学習通信051031
◎どのように準備されてゆくか……

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1〔生産物と賃金〕

 ウェストン君の議論は、じつは、二つの前提にもとづいていた。すなわち、第一に、国民生産物の額は、ある固定したもの、数学者たちがよく言う不変の量または大きさであるということ、第二に、実質賃金の額、すなわち賃金で買うことのできる諸商品の量ではかった賃金の額は、固定した額、不変の大きさであるということ、これである。

 ところで、彼の第一の主張は、明らかに誤りである。毎年毎年、諸君は、生産物の価値と数量が増加し、国民労働の生産諸力が増大し、この増加する生産物を流通させるのに必要な貨幣額がたえず変動していることに気づくであろう。一年の終わりに、また相互に比較されたさまざまな年にあてはまることは、一年のどの平均的な一日にもあてはまる。国民生産物の額または大きさは、たえず変動する。それは、不変な大きさではなく可変な大きさであって、人口の変動を度外視しても、資本の蓄積と労働の生産諸力とがたえず変動するから、そうでなければならないのである。

たとえ一般的賃金率の上昇が今日おこったとしても、その上昇が、その終局の効果がどうであれ、それだけでただちに生産額を変えはしないであろうというのは、まったく正しい。この上昇は、まず第一に、現存する事態からおこることであろう。だが、賃金が上がる前に国民生産物が可変的であって固定的でなかったら、それは、賃金が上がったあとでもやはりひきつづき可変的であって固定的ではないであろう。

 しかし、国民生産物の額が可変的ではなく不変的であると仮定しよう。そのばあいでも、わが友ウェストン君が論理的帰結だと考えるものは、やはり根拠のない主張であることに変わりはないであろう。

たとえば八という一定の数があるとしよう。この数の絶対的な限界は、この数の諸部分がそれらの相対的な限界を変えることを妨げるものではない。利潤が六で賃金が二であったとしても、賃金は六にふえ利潤は二にへることもありうるのであって、そうなっても総額はあいかわらず八のままである。したがって、生産額が固定しているということは、賃金額が固定しているということを証明するものではけっしてないのである。

それでは、わが友ウェストン君は、賃金が固定していることをどのようにして証明するのか? それを主張することによってなのである。

 しかし、かりに一歩ゆずって彼の主張が正しいとしても、その主張は両面にあてはまるはずである。それなのに彼は、その一方の面しか強調しないのである。

賃金の額が不変の大きさなら、それは、ふやすこともへらすこともできない。だから、もし賃金の一時的な引上げを強要する労働者たちの行動が愚かだというのなら、賃金の一時的な引下げを強要する資本家たちの行動もまた、それにおとらず愚かであろう。

わが友ウェストン君は、一定の事情のもとでは労働者たちが賃金の引上げを強要できることを否定はしないが、しかし賃金額はほんらい固定したものであるから、かならずその反動がやってくるというのである。他方では、彼は、資本家たちは賃金の引下げを強要できるし、実際そうしようとたえず試みていることをも、知っている。

賃金不変の原則に従えば、このばあいにも、前のばあいと同じように反動がおこるはずである。だから、賃金引下げのくわだてや行動に反対する労働者たちの行動は、正しいであろう。だからまた、彼らが賃金の引上げを強要するのも正しい行動であろう。なぜならば、賃金の引下げにたいするあらゆる反対行動とは、賃金の引上げを要求する行動だからである。

したがって、ウェストン君自身の賃金不変の原則に従えば、労働者は、一定の事情のもとでは、賃金引上げのために団結して闘争すべきだということになるのである。

 もし彼がこの結論を否定するならば、彼は、この結論がそこからでてくる前提を捨てなければならない。彼は、賃金額は不変量だといってはならないのであって、むしろ賃金額は上がることはできないし、また上がってはならないが、資本がそれを引き下げたいと思うときにはいつでも下がることができるし、また下がらなくてはならない、というべきなのである。

もし資本家が、諸君に、肉のかわりにジャガイモを、また小麦のかわりに燕麦を食わせておこうと思うなら、諸君は、資本家の意志を経済学の法則としてうけいれ、それに従わなければならないのである。もしある国では賃金率が他の国よりも高いならば、たとえば合衆国ではイギリスよりも高いならば、諸君は、賃金率のこの相違を、アメリカの資本家の意志とイギリスの資本家の意志との相違によって説明しなければならないわけである。こうしたやりかたは、たしかに、たんに経済現象の研究のみならず、他のあらゆる現象の研究をも、非常に簡単にするであろう。

 だが、そのばあいでも、われわれはこう質問することができよう。なぜアメリカの資本家の意志はイギリスの資本家の意志とちがうのか? と。そしてこの質問に答えるためには、諸君は意志の領域のそとに出なければならない。牧師なら私に、神はフランスではあることを、イギリスでは他のことを欲したもう、と告げるかもしれない。

もし私が彼に意志のそうした二重性を説明してくれるよう求めるならば、彼はあつかましくも、神はフランスではある意志を、イギリスでは他の意志をもつことを欲したもう、と答えるかもしれない。しかし、わが友ウェストン君が、いっさいの論証をこのようにまったく否定するような議論をする人ではけっしてないことは、たしかである。

 資本家の意志とは、たしかに、できるだけ多く取ることである。われわれがしなければならないのは、資本家の意志を論じることではなく、彼の力、この力の限界、この限界の性格を研究すること、これである。
(マルクス著「賃金、価格および利潤」新日本出版社 p88-92)

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 近年、急速に進展した経済のグローバル化などの大きな構造変化にともない、企業経営の中長期的な見通しが極めて立ちにくくなっている。こうしたなかで、すでに国際的に高い水準にある賃金について、長期的な固定費の増加につながる一律的な引き上げ・ベースアップを行なうことは、基本的に困難となった。これは経済の構造変化によるもので、逆戻りすることは考えにくく、換言すればベースアップはすでにその役割を終えたといっても過言ではなかろう。

 もちろん、前述のように、経済や企業業績の回復は働く人々の努力の成果でもあるから、今次春季労使交渉においては、業績の回復がみられる企業は、働く人の努力に対して積極的に報いる必要性があろう。その方法は、もっぱら賞与への適正な反映でなければならない。とはいえ、賃金についても、個別企業において各労使の責任のもとで水準を引き上げることは、それぞれの判断において自由であることは当然である。ただし、これについては過去の横並び賃上げ時代の記憶と強く結びついた「ベースアップ」「ベア」という言葉ではなく、たとえば「賃金改定」など、別の言葉を用いることが望ましい。
(日本経済団体連合会「経営労働政策委員会報告 2005年版」 p5-6)

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 科学的社会主義の特質はなにか、と言いますと、第一に、空想家であった先達たちのように願望から出発するのではなく、いま自分たちが生きている現実社会を「科学の目」で分析し、そこから、資本主義の矛盾や害悪を乗り越えた新しい社会形態とは、どんな社会にならざるをえないか、またより高度な社会に前進する条件が、いまの社会のなかでどのように準備されてゆくかを、その「科学の目」で明らかにしました。

彼らはまた、人類社会の長い発展の歴史をふりかえって、資本主義から社会主義への発展が、人類社会の合理的な発展の方向であることも、明らかにしました。
(不破哲三著「科学的社会主義を学ぶ」新日本出版社 p15)

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◎「われわれがしなければならないのは、資本家の意志を論じることではなく、彼の力、この力の限界、この限界の性格を研究すること、これである」と。