学習通信050917・18 合併号
◎魅力的な幹部になろう……D

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 一人でも多くの人を助けたい。そのために医療法人の病院を興し、その後、病院を全国展開。初めてお店にいらしたのは、六十歳を少し過ぎたくらいのころで、お金の使いっぷりのいい、銀座のクラブ界隈では本当にありがたいお客様でした。
 病院スタッフの保養所と迎賓館用と称して建てられた、白宅の新築祝いに伺いましたが、五階建てで、これが自宅なのか、と思うくらいのすごい豪邸でしたね。

 政治家もよく内密に出入りしていた病院だったせいか、六十代後半を少し過ぎたころからでしょうか、勲章や表彰をもらうことに喜びを感じるようになり、その都度、盛大なパーティーが催されました。
 まさに、わが世の春状態でしたが、医療認可を受ける便宜を図ってもらうために、病院のお金を使って、政治家に闇で献金を続け、ドンと化していくのにも、さして時間はかかりませんでした。

 煙草を吸いながら院内を歩いても、秘書が背後から灰皿を持って歩く世界。このまま、栄華を極めたままで、晩年を過ごされるかと、羨ましく思ったものです。
 ところが、久しぶりに店にいらした院長は、なんだか落ち着かない様子で、しまいには私まで怒鳴りつける始末。
 何かあると思いましたが、案の定、しばらくたって国税局の取り調べで、医療法人を悪用して、懇意にしていた政治家の事務所の家賃から事務員の給料まで払っていたうえ、巨額の脱税をしていたことがわかり、しまいには、逮捕されテレビ画面では容疑者と呼ばれるようになってしまいました。

 保釈されてお店にいらしたときは、まるで精彩の欠けたご老人になっていましたね。

 会計のときにお財布の中身をちらっと見たら、今まで使っていた病院の名前入りのプラチナやゴールドのクレジットカードが一枚もなくて、現金が一〇万円くらいだけでした。カードが入っていないせいか、お財布もよれていて、なんだか寂しかったですね。

 別のケースでは、手広く飲食店とパチンコ屋さんを経営している社長さん。

 若いころから、無類の女好きで、手当たり次第にお店で働く女性と、精力的に援助交際。不思議と、女性とつきあうほどに、事業もトントン拍子。 ただし、一緒に苦労してきた糟糠(そうとう)の妻である奥様はたまらなかったようですが、子どもが成人するまではと、忍の一字で我慢していたようです。

 ようやく子どもも結婚し、ついに離婚。社長はすぐに、つきあっていたなかで一番、見目形がきれいな銀座のホステスと結婚。
 これがつまずきのもとでしたね。
 どんなきれいな女性と結婚したって、しばらくしたら遊びたいのです。だって、彼には女性が元気の源なんですから。
 しかし、妻にもらった銀座ホステスは、さんざん、他人のご主人を浮気させてきたのですから勘が鋭く、浮気相手の女性を見つけるのは朝飯前で、果ては大騒ぎ。そのたびに、交際していた女性をお店から叩き出す始末。
 そのうち、誰も社長を相手にしなくなりました。
 自宅と会社の往復のみ、奥様の監視の厳しい生活。刺激のあるおもちゃを取り上げられた子どものような社長に、代わりの刺激となったものは最悪なことに、株の売買。そうしたら、損失が増えて、ついに信用買い。あっという間の転落でしたね。
 最後に、女性の選択を誤りましたね。
 晩年は会社の上地も建物も自宅も預金通帳も、借金で消えました。

「できる男」は、自分の本分に忠実な男です。
形にとらわれず、物事の本質だけを見抜く男です。
「できる男」は晩年を汚さないものなのです。

(ますいさくら著「銀座のママが教える「できる男」「できない男」の見分け方」PHP文庫 p217-221」あとがき

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 2001年(平成13年)12月、私は17年間勤務したトヨタ自動車を退職しました。
 この本の冒頭でもお話したように、秘書の仕事を続けながらも事務職から技術職に転身。一般職から総合職に移るなど、多彩な経験を積ませていただいたと思います。

