学習通信060106
◎だまし絵に見える……

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蜘蛛となめくじと狸

──略──

一、赤い手長の蜘蛛

 蜘蛛の伝記のわかっているのは、おしまいの一ケ年間だけです。
 蜘蛛は森の入□の楢(なら)の木に、どこからかある晩、ふっと風に飛ばされて来てひっかかりました。蜘蛛はひもじいのを我慢して、早速お月様の光をさいわいに、網をかけはじめました。
 あんまりひもじくておなかの中にはもう糸がない位でした。けれども蜘蛛は

「うんとこせうんとこせ」と云いながら、一生けん命糸をたぐり出して、それはそれは小さな二銭銅貨位の網をかけました。

 夜あけごろ、遠くから蚊がくうんとうなってやって来て網につきあたりました。けれどもあんまりひもじいときかけた網なので、糸に少しもねばりがなくて、蚊はすぐ糸を切って飛んで行こうとしました。
 蜘蛛はまるできちがいのように、葉のかげから飛び出してむんずと蚊に食いつきました。

 蚊は「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。」と哀れな声で泣きましたが、蜘蛛は物も云わずに頭から羽からあしまで、みんな食ってしまいました。そしてホッと息をついてしばらくそらを向いて腹をこすってから、又少し糸をはきました。そして網が一まわり大きくなりました。

 蜘蛛はそして葉のかげに戻って、六つの眼をギラギラ光らせてじっと網をみつめて居りました。

 「ここはどこでござりまするな。」と云いながらめくらのかげろうが杖をついてやって参りました。
 「ここは宿屋ですよ。」と蜘蛛が六つの眼を別々にパチパチさせて云いました。
 かげろうはやれやれというように、巣へ腰をかけました。蜘蛛は走って出ました。そして「さあ、お茶をおあがりなさい。」と云いながらかげろうの胴中にむんずと噛みつきました。

 かげろうはお茶をとろうとして出した手を空にあげて、バタバタもがきながら、
「あわれやむすめ、父親が、
旅で果てたと聞いたなら」
と哀れな声で歌い出しました。

「えい。やかましい。じたばたするな。」と蜘蛛が云いました。するとかげろうは手を合せて
「お慈悲でございます。遺言のあいだ、ほんのしばらくお待ちなされて下されませ。」とねがいました。
 蜘蛛もすこし哀れになって
「よし早くやれ。」といってかげろうの足をつかんで待っていました。かげろうはほんとうにあわれな細い声ではじめから歌い直しました。

「あわれやむすめちちおやが、
旅ではてたと聞いたなら、
ちさいあの手に白手甲、
いとし巡礼の雨とかぜ。
もうしご冥加ご報謝と、
かどなみなみに立つとても、
非道の蜘蛛の網ざしき、
さわるまいぞや。よるまいぞ。」

「小しゃくなことを。」と蜘蛛はただ一息に、かげろうを食い殺してしまいました。そしてしばらくそらを向いて、腹をこすってからちょっと眼をぱちぱちさせて
「小しやくなことを言うまいぞ。」とふざけたように歌いながら又糸をはきました。

 網は三まわり大きくなって、もう立派な蜘蛛の巣です。蜘蛛はすっかり安心して、又葉のかげにかくれました。その時下の方でいい声で歌うのをききました。
「赤いてながのくぅも、
天のちかくをはいまわり、
スルスル光のいとをはき、
きぃらりきぃらり巣をかける。」
 見るとそれはきれいな女の蜘蛛でした。
「ここへおいで。」と手長の蜘蛛が云って糸を一本すうっとさげてやりました。

 女の蜘蛛がすぐそれにつかまってのぼって来ました。そして二人は夫婦になりました。網には毎日沢山食べるものがかかりましたのでおかみさんの蜘蛛は、それを沢山たべてみんな子供にしてしまいました。そこで子供が沢山生まれました。ところがその子供らはあんまり小さくてまるですきとおる位です。

 子供らは網の上ですべったり、相撲をとったり、ぶらんこをやったり、それはそれはにぎやかです。おまけにある日とんぼが来て今度蜘蛛を虫けら会の相談役にするというみんなの決議をつたえました。

 ある日夫婦のくもは、葉のかげにかくれてお茶をのんでいますと、下の方でへらへらした声で歌うものがあります。
「あぁかい手ながのくぅも、
できたむすこは二百疋、
めくそ、はんかけ、蚊のなみだ、
大きいところで稗のつぶ。」
見るとそれは大きな銀色のなめくじでした。

 蜘蛛のおかみさんはくやしがって、まるで火がついたように泣きました。
 けれども手長の蜘蛛は云いました。
 「ふん。あいつはちかごろ、おれをねたんでるんだ。やい、なめくじ。おれは今度は虫けら会の相談役になるんだぞ。へっ。くやしいか。へっ。てまえなんかいくらからだばかりふとっても、こんなことはできまい。へっへっ。」

 なめくじはあんまりくやしくて、しばらく熱病になって、
「うう、くもめ、よくもぶじょくしたな。うう。くもめ。」といっていました。

 網は時々風にやぶれたりごろつきのかぶとむしにこわされたりしましたけれどもくもはすぐすうすう糸をはいて修繕しました。

 二百疋の子供は百九十八疋まで蟻に連れて行かれたり、行方不明になったり、赤痢にかかったりして死んでしまいました。

 けれども子供らは、どれもあんまりお互いに似ていましたので、親ぐもはすぐ忘れてしまいました。
 そして今はもう網はすばらしいものです。虫がどんどんひっかかります。

 ある日夫婦の蜘蛛は、葉のかげにかくれてお茶をのんでいますと、一疋の旅の蚊がこっちへ飛んで来て、それから網を見てあわてて飛び戻って行きました。
 すると下の方で
「ワッハッハ。」と笑う声がしてそれから太い声で歌うのが聞えました。

