学習通信051130
◎不断に発展してゆく……

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 先へ進もう。哲学がそういうものとしてはもう必要でなくなるとすれば、哲学の体系も、哲学の〈自然的体系〉でさえも、もう必要でなくなる。自然事象の総体が一つの体系的連関のうちにあるという洞察にうながされて、科学は、この体系的連関を、個々についても全体としても、いたるところで立証しようと努めることになる。

しかし、この連関を適切にあますところなく科学的に叙述するということ、われわれが住んでいる世界体系の精密な思想的模写をつくりあげるということは、われわれにとってもすべての時代にとっても、いつまでも不可能なままである。

もしかりに人類発展の或る時点で、もろもろの自然的・精神的・歴史的な世界連関を最終的に完結するそのような一体系ができあがったりしたら、人間的認識の世界は、それによって完結したことになり、将来の歴史的継続発展は、社会があの体系と合致してしつらえられたその瞬間から打ち切られることになってしまうであろう。

そんなことは、ばかげたことであり、まったくの背理というものであろう。

人間は、こうして、<一方では世界体系の総連関をあますところなく認識しようとするが、他方では、自分の本性からいっても世界体系の本性からいっても、この課題をいつになっても完全には解決できない>、という矛盾に直面させられることになる。

しかし、この矛盾は、世界と人間という二つの要因の本性のうちにあるという、ただそれだけのものではなく、いっさいの知的進歩のおもな挺子であって、日々に、絶え間なく、人類の無限の進歩的発展のなかで解決されていくのである。

それは、たとえば数学の問題が無限級数や連分数で解かれるのと同じことである。

実際には、世界体系のどの思想的模写も、客観的には歴史的状況で、主観的にはその模写をする人の肉体的・精神的状態で、制限されており、今後ともそうである。

ところが、デューリング氏は、自分の考えかたは主観主義的に制限された世界観念に走ろうとする気まぐれをすべて閉め出すものだ、とはじめから宣言する。さきほどわれわれは、氏が遍在的であること──ありとあらゆる天体上にいることを知った。いまわれわれは、氏が全知であることをも知るのである。氏は、科学の最後の諸課題を解決してしまい、こうして、すべての科学の将来を板でかこって釘づけにしてしまったのである。
(エンゲルス著「反デューリング 下」新日本出版社 p55-56)

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 なぜマルクス、エングルスの言説を絶対化してはならないのか

 問題を、もう少し分析的に考えてみましょう。
 マルクス、エンゲルスは、科学的社会主義の理論の創始者であり、彼らが到達した理論の核心は、百五十年の歴史を通じて、その正しさが証明されています。しかし、そこには、歴史的な制約や限界をまぬがれない部分も、すくなからず存在しています。

(1)実際、マルクス、エンゲルス自身、自分たちが到達した地点に安住して、ここが科学的な探究の終着駅だという態度をとったことは、一度もありませんでした。マルクスは一八八三年に、エンゲルスは一八九五年に死にましたが、その最後の時まで、彼らは理論を発展させるために勉強に勉強をかさね、自分たちの理論をより豊かに、より正確なものとするための努力を惜しみませんでした。

 『資本論』はマルクスの最大の著作ですが、これは、マルクスの生前には、第一部だけしか発行されませんでした(一八六七年)。第二部、第二部は、マルクスが死んでからエンゲルスが草稿を見つけ、エンゲルスの編集によって発行されたものです(第二部は一八八五年、第三部は一八九四年)。そこまで書きあげてあったのに、マルクスはなぜ発行しなかったのかというと、第二部、第三部の草稿で取り上げた分野(たとえば、信用・金融などの分野)に新しい現象がどんどん出てきたり、関連のある未研究の領域(ロシアの土地問題など)に新たに取り組んだりしていましたから、エンゲルスがいくら催促しても、マルクスはいま取り組んでいる研究の成果を『資本論』に織り込もうと思って、「まだだ、まだだ」と言って出版に踏み切ろうとしない。

 マルクスの死後、草稿を読んだ.エンゲルスが、これまでの経済学の全体をひっくりかえすような大発見をこんなにたくさんしていながら、十何年も発表しないでいたとは、信じられない≠ニ言って残念がるのです。実際には、第二部の草稿も、第二部の草稿も、だいたいは第一部と同じころにほぼ書きあげていたのでした。しかし、マルクスにとっては、「まだまだ」でした。

 大先輩であるマルクスでさえ、自分たちの理論にそういう態度でのぞんだのです。それを、私たちが、金科玉条にして、マルクスの言葉だからといって絶対化したりしたら、それこそ、先輩にたいして申し訳ないことになります。

