学習通信051117
◎労働者をたんなる物体に……

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 毎日、場末の労働者部落では、煙っぽく油くさい空気の中で、工場のサイレンが震えうなると、その呼び声に従順に応じて、一夜の眠りで自分の筋肉の力を取りもどす暇もなかった陰気な顔をした人々が、まるで、おびやかされた油虫のように、小さい灰色の家々から、通りに駆け出して来るのであった。

寒い薄暗がりの中で、彼らは、舗装のされていない通りを、高い石造りの檻のような工場へ向かって歩いて行く。

その工場は、幾十もの脂訪ぎった四角な目で、ぬかるみの道を照らしながら、平然とした自信をもって彼らを待っていた。泥は足の下でピチャピチャと音を立てた。

眠たげな声のしゃがれた叫びが響き、荒々しい怒鳴り声が憎々しげに空気をつん裂いた。するとその人々に向かって、ほかの響きが──機械の重々しい騒音や、蒸気のうなり音が漂ってきた。高い黒い煙突が、まるで太い棒のように、部落の上にそびえ立って、陰気にいかめしく浮かんで見えた。

 夕方、陽が沈んで、その赤い光が、家々の窓ガラスにものだるく照り映えるころ──エ場はその石のふところの中から、まるで廃物になった鉱滓(かなくそ)みたいに人々を放り出すのであった。そして人々は、すすだらけになり、黒い顔をして、空気の中に、機械油のねばついたにおいをまき散らし、飢えた歯を光らせながら、ふたたび通りを歩いて行く。

だが、今では、彼らの声の中には活気が、そして、喜びさえもが響いている──労働の苦役はきょうの分だけは終わって、家には夕食と休息が待っていたのだ。

 一日は工場にのみ取られ、機械は、自分に必要なだけの力を人々の筋肉の中から吸い取ってしまった。一日は一生のうちから跡形もなくふき消され、人はその墓場へさらに一歩近づいた。しかし自分のすぐ近くに休息の楽しみと、けむたい居酒屋の喜びを見て、それで満足していた。

 休みの日には、十時ごろまで寝て、そのあとで堅気な世帯持ちの連中は、一番の晴れ着を着て、ミサに出かけて行くが、その道々、若い者たちが教会に対して無関心だとののしるのであった。教会から帰ると、肉饅頭を食べて、またも横になり、夕方まで眠るのであった。

 幾年間も積もり積もった疲労のために、人々は食欲をなくしていた。それで、食べるために焼けるように強いウオトカをガブ飲みして、胃袋をかき立てるのであった。
(マクシム・ゴーリキイ「母」新日本出版社 p5-6)

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 さらにこのほかに、労働者の大多数の健康を害している別の影響がつけ加わる。とくに飲酒。あらゆる誘惑、ありとあらゆる欲望がかさなりあって、労働者を飲酒癖へかりたてる。ジンは彼らにとってほとんど唯一の楽しみのもとであり、なにもかもがいっしょになって、労働者の身近なところにそれがおかれるようになっている。労働者は疲れて、ふらふらになって仕事から帰ってくる。その住居はまったく住み心地が悪く、しめっぽくて、不快で、不潔である。彼はどうしても気晴らしがしたくなる。

彼には、労働がやりがいのあるものとなり、つらい明日への思いに耐えられるようにしてくれるなにかが、どうしても必要なのである。彼の不健康な状態、とくに消化不良からだけでも生ずる重く不愉快な憂うつな気分は、それ以外の生活状態や生活の不安定さのために、またまったく偶然に左右され、自分の状態を安定させるためになにをすることもできないために、耐えきれないほどになる。

汚れた空気と祖末な食事のために衰弱した身体は、どうしても外からの刺激を必要とする。仲聞がほしいという彼の気持をみたしてくれるのは、ただ酒場だけである。友達と会うことができる場所は、ほかにはない──そういう状態のなかで、労働者は酒を飲みたいという気持をつよくもってはいけないのだろうか、酒の誘惑にうちかたなければならないのだろうか? むしろ逆に、こういう状態のもとでは大多数の労働者が酒飲みにならざるをえない精神的肉体的な必然性があるのである。

そして、労働者を飲酒へかりたてる強力な肉休的影響以外にも、多くの人びとの実例や、教育がおろそかにされていることや、若い人びとを誘惑から守ってやれないことや、多くの場合には、自分の子どもにみずからジンを飲ませる大酒飲みの親の直接的影響や、酔っぱらっていれば少なくとも二、三時間は生活の苦しさや圧迫を間違いなく忘れていられることや、そのほか、何百という事情がつよく作用しているので、労働者がジンをとくに好むからといって、彼らがほんとうに悪いとはいえないのである。

飲酒癖はここでは本人が責任をとるべき悪徳ではなくなっている。飲酒癖は一つの現象となる。それは、一定の条件が、少なくともこの条件にたいしては自由な意志を失って物体のようになったものにたいしてもたらす必然的で不可避的な結果なのである。労働者をたんなる物体にしてしまったものが責任を負うがよい。

しかし、大多数の労働者が酒飲みになってしまう必然性と同じ必然性をもって、飲酒はその犠牲者の精神と肉体に破壊的な作用をおよぼす。労働者の生活状況から生ずる病気のあらゆる原因は飲酒によって促進される。肺や下腹部の病気も、チフスの発生や流行も飲酒によっておおいにすすめられるのである。
(エンゲルス著「イギリスにおける労働者階級の状態 上」新日本出版社 p159-160)

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 資本家は、労働力をその日価値で買った。一労働日のあいだ中、労働力の使用価値は彼のものである。したがって、彼は労働者を一日のあいだ自分のために労働させる権利を手に入れた。しかし、一労働日とはなにか? いずれにせよ、自然の一生活日よりは短い。どれだけ短いのか? 資本家は、この極限=Aすなわち労働日のやむをえない制限については彼独自の見解をもっている。資本家としては、彼はただ人格化された資本にすぎない。彼の魂は資本の魂である。

ところが、資本は唯一の生活本能を、すなわち自己を増殖し、剰余価値を創造し、その不変部分である生産諸手段で、できる限り大きな量の剰余労働を吸収しようとする本能を、もっている。

資本とは、生きた労働を吸収することによってのみ吸血鬼のように活気づき、しかもそれをより多く吸収すればするほどますます活気づく、死んだ労働である。労働者が労働する時間は、資本家が、自分の買った労働力を消費する時間である。もし労働者が、自分の自由に処理しうる時間を自分自身のために消費するならば、彼は資本家のものを盗むことになる。
(マルクス著「資本論A」新日本新書 p395)

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「一日は工場にのみ取られ、機械は、自分に必要なだけの力を人々の筋肉の中から吸い取ってしまった」

「資本とは、生きた労働を吸収することによってのみ吸血鬼のように活気づき、しかもそれをより多く吸収すればするほどますます活気づく、死んだ労働である」

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