学習通信050721
◎うま酒を死人の頭蓋骨からだけ……

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「アジア新時代」とアジアの巨人

 まず、アジアとインドをめぐる現状について、である。
 小泉首相とシン首相との首脳会談の後に発表された「アジア新時代における日印パートナーシップ〜日印グローバル・パートナーシップの戦略的方向性」と題する日印共同声明(四月二九日付)は、「アジアを変容させつつある新たなうねり」に言及している。両国政府の現状認識は、以下のように記されている。

「今、アジアは世界経済の主導的な成長センターとして真に現出しつつあり、世界情勢の中でかつてない大きな影響を及ぼしている。両首脳は、このような進展が将来のアジアの経済及び政治の輪郭を形作ることを十分に承知している。両首脳は、また、アジアにおける平和、安定及び発展が世界の平和と発展にとって不可欠であり、また世界の将来はアジアの将来と密接に繋がっているとの認識を共有する。両首脳は、肯定的な進展がアジアにおける成長、繁栄、安定及びより緊密な統合を伴って『優位と繁栄の弧』へと転換するために、アジア諸国の間で協調した努力を行う必要があると認識する」

 他方、ことし四月、英紙フィナンシャル・タイムズは、人口一三億人の中国と一一億人のインドがいまや最も活気ある経済をつくり上げており、「既存の国際秩序の変容の時期を目の前にしていることは明白」との立場から、インドと中国の経済成長を「出現しつつあるアジアの巨人」として、別冊で大特集している。この別冊の特集は、「二つの巨人」の経済発展を以下のように分析し、「それは、遠くない将来において、ヨーロッパ人およびその植民地主義の五世紀におよぶ支配が終わることを予告している」とまとめている。


 何か起きたのか? 一八二〇年の時点で、中国は世界の総生産の三分の一を、インドは約一六%を占めていた(国際的共通価格基準)。それが二〇世紀の半ばには、中国は五%、インドは三%にまで低下。一九七〇年代半ばの一人当たり国内総生産は、両国とも米国の二〇分の一程度だった(国際共通価格基準)。しかし、二〇〇四年末、中国の一人当たり実質所得は米国の一五%、インドは中国のはぼ半分となった。一九八〇年から二〇〇三年の間に中国は年平均九・五%、インドは五・七%の経済成長をとげた。

 日本や韓国と比べれば中国の財政システムは弱く、市場は外国資本により公開されているが、中国の経済成長は東アジアの成功物語をなぞったものといえる。高い貯蓄率、産業基盤への大規模投資、義務的初等教育、急速な工業化、労働市場の規制緩和、国際的な開放性と競争経済である。インドの経済成長はこれとは異なる。貯蓄率ははるかに低く、産業基盤への投資も低い。高等教育はすすんでいるが、識字率は低い。インドの公式の労働市場は世界でもっとも規制されている。比較的高い輸入障壁によって国内市場での競争は規制されている。二〇〇三年までの外国からの直接投資総額は、対中国五〇一五億j、インドヘは三〇八億jだった。しかし現状の経済成長が続けば、二〇二五年には中国は世界最大の、インドは世界第三位の経済となるだろう。


 そのアジアの二つの巨人が、積年の国境問題の解決に大きく足を踏みだし、新たな「戦略的パートナーシップ」協定に調印したのが、先にのべた温家宝首相のインド訪問の内容だった。両国は「国境問題の解決のための政治的条件と原則指針」について合意した。温家宝首相は、両国の貿易量総計の五%にとどまっている中印貿易(二〇〇四年で一三〇億j)をニ○○八年までにニ○○億j、ニ○一〇年までに三〇〇億jに拡大するという目標を提起した。これが実現すれば、中国は二、三年でアメリカを抜いてインドの最大の貿易相手国となるが、二〇〇一年には第九位にすぎず、二〇〇二年までインド・中国間には直行航空便はなかった。

 (二〇〇三年の貿易額で、日本はインドの輸出先としては一一位、輸入相手国としては八位である。インドは「東南アジア諸国連合(ASEAN)」と二〇〇二年一一月に初の印・ASEAN首脳会議をおこない、○三年の第二回首脳会議で「包括的経済協力のための枠組協定」「東南アジア友好協力条約(TAC)」に署名した。また、ロシアとの間では、○四年一二月のプーチン・ロシア大統領三回目のインド訪問の際に、戦略的パートナーシップにもとづく協力関係強化を目指す「印露共同宣言」を発表している)

