学習通信051123
◎どうだっていい……

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「解離的」

 常識的には、「私は私」というのは人間にとってもっとも基本的な感覚であって、その感覚が失われて「どれが私なのかわからない」という状態になってしまうのは、よほどの精神的危機だと考えられるでしょう。ある中年の学者は、私に言いました。

 「健忘とか多重人格みたいな解離性障害って、精神障害の中でもかなり重いよね。不眠症やうつ状態と違って、ふつうじやまず考えられない症状だもの。メンタルクリニックに訪れる人の中でも、解離はごくわずかでしょ?」

 ところが、現実はまったくその逆なのです。いまや解陰性障害は、神経科や精神科の外来を訪れる人のごくポピュラーな問題になりました。この中には、解離性障害の症状だけを単独に訴える人もいれば、先ほど紹介した『EXIT』の恵のように、「感情のコントロールがきかない」「心に穴があいているようで耐えられない」「過食をしたくてたまらない」といったさまざまな問題と並列して、この解離性障害の症状を持っている人も少なくありません。

 さらには、この解離性障害の問題は、次第に「今のところは問題といえるほどの問題は呈していない」という若者たちにまで、広がりを見せる傾向があります。つまり、解離性障害に近い状態を呈していても、「障害」と呼べるレベルには達していない。そういう人たちが出てきたのです。そういう人をここで、「解離的な問題を持つ人」と呼ぶことにしましょう。

 たとえば、村上龍さんの小説『ラブ&ホップ』(幻冬舎)には、女子高生の裕美が、援助交際をしている自分をラブホテルの天井から眺めているような気分になる、というシーンが出てきます。風俗嬢がインターネットで公開している日記にも、似たような記述が見られることがあります。

 これなどは「離人症性障害」にかぎりなく近い状態ですが、だからといって彼女たちを解離性障害と診断することができるかといえば、そうも言えません。彼女たちはそれをひとつの特徴、個性などとしながら、大きな支障はなく日常生活を送っているからです。

 このように解離性障害とは診断できないが、しいていえばやはり「解離」と言うしかないような現象、状態を呈している人を、「解離的」と呼びたいのです。

今の自分のことしか考えられない

 次に、その人たちが共通して持っている特徴をいくつか並、べてみます。
 彼らは、自分を「まとまりのあるかたまり」と思うことができません。「バラバラな存在」とまでは思っていなくても、自分がある性格、特徴、傾向などを持った「全体としてはこんな人間」と自分で把握することができる存在だ、と自覚することができないのです。

 まわりの人たちもまた、さっき言ったことと今言っていることがまったく違っていたり、昨日と今日で完全に矛盾した態度を取ったりして平然としている彼らを、「どういう人」と考えてよいのか、わかりません。だからどうしても、今目の前で話されていることやそのときの態度だけを取り上げて、感想を話したりなにかを決めたりすることになります。

 当然、「まとまりのあるかたまり」として自分を把握できない彼らは、時間の流れの中で自分をとらえたり、空間の広がりの中で自分を位置づけたりすることが、ひどく苦手です。「三年前はこうだった」と言われても、三年前の自分がどうだったか、まったく覚えていないのです。また、「アフガニスタンには家を失った人がいる」と言われても、見たこともない国の話と自分とを関連づけて何かを考えることなど、とてもできません。

 だから、彼ら自身の関心は、どうしても自分の内面だけ、しかも「今」感じたり考えたりしていることだけ、にかたよりがちです。「自分の過去に関心がある」という人も少なくありませんが、その場合、過去とはあくまで「それを今どう感じているか」という現在の自分の感情との関連の中で、意味を持つだけです。もし、過去にある重要なことを経験したとしても、今そのことを振り返ってなんの感情もわいてこなければ、それは「なかったこと」と同じです。

