学習通信050922
◎その外来の衣装の名ごり……

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社会矛盾の深まり

 一九世紀末の人民党(ポピュリスト)の運動は失敗した。しかし巨大企業支配体制の出現は社会矛盾を深め、体制批判の潮流はいっそう強まった。その一つの現れは社会主義運動の高揚である。社会主義運動はヨーロッパからアメリカにも持ち込まれ、マルクス主義の影響がドイツ系移民のあいだで広まっており、一八九〇年代にはダニエル・デレオンが率いる社会主義労働党が活躍していたが、他方アメリカ生まれの社会主義思想もヘンリー・ジョージ、エドワード・ベラミーなどによって唱えられ、ある程度世論にも浸透していた。だがアメリカ独自の本格的な社会主義運動は、一九○一年アメリカ社会党の創設から始まった。指導者ユージン・デブスは、一九一二年の大統領選挙に出馬、九〇万の得票で支配階級に脅威を及ぼしたのである。

 第二は労働者の組織化と闘争の激化である。組織労働者は一九一〇年に二一八万強、組織率八・六%に伸びた。労働組織の中心はサミュエル・ゴンパーズ会長のアメリカ労働総同盟(AFL)であった。熟練労働者の職能別全国組合の連合体として、政治活動を避け、もっぽら賃上げ・労働時間短縮などの経済闘争と資本主義の枠内での労働条件改善を目指し、不熟練労働者や新移民および黒人労働者の組織化を怠り、旧移民と熟練工の組織化に専念した。一八九七──一九○四年にAFLの組合員は五〇万人弱から二〇〇万人へと四倍に急増した。一方、不熟練労働者を産業別に組織し、資本に対決して全労働者の結集を日指したのは世界産業労働者同盟(IWW)であり、一九○五年に結成され、新移民系労働者の組織に心を砕いた。

 もうひとつはアフリカ系アメリカ人(黒人)の人種差別撤廃の運動である。黒白隔離、選挙権剥奪、リンチ、プランターによる搾取、土地喪失に苦しむ黒人は一八九〇年代に南部の都市へ移住し、さらに北部・西部の都市へ移動した。世紀の交わりの二〇年間に二〇万人が主に大都市に移動した。しかし北部の工業でも黒人は差別を受け、一般に雇用されず、スト破りとしてだけ雇われた。移民と違って黒人のコミュニティ建設は困難であり、また黒人には政治的・経済的機会も少なかった。

 黒人の闘争は、職業教育による黒人の政治的・社会的地位の向上を説くB・T・ワシントンの「タスキーギ運動」、言論の自由・選挙権・教育の平等を宣言しあらゆる形の人種差別の廃止を主張するW・E・B・デュボイスの「ナイアガラ運動」といった対照的な二つの運動を通して展開されていき、後者を中心に一九〇九年、全米黒人向上協会(NAACP)が結成された。

 最後に、同じく社会的に差別されてきた女性の解放運動が開花した。世紀の交わりに女性の社会進出がめざましくなる。一九一〇年、一五歳以上の女性の二五%が働いており、女性労働者は労働条件の改善、賃上げ・労働時間短縮を要求し、男女平等を唱えた。家にいる女性も女性のクラブを組織し、女性選挙権、結婚・財産の平等、少数者・弱者の保護、禁酒、売春禁止を掲げて社会に出ていった。
(野村達朗著「アメリカ合衆国の歴史」ミネフヴァ書房 p147-148)

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 第三の部分は、社会主義労働党からなりたっている。この部分は名まえだけの党である。なぜなら、それは今日まで、アメリカのどこにおいても、政党としての立場を現実にとることができなかったからである。そのうえこの党は、ある程度までアメリカにとって外来的なものである。というのは、それは最近までほとんどもっぱらドイツ人の移民からなりたっていて、彼らは自分の国のことばをつかい、たいていの場合、アメリカの共通のことばをほとんど解しないからである。

だが、たとえこの党が外国生まれのものであるにしても、この党は、同時にまたヨーロッパの多年にわたる階級間争でえられた経験で武装し、また労働者階級解放の一般的条件についての、これまでアメリカの労働者によってえられた洞察よりはるかにすぐれた洞察で武装して、やってきたのである。

これはアメリカのプロレタリアにとって幸いな事情である。

彼らはこのようにして、自分たちのヨーロッパの階級仲間の四〇年にわたる闘争の知的、精神的な果実を自分のものとし、利用することができるし、またこのようにして自分自身の勝利をおさめる時を、はやめることができるのである。

なぜなら、まえに私が言ったように、アメリカの労働者階級の究極的な綱領が、現在ヨーロッパの戦闘的労働者階級全部によって採用されている綱領と、またドイツ系アメリカ人の社会主義労働党の綱領と、本質的に同一のものでなければならないし、またそうなるであろうことは、なんの疑いもありえないからである。

そのかぎりでは、この党は、運動のなかできわめて重要な役割を果たすべき使命をもっている。しかしその使命を果たすためには、彼らは、その外来の衣装の名ごりを、すべてぬぎすてなければならないであろう。彼らは、徹頭徹尾アメリカ人にならねばならないであろう。

彼らは、アメリカ人が自分たちのほうに接近してくることを、期待することはできない。少数者であり、移民である彼らが、圧倒的な多数者であり、土着民であるアメリカ人に接近していかねばならない。そしてそうするためには、彼らは、なによりもまず英語を学ばなければならない。
(エンゲルス著「アメリカの労働運動」M・E八巻選集G 大月書店 p95-96)

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◎「ヨーロッパの多年にわたる階級間争でえられた経験で武装し、また労働者階級解放の一般的条件についての、これまでアメリカの労働者によってえられた洞察よりはるかにすぐれた洞察で武装して、やってきた」「彼らは、徹頭徹尾アメリカ人にならねばならない」と。