学習通信0501001・02 合併号
◎専制政治のもとでがんじがらめ……
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エンゲルスからゲルトルー ト・ギヨームーシヤック(在 ボイテン)へ
(草 稿)
〔……〕もしフランス人がドイッ人ほどには婦人労働の制限を要求していないとすれば、その根拠は、婦人の工場労働がフランスでは、ことにパリでは、わりあい副次的な役割しか演じていない、ということにあります。
同一作業の場合の賃金の平等ということは、私の知っているかぎりでは、賃金一般がまだ廃されていない時代には、あらゆる社会主義者たちによって両性のために要求されています。
労働する婦人がその特殊な生理的機能のために、資本主義的搾取にたいする特別保護を必要とすることは、私には一目瞭然だと思います。
男性と同様、徹底的に資本家たちに搾取されるという婦人の形式的権利獲得のためのイギリスの婦人先覚者たちも、大半は直接的にか、または間接的に、両性の資本主義的搾取に関心をもっています。
私が関心をもつのは、じつを言いますと、資本主義的生産様式の生涯の末期における両性の絶対的な形式的な同権よりも、次の世代の健康のことです。
男女のほんとうの同権が真実になりうるのは、私の確信するところによれば、資本による両性の搾取が廃止され、私的な家事労働が公的な産業に転化されるときです。
(M・E8巻選集G 大月書店 p230-231)
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女性の歴史と将来を「科学の目」でとらえた先覚者がいた
いまから百二十年ほど前に、女性問題の歴史・現在・将来を「科学の目」でとらえた人物がいました。私たちの理論と運動の大先輩であるエンゲルスという人です。この人は、マルクスの親友でして、マルクスが死んだ時、彼が書き残したノートを参考にしながら、『家族、私有財産及び国家の起源』という本を書いたのです(一八八四年)。
私はまだ若いころ、十七、八歳ぐらいのころに、この本を最初に読んだのですけれども、その時から大変深い印象を受けた二つの点がありました。
「女性の世界史的な敗北」
一つは、人類の社会が始まった最初のころについての話でした。社会をつくった最初の時期には、人間は女性への差別というものを知らなかった。子どもを産む女性は、家族の中心で、社会的にも尊敬される立場を占めていました。
さきほども、平塚らいてうさんが「元始、女性は太陽であった」、こういう言葉を書かれた話が出ましたが、まさに、女性が太陽だというその言葉通りの社会状態が、人間社会の出発点には、現実にあったのです。
この状態が壊れたのは、かなり昔のことで、いわゆる共同体社会の最後の時期−家族というものの形が、それまでの女性中心から男性中心に切り替わった時のことでした。それ以来、それまでは女性の役目だった、家庭のなかで舵をとる権限も、男性が独占するようになりました。エンゲルスは、その変化の過程をずっと調べあげて、これを「女性の世界史的な敗北」と名づけたのです。ヨーロツパで言いますと、いまからおよそ二千年前から三千年前という時期に起こったことでした。
それ以来、いろいろな社会が交代してきましたが、女性は、差別された地位からなかなか抜け出せないで、歴史を過ごしてきた。ここに、私が深い印象を受けた第一の点がありました。
法律上の平等から社会的な平等へ
第二の点は、その差別から女性が抜け出すこれからの展望の問題です。
エンゲルスがこの本を書いたころは、差別の解消と言いますと、選挙権の問題とか、法律の上で男女の平等を実現するということが、中心問題でした。しかし、エンゲルスは、本当に女性への差別をなくすには、法律の上だけではダメだ、現実に社会のくらしのなかで男女の平等を実現できるようにする必要がある──この問題を初めて提起したのです。これはまさに、時代を超えたすばらしい見解だった、と思います。
では、現実に社会的に平等になるには、何が必要か。女性だけが家事に縛られている間は、本当の社会的な平等はない。経済であれ政治であれ、女性が社会の公の生活のなかで平等の地位を得るためには、子育てや家事などを社会全体の力でささえる、こういうところまで社会の仕組みを変えてゆく必要がある。エンゲルスはそこまで考えたのです。
法律の上の平等は、資本主義の時代でも獲得できるだろう。しかし、いま見たような社会的な平等には、もっと高度な条件が必要になる。それを実現することは、資本主義を乗り越えて社会主義に進むなかでこそ解決できるのではないか。実は、これが、男女の平等の間題について、十九世紀の八〇年代に、エンゲルスという大先輩が明らかにした見通しでした。
日本の女性は簡単に「敗北」しなかった
それから百二十年近くたちました。いま、二十一世紀の冒頭に立って、また私たちの日本で、男女の差別と平等、女性解放の歴史と展望を考えるときに、私は、いまご紹介した大先輩の見方を、二つの点で、発展的に読みなおす必要があると考えます。
まず第一の問題です。さきほどエンゲルスが「女性の世界史的な敗北」について語ったという話をしましたが、日本の女性は、それほど簡単には「敗北」しなかったということなんです。実はそこに、日本の女性の歴史の大事な特質があります。
歴史のなかから、三人の女性をあげたいと思います。
卑弥乎
最初の女性は、三世紀──いまは二十一世紀ですから、ほぼ千八百年前ということになりますが、三世紀の卑弥乎という女性です。邪馬台国というところの女王でした。なぜ邪馬台国の王が女性だったのか?
