学習通信051020
◎男心の慣習に描き出された女心……
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女性についての断章(3)
えらぶ権利?
ある市職の春闘学習会で話をしたあとのこと。学校給食のおばさんたちにとりかこまれた。「先生の話、面白かったから、こんど私たちと飲む機会をつくってくれ」というのだった。へどもどしていたら、一人のおばさんが惘然としていった。「そりゃ、先生だって、相手をえらぶ権利があるからね」
そんなつもりじゃなかったんだ、とさらにへどもどした──という話をしたら、前回とりあげたのはハイティーンの女性、前々回でとりあげたのは二十三、四歳の女性、やっばり相手をえらんでるじゃないですか、といわれてしまった。
そこで、もう一回、魅力的な女性についての話。あの市職のおばさんたちとの飲み会はけっきょく実現しなかったので、そのおばさんたちについて書けないのは残念だが、別の学校絵合のおばさんのことを書きたい。
ビザがおりない
それは、勤労者通信大学の全国スクーリングでのこと。最後の全国集会で、哲学教室の受講生を代表して感想発表をしたのが彼女だった。
「職場旅行なんかだったら、私の家でもビザが出るんです」と彼女は語りはじめた。「でも、学習会なんていうと、どこかの大統領みたいに、ビザを出さない、というんです。私がこんな勉強をするのにそもそも反対で、いろいろ妨害が入るんですけれども、いま大学一年の息子が私をとてもはげましてくれて、それでいろいろ工夫して、こちらへ参加することができました」
つづけて彼女は職場の状況について語った。「毎日、朝から長靴はいて、大きなゴムの前掛けをかけて、湿度九〇パーセント、温度が三〇〜四〇度のなかで働いています。いつもそういう姿で、おふろのような大きなお釜のなかに入っている野菜や肉を、自分の背丈ほどもあるような大きなしゃもじでかきまわすような仕事です。大きな食缶をぶらさげたり……」
そんななかにいていつのまにか、勉強なんてことからはすっかり縁遠くなってしまった。夜、食事の後片づけがおわってから本をひらいても、一ページもいかないうちに、もう眠くなってしまう。そこで、朝勉強することにきめた。もう老眼がはじまっているけれど、朝は目がよく見える。そこで、朝四時に起きて、起きたばかりはまだ頭が少しぼんやりしているので、少し体操したり、食事の支度をしたりしたあと、一時間くらい勉強している。―そう彼女は語った。
わが家の原石
なぜ、そんなに勉強するのか、それについても彼女は語った。
「親友に二年越しすすめられ、ことわりきれなくなってはじめたんですが、自分がその気になると人にもすすめたくなる性質なものですから、職場や地域の友人をさそって、いっしょにやっています。家庭の主婦もふくめて、女性が勉強して賢くなることが、男性がほんとうに幸せになるうえでも絶対に必要なんだと思っています。きのうの先生のお話のなかに、労働者は原石だ≠ニいうのがありましたが、職場のなかで、与えられた仕事をできるだけ体を疲れさせないようにやればいいんだといっているような仲間も、みがきようで必ず光り輝く宝石になるんだなあと思いました。そして、そこにもここにも原石がいっぱいころがっている、地域にもころがっている、そしていちばん身近なわが家にも原石がころがってるんだなあと思いまして、そのみがき方をこれから一生けんめい勉強しようと思いました……」
彼女の話は終始会場の爆笑を呼びながら進行し、終わったときは満場の拍手で包まれた。
男たるもの
先日、そのスクーリングで講師・助言者をつとめたものの何人かが集まって「男のひととき」をもったが、期せずして彼女のことが話題になった。
「あの女性の発言、すばらしかったなあ」とAがいった。「こんな大勢の前でしやべるのははじめて、といってたけれど、じつに堂々としていて、しかもでユーモアがあって……」
「表情をふくめて顔もすてきだったよ」とBがいった。無粋者のおおい哲学風のなかにあって、このBは、女性の美しさをあくことなくたたえつづける、それだけに批評もしんらつな存在であるだけに、この批評には千鈞の重みがあった。
彼女の提出した第一回テストの答案を私は思いだした。それは添削のため、たまたま私のところにまわってきたのだが、たしか、じつにりっぱな出来ばえだったと思う。が、それ以上に私の心に焼きついたのは、感想欄に書きそえられた文章だった。「男性がほんとうに幸せになるためにも女性が賢くならねば……」ということを重ねて記した上で、「あくまでやさしさをもってわが家の原石を包み、その光りがあらわれるようにしていきたい」という趣旨のことが述べられていた。
こうまでいわれては、男たるもの、発奮せずにはおれないではないか!
