学習通信050714
◎文字の問屋と……

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二 編

端書

 学問とは広き言葉にて、無形の学問もあり、有形の学問もあり。心学(倫理学)、神学、理学(哲学)等は形なき学間なり。天文、地理、窮理、化学等は形ある学間なり。いずれにてもみな知識見聞の領分を広くして、物事の道理を弁え、人たる者の職分を知ることなり。知識見聞を開くためには、あるいは人の言を聞き、あるいは自ら工夫を運らし、あるいは書物をも読まざるべからず。ゆえに学問には文字を知ること必要なれども、古来世の人の思うごとく、ただ文字を読むのみをもって学問とするは大なる心得違いなり。

 文字は学問をするための道具にて、賢えば家を建つるに槌・鋸の入用なるがごとし。槌・鋸は普請に欠くべからざる道具なれども、その道具の名を知るのみにて家を建つることを知らざる者はこれを大工と云うべからず。まさしくこのわけにて、文字を読むことのみを知りて物事の道理を弁えざる者はこれを学者と云うべからず。いわゆる「論語よみの論語しらず」とはすなわちこれなり。

わが邦の『古事記』は暗誦すれども今日の米の相場を知らざる者は、これを世帯の学問に暗き男と云うべし。経書・史類の奥義には達したれども商売の法を心得て正しく取引をなすこと能わざる者は、これを帳合の学問に拙き人と云うべし。数年の辛苦を嘗め、数百の執行金(修業金)を費やして洋学は成業したれども、なおも一個私立の活計をなし得ざる者は、時勢の学問に疎き人なり。

これらの人物はただこれを文字の問屋と云うべきのみ。その功能は飯を喰う字引に異ならず。国のためには無用の長物、経済を妨ぐる食客と云うて可なり。ゆえに世帯も学問なり、帳合も学問なり、時勢を察するもまた学問なり。なんぞ必ずしも和漢洋の書を読むのみをもって学問と云うの理あらんや。

 この書の表題は『学問のすすめ』と名づけたれども、決して字を読むことのみを勧むるにあらず。書中に記すところは、西洋の諸書よりあるいはその文を直ちに訳し、あるいはその意を訳し、形あることにても形なきことにても、一般に人の心得となるべき事柄を挙げて学問の大趣意を示したるものなり。先に著したる一冊を初編となし、なおその意を拡めてこのたびの二編を綴り、次いで三、四編にも及ぶべし。
(福沢諭吉著「学問のすすめ」中公クラッシクス p12-13)

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社会科学への攻撃と「治者」の立場

 「そうだ、それはそのかぎり、そのとおりだ」と、ここでとんでもない方から声がかかるかもしれません。「だから戦後民主主義とともに社会科学を葬れ」とそれはつづくのですが。

 そのような声の典型として私の記憶に強く残っているのは、六〇年代の半ば、ある場所 (『中央公論』一九六六年一〇月号、特別シンポジウム「哲学の再建」)での江藤淳氏や永井陽之助氏の発言です。
 そこで江藤氏は、異常なほどの熱っぽさで社会科学への不信を表明しています。

「ぼくが社会科学に疑わしさを感ずるのは、まず集団としての人間についての現象を科学%Iに見よう、自然科学の方法を類推してやろうとすることです」

「もっと人間の限界性を考えたほうがいいのではないでしょうか。認識の限界性について、ある程度、謙虚に考えなければならないのではないか」

「むしろ人間の知性とは、中世の教父たちが考えたように、深海魚が発光体をつけている程度のものだという、うんとペシミスティックな態度で……」

「社会科学がはたして成立するのかどうか。ぼくが成立しないのではないかという気がするのは、そこに人間が含まれているから。人間が人間を観察するという場合、どれくらい正確にとらえられるか。普遍性、法則性といっても、全部自然科学からの類推でしょう。その厳密さがどうなっているかわからない。教えていただきたいと思う。ぼくはそれはなかなか厳密にできないのじゃないかと思う。人間を全的にうまくとらえようと、哲学者ばかりでなく、いろんな人が何千年とやってきたが、やればやるほどとらえられなくなってしまっているのではないか」

「問題は人間をどれだけ知ることができるかということです。社会科学だから、人間の行動が対象になる。そこで行動の原因、結果を推測する。しかし九十九人の人間をそれで説明できても、残り一人の人間が説明できないとしたら、しかも、この人間が明白な精神異常者でなかったら、どうしますか」

「………バカなことをいってはいけないという感じがある。そんなことですむなら、だれも無理して文芸批評をやったり、哲学者が何千年もの歳月、考えはしないだろう。このタカをくくったところ、人間観の低さが問題になると思う」

これをうけて、永井陽之助氏が──

「戦後、哲学者や社会科学者で、かつての神学者とか予言者の役割を社会的に機能すべく強要された人たちがいる。社会の側がそれを必要とした。そういう役割を負わされた気の毒な人がいたわけです」

