学習通信051205
◎より高く売るために買う……

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おカネ持ちを幸せにするのが資本主義だ!

 景気がいいときもあれば悪いときもあるように、経済には景気循環の波があります。しかし、長い目で見ると、資本主義経済は必ず成長してきました。拡大再生産を成し遂げてきたのです。

 経済が成長し続けている──それはなぜでしょうか。
 それは資本主義が拡大再生産を要求するシステムだからです。
 資本主義という経済体制は、資本や借入れという形態でおカネを人手した人に対して配当や金利の支払いを要求します。それがなければ、おカネが経済の血液として循環しなくなるのですから当然です。
 配当や金利を支払うためには、売上や利益が必要です。経済全体として利益を計上し続けるためには、経済全体として売上が拡大していなければ不可能です。売上からコストを差し引いたものが利益ですが、そのコストというのは、誰かの売上になっているのですから、全体として利益をカサ上げしていくためには、売上を増やさざるを得ないシステムになっているのです。

 つまり、経済社会全体が拡大再生産を予定しているわけです。経済社会全体が拡大再生産に向けて努力を続ける──それが資本主義なのです。
 ありがたいことに、人間の欲望には際限がありません。このため、資本主義においては、供給と需要が拡大しながら均衡していくことになります。短期的な落ち込みはともかく、中長期で見た場合、名目的には経済全体として拡大していくのです。それが「おカネがおカネを産む」という性質を持つ資本主義の特徴です。人間の欲望が枯渇しない限り、資本主義は拡大成長し続けるのです。

 そのため、資本主義におけるあらゆる行動は、おカネ(=資本)の所有者を幸せにすることが大前提になっています。これは、よいとか悪いとかという議論ではありません。資本主義は、そういう基本設計になっているのです。

 おカネを貸す人が喜んでおカネを貸すから、資本主義が成り立っているわけです。おカネ持ち(=資本家)が、喜んでおカネ(=資本)を持とうとするから、資本主義が成り立っているわけです。そうでなければ、資本主義というメカニズムは成立しませんし、円滑に機能しません。

 おカネを持っている人(=資本家)がハッピーでない資本主義などあり得ないわけです。繰り返しますが、これは、よいとか悪いとかいう議論ではありません。資本主義とは、そういう経済なのです。それが嫌であれば、資本主義ではない経済社会を私たちは選択しなければならないのです。

 したがって、金利はプラスでなければなりません。そして、金利がプラスでなければならないということは、世の中のビジネスが全体としては利益を生み出さなければならないということを意味しています。さらに、世の中のビジネスが全体として利益を生み出さなければならないとすれば、全体として売上が伸びていかなければならないということを示唆しています。

 簡単に申し上げれば、「資本主義=売上高の趨勢的な増大」ということなのです。「おカネがおカネを産む」というメカニズムが永続していくためには、世の中全体の売上高は増大し続けなければならないのです。
 これは予測などではありません。

 これは、資本主義の宿命なのです。
 売上高の趨勢的な増大などと言うと、デフレ思考に染まり切った人々からは、「そんなことが可能なのか」と言われそうです。でも大丈夫。ありがたいことに、売上高の趨勢的な増大を可能にするだけの人間の欲望は存在しています。私たちは、昨日より今日、今日より明日の生活をよりよくしたいと願っています。その願いが途切れてしまわない限り、欲望は際限なく拡大していきます。

 資本主義には、そういう私たちの欲望をうまくつかまえて、売上高を伸ばそうと狙っている株式会社がたくさん存在しています。経営者たちも虎視沈々とチャンスをうかがっています。株式会社はおカネを追いかけて、私たちはおカネを支払って、さらに豊かな生活を追及し続けます。私たちは、支払うおカネを手に入れるために株式会社に就職し、株式会社は私たちに給料としておカネを支払ってくれます。おカネは私たちと株式会社の間を行ったり来たりしながら、自らを増殖させていくわけです。

 資本主義とは、「資本を最も効率的に使う人を賞賛しよう」という経済のことです。賞賛の裏打ちとして、資本を有効に使った人には見返りが必要ですし、その対価として資本の価値を上げることを会社は期待されることになります。資本家も、経営者も、そこで働く人も、ハッピーになり、そのことによって経済が前に進まないと、資本主義は成り立ちません。
(木村剛著「おカネの発想法」日本実業社出版 p219-223)

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 このように、資本の循環過程は、流通と生産との統一であり、この両者を包含する。