(2)さらに大事なことは、人間知識も社会そのものも発展するということです。さきほど電気の話をしましたが、私たちが生きているこの時代に、私たちが日々経験していることで、マルクス、エンゲルスが知らなかったという間題は、いくらもあります。

 自然では、百五十年ぐらいの時間では、それほど大きな変化は起こりませんが、自然にたいする人間の認識は、この百五十年間に大変革をとげました。ですから、マルクス、エンゲルスの述べたことで、現代では古くさくなっているという命題は、たくさんあります。たとえば、エンゲルスは、サルから人間への進化を論じて、何十万年前に、インド洋の底に沈んだある大陸の上で起こったことだと書いていますが、現代の私たちの知識では、それは、ほぼ五百万年前に起こったことで、その舞台はアフリカだとされています。

 このように、社会の発展、人間知識の発展を考えれば、マルクス、エンゲルスの時代には見られなかった、新しい考察を必要とする問題が無数に出てくることは当然のことで、その点だけから見ても、私たちが、マルクス、エンゲルスの個々の命題に安住していられないことは、あまりにも明らかです。

(3)もう一つヽマルクスやエンゲルスも、理論のうえで間違うことがあります。これは、一八六六年──『資本論』第一部を公刊する前の年の話なのですが、マルクスが、トレモというフランスの怪しげな研究者の著作に出会って、すっかり気にいってしまったことがありました。ダーウインの進化論をこえる重要な著作を発見した、これで生物の進化も、大陸ごとの人間の人種的な違いも、地質の構成から説明できる≠ニ、興奮してエンゲルスに報告したのですが、エンゲルスはこれを読んで、この理論はとるに足らないものだ、彼は地質学も理解していない、この本は何の値打ちもない≠ニいって相手にしないのです。

一八六六年といえば、歴史観にしても自然観にしても、マルクス、エンゲルスの科学的社会主義の立場がほぼ確立してきている時期です。その時点でも、マルクス自身、歴史と自然の見方で、こういう迷路に入りこむことがあるんだな、と、私は二人の手紙のやりとり(一八六六年八月〜一〇月)を微笑ましく読んだものでした。

 これは、一つの例ですが、マルクス、エンゲルスでも間違うことがある、というのは、いろいろな点で頭にいれておかなければならない点です。

 いろいろな角度から見てきましたが、その結論は、すべてを鵜呑みにする教条主義的な学習ではなく、核心をしっかり学びとり、それを受けつぐ学習が大事だ、ということです。


 私は、昨年(二〇〇〇年)の新春インタビューで、そのことを、「私たちの党が科学的社会主義の党だということは、マルクスらの先輩から、変革の精神と科学の目を受け継いだ、ということ、その変革の精神と科学の目で、現代の日本を見る、現代の世界を見る、そして実りある将来を展望し探究する、こういう立場に立つことだ」と述べました(「世紀の転換点に立って──日本共産党の理論的な立場」「しんぶん赤旗」二〇〇〇年一月一日、ブックレット『世紀の転換点に立って』一七ページ)。

 第二十二回党大会でも、「党規約改定についての報告」のなかで、そのことを、次のように、訴えました。

「私はいま、科学的社会主義の現代日本的な展開といいましたが、もともとこの理論は、人 間の考えや行動を、時代をこえた固定的な枠組みにはめこもうとするものではありません。歴史的な条件の変化や人間知識の進歩に応じて、不断に発展することを特質とするものであり、そこに科学的社会主義の理論の生命力があります。

 そして、科学的社会主義の事業にとりくむ私たちが、先人たちから受けつぐべきものは、なによりも人間社会の進歩のために不屈に奮闘する変革の精神であり、また、不断に発展してゆく人間知識の成果をふまえて、社会と自然を科学の目≠ナとらえる努力をつくす科学的な態度であります。

 日本共産党は、どんな問題にたいしても、科学的社会主義のこの立場でのぞむ党であることを、あらためて強調するものであります」(『前衛』大会特集号、一二二〜二三頁)。
(不破哲三著「科学的社会主義を学ぶ」新日本出版社 p20-25)

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◎「もしかりに人類発展の或る時点で、もろもろの自然的・精神的・歴史的な世界連関を最終的に完結するそのような一体系ができあがったりしたら、人間的認識の世界は、それによって完結したことになり、将来の歴史的継続発展は、社会があの体系と合致してしつらえられたその瞬間から打ち切られることになってしまう」と。