学習通信050718
◎いわゆる無党派層……

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はじめに

 無党派層が多数を占めるようになってすでに久しい。今月の世論調査の「支持政党なし」比率は、どれくらいだろうか。

 無党派層の増大にあわせて、かつては有権者の大半を占めていた自民党支持者も今は少数に転じている。同時に、支持政党の相違にしたがって有権者を識別する「政党支持」についても、指標としての効用が限界に連したと言われるようになった。

 ただ、無党派層を、単純に「政党ばなれ」層と言い切ってしまうわけにはいかない。いわゆる無党派層というのは、固定的な支持政党を持つことはないが、時として特定の政党を支持する人たちでもある。だからこそ、選挙のたびに「無党派層の投票行動」が注目をあびるのだ。

 流動的な無党派層が選挙のゆくえを決することに、政党や政治家は、とまどいをあらわにしている。有権者自身でさえ、自分たちのなかで無党派が多数を占め、選挙の動向を左右するようになったことを、快く思っているわけでもないようだ。けれども、そういう無党派層の存在があるからこそ、政党と有権者の間にそれ相応の緊張関係が成り立ちうる。選挙にゲーム性が生ずる。無党派層の多数派化は、日本の政治にとって、決して由々しきことではない。無党派層も、みずからの一票の政治的効果を実惑しているはずだ。

 本書は、日本人の政治意識の歴史を、世論調査の政党支持の経年データによって確認することを目的としている。調査結果を時系列に並べると、一見しただけで、無党派の指標とされる「支持政党なし」層が多数派化する過程を、読み取ることができる。しかしながら、もう少し目をこらすと、表面的な比率の変化は、政治意識の構造的な変質を示唆していることに気づかされる。「支持政党なし」比率の増大という表側の現象は、裏側からみれば、日本人の政治意識にかんする常識が、もはや過去のものとなりつつあるということの、端的な例証にほかならない。

 いわゆる五五年体制のもとで、自民党は長期にわたり政権政党として君臨してきた。九三年の政変でいったん政権を離れたものの、二一世紀の今もなお、与党の中心の座にある。有権者の間では、「生まれた時から自民党政権」ないしは「物心がついた時から自民党政権」という人が大多数だ。政党支持の世論調査でも、自民党支持を表明する人たちは、常に多数を占めてきた。

 自民党支持者について、よく知られている特性がある。支持者を年齢別にみたとき、年齢があがるのに比例して、支持率がきれいに上昇していくという、右肩上がりの年功序列型構造が確認されることである。この構造は、いつの時期であっても変わることなく続いてきた。すなわち、日本人に一般的な傾向として、年齢を重ねるほどに自民党支持に傾斜する度合いが高まるという、年功効果の存在を意味する。人口構成の高齢化という時代のサポートもさることながら、自民党は、ひとりひとりのライフ・ステージにおける加齢にささえられて、支持を獲得してきたわけだ。自民党政権を所与とした、有権者の政治的社会化と言い換えてもよいだろう。

 ところが、加齢による年功効果に、かげりが生じている。とりわけ若年層では、年齢を重ねても支持率がいっこうに上昇しなくなってきた。しかも、この傾向は、後続の若年層にも引き継がれてゆく不可逆的な現象のようだ。自民党支持にみられた年功効果は、もはや、特定の年齢以上に該当する世代的特性となるにいたったと思われる。自民党は、時代の流れとともに、世代政党化の道をたどっている。最近の選挙結果にも符合する傾向といえるだろう。

 このように、一括して「無党派層の増大」と語られる現象も、第一に、すべての年齢層に共通した比率の上昇という、いわば時勢的流行と、第二に、あらたに有権者として加わった人たちがいつまでたっても「支持政党なし」にとどまったままであるという、ここのところの若者に顕著な世代的特性との、相乗効果に起因していることが確認される。いずれにせよ、「支持政党なし」が増加するということは、有権者が、その分だけ自民党を支持しなくなるということでもある。「支持政党なし」層の多数派化というのは、「自民党を支持しない人」が多数を占めるようになったことと対応している。
(松本正生著「政治意識図説」中公新書 p@-B)「後進的」なのは誰?
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 労働者教育協会編『労働者教育論集』(一九八二年、学習の友社)のなかで、竹内真一さんが次のように書いていらっしやいます。

