学習通信051125
◎打ち破れぬ思想の子供……

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日は一日一日と、じゅず玉のように流れ、それがつな
がって、数週となり幾月となっていった。土曜日ごとにパーヴェルの元へ仲間たちがやって来たが、この集まりの一つ一つが長いゆるやかな階段の一段一段であって──その階段は、どこか遠くへ通じていて、人々を徐々に高めていった。

 新しい人々が加わってきた。ウラソフ家の小さい室は、狭く、息苦しくなってきた。ナターシャも通っていた。凍えて疲れていたが、いつも底なしに快活で、いきいきとしていた。母は、彼女に靴下を編んで、その小さい足に、自分ではかせてやった。ナターシャは、最初は笑っていたが、やがて急に黙りこんで、思いに沈み、小さい声で言った。

 「あたしのところに乳母がいました──やはり、とっても良い人でしたわ! ねえ、ベフゲーヤ・ニーロヴナ、なんて不思議なんでしょう。──労働者の人々は、こんなに苦しい、こんなに腹立たしい暮らしをしているのに、あの連中よりもずっと情愛があって、ずっと親切なんですものね!」
 そして片手を握って、どこか遠くを、とても離れたところを指さした。

 「ほんとうにあなたはなんという方でしょう!」とウラソワは言った。「御両親も、何もかも失くされて。」彼女は自分の考えを表わしきるすべを知らず、吐息をついて口をつぐみ、ナターーシャの顔をながめながら、彼女に何かに対する感謝のような気持ちを感じた。母は彼女の前の床の上にすわっていた。また娘の方は、頭をかしげて、もの思かしげに微笑していた。

 「両親を失くしましたって?」と、彼女は、相手の言葉を繰り返して言った。「そんなことはなんでもありません。わたしの父はとても粗暴で、兄もそうなんです。それに──大酒飲みで、姉は──不幸な女です……ずっと年上の男と結婚しました……非常な金持ちで、退屈な、貪欲な人です。母が──かわいそうですわ! あなたのように飾り気のない人です。二十日鼠のように小さくて──いつもせかせかと駆けまわり、みんなの人をこわがっているのです。時々、とても母に会いたくなりますの……」
 「まあ、お気の毒に!」と、母は、悲しそうに頭を振りながら、言った。

 娘はさっと頭を起こし、何かを押しのけるように、片手を差し伸ばした。
 「おお、そうじゃありません! わたしは、時々、とても喜びを、幸福を感じますわ!」
 彼女の顔は蒼ざめ、青い目は明るく燃え上がった。両手を母の肩の上に置いて、彼女は、深い奥底から出るような小声で、説きさとすように言った。
 「あなたが知って下さったら……わかって下さったら──わたしたちは、どんなに大きな仕事をやっていることでしょう!」
 何かねたみに近い気持ちが、ウラソワの心をかすめた。彼女は、床の上から身を起こしながら、悲しげに言った。
 「わたしは、そのためにはもう年を老り過ぎていますし──無学ですし……」

 ……パーヴェルが話す度数はますますふえ、言葉も多くなり、いっそう熱をこめて議論をするようになり、そして──やせていった。母は、彼がナターシャと話していたり、彼女をながめていたりする時、彼のきびしい目が、ずつともの柔らかに輝き、声はずっと優しく響き、彼全体が、いっそう素直になってくるような気がした。
 『どうか、うまくいってくれますように!』と、彼女は考えた。そしてほほえんだ。

 いつも集会で、議論があまりにも熟して激しい調子になってくると、すぐさま小ロシヤ人が立ち上がって、まるで鐘の舌のようにゆらゆら身体を揺りながら、その響きのよい、よくとおる声で、何か率直な、良い言葉を述べ、それでみんなが、平静になり、真面目になるのであった。ヴェソフシチコフは、たえず陰気にみんなをどこかへせき立て、彼と、サモイロフと呼ばれていた赤毛の男が、いつもまっ先に議論を始めた。彼らに賛成するのは、丸い頭の、まるで灰汁で洗ったように眉毛の白いイワン・ブーキンであった。つやつやとして小ざっばりしたヤコフ・ソモフは、静かな、生真面目な声で、口数は少なかったが、彼と額の大きなフェージャ・マージンは、いつも、議論では、パーヴェルと小ロシヤ人の側についた。