「戦後イデオロギーの祭司集団があって、そういう役割を担わされた人たちに、社会科学者が多かったことは事実でしょうね」

「新興宗教と似た面がある。これは、心理学的実験でたしかめられていることですが、教祖の予習がはずれた場合、その狂信集団は、ますます信ずるという傾向がある。信心がいまだ足りず≠ニか、内面での正当化が強化されるわけです。マルクス主義でも同じ傾向かあります」

これにたいする江藤氏の反応──

「祭司とか、巫女とか、これは科学との類推でいわれているが、もう一つ類推を逆に使えば、呪術みたいにならないか。科学的なシンボルに反応しているかのようでありながらその実、呪術的な反応を解放している。自然科学が発達して、そのメソッドを応用した社会科学が解放したのは何かといえば、皮肉にももう一つ前の呪術、占星術的な衝動だったのではないか」

 そのような「自分の体系の呪縛のなかで行動」しているような人間は不要で、必要なのは醒めた人間だ、と江藤氏はいいます。そして──

「統治する人間だということを自覚すれば、醒めた意識は生まれるのではないかと思う」  

その「統治する人間」としての自覚において、さらに江藤氏は──

「社会科学を前面においてものを考えると、文化がどこかへいってしまう。要するに 船のバラストになるものが文化ではないか。安定性のいい船をつくり、船の復元力のいい、悪いを決めるのは文化だと思う」

「社会科学が急進的な理論を出したとすると、文化がしっかり生きている場所ではそれはあるおかしさを感じさせるふんいきを生む、文化というものはね。つまり変なかっこうをして町を歩いているのを、あれはどうかしているんじやないかと思う感覚ですよ。それをいいと思う感覚は文化ではない」

 このような「急進的」な意見に接して「おかしい」と感じ「どうかしてるんじやないか」と感じる、それが文化としての戦後民主主義というものだ、と私は考えるのですが、江藤氏の場合はもちろん、話が逆になります。「変なかっこうをして町を歩いて」きたのは戦後民主主義で、その後見人が社会科学だ、というわけです。そんなふうに氏に感じさせる氏の文化とは、では何でしょう。「あなたのいう文化とは具体的にはどういうものか」と問われて、「習慣ですね。十年前にもあったし、今もある習慣、お正月にはしめ飾りをはって門松を立てる。お盆にはみたま祭りをする。そういう以前もあったし、いまもあるという感覚ですね」とだけ、氏は答えていますが、端的にいって、氏のいう文化とは天皇制のことにほかならないのです。

 戦後とは「獲得したものの歴史というよりはむしろ喪失の歴史であり、建設の歴史というよりはむしろ崩壊の歴史」である、と氏は別の場所(『もう一つの戦後史』)で書いています。何の喪失、何の崩壊の歴史であったというのかといえば、「祖父たちがつくりかつ守った国家」の、というのが氏の答です。──氏の祖父は明治国家の海軍高級将校であったとのこと。それを「深い癒しがたい悲しみ」としてうけとるのは「私情」にすぎないといわれるなら、それでもいい。「しかしいったいこの世の中に私情以上に強烈な感情がある
か」(「戦後と私」)

 なるほど、これでは社会科学を親の仇みたいにあつかうのも、もっともです。

 「統治する人間」の立場なるものについていえば、それが民主主義とあいいれないものであることはいうまでもありません。人民こそが主権者である(「主権在民」)ということ、みんなが主人公であるということ、それが民主主義であるのですから。

 社会科学的人間把握への敵対ということと、戦後民主主義への敵対ということとが、江藤淳氏において一体となっている、ということを見てきました。このことは、戦後民主主義をまもり発展させるということと、社会的存在としての人間の自己認識ということとが、私たちにおいて一体にならねばならない、ということを示唆してくれるように思います。そして、社会的存在としての人間の自己認識は、政治のこと、政党のことが、私たちの日常茶飯事となること、それについて語ることが空気を呼吸するのと同じくあたりまえになることを求めている、と思います。

 一つだけ、つけ加えさせてください。江藤氏が不信を表明しているのは社会科学にたいしてだけではないということ──科学的思考そのものにたいして氏は不信を表明しているのだということです。うっかり読むと、自然科学からの類推で人間をあつかおうとしているから社会科学は信用できないといっているだけで、自然科学はみとめているわけだし、科学的思考そのものを否定しているわけではない、というふうにうけとられかねませんが、そのようにうけとっては、氏のレトリックにひっかかったことになります。

先に紹介した氏の発言は、氏が自然科学の方法についてもよくわかってなどいはしないことを露呈していると私は思うのですが、その議論にはいることはいまはさておき、「人間の知性とは、中世の教父たちが考えたように、深海魚が発光体をつけている程度のもの」という氏の発言にあらためて注意をうながすだけで、さしあたり十分でしょう。これは、なかなか暗示的な発言です──前章でふれた「パソコン少年」の世界像についての、また「ニューサイエンス」等々についての「予言」的なことばでもあった、とつけ加えておきたいと思います。
(高田求著「学習のある生活」学習の友社 p150-157)

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◎「社会的存在としての人間の自己認識は、政治のこと、政党のことが、私たちの日常茶飯事となること、それについて語ることが空気を呼吸するのと同じくあたりまえになることを求めている」と。