学習通信050827
◎眩暈(めまい)にも似た感動……

■━━━━━



 恋は、眼差しによって無言の告白をし、そして手を揺ることによって言葉以上の告白をする。

 スタンダールの『赤と黒』の主人公ジュリアン・ソレルはレナール夫人の手を、夫の目の前で、その目を盗んで握りしめる。あの場面を読みながら(映画を影ながらも)、若い頃の僕は文字どおり手に汗握ったものだ。だけど今の若者はなんとも感じないんだそうですね。第一、『赤と黒』そのものが最早人気がない。やれやれ、時代の移り変わりというものは本当に残酷なものだ。

 しかしですね、男が女の手を握るか握らないかで胸ときめかすなんて素晴らしいことではないですか。愛する人の手を握りしめる時のあの戦慄、あの喜び。そういう恋の初期段階の眩暈(めまい)にも似た感動が、あまりに簡単に手と手が触れ合うことで、現代では失われてしまっているとしたら、それはもう可哀そうとしかいいようがない。

 むかし、男が女の手を揺るということは、それはこれから突き進む恋の突撃ラッパだった。映画館で、喫茶店で、散歩しながら……とにかく二人っきりになった時、女の手が欲しくて欲しくて堪らない男は、大きな溜め息をつき、手には汗をかき、頭はボーッとして目は虚ろになり、なにやら泣きたいような気持から奮い立つように勇を鼓して、えいやっ! と女の手を握ったものだ。

 本当ですよ。無法松こと富島松五郎は、長年恋慕っていた女主人の手をやっとの思いで一瞬握った時、つい「ごめんなさい」と謝ってしまった。そしてすごすごと逃げて行く。あれだって無法松一世一代の大冒険だったはずだ。

 こういう純情は今でも男の心に残っていると僕は信じている。女も恋をするなら純情でなくっちゃ、少女のように。その方が恋が百倍素敵になる。

 男が女の手を初めて握った時は、やはりしっとりと濡れていてほしいものだ。その理由は、手を握られることを期待して汗ばむほどハラハラドキドキしていたことを証明してほしいということなんですね。女にも純情を期待しているのです。自分の方はすっかりあがっちゃって汗ビッショリなのに、やっとの思いで握った女の手がカサカサに乾いてたんじゃ、がっかりです。自分が無視されたようで切なくなる。「こりゃだめだな」と思うしかない。まったく手ぐらい正直に心を映すものはない。

 女の手は少し大人っぽい方がいい。そして、冷たいのが望ましい。
 暗闇の中で、落とした鍵を探していると、ミミとロドルフォの手が触れ合って「冷たい手!」とロドルフオが言う(オペラ『ラ・ボエーム」プッチーニ作曲)。

〈芸者の手指は冷たいところでお値打ちだ。来た妓が、いきなり「こんなに冷たいのよ」と客の襟首や、類べたへつけるあたり、商売上手な仕草で、心得ておくべき事である〉
 (坊野寿山『妓の身体髪膚」)

 手の触れ合う場面のある時、名女優たちは氷で手を冷やしてから舞台に上がる。これ常識。

 類人猿は二本足で歩くようになって初めて、手というものを獲得した。そしてその手が道具を持つことを覚えた時から、類人猿は人類へと進化し始めた。映画『二〇〇一年宇宙の旅』の中で、猿が骨っきれを握って躍り上がる、あの瞬間である。あの瞬間から類人狼は工夫を知り、知恵を知り、進歩を知り、道具を持って仕事をし、闘うことを覚えた。手は、人類何万年の歴史の中で、特別に知恵と感覚と能力と神秘性とを与えられて完成された肉体の部位である。男性の手は頼もしさの象徴として、女性の手は美しさの極致として。

 女性が手を美しく磨きあげることは当然の義務である。よく手入れをしろというのではない。手に教養をつけさせなさいと進言しているのです。手の美しさをそなえることによって、女はより完璧な女に近づくことができる。仕草、表情、表現、反応。すべて心がけひとつでできることだ。

 サマセット・モームは言う。
〈あなたの手こそ、一番魅力のある特徴ですね。実に華奢(きゃしゃ)で、実に優美だ。あなたがお手をお使いになる時の、いいようのない品のよさには、いつも目を瞠っていますね。生れつきからにしろ、あるいは技巧であるにしろ、あなたが手ぶりひとつすれば、きっとそれは美しいものになっているんですからね。あなたの手は、時には花のようで、時には飛んでいる小鳥のようですよ。口でおっしやるどんな言葉より、もっとものをいいますな。エル・グレコの肖像画の手に似ていますよ。祖先がスペインの貴族……〉
  (『剃刀の刃』斎藤三夫訳)