 女性社員としては、相当ユニークな経験をさせていただきました。多くの上司や先輩たちから温かい指導を受け、鍛えられたのは、非常に幸せなことでした。
 社会人1年目からトヨタの役員秘書に抜擢され、日本を代表する企業の経営に携わる役員の方々の、仕事ぶりを間近に見られたのも、たいへんラッキーなことだと思っています。
 私のような者を育て、導いてくださった方々には、本当に心から感謝しております。この場を借りて改めて御礼申し上げます。

 現在私は、プロ秘書の育成講座や社員研修、コーチング、健康指導などをテーマにしたセミナーを開催し、さまざまな企業で人材教育のアドバイザーをつとめさせていただいていますが、「トヨタで働く人たちの仕事ぶりを知りたい」、「トヨタが好調な秘密はなにか」ということを、頻繁に質問されます。
 退職してあらためて、世間において、トヨタ自動車への関心の高さを実感しました。と同時に、私が在職中に接した、多くの「できる人」たちはやっぱりすごかったのだと、しみじみと思い返しています。

 トヨタのできる人には、どの仕事を行なうにしても共通して欠かせない、「10の能力」があるように思いました。

 現場感覚。時間管理。合理主義。委任力。育成力。解決力。コミユニケーションカ。応用力。自己認識。そして、感謝の心。

 いずれも仕事を効率よく、気持ちよく遂行するために欠かせない能力です。
 上司や同僚と連携を図り、スタッフを育成しながら、自己啓発をしてゆくこと。

 優秀なビジネスマンであると同時に、1人の人間として魅力的であろうとする志向も、「できる人」の特徴だと感じています。

 この本では、トヨタの「できる人」を具体的に示しながら、サラリーマンが身近な目標にできるコツや習慣、心構えなどを紹介させていただきました。

「10の能力」を掲げましたが、日々の業務に前向きに取り組み、仕事に誇りをもつことで、一つひとつの能力がみがかれていくのだと思います。自分を客観視し、理想に近づこうと努力することが大切だと思っております。

「できる人」に近づく一歩として、みなさまのお役に立てば幸いです。
(石井住枝著「トヨタのできる人の仕事ぶり」中経出版 p218-220)

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座標軸としての思想

四つの条件について

 事をなしとげるのに必要な四つの条件がある。先見性、行動性、実務性、そして思想性。全体の「扇のカナメ」をなすものは、思想性である。
 思想性の裏づけを欠くとき、先見性は、先物買いの事大主義におちいるか、中途半端で無力な不平・不満屋となる。思想性から遊離し、そのため先見性も失った行動性は、糸の切れた風船のようになり、驕慢・妄動におちいる。そして思想性なき実務性は、砂をかむような、あるいは氷のような官僚主義となる。

 ──以上、これはある本を読んでの私の勝手なノートである。「ある本」とは、大江志乃夫氏の『木戸孝允』(中公新書)。それは次のような文章で結ばれていた──

 「思想性のない先見性の悲劇を木戸に見出すならば、先見性のない行動性の悲劇を西郷に見出すことができる。そして、着実な実務性のゆえに、大久保が新政権の独栽者の地位についたことに近代日本の国家理想の欠如を見ることができるだろう」

 「糸の切れた風船」という私のノートのなかの表現は、維新後の西郷隆盛についての同書の表現をそのままとったもの、「驕慢」というのも同じ時期の西郷についての板垣退助の評語としてそこに紹介されていたものである。ただし「先物買いの事大主義」というのは私の勝手なつけくわえで、木戸孝允についてはそのまま全面的にはあてはまらないかもしれない。そのようにつけくわえたとき私の順に浮かんでいたのは、志賀義雄の顔であった。

