学習通信060120
◎同じ権利によって……

■━━━━━

憲法は国家権力をしばるもの

 では、憲法とは、そもそもどういうものなのか。ちょっと考えてみましょう。
 憲法とは、簡単に言えば、その国の「法律の親分」のようなもの。一番上に憲法があって、その下にさまざまな法律が存在している、というイメージでしょうか。

 でも、憲法は単に「法律の親分」ではないのです。法律は国民ひとりひとりが守るべきものですが、憲法は、その国の権力者が守るべきものだからです。

 そもそも憲法は、国家権力を制限して、国民の自由と権利を保障するものです。

 たとえばイギリスでは、一七世紀、国王と議会がたびたび対立しました。国王が勝手な振る舞いをして国民を苦しめることが多く、これに怒った議会のメンバーは、国王の力を制限する「権利の章典」を制定しました。これは「名誉革命」と呼ばれています。国王の力を、憲法のもとで制限してしまおうというものでした。「王様にだって、守るべきルールはある」というわけです。その後も、議会が国王と対立しながら、少しずつ国王の力を減らし、議会が力を持つようになりました。

 このように、国家権力を制限する憲法にもとづいて政治を行うことを「立憲主義」といいます。

 ちなみに、イギリスには、アメリカや日本のような実際の文章になった憲法(成文憲法)はありません。「イギリス憲法」というものは存在しないのです。でも、過去の慣習や裁判の判例を積み重ね、それを守ることで、憲法が存在する実態を作り上げてきました。このように実際に文章に記されたものがないので、「不文(不成文)憲法」といいます。なんだか不思議な感じがしますが、みんなが伝統と慣習を守り続けてきたことによって成り立ってきた仕組みです。

 憲法と法律の関係は、次のように区別することができるでしょう。
 憲法は、国民が権力者に勝手なことをさせないように、その力をしばるもの。
 法律は、世の中の秩序を維持するために、国民が守らなければならないもの。

ジョン・ロックの思想が背景にある

 こうした憲法の基礎になる考え方は、一七世紀のイギリスの思想家ジョン・ロックが打ち出した「社会契約説」です。

1 人間は生まれながらに自由で平等であり、生まれながらの権利(自然権)を持っている。

2 その自然権を確実なものにするため、人々は「社会契約」を結び、政府の権力に委ねる。

3 もし政府が権力を乱用したら、人々(人民)はこれに抵抗し、政府を作り変える権利がある。

 つまり、人々は生まれながらの権利を守るために、政府を作るが、政府が勝手なことをしたら政府を作り変えてしまう権利を持っている、という考え方です。

 人々の権利を守るために、政府が守るべきもの。それが、憲法です。私たちの日本国憲法も、この考え方が貫かれています。
(池上彰著「憲法はむずかしくない」ちくまプリマー新書 p28-30)

■━━━━━

第一章 第一編の主題

 人間は自由なものとして生まれた、しかもいたるところで鎖につながれている。自分が他人の主人であると思っているようなものも、実はその人々以上にドレイなのだ。どうしてこの変化が生じたのか? わたしは知らない。何かそれを正当なものとしうるか? わたしはこの問題は解きうると信じる。

 もし、わたしが力しか、またそこから出てくる結果しか、考えに入れないとすれば、わたしは次のようにいうだろう──ある人民が服従を強いられ、また服従している間は、それもよろしい。

人民がクビキをふりほどくことができ、またそれをふりほどくことが早ければ早いほど、なおよろしい。なぜなら、そのとき人民は、〔支配者が〕人民の自由をうばったその同じ権利によって、自分の自由を回復するのであって、人民は自由をとりもどす資格をあたえられるか、それとも人民から自由をうばう資格はもともとなかったということになるか、どちらかだから。

しかし、社会秩序はすべての他の権利の基礎となる神聖な権利である。しかしながら、この権利は自然から由来するものではない。それはだから約束にもとづくものである。これらの約束がどんなものであるかを知ることが、問題なのだ。それを論ずる前に、わたしは今のべたことを、はっきりさせておかねばならない。
(ルソー著「社会契約論」岩波文庫 p15)

■━━━━━

アメリカ独立宣言

 人の営みにおいて,ある人民にとって,他の人民と結びつけてきた政治的な絆を解消し,自然の法や自然の神の法によってその資格を与えられている独立した,対等の地位を地上の各国のうちに得ることが必要となるとき,人類の意見をしかるべく尊重するならば,その人民をして分離へと駆り立てた原因を宣言することが必要とされるだろう。

 我らは以下の諸事実を自明なものと見なす。すべての人間は平等につくられている。創造主によって,生存,自由そして幸福の追求を含むある侵すべからざる権利を与えられている。

これらの権利を確実なものとするために,人は政府という機関をもつ。その正当な権力は被統治者の同意に基づいている。

いかなる形態であれ政府がこれらの目的にとって破壊的となるときには,それを改めまたは廃止し,新たな政府を設立し,人民にとってその安全と幸福をもたらすのに最もふさわしいと思える仕方でその政府の基礎を据え,その権力を組織することは,人民の権利である。確かに分別に従えば,長く根を下ろしてきた政府を一時の原因によって軽々に変えるべきでないということになるだろう。