「ああかいてながのくぅも、
あんまり網がまずいので、
八千二百里旅の蚊も、
くうんとうなってまわれ右。」

 見るとそれは顔を洗ったことのない狸でした。蜘蛛はキリキリキリッとはがみをして云いました。

「何を。狸め。一生のうちにはきっとおれにおじぎをさせて見せるぞ。」
 それからは蜘蛛は、もう一生けん命であちこちに十も網をかけたり、夜も見はりをしたりしました。ところが困ったことは腐敗したのです。食物がずんずんたまって、腐敗したのです。そして蜘蛛の夫婦と子供にそれがうつりました。そこで四人は足のさきからだんだん腐れてべとべとになり、ある日とうとう雨に流れてしまいました。
 それは蜘蛛暦三千八百年の五月の事です。
(宮沢賢治著「新編 風の又三郎」新潮文庫 p45-51)

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大磯 小磯
 薄気味悪い心地よさ

 大納会の日経平均株価は一万六〇〇〇円台で引け、年初来の上昇率は先進国で最高の四割強に達した。東証一部の時価総額は約五百三十兆円とピーク時の水準の九割弱に追っている。三年連続最高益が確実な企業業績ありきだが、長期金利の低位安定と想定外の円安に支えられた、持続性の怪しい僥倖(ぎょうこう)相場の疑いをぬぐえない。

 予想に反して衰えぬ米国経済の堅調さがあればこその日本の株高だからだ。米国は一年半に及ぶ利上げにもかかわらず長期金利が低卜、経常収支の巨額の赤字にもかかわらずドル高を維持している。

 米国のトリプル高はIT(情報技術)による生産性革命と経済のグローバル化で説明される。住宅バブルが象徴する金融をテコにした旺盛な国内需要を背景に、企業の高い収益力が世界の貯蓄を引き寄せ、新興諸国の低賃金労働力が物価のアンカーになる。

 綱渡り的均衡の切り□は現状を説明できても持続可能かどうかの証明は難しい。米国を最終消費地、中国を中間生産地として循環する世界経済の拡大不均衡は、いずれドル安と過剰生産力の調整を避けて通れない問題先送りにすぎず、この成長循環は永久運動機関のだまし絵に見える。

 日本に視線を戻せば、企業の三つの過剰と金融の不良債権はほぼ片づき、持ち合い解消で株式市場は生まれ変わった。しかし、単なる自助努力の成果ではなく、政府が民間債務を肩代わりした結果である。株式市場のリスクが債券市場にシフトしたのであり、PKO(政府の株価維持策)に相当する異常な金融政策は家計から企業へ所得移転を促し、最大の債務者の政府の財政破綻を覆い隠すものだ。

 人口減少社会は既に現実のものとなり、増税と財政支出の削減による有効需要の減退は近未来の確かな現実で、異常な金融政策の是正はさらに間近な現実の課題である。

 政府が日銀を執拗(しつよう)にけん制するのは、財政問題のみならず、日本発の過剰流動性の終えんが米国を通じて世界経済を縮小させる影響を危惧するからではないのか。そうだとすれば、金融政策の正常化さえできない異常な環境の下での株高は、ぜい弱な構造によって立つあだ花の可能性を否定できない。

 結構ずくめの新しい現実の中で過ぎゆく年を振り返り、薄気味悪い心地良さを感じるのは杞憂(きゅう)だろうか。(渾沌)
(日経新聞 20051231)

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 このように、利潤第一主義の支配が、労働者の生活を圧迫し、小生産者を没落させ、より弱い 資本家を収奪し、社会を構成する圧倒的多数者と資本主義とのあいだの矛盾を、いやおうなしに 激化させる──ここに、資本主義体制の根底をゆるがす第一の基本的な矛盾があります。

「生産のための生産」が経済社会の特質となった

 もう一つの矛盾は、資本主義社会が、経済体制として、これまでのいかなる生産様式ももたなかった深刻な矛盾をかかえていることです。

 その矛盾のいちばん鮮明な現れに、資本主義社会が、その誕生以来、周期的な恐慌あるいは不況という危機的な現象に二世紀にもわたって悩まされつづけ、いまだにそこからの活路を見出せないでいる、という問題があります。

恐慌とか不況とかいうのは、物を大量につくりすぎて、その買い手を見つけられないまま、経済が崩壊することですが、物をつくりすぎる過剰生産の悩みというのは、資本主義以前には、人問社会が経験したことのない悩みです。

だいたい、それまでの経済的な危機と言えば、干ばつなどで農業生産が荒廃して飢餓がひろがるなど、過少生産の危機が普通でした。過剰生産の危機というのは、資本主義経済になってはじめて人類が出会った危機です。そこに、資本主義がそのしくみのなかにもっている経済体制としての矛盾が、もっとも深刻な、もっともきわだった形で現れている、と見てよいでしょう。

 しかし、マルクス以前の経済学は、資本主義の根幹をゆるがすこの危機的な現象の前ではまったく無力で、なぜこんな事態が起こるのかについて、なに一つ説明することができませんでした。

ここでも、マルクスがはじめて、問題の科学的な研究をおこない、その解明をおこないました。
(不破哲三著「科学的社会主義を学ぶ」新日本出版社 p112-113)

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◎「資本主義がそのしくみのなかにもっている経済体制としての矛盾」と。