「これは、イタリアで私が見聞した一例である。S・ラビーニという学者は、イタリアの高い文盲率を市民的後進性としてあげ、イタリアの労働運動、民主的政治運動にとって重要な課題だということを強調しているが、その教育にたいする見方はつぎのような特徴をもっている。

初等教育だけでは、例外的な場合を除いて、控え目な形でも公的な仕事あるいは政党の運営に参加することはできない。また普通小さな自治体における政党の支部の運営さえもできない。

 国民教育を考えるうえで、市民社会における政党の位置づけにみられる独自のアクセントに注目してほしい」

 竹内さんがイタリア留学から帰った直後、直接にこの話をきく機会があって、強烈な印象でもって私の頭に、この話が焼きついてしまいました。

 この章にこれまで書いてきたこと、紹介してきたことは、すべて、この竹内さんの文章を皆さんに紹介したかった、ただそれだけのためであった、とさえいえそうです。

 文盲率がほとんどゼロだ、ということでは、日本は断然、世界のトップ・レベルに立っています。イタリアはその点、はるかに「後進的」だといっていいでしょう。

 でも、実質的にはどちらの方が市民的に「すすんで」おり、どちらの方が「おくれて」いるのかといえば、話はまるで逆になってくる、ということです。

 しかし、そんなふうに問題をたててみたことはかつてなかった、それほど私たちは──少なくとも私は──「市民的後進性」を背負っていたし、また現に背負っているのではないか、ということです。

 竹内さんが紹介しているラビーニさんのことばが示していることは何かといえば、「公的な仕事あるいは政党の運営に参加すること」──また「小さな自治体における政党の支部の運営」にたずさわることが、成人して自立した市民としての常識になっている、ということです。ところが日本では、そんなのは特別な人間だけのやること、というふうになっているということ、これは民主主義の根づき方がそれだけ浅いということ、市民的にそれだけおくれているということです。

 一碧楼の連作にうたわれたような、『サザエさん』にうつしだされたような、すなわち戦後民主主義の出発点において一般的であったような、そのような雰囲気を日常不断につくりだすことが必要だ、と思います。もちろん、労働組合においても。とりわけて、選挙のときなどには。

 政党支持の自由を保障するということは、政治的中立ということとイコールではありません。選挙のときに何もしないということとも、それはイコールではありえません。一碧楼の連作にうたわれたような、『サザエさん』にうつしだされたような、そのような雰囲気をすすんで組織し、それによって組合員の政治意識の向上をはかる、それが大衆的であると同時に階級的な、階級的であると同時に大衆的な、そういう組織としての労働組合の基本的なスタイルでなければならない、と思うのです。

 たまたま古い資料の束をひっくりかえしていたら、一九四七年一〇月、名古屋で開かれた全日本機器労働組合第二回全国大会の議案が出てきました。そのなかに、次のような一節があります。

「労働組合はあくまで一党一派に偏しないで、組織的には政党と組合とは明確に区別されなくてはならない。同時に組合員各自に対しては、政党支持の自由の原則を確立し、全ての労働組合員が、進んで自己の支持する政党に加入することが望ましく、労働組合はそのために積極的な政治的啓もう活動をしなければならない。かくて全ての組織労働者がそれぞれの政党員として政治的にも組織されるならば、政治的意見の対立等の問題で、組合の運営が妨げられるようなことは防止され、労働組合の自主的政治活動も円滑になるのである」

 戦後民主主義の原点、ここにあり、ともう一度いいたいと思います。具体的な方針としてここに述べられていることがそのまま今日においても一〇〇%妥当する、というのでは必ずしもありません。しかし、ここに示されている基本的な精神は文句なしに正しい、と思います。その基本的精神を今日の諸条件のもとに生かすことが、いま私たちに求められている、と思うのです。
(高田求著「学習のある生活」学習の友社 p157-161)

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◎──「小さな自治体における政党の支部の運営」にたずさわることが、成人して自立した市民としての常識になっている──と。