学習通信060116
◎そのことが親子の関係を人間的に……
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23 育児書の読み方
はじめての子どもを育てるとき、まわりに経験者がだれもいないばあい、育児書にたよるほかありません。産院で赤ちゃんをわたされて、家に帰ったときの心細いこと、泣いても、シャックリしてもビクビクします。母乳が足りないのではないかという心配や便のよしあしなど、かぎりなく不安ななかで育児書をひきひき、毎日をすごします。
ここでちょっと注意したいのは、育児書には一般的なことは書いてありますが、それはあくまで最大公約数的なことで、ひとりひとりの子どもの個性や体質の違いを考慮にいれていないことです。子どもは、顔がちがうようにそれぞれ食欲もちがいます。「○ヵ月の乳児はミルクOOcc」と書いてあるからといって、それだけ飲まないと栄養失調になるかしら……とあまり無理にのませるとミルクぎらいになったりします。要は両親がその子の性格や個性をよく知って、そのうえで育児書を参考にすることなのです。
子どもくらい成長に個人差のあるものはありません。ひとり歩き、遊び、ことば、絵や字を覚えることなど、すべて標準どおりに育つとはかぎりません。親はそれらをいちいちよその子どもと比較して、「うちの子はおくれている」などと心配したり、子どもの前で言ったりしてはいけません。たとえいわゆる正常児よりおくれた面があったとしても、他の積極面やのびている側面を評価し、はげましてやることが大切です。育児書をあまりにも型どおりに受けとめ、それに書かれているとおりを保育園などに要求するのも正しくないでしょう。
だからといって、育児書はまったく必要ないかというとそうではなく、わが子を客観的にみて自分の育児方法を反省するためにも、また一般的なひとつの指標として、手元におき、そこからまなぶ態度は必要です。
みんなのなかの子ども、社会に育つ子どもという観点で書かれ、子どもを親の所有物のように考える意識──それはどんな親をもわが子本位の過保護にさせる──から脱皮させる、しっかりした幼児観・児童観をもった育児書が、数多く出版されるとよいのですが、実際には、そうでないばあいも多いので、批判的によむことも必要です。
(近藤・好永・橋本・天野「子どものしつけ百話」新日本新書 p60-61)
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1 保育運動の精神
前章では、仕事を通しての社会的生きがいと、人間らしい子育てとを二つながら実現することが現代の国民生活の基本的な課題になっており、子どもと心を通わせることが、親子関係の課題になっているということを述べた。
日本の保育運動は、実はそうした課題を、正面から追求してきたものであるはずである。いまそのことを、私自身が、保育運動にはじめてかかわりをもったときに、その精神として理解したことをあらためてふりかえるというかたちで、確認しておこう。
私は、六〇年代に青年期を過ごし、とりわけ、その後半に自分の生き方、恋愛・結婚について考えた。そして七〇年代のはじめに結婚し、親となり、共働きのなかで子どもを育て、ひとりの父親として保育と保育運動にかかわりをもった。そして、その過程で、保育運勤とはなにかを考えてきた。
私は、子育てに没入していた私の母親が、子どもをひととおり育てあげた後に、ひどい虚脱状態に陥ったのをまのあたりにしたこと、自分自身のなかにある女性観の根深いゆがみを痛感したこと、当時の婦人論に触発されたこと、などが重なって、結婚する場合には、妻の職業をたいせつにしたいと考えるようになった。男女が人格的に、対等の愛情によって結ばれた夫婦になるためには、女性の経済的自立が必要条件であると考え、妻の経済的自立を保障しようと考えたわけである。
こうしたことを考えていた頃に読んだもので、今も印象に残っているつぎのような文章がある。
「今日の愛のモラルは、資本主義社会に於てこんなにも強く女性の生活の上に現れている板挟みの状態(職業をもって社会的に自立することと、良い妻であり、母であろうとすることを統一できない、その板ばさみの状態──筆者注)を、男子がどの程度まで自分の人間性そのものにもかかわっている状態として理解するかという具体的な点にかかっている。
何故なら、愛は何時も好意である。不便や不幸を少くして喜びと希望とをもたらそうとする善意そのものである。自分の人生を愛し、女性である喜びを愛そうとし、人間である男の誇らしい希望や奮闘に同感したいと思っている女性たちにとって、愛とはこの生き方に必要な互いの協力と理解と信頼以外の何物であり得るだろう。
愛というものが、今日の現実の中で、もし『君に台所の苦労は一切させないよ』とささやいたならば、ささやかれた女性はその嘘に身震いするだろう。信実の愛はこう相談する、『さて家事が一大事だね、どういう風にやれるだろう。』考え深い普通の声でこう相談が持ち出された時、そこには現実的な助力と生きた愛がある。
二人が二人のこととして辛抱しなければならないことがはっきりと見られる。従ってそれを解決して行こうとするあらゆる積極的な方法が研究される可能がある。そしてこういう相談をすることを知っている人々は、きっとその可能性というものが、社会の歴史の前進の度合に応じて増して来るものであることを知っているに違いない。
それだけのことを知っている人たちは、又自分たちの勤労とその喜びや悲しみの中にある一つ一つの発展への努力が、目に見えない力のようでありながら、実は確実に歴史を前進させる力となって行くことをも知っているに違いない。人間であることを喜び、その意味で苦悩さえも辞さない見事な人々はきっと思っているだろう。自分たちは歴史によって創られた夫婦であることだけでは満足しない。歴史を創る一対の男女でありたいと。」(宮本百合子「人間の結婚」、一九四七年、全集第十五巻)
