学習通信050820
◎女の心の成長のために避けがたい……

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猿橋賞

 去る五月(一九八四年)、「女性科学者に明るい未来をの会」(湯浅明会長)から、第四回猿橋賞を授与していただいた。

 そういう名誉ある賞をいただくと聞いた時、私なんかがもらっていいのだろうかというのが、正直な反応であった。私より劣悪な条件でたたかっている女性研究者を何十人と知っている。女性研究者問題に取り組んで東奔西走している人もいる。皆が力いっばいがんばっている。そのなかで、自分だけが何か特別立派なことをしたような顔をして賞をもらうのは申しわけない気がした。

 もたもた考えている間に時間切れで、授賞式の日が来てしまった。式には思いがけず多くの女性研究者が出席して下さった。物理以外の専門の方がたとは初めてお会いしたのだけど、いろいろの分野で活躍しておられる女性の存在を知って心強く思った。

 湯浅会長が、「今後あちこちから取材があるだろうけど全部受けるように」とおっしゃった。賞のことを広く知っていただいて、あとに続く女性の希望の灯にしたいこと、私の生き方が一つの例として励みになるであろうこと、を説かれた。八三年度受賞の大隅正子先輩も、「それが受賞した者の義務です」と言って下さった。それでも、私の存在など別にニュース性もないし、この忙しい世の中でマスコミが私ごときにかまってられるはずもないと、高を括っていた。そうでもないらしいことは、すぐに判明した。新聞、雑誌、ラジオ、テレビから、インタビューその他の申し込みが続き、まったく面喰らってしまった。

 「△△テレビの○○ワイドですが、インタビューを……」という電話に、「○○さんてどなたですか?」と聞いた。電話のむこうで絶句する気配が窺えた。テレビも見ない、週刊誌も読まない私の世間的な常識は限りなく零に近い。○○さんは有名な人に違いない。私は慌てて、「あの──。私テレビ見たことないものですから……」と言い訳をした。電話のむこうの声は、「お忙しいですからね」と思いやり深く言ってくれたけど、内心呆れていたにちがいない。あとで、知人、友人に聞いてまわって、○○さんを知らない人は一人もいなかった。これだけでも私はニュース性があるのかもしれない。

 報道された記事の多くは、妻、母、科学者の三役をこなし──という点を強調していた。これも私には思いがけなかった。一人何役には違いないけれど、今まで一度も不都合に感じたこともないし、特殊だと思ったこともなかった。一般の男性が、人間として仕事している自分と、夫であり父親である自分とに、矛盾を感じないであろうのと同じである。当たり前だと思って生きてきた私の人生がニュースになるという事実から逆に、今の社会における女性の生き方のむずかしさを再認識することになった。

 ニュース性のもう一つは「らしくなさ」であった。Tシャツとジーンズをユニフォームにしてキャンパスを闊歩し、いたるところで学生に間違えられている姿や、ディスコで踊りほうけている姿などは、世に定着した「大学教授・女学者」のイメージと重ならないのだろう。自分の個性に合わない「イメージ」や「らしさ」に義理を立てる謂れはない、というのが私の考えである。これは、身なりや振舞いだけの話ではない。生き方そのものも、個人個人の選択によるものであって、既成のパターンなど元来存在すべきはずのものではない。

 七十五日過ぎて人の噂もようよう下火になり、執筆や講演はいくつか残っているものの、身辺は大分静かになった。物理の研究を進めることも、三人の娘を育てることも、ただ好きで好きで、二十年間、考えたり迷ったりすることなく生きてきた。そんな生き方が当たり前になるまで、私なんぞがニュース価値のなくなる日まで、やはりがんばり続けなければならない。

女性が人間らしく生きるという、もっとも基本的な権利を手に入れるためのさまざまの運動やたたかいに、主体的に加わることを、これまでも考えなかったわけではない。そんな時いつも、自分の分野で人から認められる仕事ができてから、女性でも男性以上にしっかり仕事のできることを証明してから──という思案があった。今でも、研究者としてまだまだ勉強しなければならないことがある。しかし、何らかの形で発言し、訴えていくことも始めねばならない段階に来ているのかもしれない。私にとっての猿橋賞の意義はそこにあるのかもしれないと考えている。
(米沢富美子著「人生は夢へのチャレンジ」新日本出版社 p35-38)

