*

 日本における権利の考え方が十分でないひとつの理由としては、日本の社会では対立関係をなるべく表ざたにしないという共同体的な考え方があるからです。「家は一体である」という考え方で家の中の権利義務関係をはっきりさせたくない。家庭内紛争をおもてに出すことは家の恥である。学校の中で紛争が起こっても表に知られると学校の恥になる。だから学校の中の対立ごとを何でももみ消してしまおうという考え方がつよいのです。つまり対立や紛争をなるべく公にしたくない。だから、裁判に訴えるのはもってのほかであるということになります。

 たとえば「言論の自由」という権利を考えてみましょう。教科書検定裁判という裁判があります。元東京教育大教授、家永三郎さんが検定を争った裁判です。教科書は文部省の検定をうけなければなりません。家永さんが歴史の教科書で、「戦争中にはほとんど言論の自由はなかった」ということを書いたところ、文部省の検定官は「それは言い過ぎである。現に検定官の中には、『戦争中、言論の自由があった』という人もいるから、『言論の自由がなかった』というのは言い過ぎだ。」こういう反駁をしてきたのです。

この考え方の基礎にあるのは何でしょうか。文部省検定官が言論の自由があったというのは、戦争に協力する言論の自由があったということなのです。しかし、考えてみれば、戦争中に戦争に協力する自由があったことは当然です。それどころか協力した人は勲章をたくさんもらったくらいです。どんな独裁的な体制の国家であっても、それに協力したり、賛美する自由はあるのです。そういう自由を自由と呼ぶならば、古今東西、いままでの国で自由のなかった国はありません。そういう自由は、実は意味のないものです。

 体制に反対する自由、体制の政策に反対する自由というものがなければ権利としての自由の意味がありません。言論の自由が権利であるためには、国家と国民とが対立関係にあることを前提として、国民が国家の体制や政策に反対する自由があることが必要なのです。

 対立関係を認めない考え方は、戦前の天皇制とも関係があります。「日本は天皇を中心としたひとつのまとまった国家であり、みな天皇の子どもである、この中に対立はない、階級対立はとんでもない」というふうに、私たちは教育をされました。国だけではなくて村でいえば、一つの村はまとまった共同体であって、村の人たちはみんな一つのまとまった村の住民である。村の住民の中に利害の対立や階級対立のあることを認めないということです。

日本は全体としていうと、家・村・国というすべてのレベルで、全体がまとまった共同体的な国であって、その中で国民の利害の対立を認めないという考え方です。これはファシズムにつながる考え方です。ファシズムというものは国民の中の対立を認めない一つの独裁的統合なのです。ヒトラーは民族国家、血族共同体=血のつながりということを言い出してユダヤ人を追い出したのです。過去のことだけではなくて、現在でも、共同体という考え方で国民が統合されていく可能性があります。たとえば、会社の中でも、企業は一つの家である、そして社長が親で社員は子どもたちである、親子には対立がないと同じように、会社の中でも社長と社員の間には対立がないのである、使用者と労働者の間の階級的対立はみとめないという考えがあります。

 こういう企業一家@摧O、共同体思想は非常に根強いものがあります。こういう考えの下では、労使の対立をみとめた上で、相互に権利を尊重するという考えが出てきません。この考えは、結局において、労働者の権利を否認するものであり、使用者にとって都合のよいものです。労働組合をみても、企業別に組織されるというめずらしい組織形態をとっている日本の労働組合では労資協調論つまり、和気あいあいと対立を認めないでみんなが一緒になるという団体主義的な考え方が根ぶかく、組合も、御用組合になりがちです。
(渡辺洋三著「憲法のはなし」新日本出版社 p32-36)

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 (一九四〇)七月二六日、発足して間を置かず、近衛内閣は「基本国策要綱」を閣議で決めた。近衛政治のいわば背骨である。

「皇国の国是は八紘を一宇とする肇国(ちょうこく=国のはじめ)の大精神に基き、世界平和の確立を招来することを以て根本とし、まず皇国を核心とし日満支の強固なる結合を根幹とする大東亜の新秩序を建設するにあり」

 第一次近衛内閣で使っていた「帝国」が「皇国」に変わり、「東亜の新秩序」が「大東亜の新秩序」となった。中国だけでなくアジアの国々を視野に入れたわけだ。そして「八紘一宇」という造語が初めて公式文書に登場した。

 日本書紀に、初代天皇の神武が橿原宮で即位したときに「掩八紘而為宇」(はっこうをおおいていえとなす)と発したと記されているのを引っ張って来たもので、全世界を統一して一軒の家とするという意味であった。わざわざ神武天皇の言葉を持って来たことで、当然ながら八紘一宇は万世一系の天皇を有する日本が世界の仕切り役を演じるということが前提になっていたはずである。