人びとの軌跡について

 大江氏のこの本は、私にはとにかくおもしろかった。維新前夜のさまざまな人物の軌跡があざやかにえがきだされている、そのあざやかさがおもしろかった。それぞれの性格も、いかにもくっきりとえがかれていた。

 たとえば「小才のきく能吏」といった形で歩みだしながら、あの幕末の党争のはげしい時代を活動家として生きぬき、藩内で一度も窮地に立つことなく、つねに一藩の藩論をリードしつづけた木戸。その木戸が維新後、新国家のイデオローグという柄にあわない役にまわるなかで、次第に政治の第一線から遊離して孤立を深め、めんめんと不平不満を日記につづりつつ死んでいったという悲劇。

 それから西郷。「この幕末の激動期にすぐれた軍事謀略家としての才能を発揮した人物……彼の才能は、その誠実さと包容力の大きさと、行動ぺの強固な意志によってのみささえられていた。だから、いったん、自己のすすむべき指針を発見すると、いっさいの行きがかりを捨て、小節にこだわらず、行動を開始した」。その西郷が維新後、「糸の切れた風船」に化していった悲劇……。

座標軸の問題

 このようなさまざまな人物の軌跡を大江氏があざやかに──あざやかすぎるほどあざやかに──えがきだすことができたのは、何よりも座標軸の設定の適切さによっているだろう。座標軸として氏が設定したもの、それは横井小楠という思想家であった。

 「人民の立場」に原点を求めつつ、「当時の人民がもつことができたであろう極限の可能性」を「具体的な存在」の形で体現しえた人物を座標軸にすえる、というのが、本書における大江氏の方法論である。それを氏は小楠に見出した。そして小楠とのかかわりを軸としながら、維新前夜の群像の軌跡をえがいたのであった。

 もっとも、小袖の存在そのものを座標軸にとるということは、小楠自身の軌跡を直線化してえがくことである。それによって他の群像の軌跡も、その実際のありようからは何ほどか変形されてえがかれることになる。えがかれた軌跡のあざやかさはそれによっているだろうし、「あざやかすぎるほどあざやか」という感じもやはりそれによっているだろう。それがこの本の魅力であると同時に、見方によっては一つの弱点といえるかもしれない。小楠びいきの私としては、小楠のこのようなとりあげ方に接すると、もうそれだけで著者に花束をもっていきたいような気もちになるのだが。

育てていくべきものとしての思想

 大江氏の本からのノートをこさえたのは、もとはといえばある労働組合から「幹部の役割について」というテーマで話すことを求められたのがきっかけだった。ついでにいえば前回とりあげた「実務について」のメモも、同じ組合で「実務の意義」というテーマを与えられたときにつくったものをもとにしている。

 先見性、行動性、実務性、思想性──この四つが幹部に求められる資質だろうということを、そこで私は話の中心にすえたと思う。もちろん、この四つを誰もがまんべんなくそなえることはむつかしい。誰にも得手・不得手ということがある。だから大切なことは、思想性をカナメにすえつつ、この四つを全体としてそなえるような幹部のチームをつくりあげることであり、そのアンサンブルのなかで各自がその得手をますますのばしつつ、不得手の克服をもめざしていくことだ。──そんなことも述べたと思う。
 今だったら私は、以上にもう一つだけつけくわえたい。──カナメにすえるべき思想性、それは運動のなかで、具体的な諸問題につきあうなかで、歴史的に育てていくべきものである、と。生きた思想あるいは理念とは、たんに抽象的なものではない。へーゲルだったら「具体的普遍」というだろう、そんな性質のものだ。そういうものとして日々に成長していくようなものであってこそ、生きた思想、理念ということができるだろう。
(高田求著「新人生論ノート PART U」新日本出版社 p166-170)

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◎「だから大切なことは、思想性をカナメにすえつつ、この四つを全体としてそなえるような幹部のチームをつくりあげることであり、そのアンサンブルのなかで各自がその得手をますますのばしつつ、不得手の克服をもめざしていくことだ」と。