 ここで大事なのは「生れつきからにしろ、技巧であるにしろ」という点ですね。技巧でいいのです。後天的に身につけた技巧こそ教養と呼ぶべきものでしょう。技巧を駆使しているうちに、やがてはそれが生まれつきのように自然なものとなり、ついには、もとは貴族かと人に思わせるまでに板についてくる。

 ハッとするほど美しい手の女を見て、それだけで恋に落ちることなんていくらでもある。で、親しくなってから、しげしげと眺めてみると、そうたいして形のいい手でなかったりする。これはまさしく仕草の魔術です。こういう魔法にかけてくれる女を男は尊敬する。

 一九九六年のオリンピックも、ギリシャの太陽から移し採られた聖火が手から手へ渡されてアトランタの聖火台までとどけられた。手から手へ、それが大事なんですね。手は人間の祈りのポーズに欠かせないものです。手を合わせる。手を組み合わせる。手で十字を切る。柏手を打つ。手を天にさしだす。まさしくオリンピックの精神は手から手へ受け継がれて百年を迎えたのだ。聖火を運ぶ手には人類の無限の祈りがこめられている。人は手で祈るのです。

 手には病を治す力さえある。手は心、手は愛情、手は運命、手は神秘。だから手相などが信じられる。

 女の手の甲へのキスは尊敬。手の平へのキスは欲情と誘惑。
 映画『太陽がいっぱい』(ルネ・クレマン監督)の中で、アラン・ドロンがマリー・ラフォレの手の平に官能的なキスをする。映画史に残る名場面。

 世界中の男がああしたいと思い、世界中の女がああされたいと思っている。我が身もかえりみず。
(なかにし礼著「恋愛100の法則」新潮文庫 p394-398)

■━━━━━

 何十万年かまえ、地質学者たちが第三紀とよんでいる地質時代のまだはっきりとは確定されていないある期間に、おそらくは第三紀の終りごろと思われるが、熱帯のどこかに──たぶんいまはインド洋の底に沈んでしまったある大きな大陸の上に──とくべつ高度の進化をとげたヒトニザルの一種が棲んでいた。ダーウィンはこのわれわれの祖先たちについてその概略をわれわれに記述してくれた。彼らは全身毛でおおわれ、ひげやとがった耳をもち、群れをなして樹上に生活していた。

 木のぼりのさい手には足とは別の仕事を受けもたせるのがこれらの猿の生活様式であったが、はじめはおそらくそうした生活様式がきっかけとなって、彼らは平地の上で、は歩行のさいに手の助けをかりるという習性をなくしはじめ、ますます直立度の高い歩行をとりいれはじめた。猿から人間への移行にとっての決定的な一歩はこれによってふみだされたのである。

 今日なお生存しているヒトニザルはすべて直立することができ、また二足だけで動きまわることもできる。しかしそれは応急策としてだけのことであって、しかもきわめておぼつかなげである。彼らの自然の歩行は半直立の姿勢でおこなわれるもので、手の使用ということもまたその歩行の一部なのである。

たいていのものはこぶしの関節を大地について、足は後退させたまま身体を長い両腕のあいだでゆすりながら、ちょうど松葉杖にすがるびっこの人のように歩いている。とにかく猿にあっては、四足全部でする歩行から二足だけの歩行まで、歩行のあらゆる推移の段階を、われわれはいまもなお観察することができる。しかし彼らのどれをとってみても、二足歩行が応急策以上にでているものはないのである。

 われわれの毛ぶかい祖先たちのあいだでこの直立歩行がまず口常化し、時とともにしだいに欠くことのできないものになってゆくはずだったとすれば、そのことはその間にますます別途の諸活動が手に受けもたされるようになったということを前提としている。猿のあいだでも、手と足とのある程度の使いわけはひろくおこなわれている。

既述のとおり、手は木のぼりのときには足とは別の仕方で使われる。手はとりわけ食物を摘みとったりしっかりにぎったりするのに用いられるが、これはもっと下等の哺乳動物がすでに前肢を用いてやっていることである。

手を用いることによって、猿の多くは樹間に巣をつくり、あるいはチンパンジーのように風雨を防ぐために枝々のあいだに屋根までもつくりあげる。手を用いることによって、彼らは敵から身を守るための棒をにぎり、あるいは敵に木の実や石を投げつける。

手を用いることによって、彼らは檻の中にあるときは人間を見習った数々の簡単な作業をやってのける。しかしまさにこの局面で、人間に最もよく似た猿にあってさえ、そうした猿の未発達の手が、何十万年かの労働によって高度にきたえあげられた人間の手とどれほど大きくかけはなれているかが明らかになってくる。骨や筋肉の数と全般的な配列の仕方は両者で一致している。