 一九九四年、朝鮮民主主義人民共和国の主席、金日成が突然亡くなったとき、診察室の中でそれを伝える待合室のテレビのアナウンサーの声を聞いた私は、診察中であったにもかかわらず、興奮して目の前の女性患者さんに言いました。その人とは長いつき合いで良い関係ができていましたから、そういう雑談も許される雰囲気だったのです。

 「たいへんだ、金日成が死んだみたいだよ! 北朝鮮はどうなるんだろう?」

 すると、自分が職場の人間関係にいかに苦労しているか、といった話題を語っていたその女性は、表情も変えずにこう言ったのです。

 「まあ先生、そんなことどうだっていいじゃないですか。それより、私の職場の同僚なんですけど、先日も……」

 その人は解離性障害そのものではありませんでしたが、精神的なある基礎疾患により、ものごとをなかなか社会的な広がりの中でとらえられない、といった状態にありました。私は「この人にとっては、金日成の死去より今の職場での小さなトラブルのほうが重要なんだな」と驚き、「しかし、この人のリアルな日常にすぐ影響を与えるのは、たしかに職場の人間関係のほうかもしれないし」と思い直したりもしながら、「広がりの中でものごとをとらえられないという病」についていろいろと考えたものでした。

 ところがそれから十年後、とくに若い人たちにとっては、「北朝鮮の首領の生死より、自分の内面の問題が重要」というのは、あたりまえのことになっている感があります。いろいろな立場(十代のシングルマザー、風俗嬢、自衛隊員、作家志望など)の人たちのネット日記を読んでいても、そこには自分の内面の微細な変化が綿々とつづられているだけで、世界や日本全体の流れとはほとんど同期はしていません。

 しかも、その内面の変化には連続性はなく、たとえばある人の日記には、「どうして私、精神的にこんなに傷つきやすいんだろう。もう何もかもいやだ」とつづられた翌日、その悩みがどうなったかといった説明もないまま、いきなり「彼氏とデートして、パチスロで三万もうけた。ほしかったコートを買ってハッピー」と書かれていたりします。「昨日はいろいろ考えたけど、朝起きたら気分がなおっていた」といった間の説明がないので、読んでいるとまったく別の人の話にも思えます。ふたつの記述は完全に断絶しており、それが書かれた瞬間の書き手の感情、気分が脈絡もなく書かれているだけです。

 その感情や気分は、世の中全体とはまったく切り離されています。もし今、金正日の身に何かあったとしても、それには目もくれず、「恋人にこんなことを言われて落ち込んだ」と自分の内面にしか関心を向けられない人は、激増しているのではないでしょうか。

 あのときは「金日成のことなんかより、私の話を聞いて」という患者さんに驚愕してしまった私ですが、今ならあれほどは驚かないと思います。
(香山リカ著「生きづらい<私>たち」講談社現代新書 p52-57)

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おせっかいの反省

 行きつけの美容院へ行って、すいていれば(待たされないでよかった)と思いながら、(こんなにお客がすくなくて、やってゆけるのかしら)と心配になる。混んでいればいるで(困ったわ、おそくなってしまう)とブツブツ言うくせに、(でもまあ、景気がよくて結構ね)と安心する。

 私はその美容院の経営に何の関係があるわけでもないのに……。どうしてこうおせっかいなのか──ときどき主人に笑われたり叱られたりして反省するのだけれど、一向になおらない。
(これは下町育ち、浅草生まれのせいかしら)自分でそう言い訳をしてみたりする。

 いつか山の手の有名なお邸街で、映画のロケーションをしたときのこと。あてにしていた邸の玄関と庭先だけはすでに借用の約束が出来ていたけれど、お座敷には絶対足をふみいれないように、と、その朝急にきびしい申しわたしがあったらしい。傍の交番のお巡りさんが、すぐ裏の自分の住居を開放してくださったので、私たちは路上で着替えするような羽目にはならなかったが……。そのときのお巡りさん夫婦もお母さんも、偶然私と同じ浅草生まれだった。