その背景としては、宗数的な事情とかいろいろあげられますけれども、ともかく日本列島に生まれた最初の国家が、女性の卑弥乎を王とする「女王国」であり、そういう国として中国の歴史の本(『魏志倭人伝』)で紹介されました。これは、大変特徴的なことだったと思います。女性がまったく権利を失って、差別の底にいる存在に変わっていたら、その女性が王になるなどということは、起こりえなかったのではないでしょうか。
紫式部と『源氏物語』
二人目は、それから少しあと十一世紀に生きた、『源氏物語』を書いた紫式部という女性です。『源氏物語』はいまでも広く読まれていますが、これは、女性が書いた、世界で一番古い小説だと言われています。女性が小説を書くということは、この当時、世界にはあまり例がないのです。しかも、日本では、女性の文学は『源氏物語』だけではありませんでした。清少納言の『枕草子』とか、当時の女性の文学活動は、多方面にわたっていました。
このことについて、ある歴史研究者は、こう言っています。「前近代〔近代以前の時代〕に女性がこのようなすぐれた文学を多く生み出した民族が、はたして世界にあるのかどうか。私はおそらくほかにはないと思います」(網野善彦『日本の歴史をよみなおす』一九九一年、筑摩書房)。
実は、十一世紀に女性の文学活動がこんなに盛んだった根底には、「ひらがな」の文化というものがあったのです。その前の時代には、日本人は、自分たちの言葉を表すのに、すべて漢字を使っていました。「万葉仮名」といって、「いろはにほへと」を全部漢字で表していました。それから百年か二百年かかって「ひらがな」が生み出されました。女性が創ったとは言えませんが、「ひらがな」が当時「女手」と呼ばれていたことからいっても、「ひらがな」文化を発展させ普及していった担い手が女性であったことは、間違いないと思います。それがやがて、男性・女性の区別がない日本社会の共通の文化に発展したわけです。
私たちはいま、「ひらがな」を取り上げられたら、文章をなにも書けなくなります。この「ひらがな」文化こそは、まさに、女性が発展させた重要な文化遺産にほかなりません。(拍手)
北条政子
三人目は、さらにあとの時代、十三世紀になりますが、北条政子という女性です。彼女は、日本最初の武家政権である鎌倉幕府の最初の将軍、源頼朝の妻でした。頼朝が死んでから、尼将軍≠ニ呼ばれて、幕府の政治の中枢をにぎりました。
ただ形だけの中心ではないのです。当時、京都の天皇政権が幕府打倒の戦争を決めて、鎌倉に攻めかかろうとしたことがありました(永久の乱)。鎌倉武士は大変動揺したのですが、その時、集まった武士たちを、声涙ともにくだる大演説で叱咤激励して立ち上がらせ、ついに天皇政権の軍を打ち破ったのは、尼将軍政子でした。文字通り大変な実力者でした。
こうした事情も、彼女だけの問題ではありませんでした。同じ武家社会でも、後代とは違って、当時は、女性でも、土地や財産をもつ権利がありました。鎌倉幕府には、いろいろな地方を支配する地頭という重要な役職がありましたが、それに任命された女性もいました。このように、女性が一人前の権利をもつ存在として認められていたことの、きわだった現れが、尼将軍政子だったのです。
こういう状態がどこで変わったのか。歴史家の研究によりますと、南北朝内乱というものがあった十四世紀以後のようです。そして、それが最後には、江戸幕府と明治以後の専制政治のもとで、がんじがらめの女性差別の体制に仕上げられてゆきます。
──略──
次に、現在の世界と日本で、女性の権利確立、差別打破の運動がどこまで進んできたかを考えてみたい、と思います。
まず世界です。
法律上の平等という点では、二十世紀はたいへんな躍進を記録した時代でした。二十世紀のはじめには、女性が参政権をもっていたのは、国としては、ニユージーランド一国だけでした。しかしいまでは、世界中で、女性が参政権をもたない国はほとんど見当たりません。それだけの大変化が起きました。
それにくわえて重要なことは、世界の大部分はまだ資本主義の段階にあるのに、エンゲルスが間題にした社会的平等の実現が、いまや世界的な課題になってきた、ということです。
一九七九年、いまから二十三年前に、女性差別撤廃条約というものが、国連総会で採択されました。この条約のなかには、百二十年前に、女性の社会的平等のためにこれが必要だとエンゲルスが強調した目標が、国際条約の取り決めとして、うたわれているのです。
──子どもを育てることには、男も女も、社会全体がともに責任を負う必要がある。
──社会と家庭で、男が伝統的にになってきた役割を、女性の役割とあわせて変更することが、男女の完全な平等のためには必要である。
──親が家庭への責任(家事・育児)と、職業上の責任および社会活動への参加とを両立できるように、必要な社会的サービスの提供、たとえば保育施設のネットワークの設置などを、国が促進してゆく必要がある。
こういうことが、条約のなかに、明文で書きこまれているのです。
前にお話ししたように、エンゲルスは、そういう社会的仕組みの実現は、資本主義の段階では無理だろう、社会主義になってこそ見通しが開ける、という考えを述べていました。ところが、女性差別撤廃条約では、その課題が、すでに資本主義の段階で世界の共通課題として打ち出されるにいたったのです。
私は、この条約が結ばれたとき、女性解放の運動が、社会の変革の運動を追い越した、そう言ってよいほどの意味があると思って、条約の内容を読みました。
(不破哲三著「ふたたび「科学の目」を語る」新日本出版社 p110-118)
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◎「女性解放の運動が、社会の変革の運動を追い越した、そう言ってよいほどの意味があると思って」……と。