学習通信051209
◎この場合にも二つの道しか……

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 部落では、社会主義者たちが、青いインクで書いたビラをまいているといううわさが立っていた。それらのビラには、工場の秩序について憎々しげに書かれ、ペテルブルグや南ロシヤの労働者のストライキのことが書かれ、労働者たちが、自分たちの利益を守るため、団結と闘争を呼びかけでいた。

 工場でいい給料をとっている年配の人たちは、ののしった。
 「扇動者どもめ! こんなことをやるやつらは鼻面を打ちのめしてやらなけりゃならん!」
 そして、ビラを事務所へ持っで行った。若い連中は、檄文を熱心に読んだ。
 「ほんとうだ!」
 仕事に打ちひしがれ、何事にも無関心になった大部分の者たちは、ものうくそれに応じで言った。

 「なんにも起こりゃしないさ──そんなことができるものかね?」
 しかし、ビラは人々を興奮させた。それが一週間も出ないと、人々はもうお互いに話し合った。
 「どうやら、印刷をやめたらしいな……」
 だが、月曜日にはまたビラが現われ、ふたたび労働者たちは低い声でざわめいた。

 居酒屋や工場には、だれも知らない新顔の人間が目についた。彼らは、根掘り葉掘り、ききほじり、ながめまわり、かぎまわって、すぐにみんなの目にとまった。うさんくさい用心さで目につく者もあれば、あまりにもしつっこいので、気づかれる者もあった。
 母は、この騒ぎが、自分の息子の仕事で持ち上がったことがわかっていた。彼女は、人々が、彼のまわりに集まっていることを見ていた。そしでパーヴェルの身の上を気づかう懸念は、彼を誇りに思う気持ちととけ合った。

 ある晩のこと、マーリヤ・コルスーノワが通りから窓をたたいた。母が窓をあけると、彼女は、大きなささやき声で、言いだした。
 「用心おしよ、ペラゲーヤ。子供たちはやり過ぎたよ! 今晩あんたのところと、マージンとヴェソフシチコフのところに家宅捜索をやることに決まったんだよ……」
 マーリヤの厚い唇がせわしげに打ち合わされ、団子鼻はフウフウと鼻息を立て、目はしばたたいて、往来にいるだれかをさがし求めて、横目で左右にすべった。
 「だけどわたしは、何も知らないんだよ。あんたに何も言わなかったし、きょうはあんたに会いもしなかったんだよ──いいかい?」
 彼女は姿を消した。

 母は、窓をしめ、ゆっくりと椅子に腰をおろした。しかし、息子の身に危険が迫っているという意識が、彼女をす早く立ち上がらせた。彼女は手早く身ごしらえをし、なぜか頭をすっぽりショールで包んで、フェージェ・マージンのところへ駆けつけた。──彼は病気で仕事に出でいなかったのである。彼女が彼のところに来た時には、彼は窓ぎわに腰をおろして、本を読みながら、親指を立てた左手で右手を揺すっていた。知らせを聞くと、彼はさっと立ち上がり、顔が蒼ざめた。
 「こりゃ事だ……」と、彼はつぶやいた。
 「どうしたもんだろうね?」と、震える手で顔の汗をふきながら、ウラソワがきいた。
 「ちょっと待って──あんたはこわがることはないよ!」と、フェージャは、丈夫な方の手でちぢれ毛をなでながら答えた。
 「だって、あんた自身がこわがっでいるじゃないかね!」と、彼女は叫んだ。
 「わしかい?」と、彼のほおはぼっと赤らんだ。そしでばつ悪そうに微笑して言った。「そうだね。畜生!……パーヴェルに知らさなけりやならない。すぐ使いをやります! あんたはお帰りなさい──平気ですよ! どうせ、なぐるようなことはないでしょうから。」

 家に帰ると、彼女は、パンフレットを全部集めて、それを胸に抱き締めながら、かまどの中や、煖炉の下や、水桶の中までのぞき込みながら、家の中をで長い間歩きまわっていた。彼女は、パーヴェルがすぐにも仕事を放り出して、帰って来るような気がしていたが、彼は帰って来なかった。とうとう彼女は、疲れきって、台所のひじ掛けの上に腰をおろし、本を自分の下に敷いた。そうして立ち上がるのが恐ろしくて、パーヴェルと小ロシヤ人が工場から帰って来るまで、そのまますわりとおしていた。
 「知っているの?」と、彼女は、立ち上がらないで叫んだ。
 「知ってるよ!」と、パーヴェルがにやにや笑いながら言った──「こわいかい?」
 「とても、こわくて、こわくて……」
 「こわがることはないですよ!」と、小ロシヤ人が言った。「こりゃ──どんなことにもなりやしませんよ。」「サモワールも用意しなかったんだね!」と、パーヴェルが口を入れた。

 母は立ち上がって、パンフレットをさしながら、すまなさそうに説明した。
 「こうして、ずっと、この本を持って……」
 息子と小ロシヤ人は笑い出したが、それが彼女を元気づけた。パーヴェルは幾冊かの本をより出して、それをかくしに中庭へ持って行き、小ロシヤ人はサモワールを用意をしながら、こう言った。