私は、やがて自分のするであろう結婚をこのようにイメージした。男に課せられている愛のモラルは、ここに書かれているようなものではないかと考えた。そして、必要な家事についても、ここに書かれているように処理していかねばならないし、またそうできるのではないかと思った。
ところが、結婚の理想を描き、家事の具体的な処理の仕方についてイメージをもつことはできても、共働きの夫婦の、子産み、子育てはいったいどのようになるのかということについては、かんたんにイメージが湧かなかった。私自身が共働きのなかで育てられたわけではなく、それについての不安は、かんたんにはぬぐいきれなかった。そして、この問題をどう考えるかということが、私の場合、一つの理論的な関心事になっていった。
そこで当時の婦人論などが、どのようにこの問題を解明しているかを、調べてみた。そして、当時(六〇年代半ばから後半)の婦人論は、全体として、子産み、子育ての問題についての突っ込みが弱いという印象をもった。これは、私だけの印象だったのではなく、六〇年代末には、従来の社会科学的な婦人論が、「生命の直接的な生産と再生産」(エンゲルス)の問題、すなわち子どもを産み、育てるという営みの問題に対して、その営みの重大さにふさわしい研究を行なっていないという反省がさまざまに行なわれた。そうした状況が当時の婦人論の特徴であったといえる。
しかし調べていくなかで自分の考えをつくっていく参考になるいくつかの文献にぶつかった。
その一つに、クララ・ツェトキンの論文があった。そこには、資本主義社会のなかで、必然的に発展してくる、婦人の社会的進出、それにともなう経済的自立が、夫婦の平等の客観的条件をつくり出していくが、それは、同時に子育てが夫婦の共同の営みとなり、親子の関係が人間的なものとなり、家庭が新しい教育的な場所になっていく条件を、準備しているのだという指摘があった。
また、クルプスカヤがエレン・ケイを批判した論文も示唆的であった。エレン・ケイは、彼女の時代の貧困な保育施設のなかでの子どもの発達のさまざまな問題を挙げ、それに対して、家庭を理想化し、そして社会的な保育を否定して、家庭の育児を第一に置いている。その議論についてクルプスカヤは、家庭育児と社会的な保育との関係を論じたそれまでの思想や理論は、一方を現実のままにし、他方を理想化しておいて、そのどちらかを二者択一的に選択するという論理になっており、エレン・ケイの場合はまさにその典型であるとし、そうした論理のたてかた自体が誤っていると批判した。私も家庭育児と社会的な保育とを、二者択一的に考える発想にとらわれていたため、このクルプスカヤの批判は、自分自身の発想の問題性を強く感じさせるものであった。
これらを読みながら、私は、婦人の働く権利が保障されること、そのために社会的な保育が発展すること、そのことが親子の関係を人間的にし、家庭を新しく教育的な場にする条件になる、その意味で家庭育児と社会的保育を、二者択一的にとらえる発想は、基本的に間違いではないかと考えた。そして、婦人の働く権利を主張し、社会的な保育の充実を求めるものは、同時に、客観的につくり出されてくる新しい夫婦の結合の可能性、新しい親子の結合の可能性、そして家庭が新しい教育の場になる可能性を、現実のものとするために、人間的な家庭生活と親子関係をつくり出す努力をするものでなければならないと思った。
さらに私が、共働きで子どもを育てようと決心を固めるまでには、もう一つの要因がどうしても必要であった。それは、子どもの人間的な成長にとっても、条件があれば、社会的保育、集団保育が積極的な役割りを果たす可能性があるということ、そうした保育は、親と保育者との共同のなかでつくりだされていくものであるということを具体的に知ることであった。そのころ、私は、下出智子の『集団育児』という本を偶然の機会に読み、それによって目が開かれる思いがした。それは、日本の保育運動の歴史のなかでも、かなり早い時期に、子どもの発達の実際の姿とそれにかかわる父母と職員の姿を生きいきとまとめたものとして、注目にあたいする本であると思う。その本の結論として下出はこう書いている。
「保母と両親と、子どもを取り巻く周囲の人びとが、お互いにはげましあい、批判しあいながら、協力して子どもの生活を守っていくならば、『集団育児』は母と子の一対一の『家庭育児』に少なくとも劣らぬ、時には、それを超える成果を、子どもの心とからだ(健康)にあたえるものだと考えている。」
こうして私は、一九六〇年代の後半に、当時の婦人論や、集団保育の運動のなかでの子どもの発達の事実と親の姿をまとめた本に触れながら、社会的な保育を充実することを求める保育運動は、それ自体新しい国民の親子関係と子育てのあり方を模索し、つくり出そうとしている運動でもあるというように理解した。それは、私の個人的な理解というだけではなく、日本の保育運動の精神であったと思う。
いま、自分の生き方と親子関係のあり方を問いながら、子育ての思想を自己形成していくことが、国民的課題になっている状況のなかで、保育運動はまさにその課題を追求してきたものであるということをあらためて確認し、そうした保育運動の精神・思想を展開し、深めていくことが、必要になっていると思う。
(田中孝彦著「子育ての思想」新日本新書 p39-46)
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◎「みんなのなかの子ども、社会に育つ子どもという観点で書かれ、子どもを親の所有物のように考える意識
──それはどんな親をもわが子本位の過保護にさせる──
から脱皮させる、しっかりした幼児観・児童観」と。