〔付記〕その後、ある集会で彼女に出あった。「給食のおばさん≠ネんて言い方には返事しないことにしてるんだけど、まあ許してあげます」と彼女はいった。
(高田求著「新人生論ノート PART U」新日本出版社 p184-187)
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一九四〇年 三月三十日
巣鴨拘置所の顕治から目白の百合子宛
いそがしいことだろう。手紙先週の分まだ届かないだろうか。二十日に中野君、二十三日そちら、二十六日弁護士さん、二十八日島田という順で書いている。春日遅々で慢慢的というところなのだろう。
書物昨日若干送った。足袋きのう届いた。多賀子の勉強のこと、本人と野原の希望をたしかめて、折角の在京中を有意義にすることは大変良いことだし、洋裁でも何でも身につくようにしてやることは結構だと思う。島田には、多賀子がいてくれることは、百合子にも非常に手助けとなり、仕合せな位で、決して負担ではないのだからと僕からも書いておいた。
栄さんと稲子夫人の本おいていたら送ってみてくれてもいい。『暦』は注文してみたが未だ入って来ない。
『現代』に高見順、女流作家について書いている。女らしいとか女らしくないとかいう見方、「女らしさ」というものについての形而上学的な観念が漠然と支配しているのだね。つまり資本蓄積論や経済学入門の著者は、「女らしく」ないという風な。現代人らしい物言いをする人の中にも、こういう点で封建的な世界に近接していることを示すのは面白い。婦人作家が真に学問を体得するほど、作品も広く深い現実に徹する力を持ち得るので、さもない限り日常的な現象的話し手に止るものだ。バックの作品の基礎には、彼女の体験のみでなく、やはり相当の文化的教養があって限界性はあっても、それが作品に私小説でない広い性格を与えている。
健康に注意して日常的持続的によく勉強ができるように。
一九四〇年 四月六日
目白の百合子から巣鴨拘置所の顕治宛
きょうはうすら寒いけれども空気が快い日でした。さっき寿江子を送りがてら買物に目白の通へ出たら桜が開いている空の上に、綺麗な星のきらめいているのが大変美しゅうございました。今桜は殆ど咲きものこらず、散りもそめず、というところです。この辺は桜があちこちにあって、毎朝上り屋敷のところへ立って、いろいろな桜の色をみます、特に風情のあるのもあったりして。
国府津で青銅の花瓶にさしてソファーのよこの長テーブルに飾ってあった山桜の花、覚えていらっしゃるでしょうか。枝のつやが何とも云えず新鮮で、本当に桜の校という心持がしたのを思い出します。上落合の家の二階から、ぼってりした八重桜がうるさく見えたのも、きっと手紙に書いたでしょうね。今年は何だか桜もこまかに目に映ります。面白いものね。去年の今頃は、花もあまり目につかなかったのかしら。
さて三十日以来の手紙となりました。三十日のお手紙二日に頂きました。これは大変順調の早さに近づきました。
多賀ちゃんもいろいろに考えているようです。そして今は女学校教師になれる検定をとりたい希望ですが、何しろ高等女学校を出ていないので、その前に一年ぐらい実科高等女学校か夜間で高等女学校の資格をもっているところに通って、そこを出てから検定をうけるなら受けなければならないというわけです。四年の最後の学年一年やるわけですが、それへの編入試験をうけるには、英語や国語やその他の勉強がいるので、先ずさしあたり国語を、友達で専門学校の国文科出の女のひとについてやることになり、次の月曜から通いはじめます。
多賀ちゃんもいろいろ迷うのでしょう。廿六七にでもなると、資格があってのことなら一向かまわないが、何もなしでそれは困るという工合。田舎では出来のいい子として通っていたし、自分でもそう思っているし、自分の力を一杯にやってみるのもよいでしょう。
女の子というもの、そして何かはっきりしたものをつかんでいない子、しかも何か心にもっている子、というものは日本ではなかなか困難しますね。そのことについては同情いたします。