 時々、ナターシャの代わりに、町からニコライ・ニコラーエヴッチといって、眼鏡を掛けた、小さい薄色のあごひげのある男がやって来た。どこか遠方の県の生まれで、彼の言葉には、「オ」という音に、一風変わったなまりがあった。彼はだいたいに、何か遠い存在であった。彼は、単純な事柄について──家庭の生活や、子供たちや、商売や、警察や、パンやバターの値段や──人人が毎日の生活で触れるすべての事柄について話した。そしてこのすべてのことで、彼は、ごまかしや、訳のわからないことや、何か愚かなもの、時にはおかしなもの、つねに──人々に明らかに不利なものを明らかにするのであった。

母には、彼がどこか遠いところから──みんなが誠実で楽な生活をしているほかの国からやって来た者であるような気がした。ここでは何もかもが彼にとっては縁のないもので、彼は、この生活に慣れて、それをやむを得ないものとして受け入れることができないのだ。この生活は彼の気に入らない、それは、彼に、すべてを自分流に立て直したいという冷静な、かたくなな望みを起こさせるのだ、と母には思われた。彼の顔は、黄色がかっていて、目のまわりには、細かい、後光のような小じわがあって、声は小さく、手はいつも暖かであった。ウラソワとあいさつをする時には、彼は頑丈な指で彼女の手全体を包んで握るのであった。そういう握手を受けたあとは、心は軽くなり、安らかになった。

 町から来る人はまだほかにもあったが、一番よくやって来たのは、やせた青ざめた顔に大きな目を持った、背の高いすらりとしたお嬢さんであった。彼女は、サーシェンカと呼ばれていた。彼女の歩きぶりや動作には、何か、男のようなところがあった。彼女は濃い黒い眉を腹立たしげにひそめ、話をする時には、そのまっ直ぐな鼻の薄い鼻孔が、ぴくぴく震えた。

 サーシェンカが、最初に、大きな声できっぱりと言った。
 「わたしたち──社会主義者は……」
 母は、この言葉を耳にすると、ぎょっとして声も出ないで、お嬢さんの顔を見つめた。母は社会主義者たちが皇帝を殺したのだと聞いていた。それは、彼女の若いころのことで、皇帝が農民を解放しだので、地主たちが皇帝に復讐しようとして、皇帝を殺すまでは、散髪をしないという誓いを立てた。そのために、彼らは社会主義者と呼ばれているのだという話であった。それで今彼女は、いったいなぜに、彼女の息子や、その仲間たちが社会主義者なのか、そのわけがわからなかった。

 みんなが解散したあと、母はパーヴェルにたずねた。
 「パヴルーシャ、ほんとうにおまえは社会主義者なのかい?」
 「そうですよ!」と、彼は、彼女の前に立ちながら、いつものように、率直にきっぱりと言った。「それが、どうしたというんですか?」
 母は、重々しくため息をつき、目を伏せて、きいた。
 「そうかね、パヴルーシャ? その人たちは、──皇帝に反対で──その人たちは、一人の人を殺したのじゃないのかね。」

 パーヴェルは、部屋の中を通って歩き、片手でほおをなで、薄笑いして、言った。
 「ぼくたちには、そんなことは必要はないんだ!」
 彼は長い間、静かな真面目な声で何事かを彼女に語った。彼女は彼の顔をながめて考えた。
 『この子は何も悪いことはしないだろう──この子にはできやしない!』

 だが、その後も、この恐ろしい言葉は、ますますたびたび使われるようになり、その鋭さはすり切れ、それは、ほかの幾十もの意味のわからぬ言葉と同じように、彼女の耳には慣れっこになってしまった。しかし、彼女は、サーシェンカが好きになれなかった。彼女が姿を現わすと、母はそわそわして、居心地悪い気がした……

 ある時、母は、不満そうに口をつぼめながら、小ロシヤ人に言った。
 「サーシェンカって、何だかとてもきつい人ですね!いつも命令ばかりしている──あなたはこれもしなければならない、あんたはこれもしなければならないって……」

 小ロシヤ人は、大声で笑いだした。
 「まさにそのとおり! おばさん、ぴったり当てましたね! どうだね、パーヴェルー」
 そして、母に向かってまばたきをして見せて、目には冷笑の色を浮かべて言った。
 「貴族ですからね!」

 パーヴェルは、冷やかに口を入れた。
 「あの人は、いい人だよ。」
 「それは確かだ!」と、小ロシヤ人は保証した。「ただ彼女は、自分には『ねばならない』だが、ぼくたちには──『したい、そして出来る』なのだということが、わかっていないんだ。」

