学習通信051116
◎忘れるところが面白い……

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 人生にとって健康は目的ではない。しかし最初の条件なのである。何をするにも先ず健康なのである。だから健康の時は人は自分の肉体のことを忘れる。「鞍下(あんか)馬なく、鞍上人なし」という言葉がある。健康の時は、人は肉体を忘れて、自分の仕事をすることが出来る。健康がそこねかけると始めて人は肉体の存在を知らされる。

 歯がいたい時は人は歯の存在を忘れることは出来ない。しかし歯が痛くない時、人は歯を忘れている。ものを食っても味はわかるが歯で噛んでいることは忘れているだろう。食う方にだけ夢中になれる。しかし歯が悪いとそうはゆかない。いやという程歯の存在を感じる。先ずなおすことが必要である。このことは前に書いた。

 健康の価値は病気して始めてわかる。しかし健康になってしまえば、もう健康のことを忘れる。忘れるところが面白いところだ。

 それは人生にとって健康は目的でない証拠である。人間はこの世にしてゆかなければならない使命をもってこの世に生まれたのだ。大事なのはその使命を果すことだ。(使命については後でかく)

 健康が目的ではないのだ。しかし健康でなければ働けない。少なくも健康な程、働くに都合がいい、だから健康は先ず最初の必要条件だ。だから健康をそこねたものは、先ず健康になることが必要である。だからそういうものにとっては健康になること程望ましいことはないのだ。しかし健康になってしまえば、それでその望みは達してしまうのだ。
(武者小路実篤著「人生論・愛について」新潮文庫 p30-31)

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一九四四年二月五日
 巣鴨拘置所の顕治から駒込林町の百合子宛

 二月に入って雪がはじめて降ったね。未だ寒いさかりだが、時に夕方など本をひらいている手が早春を感じることはある。寿江君たちのこと、なかなかのようだが、正月二日の手紙にあったように、自分の生活の主軸を守り、周囲のあれこれに気を乱されないこと。乾布摩擦励行は結構だからどうかつづくように。

床を離れてくらせる位の健康は最少限のものだから、滋養品など活用して、誰にも大して役に立たないような御義理配分はやめて、恢復につとめること。

健康なしでは何の文学的精進ぞや。子規・独歩・啄木など、病気しながら業績を残した人はあるが、健康であれば更に充分の仕事が出来たに違いないことだ。僕も時折、今更のごとく思わざるを得ないことがある。

一日の大半を何も勉強できず過すのは何と大きい浪費かと。それだけに、人が健康に不注意だったり、明白な不養生をしているのをみると感深からざるを得ない。

まして近親の場合においておや。世界や人類の運命に想いをはせ、又学芸の野を開拓しようとするような人が、自己の一個の肉体について驚ろくべきほど知識不足だったら、これまた戯画となろう。ドン・キホーテの新型として。

 話は変るが、「英国史」でみると、四五百年前英国では自国語の聖書をよむのが厳禁されていたとある。中世紀から現代への歩みをみると、一面たどたどしい進歩のようだが、大観すると飛躍的進歩が鮮かで時は遅くとも、且つ早いと感じさせられるね。ボンの「老婆」はすんだ。手堅い筆致だね。主題で十代に書いた短篇を思い出した。次は「息子」をヨチヨチとはじめる。「山と人間」、中学生程度の人に最も向く解説の仕方だね。
 マホー瓶は前のよりは保温が利くようだ。では又。
(宮本顕治、宮本百合子「十二年の手紙 下」筑摩書房 p64)

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◎「世界や人類の運命に想いをはせ、又学芸の野を開拓しようとするような人が、自己の一個の肉体について驚ろくべきほど知識不足だったら、これまた戯画」と。

学習通信040521 も参考に。