両局面G─WとW’─G’とが流通過程である限りでは、資本の流通は一般的商品流通の部分をなす。

しかし、流通部面にだけでなく生産部面にも属する資本循環のなかの、機能的に規定された諸部分・諸段階としては、資本は、一般的商品流通の内部でそれ独自の循環を行なう。

一般的商品流通は、資本にとっては、第一段階では、資本が生産資本として機能しうる姿態をとるのに役立ち、第二段階では、商品機能ではみずからの循環を更新しえない資本がその商品機能を捨て去るのに役立つ。それと同時にそれは、資本にとっては、その独自な資本循環を、資本に寄生した剰余価値の流通から分離する可能性を開くのに役立つ。

 それゆえ、貨幣資本の循環は、産業資本の循環のもっとも一面的な、それゆえもっとも適切でもっとも特徴的な現象形態であり、産業資本の目的および推進的動機──すなわち価値増殖、金儲け、および蓄積──が一目瞭然に表わされている(より高く売るために買う)。

第一局面がG−Wであることによって、生産資本の構成諸部分の商品市場からの由来も、また一般に流通による、商業による資本主義的生産過程の被制約性も、現われてくる。貨幣資本の循環は、商品生産であるだけではない。

それは、それ自身、流通によってのみ成立し、流通を前提する。このことは、すでに、流通に属する形態Gが前貸資本価値の最初のかつ純粋な形態として現われる──他の両循環形態ではそうではない──ということのうちに示されている。
(マルクス著「資本論D」新日本新書 p94-95)

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 第一五節(その四)──「生産手段の社会化」の三つの効能

 続く文章は、「生産手段の社会化」が、どういう意味で、人間社会の進歩に役立つのか、その効能を、三つの角度から特徴づけています。

 第一。「生産手段の社会化は、人間による人間の搾取を廃止し、すべての人間の生活を向上させ、社会から貧困をなくすとともに、労働時間の抜本的な短縮を可能にし、社会のすべての成員(党大会で、「成員」を「構成員」に修正しました。)の人間的発達を保障する土台をつくりだす」(第一五節の三つ目の段落)。

 この文章で注意してほしいのは、一般的な生活の保障、向上の問題とあわせて、人間の全面的な発達を保障することを、未来社会の非常に大事な特徴としていることです。社会を物質的にささえる生産活動では、人間は分業の体制で何らかの限られた分野の仕事に従事することになります。しかし、労働以外の時間は、各人が自由に使える時間ですから、時間短縮でその時間が十分に保障されるならば、そこを活用して、自分のもっているあらゆる分野の能力を発達させ、人間として生きがいある生活を送ることができます。この人間の全面的発達ということは、社会主義・共産主義の理念の重要な柱をなす問題でした。労働時間の短縮にも、こういう意義づけが与えられてきたのですが、人間の発展のこういう大道が開かれる、というのが、大事な点です。

 第二。「生産手段の社会化は、生産と経済の推進力を資本の利潤追求から社会および社会の成員(党大会で、「成員」を「構成員」に修正。)の物質的精神的な生活の発展に移」す。つまり、もうけのための生産から、社会と社会の成員の生活の発展のための生産にきりかわる、ということです。これによって、「経済の計画的な運営」が可能になり、くりかえしの不況を取り除き、環境破壊や社会的格差の拡大を引き起こさないような、有効な規制ができるようになる、ということです(第一五節の四つ目の段落)。

 第三。資本主義経済というのは、利潤第一主義ですから、これは本質的に不経済なものです。一方では、利潤第一主義につきものの浪費が、あらゆる分野に現れます。日本の各地に無残な姿をさらしているむだな大型公共事業の残がいは、資本主義的浪費の典型の一つでしょう。また他方では、くりかえしの不況で、せっかく生産手段もあれば労働力もありながら、それが遊休状態におかれ無活動に放置されるということも、日常の現象になっています。そういう浪費や遊休の土台がなくなりますから、本来なら、その点だけからいっても、改定案でいうように、「人間社会を支える物質的生産力の新たな飛躍的な発展」が、社会主義・共産主義の社会の特徴になるはずです。

 これまでのソ連型の体制は、非効率と生産力の貧しさが特徴でしたから、非効率が「社会主義」の代名詞のように思われがちですが、ソ連の経験は、社会主義の失敗ではなく、官僚主義、専制主義の失敗の現れにほかなりません。

 このように、「生産手段の社会化」が、どういう点で、人間社会の進歩のテコになるかを、三つの点で簡潔に解明したことは、改定案の大事な特徴となっています。
(不破哲三著「報告集 日本共産党綱領」日本共産党中央委員会出版局 p139-140)

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◎「産業資本の目的および推進的動機──すなわち価値増殖、金儲け、および蓄積──が一目瞭然に表わされている」と。