 二人は、何か、母にはよくわからないことについて議論し始めた。
 母はまた、サーシェンカが、パーヴェルに対して一番きびしく当たること、時には彼に怒鳴りつけることさえあるのに気がついた。パーヴェルは、薄笑いしながら黙っていた。そして以前ナターシャの顔をながめた時の目つきと同じもの柔らかなまなざしで、娘の顔をながめていた。これもまた母には気に入らなかった。

 時々母は、みんなを突然、いっせいにとらえる激しい喜びの気分に驚かされた。それは通常、彼らが新聞で、外国の労働者たちのことを読んだ晩のことであった。そんな時には、みんなの目は喜びに輝き、みんなは変に、何か子供のように幸福になり、陽気な明るい笑いに包まれ、優しくお互いに肩をたたき合った。

 「ドイツの仲間たち、偉いぞ!」と、だれかが、まるで自分の愉快さに酔っているかのように、叫んだ。
 「イタリヤの労働者万歳!」と、叫ばれる時もあった。
 そして、彼らは、この叫び声をどこか遠くの方へ──彼らを知らず、彼らの言葉もわからない友だちに、この叫び声を送りながら、彼らの見知らぬ人々が、彼らの喜びを聞き、わかってくれるものと確信していたように思われた。

 小ロシヤ人は、目を輝かせ、みんなをとらえた愛の感情にいっぱいになって語った。

 「向こうの連中に手紙を出すといいだろうが、どうだね? ロシヤにも同じ宗教を信じ、語っている友だちがいる、同じ目的を持った人々がいて、彼らの勝利を喜んでいるということを、知らせてやるんだよ!」

 そしてみんなは夢見るように、顔には微笑を浮かべて、長い間、フランス人やイギリス人やまたスウェーデン人のことを、自分たちが尊敬し、自分たちの喜びに生き、その悲しみを感じる親友として、心に近い人々として話し合うのであった。

 狭い部屋の中には、全世界の労働者たちの精神的な血のつながりの感情が生まれてきた。この感情は、みんなを一つの心にとけ合わせ、母をも感動させた。それは彼女にとってはっきり理解できないものであったが、その喜ばしく若々しく、酔わせるような、希望に満ちた力で、母を元気づけた。

 「あなたたちは、なんて人でしょうね!」と、彼女はある時、小ロシヤ人に言った。「みんなが、あなたたちにとっては仲間なんですね──アルメニア人も、ユダヤ人も、オーストリヤ人も──みんなのために、喜び悲しむのですね!」

 「みんなのためにですよ、ぼくのおばさん、みんなのためにですよ。」と、小ロシヤ人は叫んだ。「ぼくたちにとっては、国民とか民族とかいうものはありませんよ。あるのはただ仲間だけ、敵だけです。労働者はみな──ぼくたちの仲間で、金持ちはみんな、政府はみんな──ぼくたちの敵です。正しい目で地上をながめ、ぼくたち労働者がどんなに多いか、ぼくたちがどんな力を持っているか、それを知ると──心はとても喜びに包まれ、胸の中には、とても大きな祭り曰が現われるのです! そして、フランス人もドイツ人も、生活をながめる時は、同じことを感じているし、イタリヤ人も同じ喜びを味わうのです。

ぼくたちはみな、同じ一人の母親の子供なのです。地上すべての国の労働者の同胞愛という、打ち破れぬ思想の子供なのです。この思想がぼくたちを暖めるのです。それは、正義の空の太陽であって、この空は、労働者の心の中にあるのです。それで社会主義者は、どんな人であろうと、どんな名前であるうと、──つねにぼくたちの精神上の兄弟であり、それは今も、また今後も、永久にそうなのです!」

 この子供のような、だが堅い信仰は、ますます大きく彼らの間にわき上がり、ますます高まり、その強い力を増していった。そして母は、それを見た時、思わず、世の中にほんとうに、彼女に見える空の太陽のような、何か偉大な明るいものが生まれ出たのだと、感じたのであった。

 たびたび、歌がうたわれた。ありきたりな、みんなが知っている歌は、大声で陽気にうたわれたが、時には、何か特別な調子を持った、陽気でない、節まわしの変わった新しい歌がうたい出された。そのような歌は、小声で、生真面目に、まるで教会の歌のように、うたわれた。うたう人々の顔は、蒼ざめたり、燃え上がったりしたが、その響きのある言葉の中には、大きな力が感ぜられた。

