学習通信05101516 合併号
◎木のクセを見抜いて……

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 だから、氏が問題にしているのは、もろもろの原理であり、外界からではなく思考のうちから導き出された形式的諸原則であって、この諸原則は自然と人間界とに適用されなければならず、自然と人間とは、つまり、これを基準にしこれに従わなければならないのである。

しかし、どこから思考はこの諸原則を取ってくるのか? 自分自身のうちからか? そうではない。

と言うのも、デューリング氏自身、純粋に観念的な領域は論理的図式と数学的形象とに限られる、と言っているからである(この数学的形象うんぬんは、おまけに──あとでわかるとおり──間違いである)。論理的図式は、ただ思考形式にしかかかわりえない。

ここで問題になっているのはしかし、ただ存在の、外界の、諸形式だけであって、この諸形式は、けっして思考が自分のうちから汲みとり導き出すことができるものではなく、思考はそれをほかならぬ外界から汲みとり導き出すほかはないのである。こうなるとしかし全関係があべこべになる。すなわち、諸原理は、研究の出発点ではなくて、研究の最後の結果である。

自然と人間の歴史とに適用されるのではなくて、そこから抽象されるのである。自然と人間界とが諸原理を基準にしこれに従うのでなくて、諸原理は、ただ自然と歴史とに合致する限りでだけ正しいのである。これが、この問題のただ一つの唯物論的把握であって、これと反対のデューリング氏の見解は、観念論的であり、事柄を完全に逆立ちさせて、現実の世界を、思想を材料に、すなわち、世界のできる前からどこかに永遠の昔から存立している図式なり幻影なりカテゴリーなりを材料に、こしらえる、──ヘーゲルとやらとまったく同じに。
(エンゲルス著「反デューリング論 上」新日本出版社 p52-53)

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第1章 千三百年のヒノキ

 わたしに何か話せゆうても、木のことと建物のことしか話せませんで。
 しかし、いっぺんにはむりやから少しずつ、いろんなこと話しましょ。
 自分のこと話すのはいややけど、宮大工とか法隆寺や薬師寺の棟梁いうのがわたしの仕事だといっても、何するのかわかりませんでっしやろ。
 そのことから話しましょか。

 棟梁いうものは何かいいましたら、「棟梁は、木のクセを見抜いて、それを適材適所に使う」ことやね。
 木というのはまっすぐ立っているようで、それぞれクセがありますのや。自然の中で動けないんですから、生きのびていくためには、それなりに土地や風向き、日当たり、まわりの状況に応じて、自分を合わせていかなならんでしょ。例えば、いつもこっちから風が吹いている所の木やったら、枝が曲がりますな。そうすると木もひねられますでしょう。木はそれに対してねじられんようにしようという気になりまっしやろ。こうして木にクセができてくるんです。

 木のクセを見抜いてうまく組まなくてはなりませんが、木のクセをうまく組むためには人の心を組まなあきません。

 絵描きさんやったら、気に入らん絵は破いてまた描けばいいし、彫刻家だったらできそこないやったらこわして作りなおせます。しかし、建築はそうはいかん。大勢の人が寄らんとできんわな。だから、できそこないがあってもかんたんに建てなおせません。そのためにも「木を組むには人の心を組め」というのが、まず棟梁の役目ですな。職人が50人おったら50人が、わたしと同じ気持ちになってもらわんと建物はできません。

 実際の仕事は、設計から選木、木組み、立てあげ、とこうなるわな。ところが、こういうふうに全部やるのはわたしだけや。今は設計は設計事務所、積算は積算屋がやりますやろ。分業になってますわな。

 わたしは法隆寺の棟梁です。代々法隆寺の修繕や解体を仕事にしてきたんです。昔は『宮大工』とはよばずに『寺社番匠』と言っていたそうです。これが明治の廃仏毀釈政策をさかいめに社より上にあった寺がなくなり、『宮大工』と呼ばれるようになったんです。

