学習通信051003
◎いろいろなことがわかった……

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女性についての断章

話のいとぐち

 何かを書こうとして、なかなか焦点が定まらず、「どうしよう」と相談したら、映画や小説のなかに出てくる魅力的な女性像について書いたら、といわれた。とたんに、私のなかのあまのじゃくが頭をもたげて、「そんなふうにいうと、映画や小説のなかにしか魅力的な女性がいないみたいだな」といったら、「そんなら現物でやってみろ」といわれた。

 よし、それならばそうしてみよう。それも、現物自身に自分を語らせよう。というわけで、ひらめいたのは、前回にもひきあいにだした〈自分〉についてのアンケートだった。

 たまたまきょう、ある演劇研究所で同じアンケートを試みたばかりだった。無作為にそのうちの一枚をひきだしてみると、幸い女性で、しかも前回はとりあげえなかったハイティーンのものだった。その全文をつぎに書きぬいてみる。

 あるハイティーンの自己描写

問 〈自分〉〈私〉というものについて考えたことがありますか?
答 ある。

問 考えはじめたのはいつごろ、どんなきっかけから? また、いま考えるのはどんなとき?
答 中二のころ、家庭のなかがゴタゴタしていたときで、おとなのずるさみたいなものがいやになって、そのころから。いまふと考えだしたりするのは、やはり落ちこんだときが一番みたいだけど……ほかに、本を読みおわったときなど。

問 〈自分〉とは、〈私〉とは何ですか。〈私は……である〉という要領で、思いつくままに一〇項目あげてください。
答 私は子どもである。私は弱虫である。私はアリ地獄にはまったアリである。私はなにか探している。私はつねに存在を示したいと思っている(しかしできない)。私は鳥のように飛びたいと思う。私は猫である。私は熱いかたまりである。私は冷たい氷である。私は息をしている。

問 〈私の仲間とは……である〉という要領で、思いつくままに書いてください。
答 共に行動する。私を理解してくれる。私を批判してくれる。私をしかってくれる。私をうけいれてくれる。私も相手にたいしてそうできる。遠慮がいらない。とはいっても、親しきなかに礼
儀あり。つねに一対一、一対一……それがとけてまざったようなもの=一つ=仲間。発展がある。笑いがある。素直になれる。すばらしいもの。個としてみとめ、かつみとめられる。やすらぎの場であり、たたかいの場である。

問 〈私の社会とは……である〉という要領で、思いつくままに書いてください。
答 底なし沼と、なにもきこえない部屋と、静かな草原みたいなところと、晴れた空、それが私のまわり(社会)です。

問 〈未来の私とは……である〉という要領で、未来の自分について書いてください。
答 足が宙に浮くほど輝く高いところまでのらせん階段を登ってるんじやないかしら(but、下の方でころんでたりして……)まだよく見えないしわからないけど、つねになにか探していると思います。性格ですから。

問 いまの〈自分〉にとって大切なこと(もの)を三つあげてください。
答 素直になること。新鮮な空気。目の前を見ること。(それから同期生のみんな)

竜の足

 以上を読みあげて、「どうだ、文旬あるか」といったら、「文句ない」という返事だった。そこで「どんなふうに文句ないのか」とたたみかけたら、「それを書くのがお前の什事だ」と返された。もっともなので、以下、蛇足をくわえる。

@自分を完了形でとらえていない。進行形でとらえている。そこが魅力で、そこがすばらしい。現在の自分と未来の自分との対比がすてきだ。そして、そんな未来へのつながりを自分の現在のなかに感じとっていることも。

A仲間のとらえ方がすばらしい。「共に……しあう存在」として仲間がとらえられている。その「……」の中身もすばらしい。自分もこの人とそういう仲間どうしでありたいと感じさせられてくる、そういう魅力がある。

B「底なし沼」には橋をかけろ。舟をうかべろ。「なにもきこえない部屋」には窓をうがて。「静かな草原」を嵐がおそい、「晴れた空」を黒沢がおおうこともあるだろうが、「輝く高いところまでのらせん階段」はその黒雲をつきぬけてそびえ、そこをこの人はのぼりつづけているだろう──そんなふうに思えてくる、そんな魅力がある。

──やっぱり蛇足だったみたいだ。それはわかっていた。だから、はじめからそうことわったのだ。でも、蛇にはない足が竜にはある。あることになっている。そして私は、彼女のなかに未来の竜を見たいと願っている。
(高田求著「新人生論ノート PART U」新日本出版社 p180-182)

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日記を書いてみない?

 みんなの中に、日記書いてる人って、どれくらいいるのかな。私は……このあいだまで日記なんて書いたことなかった。毎日、なにかを少しずつするのが、とても苦手なのだ。だから、小学生のときの「夏休みの日記」とか中学生のときの「読書日記」なんて、ものすごく苦労した。だいたいは出す前の日に一気に書いてごまかしてたけど。

 そんな私も二年間、日記を書いていた。インターネットを使ったメールマガジンというのをやることになり、そこで「今週の私」みたいな一週間分の日記を載せていたのだ。今はそのメルマガがなくなってしまったが、日記は個人的につけている。

 メールマガジンって、自分で始めるまであまり知らなかったんだけど、とてもおもしろいシステム。基本的には「たくさんの人にいっぺんに送る電子メール」と考えてくれればよい。ホームページだったら、利用者が「あのページ見てみようかな」と自分でその気になってURL(ホームページのアドレス)を入力したりして見なければならないけれど、メールマガジンは向こうから送られてくるのを読むだけだから、気軽だよね。

 それに、なんだか自分だけに送られてきたような気になってちょっとうれしい。私も、白分でメールマガジンの発行を始めてからほかの人のもいくつか取り始めたんだけど、届くたびに「お、来た来た」って感じになる。もちろん、いろいろな人がいろいろな内容や形式のメールマガジンを書いているんだけど、私は日記を中心にしたエッセイを毎週一回、送ることにしていた。正直言うと、「何を書こうか?」と毎回、考えることができないので、「よしっ、日記だったら書くことがなくて困るってことはないだろう」と思ったわけなんだけど。

 生まれて初めて日記をつけてみると、いろいろなことがわかった。白分って一日に何回も落ち込むんだなあとか、「まあ、いいや」って思う回数が異常に多いんだなあとか。ダラダラしている時間が人に比べて多いんじゃないだろうか、と薄々気づいてはいたけれど、それも改めてよくわかった。

 ……というように、私の場合はあまりよい発見はなくて、「やっぱり私ってダメなやつなんだ」という発見がほとんどだったわけだが、それでもそのことがはっきりわかってちょっと気持ちがラクになった。日常のおつきあいでも、人に自分の欠点をかくさずに「私はすぐなまけるタイプなので、ビシビシ言ってください!」と言えるようになったし。

 ……私は人の心の問題を考える精神科医だけど、自分の心のことはぜんぜんわからなかったんだなあ、とびっくり。私みたいに「日記なんて苦手」という人は、そのうちインターネットで「日記メールマガジン」やってみるといいかも。今は、けっこう簡単に発行できるみたい。きっと「えっ、私ってこういう人間だったんだ。意外だなあ」という発見があると思う。私みたいにダメな自分≠カゃなくて、きっとステキな自分≠フ発見もあるはず。自分で自分を見つけるための日記、始めてみない?
(香山リカ著「10代のうちに考えておくこと」岩波ジュニア新書 p146-148)

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◎「そんな未来へのつながりを自分の現在のなかに感じとっている」と。