 ことに、この新しい歌の中の一つは、彼女の心をさわがせ興奮させた。この歌の中には、はずかしめられ、悲しいためらいの暗い小径を独りさまよう心のもの悲しい思いも、また、貧しさに打ちひしがれ、恐れにおびやかされ、その姿も色も失った心のうめきも聞かれなかった。またその歌の中には、おぼろげに自由をあえぎ求める力の悲しげなため息や、良いものも悪いものも無差別に打ちこわそうとする、無鉄砲な勇気の、いどむような叫び声は響いていなかった。その中には、あらゆるものを打ちこわすことはできても、何かを創りだす力はないような、復讐と屈辱の盲目的な感情はなかった──この歌の中では、古い、奴隷的な生活のものは何一つ聞かれなかった。

 この歌の激しい言葉と荒々しい節まわしは、母には気に入らなかったが、その言葉と節まわしのかげには、何かもっと大きなものがあって、それがその力で、響きや言葉を打ち消し、思想ではおおいきれないあの予感を心の中に呼び起こすのであった。この何かもっと大きなものを彼女は、若い人たちの顔の上に、目の中に見、かれらの胸の中に感じた。そして、言葉や音の中に、納まり切らない歌の力に押されて、彼女はいつも、特に注意深く、ほかのどの歌よりも、もっと深い胸さわぎを感じながら、その歌に聞き入るのであった。

 この歌は、ほかの歌よりもずっと小声でうたわれたが、それはどの歌よりも力強く響き、来る春の最初の日──三月の日の空気のように、人々を包むのであった。

 「もうこれを街頭でうたっていい時だよ!」と、ヴェソラシチコフは陰気に言った。
 彼の父親が、またも何かを盗んで、監獄にぶち込まれた時、ニコライは、静かに仲間たちに言った。
 「もうおれのうちで集会がやれるよ……」

 仕事が終わると、ほとんど毎晩パーヴェルのうちには、仲間のだれかが来ていた。そして彼らは、本を読んだり、何か本の抜き書きをしたりして、忙しく、顔を洗う暇もなかった。夕食をする時も、お茶を飲む時も、本を手にしていたし、また彼らの話は、母にはますますわからないものになってきた。

 「ぼくらは新聞を持たなくちゃならない!」と、たびたびパーヴェルが言った。
 生活は、あわただしく、熱に浮かされたようになり、人々はますます、まるで蜜蜂が花から花へ飛びまわるように、一つの木から木へと駆けまわった。

 「おれたちのうわさが立っているぞ!」と、ある時ヴェソフシチコフが言った。「おれたちはきっと、もうじきにやられるぞ……」
 「うずらであってみりゃ、網にもかかるさ!」と、小ロシヤ人が応じた。

 小ロシヤ人は、ますます母の気に入るようになった。彼が、彼女を『おばさん』と呼ぶ時、その言葉はまるで、柔らかい子供の手で、母のほおをなでるようであった。日曜日で、パーヴェルに暇がない時には、彼は薪木を割ってくれた。ある時は、板をかついでやって来て、爪を取り上げて、入り口の階段の腐った踏み段を手早く器用に取り替えてくれたし、またある時は、こわれた垣根を、これもまたいつの間にか直してくれた。彼は、仕事をしながら、口笛を吹いたが、それは、美しく悲しい口笛であった。

 ある時、母は息子に言った。
 「ねえ、あの小ロシヤ人をうちに置いてあげようよ。おまえたち双方にその方がいいだろう──お互いに行ったり来たりしなくてもよくなるからね。」
 「何も、あんたが窮屈な思いをすることはないでしょう?」と、パーヴェルは肩をすくめて、きいた。
 「いいえ、そんなことぐらい! 一生、何のためかもわからないで、窮屈な思いばかりしてきたんだもの──いい人のためなら、かまやしないよ!」
 「好きなようにして下さい!」と、息子は答えた。「もしあの男が引っ越して来てくれれば、──ぼくもうれしいですよ。」
 こうして、小ロシヤ人は、彼らのところへ移って来た。
(マクシマ・ゴーリキイ「母」新日本出版社 p39-48)

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 最後に、共産主義者は、いたるところで、すべての国々の民主主義的諸党の提携および協調につとめる。

 共産主義者は、自分の見解および意図を秘密にすることを恥とする。共産主義者は、これまでのすべての社会秩序の強力的転覆によってのみ、自分の目的が達せられることを、公然と宣言する。支配諸階級は、共産主義的革命におそれおののくがよい。

プロレタリアは、共産主義的革命において、自分の鎖のほかに失うものはなにもない。彼らが得るべきものは一つの世界である。

 万国のプロレタリア、団結せよ!
(マルクス/エンゲルス著「共産党宣言」新日本出版社 p109)

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◎「共産主義者は、自分の見解および意図を秘密にすることを恥とする」と。