 「基本国策要綱」は、もちろん「近衛新体制」を踏まえていた。
 八月中旬に、「要綱」を肉付けするように、矢部貞治が「新体制声明文」をつくり上げた。

 いま、わが国は「世界的な大動乱の渦中」で、「大東亜の新秩序建設という未曾有の大事業に邁進」していて、その目的達成のためには「国家国民の総力を最高度に発揮し、(中略)高度国防国家の体制を整える必要がある」と力説し、「新体制確立」のために、何よりも「国民運動を盛り上げなければならず」、国民運動を盛り上げる機関として「国民翼賛会議を結成する」とうたい上げた。

 さらに、経営を資本支配から独立させ、経営指導者の責任を、「株主に対して」から「国家公共に対して」に転換すると強調した。

 九月二七日、ようやく閣議で「新体制運動」が正式に認められた。運動の名称は「大政翼賛運動」と決まり、それを推進する機関として「大政翼賛会」が設置されることになった。
(田原総一郎著「日本の戦争」小学館 p415-416)

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──本気でタブー批判の問題を出そうとするならば、それは、つぎのようなことでなければならないはずだ、ということである。

「タブーヘの挑戦」とは、あらゆるものをいったん疑うということである。だが、ある「きまり」が疑いに耐えて維持されたとき、それはほんものの規範としてうけ入れられるのであって、タブー性を喪失したものがすべて自動的に規範でなくならなければならないのではない。インセスト(近親相姦)・タブーの場合を、その例としてあげてよいだろう。ことがらの意味を問い直すことを禁じられたままあるルールに服するとき、それはタブーである。意味を問い直したうえであらためてそのルールに従うとき、それは規範としてうけ入れられることになる。

 あるルールのタブー性をはぎとったあと、その論者は、それをあらためて規範として基礎づけなおすのか、それとも反対に、そのルールそのものを否定してしまうのか。「タブーヘの挑戦」をいう論者は、その問に対してどちらかの答を示さないままでは、ルールを否定することはできない。彼は、日本国憲法についてのタブーを──いまそれがあるとして──とり払い、それを自由な議論の対象としたうえで、それを否定し去るのか、それとも、あらためて日本社会の根本にすえ直そうとするのか、主張者自身の責任をかけた内容的な価値判断を、示さなければならないはずである。

「憲法タブー」批判──その本当の意味は?

「なぜ」の大切さ

 そのような見地からすると、本当に「憲法をまもる」ことをしようとする側にとってこそ、タブー批判は重要である。「人類普遍」のものとされている日本国憲法の基本原理であっても、それを頭から自明の理としてしまうのでなく、たえず「なぜ」という疑いに答えてゆく手順を通してその価値をたしかめつづけてゆくことが、大切である。

 たとえば、人間はけっしてたがいに同じではないのに、なぜ、主権者=国民の構成要素としては一人が平等に一票を──また一票だけを──もち、そうした選挙での頭数にもとづいて生まれた多数者の意思が、法律として少数者を拘束できるのか、それができるための条件は何なのか(国民主権と議会制民主主義の問題)。

多数者──さらには圧倒的な多数者──の信念が一致しているときでも、なぜ、それに従わない異端の思想や信条をもつ少数者の自由をみとめなければならないのか(基本的人権の問題)。そもそも、民衆とか国家という「みんな」の利益のためであっても、なぜ、欠陥もあり短所もあるひとりひとりの個人のかけがえのなさが犠牲にされてはいけないのか(近代立憲主義の基本的前提である、個人の尊厳の問題)。

 こういった、憲法の内容にかかわる沢山の「なぜ」のほかに、日本国憲法についていえば、敗戦をきっかけとし占領下につくられた憲法をなぜまもらなければならないのかという、なりたちについての「なぜ」もある。さらには、西洋社会がつくってきた立憲主義のルールを、なぜ極東の島国の基本ルールとしてうけ入れなければならないのか。そういう「なぜ」をいつも問いかえしながら、憲法の基本価値をたえずあらためて選びとりつづけてゆくことが、「憲法をまもる」ということの中身にほかならぬはずである。

 改憲を主張するひとびとは、「憲法をタブーにするのはいけない」と説く脈絡のなかで、「憲法を不磨の大典でもあるかのように金科玉条あつかいしているのは日本だけだ」と言うことがすくなくない。憲法を金科玉条の「不磨の大典」あつかいすべきではない、ということは正しい。しかし、だからといって、ひとつの国民がさまざまな国民的体験をくぐりぬけながら、それぞれに憲法上の確固とした原理をその社会の共通のコンセンサスにしてゆくことの意味までをも、軽んじてはならないはずである。
(樋口陽一著「自由と国家」岩波新書 p87-90)

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◎「そういう「なぜ」をいつも問いかえしながら、憲法の基本価値をたえずあらためて選びとりつづけてゆくことが、「憲法をまもる」ということの中身にほかならぬはずである」と。