『現代』の高見順の文章よみませんでした。でも、丹羽文雄にしたって誰だって、全く云われている通りよ。その点で本当に新しい人は殆どないでしょう。そこに彼等の現代性が寧ろあるのではないでしょうか。云うところの現代性というものは、そのとなりに何を持っているか、隣りとの間にどんな思想の廊下をもっているかと考えれば、合点がゆくし──。文芸のつづきの仕事のなかで、丁度そのこと考えていたところでした。
×や△というような作家たち(婦人の)は、進歩しようとする意欲に立った文学の動きに、はっきり自分を対立させて出た人たちです。男心の慣習に描き出された女心をポーズとした人たちです。それなら何故横光や小林のようにその文芸理論をふりかざしてたたかわないかということ、ね。これは大変面白いところです。ジョルジ・サンドやマダム・ド・スタエルのないのはなぜか。
日本の明治以来を見たって、一葉にしろ晶子にしろ、自然発生に彼女たちの芸術境をつくったのであって、既往の文学理論に対して新たなものを樹てたのは、一葉の時代は文学界のロマンチストたちであり、晶子のは鉄幹です。女が男と共に文学上の責任をとっていなかったのが歴史です。だから近代に到ると、そのおくれたところを逆に自由職業的につかって、女の作家というところで、文学運動などとはかけかまいなしに、いきなり文学の購買面と結びついてゆく。そのことを、進歩をめざす文学では共通な人生への態度とともに、共通な文学理論をもって女もその文学の成長のためには責任を自覚して動こうとしたことと対比させて書いたところでした。
いつかあなたが下すった手紙の中に、ユリだって一人の婦人作家として片隅に存在して来て云々とありましたの、覚えていらっしゃるかしら。私は実はあのときは(二年前ぐらい)大変くやしいと思ったの。あなたは私を一つピッシャリやったような、ということ知って書いていらっしゃるのかしらと思いました。けれども、今自身で歴史的に見わたせて来ると、そのことが私の主観にどのようにくやしかろうと、客観的にはそのとおりであったと思われます。(しかし、又その片隅の存在と云われていることの内容として、たとえ片隅の存在であろうとも、とおのずから微笑するところもあるわけですが)
この婦人作家の、片隅に一かたまり式存在には、いろいろ深い歴史性がありますね。非常にそう思う。一かたまりに片隅に片づけようとする何とはなし男の作家の作家以前、芸術以前のものがつよく作用していてね。それを、又女のくせに、あっち側へまわってしまって渡世のよすがとするものがあったりして。
私いつか勉強というものの底力が大切といっていたでしょう。あのことは具体的にはこういうところにもかかわって来るわけです。本当に女の作家は自然発生的よ。ですからこの現実の中での限度に限られた現象描写に終って、それならばどこで特長づけるかといえば、「女らしさ」で色づけでもするしかないわけですものね。バックのこと、全くそうです。明瞭にそのことはわかります。
前にもこのお手紙と同じ感想をかかれていましたが。あのときより今の方がきっと一層よくわかって来て居りましょう。そして、女の真の女らしさで、女をみていますし。女らしさを、男対女、情痴的な面での姿でだけ見るのも私にはバカバカしい。しなをしなければ色気がないという旧式な観念は、まだまだつきまとって居りますからね。私小説でない性格は、たとえ、自分のことを書いたとしても賦与されていなければならないと思います。少くとも私たちの「私」は。そうでしょう?
(宮本顕治・宮本百合子「十二年の手紙 上」筑摩書房 p200-203)
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◎「女の子というもの、そして何かはっきりしたものをつかんでいない子、しかも何か心にもっている子、というものは日本ではなかなか」と。