学習通信050724
◎自分の生き方のなかで両立したい……
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過保護と自主性
私は共働きで子どもを育てながらたりない点をいつも痛感し、「ああもしてやりたい」「こうもしてやったら」と思うことがありました。しかし、この生活を変えて家にいたとして、はたして完璧な育て方ができるでしょうか。かつて一時期、家にいたときそうではないことを知りました。
自分自身の子ども時代をふりかえってみたとき、考えさせられることがたくさんあります。
私は長女で、祖母やおばにかこまれて育ち、手をかけられすぎて過保護≠ニなっていたようです。高いところへのぼるのをこわがったり、とんだりはねたりもできない弱虫でした。友だちにいじわるされたといって親にいいつけ、先生になにかいわれたといっては泣いて帰り、いろいろとだだをこね、登校をいやがりました。
勉強も親たちがみてくれ、図工や裁縫、手芸は手をとって教えてくれ、手伝ってもくれました。そういうわけで成績は上位の方でしたが、なんでも他人をたよったりあてにする自立心のない子になっていました。親の手がとどかない上級学校になると、こんどは家庭教師を要求し、それがかなえられないと成績ががた落ちするといったふうでした。
いま、わが娘たちはどうでしょうか。親が手をかけてやれないので、やむをえずなんでもやります。宿題などもなん度も忘れるとはずかしくなるのか、夜になってあわててしているのを見かけますし、よほど困ったときでないと親に教わりにきません。たしかに成績の方はさほどよくなく、親が手をとって書きとりや計算をくりがえさせればもう少し成績が上がるのに……と思うこともあります。
しかし、いまだかつて友だちにいじめられたとか、先生がきらいなどといったことはありませんし、登校を拒否したこともありません。これでついていけるのかしら……という親の心配をよそに、毎日一人で早起きし、喜々として学校に出かけてゆく日課が六年間つづき、はや中学生になろうとしています。親として、子どもに学校のことでこぼされたり泣かれたりするほどつらいことはないと思いますが、それを親に一度も経験させないだけたくましく、子どもは自分で環境に耐え、友人をつくり、自主的に生きようとしていることを感じます。
共働きで子どものことにかかりきりになれない条件が、知らぬ間に子どもの自主性を育て、親も客観的に子どもを見られるようになっていることをあらためて知り、こうした共働きのなかでの親子関係のよい面を意識的に生かしてゆく努力をする必要があると思ったのでした。
(近藤・好永・橋本・天野「子どものしつけ百話」新日本新書 p32-33)
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仕事と子育ての両立の志向
だが、同時に、そのような状態の下で、仕事と子育てをともに人間的に遂行したい、自分の生き方のなかで二つのことを両立したいという志向が、国民のあいだに広がってきていることも事実である。
斎藤茂男のルポルタージュに『会社とは』(前出)がある。これは、慶応大学のKゼミナールを一五年前に卒業した二四人が、今、どのような生活をし、何を考えているかを聞きまとめたものである。このKゼミナールの卒業生は、ほとんどが、日本の代表的な企業の中堅幹部の道を歩む、いわゆる「会社人間」の典型である。
彼らは、斎藤に対して、最初は「仕事は充実している」「毎日の生活は生きいきしている」「これこそが人生」などと、自信にみちたものの言い方をした。ところが、斎藤が粘り強く話を聞いていくうちに、彼らのうちのほとんどが共通に、つぎのような不安を日々の生活のなかで感じることがあると語った。「考えてみれば、妻とほとんどまともに話をしていない、子どもともじっくりつきあったことがない、家庭は共同の目的をもって共通の努力をする場所ではなくなっている、──これで本当に人間らしい生活といえるだろうか。」
だが、彼らは、この不安を真剣に考えだせば、もっと違う生活があるのではないか、仕事を変えたほうがよいのではないか、しかし、生きがいも得られ、なお生計も立てていけるような仕事があるだろうか、……などの問題がたちまち浮かびあがってきて、たいへんなことになることが目に見えている。だから、彼らのなかでは、たちまち「自動制御装置」が働いて、それを問うことを先に先にとのばしていく。斎藤は、ヒヤリングを通して、彼らのこのような精神構造を、鋭くとらえている。
これは、日本の多くの男の生活意識の特徴であろうと思われる。斎藤は、日本の男の七割が「会社人間」といわれるが、彼らがその不安をまともに考えはじめれば、日本は変わるのではないかと述べている。かんたんには変わらないであろうが、深刻な不安が「会社人間」たちのなかにフツフツと湧きおこってきていることは明らかである。次つぎとおこる「企業死」や『子どもの反抗」や「定年離婚」などの事件を、一歩まちがえば自分もそうなりかねないと感じながら、日々生活している男は数多い。
この不安の広がりは、同時に、仕事と、家庭の共同生活や子育てとの両立への願いの広がりでもある。城山三郎の『毎日が日曜日』(新潮社、一九七六年)や及川和男の『ちいさな家族』(新日本出版社、一九七九年)など、家族の共同生活や子どもの成長の問題をまったく配慮しない、日本の企業の「転勤」の非人間性を描いた小説が、多くの人びとに共感をもって読まれている。また、日本の住宅と住宅政策の貧困を問題にし、住居のありかたを人権の間題として提起した、早川和男の『住宅貧乏物語』(岩波新書、一九七九年)や『住居は人権である』(文新社、一九八〇年)などが、強い関心をよんでいる。これらは、人間らしい生活を創っていき、仕事と子育てをともに人間的に遂行していく、そのために、問い直さなければならない問題として、転勤問題や住宅問題が国民の間で自覚されてきていることを示す動きであるといえる。
