学習通信050715
◎あなたはヤニコイから……

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国語学者・エッセイスト
寿岳章子さん死去

 国詰学者でエッセイストの寿岳章子(じゅがく・あきこ)さんが、一二日午後四時過ぎ、肺炎のため京都府長岡京市の病院で死去しました。八十一歳でした。自宅は公表されておらず、葬儀は故人の遺志により行われません。

 一九二四年京都市生まれ。父親は英文学者の故寿岳文章氏、母親は評論家の故しづさん。旧東北帝大法文学部卒業後、京都府立大文学部教授に。故蜷川虎三京都府知事とともに京都の良主府政前進に尽力。蜷川さんが知事をやめた後も民主府・市政の会の代表を歴任し、京都府知事選、京都市長選で奮闘しました。ライフワークは憲法を暮らしに生かす活動。女性の地位向上、福祉とともに、京の町こわしから景観を守る活動などで精力的に発言してきました。

 憲法を守る婦人の会代表として三十年以上にわたって活動。京都憲法会議代表幹事、京都・府市民団体協議会会長などをつとめました。非核の政府を求める会の全国常任世話人、原水爆禁止世界大会実行委員会議長団を務めるなど、反核・平和運動でも活躍しました。国政選挙や地方自治体の議員選挙などで日本共産党を応援し、街頭宣伝などで支持を訴えました。

 「黙ってはいられない」(一九八八年一月)など「赤旗」紙面にしばしば登場しました。
 『暮らしの京ことは』『日本語と女』『ひたすら 憲法』など著書多数。
(しんぶん赤旗 20050715)

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私にとっての京都弁

 私は一九二四年(大正一三)に京都で生まれた。以後、一九四三年(昭和一八)から三年間東北大学に入学していた期間をのぞけば、すべて京都にいる。それがどのような京都弁であれ、とにかく私はほぼ五〇年間京都弁のただ中で暮らしていたことになる。これだけつき合っていれば、もうどっぷリ京都弁の中にいたことになるが、おそらくはそれだけでは京都弁を理解するに十分な年月でない。いわゆる京都ことばの幅と深さは、それくらいの歳月でものになるような簡単な代物ではないようだ。その理由は二つある。

 一つは、私の両親が京都の人間でないということだ。父は兵庫県のうち、いわゆる播州出身であり、一方母は、大阪育ちであるからだ。二人は結婚してはじめて京都に住まいした。もちろん兵庫も大阪も関西弁という大まかな枠内にあることはたしかで、その意味では京都ことばも同じ枠の中に入るには違いないが、よく知られているように、京都と大阪のことばはかなり違う。文法も、音韻も、語彙も、ときには大きく、ときには微細に異なるのである。あるいはそのレトリックとも言いたいものも随分違う。

そういう両親のつくる家庭に育った私は、京都風に言えばまぜこぜのことばを使ってきたと言える。外で会う多くの京都人間のことば、そして家では大阪と兵庫の混成言語、考えてみれば、いわゆる京阪神の言語を操って育ったようなものだ。しかし、ときにはそれは操るのと同時に、ささやかながら混乱をひき起こすこともあったのである。私のことばの生活史の中で、たとえば次のようなことがあった。

 ある日のこと、私は同僚のある人のことをいうのに、「あなたはヤニコイから」というような表現を使った。同席したすべての人から、ヤニコイとはなんのことかと異様がられてしまった。その場には、生粋の京都の人もいたのであるが、どうもなっとくしがたい表現のようであった。私の家では、がっちりしていないで、くにやっとなるようなある種のきやしやなもろさのことを「やにこい」というように言いつづけていて、私はうっかり家で言う通りにそのことばを使ったのであった。ヤニでねちやねちやしたような感じかという質問も出た。

それはむしろいやらしい妙な感覚を表現することばであったらしい。「ヤニコイ」ということばが、すっかり市民権を得たことばであるように私が思っていたのはうっかりした錯覚であった。それは京都弁ではなかったようだった。関西弁としては言わないことばではないが、私の使うような意味ではなかなか理解されない。私は、私が幼いときから使いなれてきたことばには、京都弁とは異質なものが含まれているのだなということを、そんなときに知るのであった。

 その他、ことばを使う発想のようなものは極端に違うことを知りもした。家族の気性のせいもあってのことで、私の家は随分シンプルなもの言いをする。よく落語で聞くが、足を踏まれたのに抗議する様を、それぞれの地域の語り口で言うとき、京都のは、あんさんのおみやがあての足の上にのってますがな式のものである。わが家はまったくそうではない。

また金銭などのことについてもきわめて率直に、むしろあらわにものを言う。謝礼をいくら貰ったか、月給はいくらかというようなとき、金額をはっきり言う。しかし私の気づくところでは、京都の人は、絶対と言ってよいほど何十何円というような話はしない。「ひどいものですわ」とか、「まあまあ公務員並みです」とかいうようなかたちでものを言う。それはみごとなというほどはっきりした表現態度である。そういう態度に接するとき、私はしみじみなにかの違いを感じ、さらには私のようになんでも言うと損だなとなんとなく思ってしまう。ムケムケではっきりし過ぎているのだ。それは恐らく処生術としては最低なのであろう。

 しかし、大阪では事情が少し違うのではあるまいか。母の育った大阪というところでは、京都ほど、マイナスにはならないのではないか。たかだか五〇キロも離れていない所なのに、暮らし方の精神のようなものでは事ほどさように違う。私の大学には大阪の学生がたくさんいる。ときには京都出身の学生より多いこともしばしばである。そんなとき、私が大阪出身の学生に聞いてみたことがあった。「京都の人とつき合いやすいか」と。その場合、いささか類型的ではあるが、必ずと言ってよいほど答えがきまる。「私たちはなんでもおなかにあること全部を言ってしまうのですが、京都の人は言いませんね。態度を決して明確にしません。わたしらあほやな、京都の人はかしこいなと思ってしまいます。まあ、ひと口に言えばむずかしいです」。

 もちろん京都の人が全部このような表現法をとるのではない。しかし、京都のある形質であるかと思わせるなにほどかの特色はできてしまっているかもしれない。それがかしこいのか、大阪型がアホなのかは、そう一筋縄でゆくことではないから、その論議はおくとして、とにかく意味、文法、音韻と言われる言語の要素、さらにはいかに表現するかというようないわば、レトリック、そして言語生活的な場面で随分違うものがあることは、恐らく万人の認めるところである。その点については、いずれ本文で述べることがあるが、そうした京都のなにかについて、私がなにほどか異質であるのも、それは観察者的態度をもちつづけるにはいいことであるのかもしれない。

 こんな本をあつかましく書く気になっているのも、いっそそこに居直ろうとしたのかもしれない。もともと京都人と言われるには三代以上京都にいなくてはだめなのだ。その点では、私は京都人間ではない。ごく今出来の人間に過ぎない。しかし、たまたま言語に間する仕事に生きる人間であるからには、京都人であるようなないようなという点を利用しての発言をこの書でこころみようとしている。大それたことをと人は言うかもしれないが、なおかつそれなりの価値があればと思っている。
(寿岳章子著「暮らしの京ことば」朝日選書 p8-11)

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◎「京都のある形質であるかと思わせるなにほどかの特色はできてしまっているかもしれない」と。