学習通信060112
◎なんだって「できっこない」などと……

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自信のあるなし

 私たちのまわりでは、よく、自信があるとか、自信がないとかいう表現がされろ。そして、この頃の少しものを考える若い女のひとは、何となしこの自信のなさに自分としても苦しんでいることが多いように思えるのはどういうわけだろうか。

 一つには、女の与えられる教育というものが、あらゆる意味で不徹底だという理由がある。なまじい専門程度の学校を出ているということで、現実にはかえってその女のひとの心がちぢかまるということは、深刻に日本の女性の文化のありようを省みさせることなのである。

 けれども、自信というものに即してみれば、そもそも自信というものは私たちの生活の実際に、どういう関係を持っているのだろう。でも自信がなくて、といわれる時、それはいつもある一つのことをやって必ずそれが成就すると自分に向かっていいきれない場合である。成就するといいきれないから、踏み出せない。そういうときの表現である。

けれども、いったい自信というものは、そのように好結果の見とおしに対してだけいわれるはずのものだろうか。成功し得る自信というしか、人間の自信ははたしてあり得ないものだろうか。

 私はむしろ、行為の動機に対してこそ自信のある、なしとはいえるのだと思う。

あることに動こうとする自分の本心が、人間としてやむにやまれない力におされてのことだという自信があってこそ、結果の成功、不成功にかかわりなく、精一杯のところでやって見る勇気を持ち得るのだと思う。

その上で成功すれば成功への過程への自信を、失敗すれば再び失敗はしないという自信を身につけつつ、人間としての豊かさを増してゆけるのだと思う。

行為の動機の誠実さに自分の心のよりどころを置くのでなくて、どうして人生の日々に新しい一歩を踏んでゆかなければならない青春に自信というものがあり得よう。
(宮本百合子著「若き知性に」新日本新書 p32-33)

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できっこない、とは言うな

生きてる限り、「できっこない」とは言うな、
堅固なものも堅固でない、
変らずにいるものはない、
支配者の声が地におちるとき
被支配者の声がたかまる。

なんだって「できっこない」などと言うのか?
圧制が続くなら誰のせいか? ぼくたちのせいだ。
圧制が打ち砕かれるなら?
やはりぼくたちのだ。

うちのめされるままにまかせず、立ちあがれ!
途方にくれていず、たたかうのだ!
状況を把握していれば、阻むなにがあろうか?

思え、きょうの敗者はあすの勝者、
「できっこない」は「きょうのうちにも!」となる。

(「ブレヒト詩集」飯塚書店 p81)

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──家父長制的な関係は労働者の奴隷状態を偽善によって隠しており、そこでは労働者は精神的には死んでおり、自分自身の利益についてはなにも知らず、たんなる一個人にとどまっていなければならなかった。

彼が自分の雇主から距離をおいたときにはじめて、彼が雇主とは私的な利益によってのみ、金もうけによってのみ、結びついているのだということがあきらかになったとき、ほんのわずかないざこざでもあればくずれてしまうような見かけだけの愛着が完全になくなってしまったとき、そのときはじめて、労働者は自分の地位と自分の利益について認識し、自主的に発展しはじめるのである。

そのときはじめて、労働者はその考え方、感情、意思表示において、ブルジョアジーの奴隷ではなくなるのだ。そしてこれらの点では、大規模な工業と大都市の影響が大きいのである。
(エンゲルス著「イギリスにおける労働者階級の状態 上」新日本出版社 p187-188)

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◎「その上で成功すれば成功への過程への自信を、失敗すれば再び失敗はしないという自信を身につけつつ、人間としての豊かさを増してゆけるのだと思う」と。