学習通信050810
◎現実から遊離した観念の空転……
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この国を想い
この国を創る
自由民主党
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暮らしのすべてをガッチリ応援
「実現力」の公明党だからできる。
公明党
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庶民増税に反対
憲法まもりぬく
たしかな野党が必要です。
日本共産党
(ホームページから)
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標語について
「お父ちゃん、死ぬなよ」
「お父ちゃん、死ぬなよ」という大きな立看板が、窓越しに目にとびこんできた。「交通安全協会」の署名がある。バスは鳥栖を過ぎて佐賀にむかっていた。
ああ九州だ、と思った。まぎれもない九州の地声がそこからはひびいてきた。
それにしても、それはどういう九州か。どこのお父ちやんがいったい死にたいだろう。でもフルスピードのトラックを徹夜で走らせなければならないお父ちゃんだっておおいのだ。そのようにして深夜の街道に命を落としたトラック運転手──労働学校での私の若い仲間で、若い父親だった──の顔が浮かんできた。この標語を書いた人は、そこのところをどう思っているのか。
――いや、そんなのじゃない、と私は思いかえした。そういう状況にたいする怒りも、あの標語にはこもっているのではないか。たぶんそうだ、きっとそうだ、と思うことにした。
思想と標語と表現と
「ここにもの置かれん──宿毛消防署」という立札に高知で出会った、と田辺聖子さんが書いていた。そして大阪でも「大型車あかん」「駐車でけへん」というぐあいにやればいいのに、とつづけていた。(『女の日くじら』角川文庫)
よほど印象に残ったらしく、井上ひさし氏との対談でも、おせいさんはこの話をくりかえしていた。(井上ひさし対談集『笑談笑発』講談社文庫)
本多作左衛門が立てたという制札のことを思いだした。本多作左といえば「一筆啓上、火の用心、おせん泣かすな、馬肥やせ」で知られる。出陣先から留守宅の妻におくった手紙のこれが全文で、「おせん」とは、彼の幼い娘の名。書簡文の模範といわれてきた。
その本多作左が三河国の支配を家康に命じられた時つくった三ヵ条の掟──
一、人を殺すものは命がないぞ。
一、火をつけると火あぶりになるぞ。
一、狼籍をせば作左しかるぞ。
「命をとるぞ」「火あぶりにするぞ」ではなく、「命がないぞ」「火あぶりになるぞ」とあるところが心にくい。そしてもちろん「作左しかるぞ」というところが。支配するものとされるものとの間がまだ完全にへだたってしまってはいない──生活的なつながりがあることがそこに示されていると感じる。
ここで私は、思想と標語と表現ということを考える。
思想は標語をもたねばならない。あるいは、標語をもつにいたった時、観念ははじめて真に思想となる。
その標語は、生活の地声がひびくものでなければならない。それは必然的に、簡潔なひきしまった形をとる。
「お父ちゃん、死ぬなよ」にも、「ここにもの置かれん」にも、そして本多作左衛門の三ヵ条の掟にも、そこには思想があり、その過不足ない表現がある。「駐車禁止」や「この土手にのぼるべからず警視庁」にはない思想とその表現が。
ふたたび思想と標語と表現と
ここで私は、中国共産党のことを思いあわせる。
中国共産党はかつて、国民党との長い血みどろなたたかいを通じてあみだしたゲリラ戦の思想を、次の一六字に表現した。
「敵進我退。敵駐我擾。敵疲我打。敗退我進」(敵が進めば我は退く。敵がとどまれば撹乱する。敵が疲れれば打撃を加える。敵が退けば我進む)
「有理・有利・有節」というのも、かつての中国共産党の生みだした標語であった。その中国共産党が「大躍進」の時期にかかげた標語は次のとおり──
「大いに意気ごみ、つねに高い目標をめざし、より多く、より早く、よりムダなく社会主義を建設する」
ここには、あのみごとな一六字の面影もない。ここには観念だけがあって、その観念が思想化されていない。じつは、思想化されようのない観念であった。それが、この、一面まのびしたような、他面あせりをむきだしにしたような表現に示されているように思う。それが有理・有利・有節とはおよそ縁遠い、現実から遊離した観念の空転であったことは、その後の事実経過によってたっぷりと明らかにされた。
ある組合のスローガン
このような観念の空転は、外国の革命運動、民主運動にたいしてもその観念をおしつけるところにまですすんだ。わが国の運動が自分の標語を生みだし、育てあげてきた過程は、そういう干渉にたいするたたかいの過程でもあった。
生活のさまざまな領域において、私たちはさらに具体的な標語をもつような運動をつくりだしていかねばならないと思う。
先日、ある労働組合の学習会に行った。送られてきたその組合の運動方針を読んで、この組合は生きている、と感じた。そこにはきまり文句ではない地声がひびいていた。
この組合は自分たちのスローガンをもっている。
「仕事はまじめに、要求は大胆に、仲間は大切に」
こういうスローガンが生みだされてきたのには、それなりの歴史的事情がある。それは、少数派組合として差別され、あるいは相手にされず放胆されるという苦難の歩みのなかから結晶してきたものだ。「仕事は……要求は……仲間は……」という言い出し方に私はそれを感じた。もしこれが、現実のなかからではなく、ただ頭のなかから案出されたものであったら、たぶんそのような表現とはならず、「仕事を……要求を……仲間を……」というぐあいになっていただろう。
そのようなものとして、このスローガンは、その歴史的事情を超えた普遍的な意義をもつ普遍的なスローガンとなりえている、と私は思う。
(高田求著「新人生論ノート PART U」新日本出版社 p133-137)
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規則ただしく発行され、配達される党機関紙の組織に全努力を集中する必要は、他のヨーロッパ諸国の社会民主主義派や、ロシアのこれまでの革命党とは異なった、ロシア社会民主主義派の独特の地位にもとづくものである。ドイツ、フランスその他の国の労働者は、新聞のほかにも、自分の活動を公けに発揮する他の方法、運動を組織する他の方法を数多くもっている。
すなわち、議会活動をも、選挙運動をも、人民の集会をも、地方の公共機関(ゼムストヴォや都市の)への参加をも、職人(労働、同職)組合の公然の運営、等々をも、もっているのである。
わが国では、革命的な新聞が、──われわれが政治的自由をたたかいとるまでは──このすべての、まさにこのすべての代りをつとめなければならないのである。わが国では、こういう新聞なしには、労働運動全体のどんな広範な組織化も不可能である。われわれは陰謀を信奉しない、われわれは、政府を破壊しようとする個々ばらばらの革命的な企てを拒否する。
われわれの活動の実践的スローガンとなるものは、ドイツ社会民主党の古つわものであるリープクネヒトの言葉──学び、宣伝し、組織する──である。そして党機関紙だけがこの活動の中心点となることができるし、またならなければならない。
(レーニン著「われわれの当面の任務」レーニン全集C 大月書店 p235)
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◎「思想は標語をもたねばならない。あるいは、標語をもつにいたった時、観念ははじめて真に思想となる」と。