 「なんにもこわいことなんかありませんよ、おばさん。ただくだらないことをやっている人間がいるということは、恥ずかしいですよ。大人のくせに、横腹にサーベルをぶらさげたり、長靴に拍車をつけたりしてやって来て、そこらじゅうをひっかきまわす。寝台の下や煖炉の下をのぞき込み、穴倉があれば、その穴倉にもぐり込み、それから屋根裏にものぼる。そこで蜘蛛の巣が顔にかかって、鼻息を立てる。あいつらだって面白くもないし、恥ずかしい。だからあいつらは、自分たちがひどく悪人のようなふりをして、あなたにおこっているような顔つきをするんです。きたない仕事だということは、あいつらだって知っているんですよ! ある時は、ぼくのところをすっかり引っかきまわして、困って、ただ引き上げて行きましたが、二度目は、ぼくをも引っ張って行きましたよ。監獄に入れられてぼくは四ヵ月ほどいましたがね。じっとはいっているとで呼び出して、兵隊をつけて通りを引っ張り歩いたあげく、何かきくんです。あいつらは、少し足りないものだから、辻つまの合わないことを言って、しばらくそんなことを言ってから、また兵隊に言いつけて監獄に連れて帰らせるんです。こうしてあっちこっちを引っ張りまわされたが──あいつらは俸給を取っているんだから、その働きを見せなけりゃならないんですよ! あげくのはてが、釈放となって──それっきりなんですよ。」

 「あんたがいつも話したとおりね、アンドリューシヤー」と、母は叫んだ。
 サモワールのそばにひざをついて、彼は熱心に煙突を吹いていたが、そこで緊張のために赤くなった顔を上げて、両手で口ひげをととのえながら、きいた。
 「ぼくの話のとおりですって?」
 「あなたはいつだって、だれにもはずかしめを受けたことなんか、ないみたいですもの……」

 彼は立ち上がって、頭を振って、にこにこ笑いながら話し始めた。
 「だって、この地上のどこにはずかしめを受けたことのない人間なんかいるでしょうか? ぼくは、さんざんはずかしめられたから、もうそれに腹を立てる元気もなくなったんですよ。人間がそれ以外にどうにもできないとなれば、仕方がないじゃないですか。腹を立てていると仕事の邪魔になるし、そんな気持ちでうろうろと足踏みしていることは──時間の浪費ですよ。生活ってものは、そういうもんですよ! ぼくも、以前は、人に向かって腹を立てたもんですが、考えてみると、腹を立てるだけの値打ちがないことがわかりましたよ。だれでも、隣の人間になぐられやしないかとびくびくし、それに、白分がさきに横っ面をなぐってやろうと努めていますよ。生活ってのは、そういうものですよ、おばさん!」

 彼の話は、静かに流れ、家宅捜索を待つ不安をどこかわきの方へ押しのけてくれた。とび出した目は、明るく微笑し、彼の全身は不格好だが、とてもしなやかであった。
 母は吐息をついて、暖かく、彼のために願った。
 「神様があなたに幸福をさずけて下さいますように、アンドリューシャー」
 小ロシヤ人は大またにサモワールの方ヘー足踏み出し、またもサモワールの前にうずくまって、小声でつぶやいた。
 「幸福をくれるというなら、断わりはしないけど、こちらから頼むことは──しませんよ!」

 パーヴェルが中庭からもどって来て、自信ありげに言った。
 「見つかりっこはないよ!」そして手を洗い始めた。
 それから、しっかりと念入りに手をふきながら、占いだした。

 「おかあさん、もしあなたが、びくびくしている様子をあいつらに見せると、あいつらは、それじゃ、あの女があんなに震えているからには、この家の中には何かあるなと思いますよ。あなたはわかっているでしょう。──ぼくたちは悪いことを望んでいるわけじゃない。真実はぼくたちの方にある。一生涯ぼくたちは真実のために働くんです──これがぼくたちの罪なんですよ。だから何を恐れることがありますか?」

 「わたしは、パーシャ、しっかりしているよ。」と、彼女は約束した。そのあとですぐ彼女は、やるせなさそうに口をすべらせた。「いっそ早くやって来てくれた方がいいよ!」
 だが、彼らはその晩には来なかった。そしてあくる朝、母は自分がこわがっていたのを冷かされはしないかと考えて、自分で先に自分をからかった。
 「恐ろしいことが起こりもしない前に、わたしはびっくりしてしまってさ!」
(マクシム・ゴーリキイ「母」新日本出版社 p53-58)

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 改良された機械は賃金を引き下げるということを、労働者は絶えず主張してきたが、やはりブルジョアジーは断固として否定している。ブルジョアジーの主張では、生産が容易になって製品一個あたりの賃金が下がったとしても、週賃金は全体として下落するよりもむしろ上昇しており、労働者の状態は悪化するよりむしろ改善されている、という。

