学習通信051021
◎さあ、おそれずに……

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 それでも、退屈な授業のあいだ、夕食ができ上がるのを待っているとき、夜寝る前など、少しでも時間があれば私はいろいろなことを考えたり、想像したりしました。身近な家族や友だちのことから、「宇宙の果てはどうなっているの?」という遠くのことまで。今はちょっとむずかしいことを考えると面倒くさくなって、「まあ、明日にしよう」とやめてしまうことが多いのですが、一〇代のときは「考えづかれ」なんてことはなかったのです。

 もちろん、いろいろなことを考えるのは楽しいのですが、ときには答えが出なくて苦しくなったり悲しくなったりすることもあります。「親友のミヨが最近、冷たいのはどうしてだろう?」と最初から楽しくない問題を考えることもあります。泣きながら朝を迎えた日も、あったような気がします。だから、「あれこれ考えた一〇代はバラ色」とも言えないのです。もう一度、一〇代に戻してあげようか、と神さまに言われたら、私は「えー、あんなに頭や心を使うのは、もうイヤです! ちょっとぼーっとしてるけど、今のほうが平和です」と断るでしょう。

 あれからもう、長い時間がたちました。
 今の一〇代の人たちは、どうなのでしょう。目の前におもしろいことや楽しいことがたくさんあるので、ひとりで考える時間なんてほとんどないのでしょうか。生活に情報もあふれているので、迷わなくても答えはすぐに出るのでしょうか。

 それは違うと思います。一〇代の人たちは、今だっておとなよりずっとずっとたくさんのことを考えたり、悩んだりしているはずです。

 もしかすると、私のころよりも考えることは増えているかもしれません。なぜなら、私の時代はまだ日本全体が「経済的に豊かな世の中になれば、みんながハッピーになれる」と信じていました。だれもが「がんばって働くのはいいこと」「勉強していい学校に入るのは正しいこと」と思っていたので、その点については迷いはなかったのです。

 ところが今の若い人たちは、「いい大学に入ったって、一生懸命、働いたって、それだけで世の中や自分の生活がよくなるわけじゃない」と知っています。「なんのために勉強するの?」「どうして働かなければいけないの?」という、新たな疑問にも取り組まなければならないのです。

 でも、いくら頭がぐるぐるしてもしんどくても、一〇代の人たちはやっぱりいろいろなことを考えたり、悩んだりしてほしい。それは絶対、一生使える宝ものになるから。私はそう思っています。

 この本のもとになったのは、毎日中学生新聞に連載している「香山リカのココロランド」というコラムです。連載では毎回、私が一〇代のときに考えたりつまずいたりしたことを思い出しながら書いています。連載のときは毎日中学生新聞の担当者のみなさん、とくに牧はなさん、高田典子さんに、本にまとめるにあたっては岩波書店ジュニア新書の山本慎一さん、不思議でかわいいイラストを描いて下さったヒロンベリーさんにお世話になりました。悩みの答えがズバリ書いてあるわけではありませんが、ちょっとしたヒントにはなるのではないでしょうか。

 さあ、おそれずに、私といっしょに考えましょう!

(香山リカ著「一〇代のうちに考えておくこと」岩波ジュニア新書 p4-7)

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 最近、上海で出ているある定期刊行物を見ると、すぐれた口語を書くためにはすぐれた古文を読まなければならぬ、という説が述べてあって、その例として挙げられた人名のなかに、私もまじっていた。それは私を戦慄させた。

余人は知らず、私自身は、かつて古い書物をたくさん見たことは、事実である。教師をするために、今でもまだ見ている。そのため、耳に慣れ眼に染みついて、その影響で口語を書くときでも、古書の字句や文体がつい流れ出てしまう。しかし、自分では、こうした古人の亡霊を背負って、脱却できないでいることが苦しくて、つねに悶々としているのだ。

思想の上でも、荘子や韓非子の毒に、時には気まぐれに、時には峻烈に、あてられていないとはいえない。孔孟の書物は、もっとも早く、もっとも多く読んでいるのだが、こちらはあまり影響を受けなかったようだ。