成長戦略の前提──自主外交

 中国の圧倒的な経済成長の速度と規模の陰になってはいるが、インドの経済成長の規模と速度も目を見張らせるものがある。インドの国家戦略の基本は、当然のことながらこの経済成長の維持におかれ、南アジア地域の安定、さらに成長のための資源とくに石油・天然ガスの安定供給が優先課題となる。このことは不可避的に、インドに自立した国家戦略と自主的外交を求め、「多極世界」の出現が報じられるなかで、国際政治におけるインドの存在感を増すことになる。その一つの典型が、イランを敵対視するブッシュ米政権の戦略とは根本的に矛盾する、イランからパキスタンを経由してインドにいたるガス・パイプライン構想である。

 インドのアイヤール石油相はことし三月末、イランからのガス・パイプライン事業を協議するために五月後半にパキスタンを訪問することを明らかにした。両政府はすでに、パキスタンのアジズ首相が昨年一一月にニューデリーを訪問した際、この計画について協議している。

 このアイヤール発言の前、米国のマルフォード駐インド大使は同石油相に、このガス・パイプライン事業への「米国の懸念」を公式に伝えていた。ライス米国務長官も三月半ばにインドを訪問し、シン外相との会談後の共同記者会見で「米国のイランに関する懸念はよく知られているところ」だとしてインド政府に「懸念を伝えた」ことを明らかにし、「米国とインドとのエネルギー対話を期待している」とのべた。しかし、シン外相はこの共同記者会見で「インドはイランとの間に何ら問題を抱えていない」と表明した。

 インドにとって、このガス・パイプライン計画の位置づけは、単なるガス供給問題ではない。パイプラインをミャンマー経由で中国南部まで延長して、インドヘの供給途絶は中国向けの途絶も意味する状況をつくりだして、その安全性を高めようとしている。検討されているパイプライン構想の中には、ビルマからパングラデシュを経由するもの、イランからパキスタンを経由するもの、トルクメニスタンからアフガニスタンとパキスタンを経由するものもある。長期の産業基盤投資計画をめぐって各国政府が共同することは、少なくともかつての敵対的関係を改善することにつながる、との認識があるのは自明である。

 インドの成長戦略が米国の世界戦略との対立をもたらすのは、アジアや周辺地域に限定されるわけではない。「ザ・ヒンドゥ」紙三月三一日付には、インド外務省のラテンアメリカ局長が、エネルギー確保戦略の上からもラテンアメリカとの関係強化が必要だとする個人論文を寄稿している。論文は、チャベス・ベネズエラ大統領が三月はじめにインドを訪問した際に、「巨大で拡大するインドの市場に長期的な原油供給をおこなうことへの関心を表明した。このチャベス大統領の提案は、米国市場への依存度を軽減するためにベネズエラの原油市場を複数化するという彼自身の戦略的政策の一部だ」と指摘、PDVSA(ベネズエラ国営石油公社)がラテンアメリカ地域でインドのパートナーとなる可能性を強調している。

さらに、はるか先を行く中国のラテンアメリカ外交に触れつつ、「インドの企業と政府はラテンアメリカを標的にして断固として速やかに行動しなければならない。経済的・技術的原動力として、出現しつつある新しいインドに対して関心と称賛を示し始めているラテンアメリカの政治・経済指導者の思考方法の変化という有利さを活用すべきである」とのべている。
(森原公敏「インド・南アジアの胎動」月刊」前衛2005.七月号 p136-140)

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 イギリスのブルジョアジーが、よぎなくなにかをしなければならないとしても、それらすべてを合わせても、人民大衆は解放されもしないだろうし、その社会的条件も根本的に改善されはしないであろう。これは生産力の発展いかんによるだけでなく、人民がこの生産力をわがものとするかどうかにもよることである。しかし、ブルジョアジーがしないわけにはいかないことは、この両者のための物質的前提をつくることである。これまでブルジョアジーは、これ以上のことをしたことがあるか? これまでブルジョアジーは、個人をも全人民をも、血と泥のなか、悲惨と堕落のなかを引きずることなく、一つの進歩でもなしとげたことがあるか?