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 社会のある特殊な時代が今日のやふなかたちをとって来ると、女の職業的な進出や、生産へ労働カとして参加する数や質のひろがりに逆比例して、女らしい躾みだとか慎ましさとか従順さとかが、一括した女らしさといふ表現でいっそう女につよく求められて来ている。日夜手にふれている機械は近代の科学性の尖端に立っているものなのだけれども、それについて働いている若い女のひとに求められている女らしさの内容のこまかいことは、働いている女のひととして決して便利でものぞましいものでもないといふ場合は到るところにあると思ふ。

さういうことについて苦痛を感じる若い女の心が、直率にその苦痛を社会的にも訴へてゆく、そこにも自然な女らしさが認められなければならないのだと思ふ。女自身が女同士としてそのことを当然とし自然としてゆく気持が必要だといへると思う。かういう場合についても、私たちは女の進む道をさえぎるのは常に男だとばかりは決していへない、という現実を、被ひなく知らなければならないと思ふのである。

 女の本来の心の発動といふものも、歴史の中での女のありやうと切りはなしてはいへないし、抽象的にいへないものだと思ふ。人間としての男の精神と感情との発現が実にさまざまの姿をとつてゆくやうに、女の心の姿も食にさまざまであつて、それでいいのではないだらうか。真に憤るだけの心のカをもった女は美しいと思ふ。真に悲しむべきことを悲しめる女のひとは立派と思ふ。本当にうれしいことを腹からうれしいと表現する女のひとは、この世の実ではないだらうか。そして、あらゆるそれらのあらはれは女らしいのだと思ふ。

 ある種の男のひとは、女が単純直率に心情を吐露するところがよいとしているが、自分の心の真の流れを見ている女は、さういふ言葉に懐疑的な微笑を洩らすだらうと思ふ。現代の女は、決してあらゆる時と処とでそんなに単純素朴に真情を吐露し得る事情におかれてはいない、そのことは女自身が知っている。ある何人かの俐巧な女が、その男のひとの受け切れる範囲での真率さで、わかる範囲の心持を吐露したとしても、それは全部でない。女の温情は現代に生きて、綺麗ごとですんではいないのだから。

 生活の環がひろがり高まるにつれて、女の心も男同様綺麗ごとにすんではいないのだし、それが現実であると同時に更にそれらの波瀾の中から人間らしい心情に到らうとしている生活の道こそ真実であることを、自分にもはっきり知ることが、女の心の成長のために避けがたい必要ではなからうか。

 これからのいよいよ錯雑紛糾する歴史の波の間に生き、そこで成長してゆくために、女は、従来いい意味での女らしさ、悪い意味での女らしさと二様にだけいはれて来ていたものから、更に質を発展させた第三種めの、女としての人間らしさといふものを生み出して、そこで自身のびてゆき、周囲をも伸してゆく心構へがいると思ふ。

これまで、いい意味での女らしさの範疇からもあふれていた、現実へのつよい倦むことない探究心、そのことから必然されて来る科学的な綜合的な事物の見かたと判断、生活に一定の方向を求めてゆく感情の思意ある一貫性などが、強靭な生活の腱とならなければ、とても今日と明日との変転に処して人間らしい成長を保ってはゆけまいと思ふ。世俗な勝気や負けん気の女のひとは相富あるのだけれども、勝気とか負けん気とかいふものは、いつも相手があってそれとの張り合ひの上でのことで、その女らしい脆さで裏づけされたつよさは、女のひとのよさよりもわるさを助長しているのがこれまでのありやうであった。

 女の人間らしい慈愛のひろさにしろ、それを感情から情熱に高め、持続して、生活のうちに実現してゆくには巨大な意力が求められる。実現の方法、その可能の発見のためには、沈着な現実の観察と洞察とがいるが、それはやっぱり目の先三寸の態度では不可能なのである。
(宮本百合子著「幸福について」角川文庫 p163-165)

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◎「女性が人間らしく生きるという、もっとも基本的な権利を手に入れるためのさまざまの運動やたたかいに、主体的に加わること」と。