 法隆寺の棟梁いうても、毎日仕事があるわけではありませんで。用事のないときは農業やっとったんです。わたしの生まれた西里という村は、法隆寺のための木挽きや左官、瓦屋、大工がおった所ですが、法隆寺ばっかりでは食えませんので、みんなやめていって、わたしだけですわ残っておるのは。仕事ないときはお金もらえるわけやないし、お寺さんの仕事したからゆうて高いお金もらうわけやなし、しかたありませんわな。

 なぜ半分農業しておったか言いますとな、宮大工は民家は建ててはいかん、けがれると言われて雲りましたんや。民家建てたものは宮大工から外されました。ですから、用事ないときは畑つくったり、田んぼ耕しておりました。今はそんなことはないでしょうけど、わたしは、法隆寺の最後の棟梁という誇り守って民家つくらんようにしよう思ってます。それで自分の家もほかの人に作ってもらいました。

 それじゃあ、ふつうの大工と宮大工どこが違ういわれましたらな、ふつうの大工さんは坪なんぼで請け負うて、なんぼもうけてと考えるやろ。わたしらは堂や塔を建てるのが仕事ですがな。仕事とは『仕える事』と書くんですわな。塔を建てることに仕えたてまつるいうことです。もうけとは違います。そんだけの違いです。そやから心に欲があってはならんのです。彫刻する人が仏さん彫るとき、一刀三礼といいますわな。わたしたちは『一打ち三礼』ですな。『千年もってくれ、千年もってくれ』と打つわけですわ。

 無になって伽藍建てるわけですな。ですから、どんな有名なお寺見てもらっても、棟梁の名まえなんて書いてありませんでっしやろ。自分が自慢になるからせなんだんや。とにかく、自分で仏さんにならんと堂を作る資格がない、神さんにならんとお宮さんやる資格がないと言われてます。

 堂や塔を作る技術というのは、細々とひきつがれてきたんです。なにもわたしらが、新しく考えたのとはちがいます。

 飛鳥時代の工人たちがやったこと、そのまんまやろうとしてるんですが、それができませんのや。

 例えば、薬師寺の西塔を作ったわけですが、宮大工ゆうてもわたし一人ではなにもできません。それで、全国から寄ってくるわけです。地方から寄ってくるような人は腕に自慢の人ですわ。塔やってみよう、堂やってみようという気持ちで来ますな。そういう人はクセが強いわな。木とまったく一緒や。

 ところが木は正直やが、人問はそやない。わたしの前ではいい顔してるけど、かげでどう働いているかわからん。だから、木組むより人を組めといったんですな。

 そこへいくと飛鳥の大工はえらかった。なにせやね、仕事が早い。今の人は便利な工具持ってるくせに時間がかかるわな。薬師寺でもそうですわ。飛鳥の時代に、七堂伽藍全部とほかに14棟の建て物つくったんですが、それが14年でっせ。わたしらは19年かかってやっと金堂と西塔と中門しただけですわ。昔は工具かて今のようなもんやなくて、全部人の手でやったんでしょう。優秀な人がたくさんいたんですな。総棟梁が一人で、「おまえ西塔やれ」「おまえ東塔やれ」言うだけででけたんや。今はできませんわ。
 昔の人は立派です。

 こうやって法隆寺のように千三百年前の建て物がちゃんと建っておるんですから。どこも間違うておりません。それだけの人がおったんですな。わたしは、よく人に言われます。こうして堂や塔建てられてうれしいでしょう、って。

 でも、うれしくありませんな。と言いますのは、これが建築物やのうて、彫刻や絵画やったら精根こめてやれば得心しますよ。ところが、何十人ちゅう人が集まって、それも大工だけやなくて左官も屋根屋もみんなおりますやろ。はたして、ほんとのものができるか疑わしいがな。自分ではこれ以上のことはできんと思ってますけどね、飛鳥のように名人ばかりが、ずっとやってるわけやないからね。疑わしいわ。