しかし最もおくれた未開人の手でさえ、猿の手ではとうていまねのできない幾百もの作業をおこなうことができる。どのような猿の手も、もっとも粗雑な石刀をさえいまだかつて作製したためしはなかったのである。

 猿から人間への移行の数千年間に、われわれの祖先たちは徐々に自分たちの手をさまざまな作業に適応させることを習得していったが、そうした作業は、したがってはじめはごく簡単なものでしかありえなかった。

最もおくれた未開人でも、いやそれどころか肉体的退化をも同時にともないながらより動物に近い状態にまで逆もどりをしたと推定されるような未開人でさえ、移行中のこのような過渡的生物にくらべれば、なおあいかわらずずっと上位にあるのである。

最初の燧石(すいせき)が人間の手によって小刀に加工されるまでには、われわれの知る歴史的時間などはそれにくらべればまるで無意味と見えるほどの巨大な時間があるいは経過していたのかもしれない。

しかし決定的な一歩はもうふみだされていた。すなわち手が自由になっていたのであって、手はいまやますます新しい技能を獲得することができるようになった。そしてこうして獲得されたより大きな柔軟性は世代から世代へと遺伝的に受けつがれ、そしてますます大きなものとなっていった。

 こうして手は労働の器官であるばかりか、手は労働がくりだした産物でもある。労働によって、またつぎつぎに新しくなってゆく諸作業への適応をつうじて、またそれによって獲得された筋肉や靭帯の特異的発達、いやもっと長年月をかければ骨にまで及ぶ特異的な発達を遺伝的に伝えることによって、そして遺伝的に受けついだこのような精巧さをますます複雑化してゆく新しい作業にたえずあらためて適用してゆくことによって、そうしたいっさいをつうじてのみ、人間の手はラファエロの絵画、トルヴァルセンの彫刻、パガーニの音楽を魔法の杖さながらに世に生みだしうるあの高度の完成をかち得たのである。

 しかし手は手だけでひとりだちしているものではなかった。それはきわめて高度の構成をもつ生物という全体の一分岐でしかなかった。手にとって利益になった事柄は、手がその労働によって奉仕してきた身体全体にとってもまた利益になった、──しかもそれはニとおりの仕方で。

 まず第一には、ダーウィンのいう成長の相関の法則の結果として。この法則によれば、生物の身体の個々の部分がもつ特定の形態は、一見それとはなんの関係もないように見える他の部分がもつ若干の形態とつねに結びついている。こうして細胞核を欠く赤血球をもち、後頭骨が二つの関節部位(関節丘)によって第一脊椎骨と結合しているすべての動物は、例外なく乳児に哺乳するための乳腺をもっている。哺乳動物では、割れた蹄はきまって反芻のための複胃と関係がある。

特定の形態に変化が起こると、それらの変化はその関連がわれわれには説明できなくとも、身体の他の部分の形態の変化をもまねく。青い眼をした真白な猫はかならず、あるいはかならずといってよいほど、つんぼである。人間の手がしだいに精巧なものとなり、それと歩調をあわせて足が直立歩行に適するように発達していったとすれば、そのことは疑いもなくそうした相関をつうじて身体の他の諸部分に反作用したはずである。しかしこのような作用はまだあまりにも研究されていないので、われわれはここではこれを一般的に確認する以上にでることはできない。

 それよりもはるかに重要なのは、手の進化が身体の他の部分に及ぼした直接の、証明できる反作用である。すでに述べたように、猿に似たわれわれの祖先は集団的な動物だった。だから動物のうちでも最も集団的な動物である人問を、集団性をもたないなんらかの直接的祖先から由来するものと考えることは明らかに不可能なことである。手の発達に始まり、労働に始まる自然にたいする支配は、新しい前進のたびごとに、人間の視野を拡大していった。自然物については、人間は新しい、これまで知られていなかった特性をたえず発見していった。

しかしその反面、労働の発達は必然的に社会の諸成員をたがいにいっそう緊密に結びつけることに寄与した。すなわち労働の発達によって相互の援助、共同でおこなう協働の機会はより頻繁になり、社会成員各個にとってのこのような協働の効用の意識はいよいよはっきりとしてきたからである。

要するに、生成しつつあった人間は、たがいになにかを話しあわなければならないところまできたのである。欲求はそのための器官をつくりだした。すなわち猿の未発達な咽頭は、音調を変化させることによって、たえず音調の変化を向上させてゆくために、ゆっくりと、だが確実に改造されてゆき、口の諸器官は区切られた音節を一音ずつつぎつぎと発音することをしだいに習得していった。
(エンゲルス著「猿が人間化するにあたっての労働の役割」M・E8巻選集 大月書店 p296-299)

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
◎「手は手だけでひとりだちしているものではなかった。それはきわめて高度の構成をもつ生物という全体の一分岐」と。