 私たちは早速、六畳と四畳半いっぱいにひろげられた衣裳行李や小道具の間に肩をつきあわせるようにして化粧をはじめることが出来た。おばあちゃんと奥さんの甲斐甲斐しいご接待に、寒さで手先のかじかんでいた私たちはホッとした。

 おばあちゃんはニコニコとお茶やおせんべいをすすめながら、
 「……山の手っていうのは、そう言っちゃなんだけど、冷たいよね。あたしゃ浅草へかえりたい。伜はついこのあいだまで、ずっと浅草の警察につとめていたんですよ」
 と、すっかり打ちとけて仲よしになった。

 衣裳部が、私の白足袋を忘れ、駅前まで買いに行くときいておばあちゃんは、あわてて引きとめ、押入れから自分の新しいのを一足、さがし出してくれた。でも、あいにく、その足袋は私には小さすぎた。「どれどれ、貨してごらん」遠慮する私の足を、自分の膝にむりやりのせて、孫にでもするようにうんうん言いながら履かせようとする。どうしても無理だとわかったときは、さすがに情けなそうな顔をなさった。私はもう、申しわけなさでいっぱいだった。

 そう言えば私の母も、何かと他人さまの役に立ちたがる癖があったようだ。私が子供のころ、隣家の若いおかみさんが、嫁に来たばかりでつづけて年子を生んだ。毎日のように、二人の赤ん坊が泣くのでイライラしてヒステリックな大声をあげていた。そんな声をききつけると、母は何をおいても庭づたいに飛んで行った。

「ホラホラ、そっちの赤ちゃんはおしめかがれている、こっちの兄ちゃんはおなかがすいているんだよ」
 そう言いながら手早く子供たちをあやし、ついでに台所で焦げついてしまっている里芋の鍋をおろして、
「しようがないね、今夜は湯豆腐にでもするんだね」
 と、他人さまの家のおかずまで指図していた。母の一生もそんなおせっかいの明け暮れだった。
 (そんなにズカズカ入ってこられちゃ、プライバシーの侵害だわ)

 今の若い奥さんたちは眉をしかめることだろう。たしかに、お互いの生活を尊重しあうようなところに、都会生活の、特に山の手の人たちの近代的な生き方のよさがある。

 でも、いわゆる下町の人たちも、のぞき趣味やひとりよがりで他人の暮らしの中に首を突っこんでいい気持ちになっているわけではない。困ったときはお互いさま、私にお手伝いできることがあれば……。

 「そんな軒並みの連帯感みたいなものが、ときどき、ちょいと行きすぎることもあるんだわ」根っからの下町気質の抜けない私は、つい小さな声で言い訳をしたくなる。

 このあいだ、朝の駅前でNHKテレビの街頭録音班が取材していた。勤め先へ急ぐ人たちに、「ソンミ事件を知っていますか、あなたならあのとき何が出来たと思いますか」
 マイク片手に次から次へときいていた。
 あの痛ましいベトナムの老人子供の大量虐殺を知らない人はいないだろうに、それに答える人はほとんどいなかった。サラリーマンにとっては、出勤時間に遅刻するかどうかが大きな気がかりだったのだろう。歩きながら「知っている」と答えた人も、「何か出来るか」という問いには答えられなかった。もし、私にきかれても、咄嗟に答えが見つからず口ごもったと唇う。

 しかし、人の流れの中の若い一人が、
 「関係ないよ」
 と言い放ったときは、ドキッとした。人間はどんな事件にもどんな人にも関係なく、ひとりで生きてゆけるものだろうか。

 下町族のおせっかい好きの底にあるものに、私はこのごろ、いっそうの愛着を感じる。
(沢村貞子著「わたしの茶の間」光文社 p90-93)

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◎「人間はどんな事件にもどんな人にも関係なく、ひとりで生きてゆけるものだろうか」と。