 この5年か10年のうちに大きな地震でもあって、東塔が歪んで、西塔がちゃんと建ってたということになれば、仕事やったなと得心できるけど、さもない限りは、もしも東塔がまっすぐで西塔が歪んだとなれば、もう腹切らなならんわ。ここの西塔は今、基壇が高くなって塔も一尺高くなってるけど、五百年もたつと東塔と同じぐらいまで沈むんですわ。そして千年たって東塔と並んで西塔が建っておりましたら、ええですがな。

──略──

 すごいのはヒノキのそうしたよさに千三百年前の人が気がついていたってことです。とにかくね、法隆寺を解体しましてね。屋根瓦をはずすと、今まで重荷がかかっていた垂木がはねかえっていくんです。そこで、われわれ大工の間ではね、樹齢千年の木は堂塔として千年は持つと言われてるんです。それが実証されたわけです。

 しかし、その樹齢の長いヒノキが日本には残ってませんのや。わたしらが法隆寺や薬師寺の堂や塔を建てるためには、台湾までヒノキを買いにいかなあならんです。なさけないことですよ。
 しかし、ヒノキならみな千年持つというわけやない。木を見る目がなきゃいかんわけや。木を殺さず、木のクセや性質をいかして、それを組み合わせて初めて長生きするんです。

 口伝では「堂塔の木組みは寸法で組まずに木のクセで組め」ということも言っております。

 木のクセは木の育った環境で決まってしまうんです。そのクセを見抜かなくてはいかんわな。木というのは正直でね、千年たった古い木でも、ぽっととれば右ねじれは右にねじれてますよ。人間と大分違いまっせ。人間は朝に言うてることと夕方すること違うけどね、木というのは正直です。千年たっても二千年たってもうそつきませんわ。動けない所で自分なりに生きのびる方法を知っておるでしょ。わたしどもは木のクセのことを木の心やと言うとります。風をよけて、こっちへねじろうとしているのが、神経はないけど、心があるということですな。

 そのだいじなヒノキが、今の日本にはなくなってしまったんですな。今、日本で一番大きいのが木曽の四百五十年。これでは堂も塔もできません。木がなくなったら、細々とうけついできた木の文化もなくなってしまいますな。とにかく千年かからんとものにならんのやから、個人ではあきませんわ。中曽根サン縁ミドリ言うてるけど、山の木のこと言うてるのとはちがうような気がしますな。あの人の言うとる緑は楠本鉢のミドリとちゃうかと思います。ほんとの緑いうのはあんなもんとちがいますがな。もっと長い目で見なあきません。

山というのは、わたしども人間のふところやと思います。人間でいえば母親のふところやと思います。人間というのは知恵があって、すぐれた動物やから、なんでも自分の思うようにしようとするけどね、そんなの自然がなくなったら人間の世界がなくなるんです。そう考えたら、木も人間もみんな自然の分身ですがな。おたがい等しくつきあうていかなあきませんわ。それが、むやみに切ってしもて、もう使えるヒノキは日本にはありませんのや。

 今になって、緑や、自然やゆうても……。ところが、このことにお釈迦様は気がついておられた。「樹恩」ということを説いておられるんですよ、ずっと大昔に。それは木がなければ人間は滅びてしまうと。人間賢いと思ってるけど一番アホやで。動物は食う量にしても、木や自然とうまくつりあっとる。それが人間はすぐ利益をあげようとする。昔の人は木はヒゲと同じように思おてたんや。伐ってもええ、はやしてもええと。今は金のためならなんでも伐ってしまう。これじゃ木はなくなりまっせ。

 みんな生産、生産ということよく言いますけど、鉄を生産した、石油を生産したいうても、あれは地球の中から出しただけですがな。ですけど、農山林資源はほんとうに作り出すんや、太陽の光合成でね。一粒の米から何十石という米ができるんや。それなのに日本は工業立国なんていいますが、工業じゃ立国できません。

農業立国やないとあきまへん。でないと滅びます。アメリカはそれをよう知っとる。自分の農業を守るためにオレンジ買わし、小麦買わしてる。日本は工業立国で自動車こうてもらわんといかんと言うとるけど、これはどういうことや思います。日本の血と脂を売ってるようなもんです。自然を忘れて、自然を犠牲にしたらおしまいでっせ。自動車売ってもうけた金を、農山林業にかえさんと、自然がなくなってしまいます。