労働者はたいてい一個あたりの賃金の下落を引きあいにだしてくるので、この間題を根本からあきらかにすることは難しいが、しかし、それにもかかわらず、いろいろな労働部門の週賃金もまた、機械のために引き下げられていることだけは、たしかである。

いわゆる細糸精紡工(細いミユール糸を紡ぐ)は、たしかに週三〇ないし四〇シリングという高賃金をとっているが、それは彼らが精紡工賃を維持するために強力な組織をもっており、また彼らの仕事を習得するのには苦労がいるからである。しかし太糸精紡工は、細糸には使えない自動機と競争しなければならないし、彼らの組織はこういう機械が導入されたために弱体化しているので、非常に低い賃金しかもらっていない。

あるミユール精紡工は、週に一四シリング以上は稼げないと、私に語ったが、次のようなりーチの証言はこの話と一致している。すなわち、いろいろな工場で太糸精紡工は週に一六シリング半以下を稼ぎ、三年前に三〇シリング稼いでいたある精紡工は、いまではほとんど一二シリング半しか稼げず、昨年も平均するとそれ以上は稼いではいなかった、と。

たしかに女性や子どもの賃金はそれほど下落していないが、それは最初から賃金が高くなかったためにすぎない。私は、夫を失い、子どもをかかえた女性が週に八ないし九シリングを稼ぐのに、たいへん苦労している例をいくつも知っているが、これだけでは家族をかかえた彼女たちがふつうに暮らしていくことはできないということを、イギリスの最低生活必需品の価格を知っている人なら、誰でもみとめるであろう。

だが、一般に賃金が機械の改良によって引き下げられたということは、すべての労働者が一致していうところである。

機械生産によって労働者の状態が改善されたかのようにいう工業ブルジョアジーの主張が、労働者階級自身によってとんでもない嘘だときめつけられるのは、工場地帯のどの労働者集会においても聞かれるところである。

しかも、たとえ、相対的賃金、すなわち一個あたりの賃金だけが下落し、絶対的賃金、すなわち毎週もらう賃金の総額は変わらないということがほんとうだとしても、それでどんな結論になるのだろうか。

工場主諸氏が自分の財布をいっぱいにし、機械が改良されるたびに利益をえているのに、労働者にはわずかな分け前さえ与えないのを、労働者はおとなしく見ていなければならなかったということなのである。

ブルジョアジーは、労働者とたたかうときには、彼ら自身の国民経済学のごく当たり前の原理も忘れてしまう。彼らはいつもはマルサスを信じきっているのに、恐怖にかられて労働者に次のように反論する、イギリスの人口は何百万人もふえたのに、もし機械がなければこれらの人はどこで仕事を見つけただろうか、と。

これは、機械とそれによってもたらされた工業の発展がなければ、この「数百万人」は生まれもしなかったし、成長もしなかったであろうということを、ブルジョアジー自身はまるでまったく知らないかのような、馬鹿馬鹿しいいい分だ! 

機械が労働者の役に立っているのは、ただ、機械が労働者に敵対して働くのではなく、労働者のために働くようになる社会改革の必要性を、労働者に教えたことだけである。

賢明なブルジョア諸氏は、マンチェスターやその他で道路掃除をしたり(この仕事にも機械が発明され導入されたので、いまやそれももちろん過去のことだが)、街頭で塩やマッチやオレンジや靴ひもを売ったり、乞食をしたりして歩きまわらなければならない人びとに、以前はなにをしていたのかと、一度たずねてみるとよい──そうすれば、機械のために失業したエ場労働者だという答えが、どんなに多いことであろう。

労働者にたいする機械改良の結果は、現在の社会的関係のもとでは、不利なことばかりで、しばしばきわめて重い圧力となる。

新しい機械はすべて失業と貧困と窮乏をもたらす──そして、イギリスのように、もともとほとんどつねに「過剰人口」をかかえている国では、解雇ということは、たいていの場合、労働者におそいかかってくる最悪の事態である。

そして、そういうことは別としても、機械の絶え間ない進歩と、それにともなう失業とから生ずる社会的地位のこのような不安定さは、そうでなくともすでに不安定な地位にある労働者を、どんなに無気力にし、元気を失わせるよう影響することだろうか!

絶望から逃れるためには、この場合にも労働者には二つの道しか、ひらかれていない。すなわち、ブルジョアジーにたいする内面的、外面的な反抗か──あるいは酒を飲んだり、堕落した生活を送るか、である。

そしてイギリスの労働者は、この両方の道へ逃げこむのがふつうである。イギリスのプロレタリアートの歴史は、機械とブルジョアジー一般にたいする何百回もの反乱を伝えているし、堕落した生活については、すでにのべたとおりである。これ自体、もちろん、絶望の別のあらわれにすぎない。
(エンゲルス著「イギリスにおける労働者階級の状態 上」新日本出版社 p207-209)

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◎「機械が労働者の役に立っているのは、ただ、機械が労働者に敵対して働くのではなく、労働者のために働くようになる社会改革の必要性を、労働者に教えたことだけである」と。