 大ブリテンそのもので産業プロレタリアートが現在の支配階級にとってかわるか、あるいはインド人自身が強くなってイギリスのくびきをすっかりなげすてるか、このどちらかになるまでは、インド人は、イギリスのブルジョアジーが彼らのあいだに播いてくれた新しい社会の諸要素の果実を、取り入れることはないであろう。それはどうなるにしても、われわれは、いくらか近い将来に、この偉大で興味ぶかい国が再生するのを見ると、期待してまちがいないようである。

まったくこの国ときたら、住民は温雅で、サルトィコフ公爵の表現をかりれば、最下等の階級でさえ「イタリア人より洗練され、器用であり」その屈従でさえ、ある種の穏やかな気品で埋め合わせられており、天性無気力かと思えば勇気によってイギリスの将校を驚かせ、国土はわれわれの諸言語、われわれの諸宗教の発祥地であり、ジャート族では古代ゲルマン人の典型を、ブラーフマン〔バラモン〕では古代ギリシア人の典型をあらわしている国である。

 私はインド問題と別れるにあたって、二、三の結論的な意見を述べざるをえない。

 ブルジョア文明のもつ深い偽善と固有の野蛮性とは、この文明が体裁のよい形をとっている本国から、それがむきだしとなっている植民地へと、われわれの目を向けかえるときに、あからさまとなる。彼らは財産の保護者であるが、彼らがベンガルやマドラスやボンベイでおこなったほどの土地革命は、どんな革命政党でもやったことがあるか?

彼らはインドで、大泥棒のクライヴ卿自身の表現をかりれば、単純な買収では貪欲を満たすにたりないとみれば、極悪な強奪にうったえたではないか?

彼らはヨーロッパでは、国債の神聖さはおかしがたいと説教しながら、インドではほかでもない東インド会社の社債に個人の貯蓄を投資したラージャたちの配当金を没収したではないか?

彼らは、「わが聖なる宗教」を守るとの口実でフランス革命とたたかいながら、同時にインドではキリスト教の布教を禁じたではないか?

また彼らは、オリッサやベンガルの寺院に群らがってくる巡礼から金をまきあげるために、ジャガナート寺院でおこなわれる殺人と淫売を商売としたではないか?
「財産、秩序、家族、宗教」の擁護者とは、こういう人間なのだ。

 全ヨーロッパほど広く、面積一億五〇〇〇万エーカーもある国、このインドについてみるとき、イギリスエ業が与えた破壊的な影響は、手にとるようであり、また深刻なものがある。しかしそれは、いまある生産制度全体から有機的に出てくる結果にすぎないことを、われわれは忘れてはならない。

この生産は、資本の至上の支配に基礎をおいている。資本の集中は、資本が独立の権力として存在するのに不可欠のものである。この集中が世界市場に及ぼしている破壊的な影響は、いまあらゆる文明都市でつらぬかれている経済学の固有の有機的な諸法則を、最も大規模にあらわしたものにすぎない。歴史のブルジョア時代は、新世界の物質的基礎をつくりださなければならない。

──一方では、人類の相互依存にもとづく世界的交通とこの交通の手段、他方では、人間の生産力の発展と、物質的生息を自然力の科学的支配に転化すること、これがその基礎である。このような新世界の物質的諸条件を、ブルジョア商工業は、地質上の革命が地表をつくりだしたのと同じように、つくりだしているのである。

将来、偉大な社会革命が、このブルジョア時代の成果である世界市場と近代的生産力とをわがものとし、これらを最も先進的な諸国人民の共同管理のもとにおいたとき、そのときはじめて人類の進歩は、うま酒(ネクタール)を死人の頭蓋骨からだけ飲もうとする、あのいとうべき異教の偶像に似ることを、やめるであろう。
(マルクス著「イギリスのインド支配」M・E八巻選集 大月書店 p272-273)

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◎「ブルジョアジーがしないわけにはいかないことは、この両者のための物質的前提をつくることである」と。