最近、労働運動のなかでも、転勤に際して家族の共同生活や子どもの成長への配慮を求める要求をかかげねばならない、また、人間的な家庭生活を保障する住宅政策の確立への要求をかかげねばならないということがいわれ、論議がはじまっている。
少しずつではあるが、しかしはっきりと、仕事と子育ての統一の要求、それを実現するための社会的条件を整える努力があらわれてきているといえる。
仕事と子育ての両立の要求は、女性の間で、よりはっきりとしたかたちをとって広がってきている。そうした動きは、たとえば木村栄の『母性をひらく』(汐文社、一九八〇年)に明瞭にみられる。
木村は、あるテレビ局に勤めながら長女を産んだが、その子がひどい喘息になり、仕事もきつく、木村自身も自分のからだをこわし、仕事をやめざるをえなかった。そして、二人目の子どもを産み、「専業主婦」としてその男の子を育てたが、この子が言語の発達の遅れをきたすことになった。自分の子どもが二人とも順調に育たないという辛い体験のなかで、木村は自分の母親としての責任を問い、それを入口として、つぎのように考えを深めていった。
一人目の長女については、母親として未熟で、仕事もきつく、夜、子どもに乳をやることも大儀で、ゆとりをもって接することがなかなかできなかった。それが、長女を喘息にしてしまった一つの原因になったにちがいない。
二人目の長男については、仕事をやめて四六時中、子どもに接していたが、自分のほんとうにやりたいことをやれないでいるといういらだちを持っていた。この心の状態が、子どもに影響を及ぼしたのではないか。
考えてみれば今日の日本の子どもの発達上の問題は、共働きの家庭からも出ているが、言葉の発達のおくれや社会性の発達のおくれは、むしろ、親が四六時中、子どもと接している家庭から出ている場合が多い。それは、「専業主婦」のあいだに、自分がかかえたいらだちと同様のいらだちが広がっているからにちがいない。子どもが順調に育つか否かは、共働きで育てるか、「専業主婦」で育てるかという形で決まるのではなく、母親がどういう精神状態で生き、子どもに接しているかが、決定的に大きな問題である。
このように考えて、木村は、子どもを人間的に発達させるためには、母親がはりのある自分の生活、生きいきした心の状態をつくりながら、同時に、子どもにゆとりをもって接することのできることが重要であるとし、そのような条件をどうつくるかということを、基本的な課題としている。
そして、具体的には、次の三つの条件を社会的に確立することが必要であるとしている。@働く母親の妊娠・出産にかかわる母体の保護、A育児就労の保障(子育て期の母親を対象として、大幅な育児時間を見込んだ一日五時間程度の就労形態を制度化する)、B子どもの人間的な発達を実現する保育の保障。
木村が考え抜いて到達した結論は、こうした要求を含んだ「母性の社会的保障」であり、今こそそれを要求しなければならないということである。
そして、こうした社会的保障を求めていくうえでの基本的な考え方として、木村はこう述べでいる。
「母性を充足させるための具体策を考えるたびに必ずといっていいほど役割分担の固定化への心配を口にする女たちには、いささかうんざりもするが、その警戒心の強さに改めて、女たちが痛めつけられてきた差別の根の深さを感じさせられもする。最近、母性をめぐる女たちの発言が活発になってきたが、その多くは、母親だけが負わなければならない子育てへの疑問と、子育てにかかわる母性の喜びの肯定との間を徴妙に揺れ動いているように思われる。もともと自らの血肉を分けて生み出し、乳を与えて育てた生命に対し、母親が父親とは一味ちがった精神的なかかわりを持つのは当然である。それを無理に否定するのではなく、積極的に肯定し、充足させることによって、母親である女の人間的な充足が得られるのではないかと考えたい。」
この本には、以上のように、自らの子育ての深刻な問題を見つめることを通して、仕事を持ち社会的に自立するということと、母性を満たす、子どもを生んで育てるといういとなみを人間的に遂行するということとを、二者択一的に考えず同時に実現する道を貪欲にさぐり、母性の社会的保障を自らの要求とするにいたったプロセスがかかれている。
これは婦人の解放論としてみても、六〇年代にはみられなかった新たな一つの深まりといえる。
以上みてきたように、今日の日本にあっては、男も女も、働く婦人も専業主婦も、仕事を通して自分の生きがいをもつことと、人間らしい子産み・子育てをすることとを両立することがきわめて困難な状態にある。だが、そうした状況のなかで、二つのことをなんとか自分の生き方のなかで両立したいという願いが、はっきりとした形をとって現われ、広がっている。一人ひとりの男女が、仕事も子育ても人間らしく遂行できるように、社会的条件をどう整えるか、これが、今日の日本の社会の一つの根本的課題になっているのである。
(田中孝彦著「子育ての思想」新日本新書 p15-21)
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◎「仕事を持ち社会的に自立するということと、母性を満たす、子どもを生んで育てるといういとなみを人間的に遂行するということとを、二者択一的に考えず同時に実現する道を貪欲に」と。