たぶん怠惰からくる理由が大きいのだろうが、

自分勝手の解釈で、事物はすべて転換の途中にあっては、多かれ少かれ中間物を発生するものだ、という弁解を用意する。

動物と植物の中間、無脊椎動物と脊椎動物の中間、すべて中間物がある。むしろ進化の連鎖の上では、一切のものが中間物だとさえいえるかもしれない。

文章改革の発端の時期には、ヌエ的な作家が現われるのは当然である。そうなるより仕方がないし、また、そうなることが必要である。かれの任務は、覚醒の機運に乗じて、ある新しい声を叫び出すことにある。その場合、本人が旧陣営の出身であって、事情に比較的あかるいから、戈(ほこ)を持ちかえて一撃すれば、強敵の死命を制することも容易である。

しかしそれにしても、光陰とともに去って、漸次消滅すべきものではある。せいぜいが橋を組立てている一木一石であって、前途の目標や手本などでは絶対にない。つづいて立つものは、これとおなじであってはならない。天成の聖人でないかぎり、積習はにわかに一掃しがたいとしても、少くとも新しい気風だけはほしい。

文字についていえば、今さら古書のなかに生活を求めるべきではなく、生きている人間の口を源泉として、文章をもっと話し言葉に近づけ、より生き生きしたものにすべきである。

もちろん、今日の人民の言葉の乏しさ、足りなさを、いかに救い、いかに豊かにするかということは、ひとつの大きな問題である。あるいは古文のなかから若干の材料を探してきて、使いこなすことも必要かもしれない。しかしそれは、当面の問題の範囲外だから、ここでは取りあげない。

 私は、もし自分が十分に努力すれば、もっと広く話し言葉を取りいれて、自分の文章を改革できるだろうと思う。しかし、めんどうなのと、いそがしいのとで、まだそれをしない。このことは古書を読んだことと関係があるのではないか、という気が絶えずする。

なぜなら、私は、古人が書物に書いている憎むべき思想が、自分の心にもあることを絶えず感じているし、またそれを一朝にしてふるい落とせるかどうかについて、自信がもてないからだ。私は、いつも自分のこの思想を呪い、後から来る青年にそれがあらわれないことを望んでいる。

去年、私が、青年はなるべく、あるいは全然、中国の書物を読むなと主張したのも、多くの苦痛をもって購った真剣な発言であって、けっして一時の快をむさぼるとか、あるいは嘲弄、または憤激の発言ではないのである。古人は、書を読まなければ愚人になる、といった。それはむろん正しい。しかし、その愚人によってこそ世界は造られているので、賢人は絶対に世界を支えることはできない。ことに中国の賢人はそうである。

現状はどうかといえば、思想上のことはともかく、文辞においてさえ、多くの青年作家は、古文や詩詞のなかから、見てくれのいい、難解な文字を拾い出して、手品のハンケチにして、自分の作品を飾っている。それが古文を読めという説と関係があるかどうかは知らないが、復古の流行こそ、新文芸の自殺行為であることは、見やすい道理である。

 不幸にして、古文と口語の混淆(こんこう)した私の雑集は、ちょうどこの時期に出版される。読者に若干の害毒を与えることになるかもしれない。しかし自分としては、きっぱりと、思いきってそれを毀(こぼ)つことができずに、しばらく過ぎ去った生活のなごりを眺めるよすがにしたく思う。

願わくは、私の作品を偏愛する読者も、単にそれを一個の記念として、その小さな土墳のなかには、かつて生きていた形骸が埋っているにすぎないことを諒解していただきたい。さらに若干の時がたてば、それは塵埃と化し、記念もろとも、人の世から消え去り、私のことも終るにちがいない。

午前も、古文を見ていて、いま陸士衡の曹孟徳を弔う文の数句を思い出したので、ここに引用してこの文の結びとする−

むかしから悪例があるというので 
葬礼の簡素化を命じたのはよい。 
そのくせ遺物の処置に気をつかったのでは 
とんだ後世のお笑い草だ。 
人間の執着のすさまじさは 
これほどの賢人でも免れがたいとは。 
たまたま関係文書を目にしたので 
悲しみをこめてこの文を捧げまつる。 
   一九二六年十一月十一日夜、魯迅

(「魯迅評論集」岩波文庫 p15-18)

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◎「文字についていえば、今さら古書のなかに生活を求めるべきではなく、生きている人間の口を源泉として、文章をもっと話し言葉に近づけ、より生き生きしたものにすべきである」と。