 これは、近ごろの人が自然を尊いものと考えておらんからやね。おじいさんやおばあさんに、朝おきると太陽を拝み、空気があるんで生きてられる、ありがたいいうて拝まされたもんや。

 今は、太陽はあたりまえ、空気もあたりまえと思ってる。心から自然を尊ぶという人がありませんわな。このままやったら、わたしは1世紀か2世紀のうちに日本は砂漠になるんやないかと思います。

木を知るには土を知れ

 自然の木と、人間に植えられて、だいじに育てられた木では、当然ですが違うんでっせ。
 自然に育った木ゆうのは強いでっせ。なぜかゆうたらですな、本から実が落ちますな。それが、すぐに芽出しませんのや。出さないんでなくて、出せないんですな。ヒノキ林みたいなところは、地面までほとんど日が届かんですわな。

 こうして、何百年も種はがまんしておりますのや。それが時期がきて、林が切り開かれるか、周囲の木が倒れるかしてスキ間ができるといっせいに芽出すんですな。今年の種も去年の種も百年前のものも、いっせいにですわ。少しでも早く大きくならな負けですわ。木は日に当たって、合成して栄養つくって大きくなるんですから、速く大きくならんと、となりのやつの日陰になってしまう。日陰になったらおしまいですわ。

 何百年もの間の種が競争するんでっせ。それで勝ち抜くんですから、生き残ったやつは強い木ですわ。でも、競争はそれだけやないですよ。大きくなると、少し離れてたとなりのやつが競争相手になりますし、風や雪や雨やえらいこってすわ。ここは雪が降るからいややいうて、木は逃げませんからな。じっとがまんして、がまん強いやつが勝ち残るんです。

 千年たった木は千年以上の競争に勝ち抜いた木です。法隆寺や薬師寺の千三百年以上前の木は、そんな競争を勝ち抜いてきた木なんですな。

 いちがいには言えませんけど、50mの木の高さやったら、50m下まで根が入りこんでると言われてます。枝が幹から10m横にのびたら、根も横に10m根を張ってると言われます。

──略──

 土地によって木の性質が決まってくるんです。間違いありません。
 それから言うんでしょうな、「木を知るには土を知れ」と。
 せっかく、良く育った木でも伐る時期を間違えたら皆目あかんのですわ。ヒノキでも落葉樹のブナも、竹でも伐るときというのがあるんです。

 昔からわたしらの間では「木6竹8」と言ってます。
 木は6月、竹は8月に伐れというんですな。昔のことですから、この6月や8月というのは旧暦のことです。6月といったら、太陽暦でいえば8月です。この時期を過ぎると、木が越冬の準備をするわけですな。そのときに伐るんです。養分を充分吸いとって、これからみのり出すというときです。サケやったら筋子が腹に入ってるときがうまいでしょ。あれと同じことです。

 竹の8月は、8月(今の10月)の闇に伐るということです。月夜のときに伐ったらあかんのや。そうせんと虫が入る。

 竹はわたしらからみるとおもしろい材ですな。木よりも草に近い気がしますが、あれでも使い方によっては長いこともつんでっせ。壁のコマイとして使ったら八百年は大丈夫ですよ。しかし、最近は壁のコマイに竹使ってるとこありませんやろ。ベニヤ板にコンコン穴あけてトロトロ流してるだけや。

 今の大工は耐用年数のことなんか考えておりませんで。今さえよければいいんや。とにかく検査さえ通れば、あすはコケてもええと思っている。わたしら千年先を考えてます。資本主義というやつが悪いんですな。利潤だけ追っかけとったら、そうなりまんがな。それと使う側も悪い。日先のことしか考えない。
(西岡常一著「木に学べ」小学館 p9-23)

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◎「自然と人間界とが諸原理を基準にしこれに従うのでなくて、諸原理は、ただ自然と歴史とに合致する限りでだけ正しいのである」と。