事実,あらゆる経験の示すところによれば,人類は害悪が忍びうるものである限り,慣れ親しんだ形を廃することによって非を正そうとするよりは,堪え忍ぼうとする傾向がある。

しかし,常に変わらず同じ目標を追及しての権力乱用と権利侵害が度重なり,人民を絶対専制のもとに帰せしめようとする企図が明らかとなるとき,そのような政府をなげうち,自らの将来の安全を守る新たな備えをすることは,人民にとっての権利であり,義務である。

―これら植民地が堪え忍んできた苦難はそうした域に達しており,植民地をしてこれまでの統治形態の変更を目指すことを余儀なくさせる必要性もまたしかりである。

今日のグレートブリテン国王の歴史は,繰り返された侮辱と権利侵害の歴史であり,その事例はすべてこれらの諸邦に絶対君主制を樹立することを直接の目的としている。それを証明すべく,偏見のない世界に向かって一連の事実を提示しよう。
──以下略──

■━━━━━

アメリカの南北戦争から教訓を引き出す(マルクス)

…………………………

(5)一八七八年・マルクス『ザ・ワールド』紙通信員とのインタビュー

 「ランダー この国〔イギリス〕では、期待される解決は、それがなんであれ、革命の強力的手段なしに実現されるように思われます。少数派が多数派にかわるまで演壇と新聞とで扇動するというイギリスの制度は、希望にみちた制度です。

 マルクス 私はその点についてはあなたほど楽観的ではありません。イギリスの中間階級〔ブルジョアジーのこと──不破〕は、投票権の独占を享受していたかぎりは、いつでも多数派の判定をよろこんで受けいれることを示してきました。しかし、いいですか、この階級は、それが決定的問題と考えていることで投票に敗れるやいなや、ここでわれわれは新たな奴隷所有者の戦争を経験するでしょう」。

(6)一八七八年・マルクス〔社会主義者取締法にかんする帝国議会討論の概要〕

 「当面の目標は労働者階級の解放であり、そのことに内包される社会変革(変化)である。時の社会的権力者のがわからのいかなる強力的妨害も立ちはだからないかぎりにおいて、ある歴史的発展は『平和的』でありつづけうる。

たとえば、イギリスや合衆国において、労働者が国会(バーラメント)ないし議会(コングレス)で多数を占めれば、彼らは合法的な道で、その発展の障害になっている法律や制度を排除できるかも知れない。

しかも社会的発展がそのことを必要とするかぎりだけでも。

それにしても、旧態に利害関係をもつ者たちの反抗があれば、『平和的な』運動は『強力的な』ものに転換するかも知れない。その時は彼らは(アメリカの内乱やフランス革命のように)強力によって打倒される、『合法的』強力にたいする反逆として」。

…………………………

(5)の文章は、イギリスの新聞とのインタビューの一節です。これまで、マルクスが「議会の多数を得ての革命」の可能性をもっとも強く期待し、そのことを言明していたのは、イギリスでした。しかし、このインタビューでは、マルクスは、そのイギリスでも、自分は前途を楽観していない、イギリスのブルジョアジーは、自分たちの支配が脅かされるときには、アメリカの奴隷所有者たちと同じように、新たな戦争をもって対抗してくることが起こりうる、そこまで注意して見ているのです。

(6)の文章は、ドイッの帝国議会での討論の議事録を読みながらつくった覚え書(「討論概要しの一節です。
 当時、ドイツでは、社会民主党が選挙ごとに力をのばしていました。この状況を逆転させようとして、ビスマルクを首相とする反動政権が、一八七八年、「社会主義者取締法」という、社会主義的な運動・言論・組織をおさえこむ弾圧法を準備します。この弾圧法は九月に帝国議会に提出され、討論が始まりました。その第一日に、オイレンブルグ内相が政府を代表して演説に立ったのですが、弾圧法を正当化するために、次のような議論を持ち出したのです。

 君たちは「平和的な発展」を云々するが、君たちの教義によれば、平和的発展とは、最後には強力によって達成される終局の目標にいたる一段階にすぎないではないか=B

 ドイッから議事録を手に入れて、オイレンブルグ演説を読んだマルクスは、それをめぐる討論の「抜き書き」を始めました。それもただの「抜き書き」ではなく、大事なところには、マルクス自身の反論や考えが書き込んであるのです。ここに紹介したのは、オイレンブルグの先の反共演説にたいする反撃の文章で、そこに、アメリカの南北戦争からの教訓が書き込まれているのです。

 反撃の要点は、次のとおりです。

 (イ)社会変革をめざす運動は、本来は、平和的な発展をめざすものだ。その運動が、強力的な形態をとるのは、権力者が強力をもって発展を妨害してくるからだ。

 (ロ)イギリスやアメリカでは、労働者階級が、国会や議会で多数を得て、合法的な道で政権につき、法律や制度の面でも、必要な改革を実行できる可能性がある。

 (ハ)この平和的な発展も、改革に反対する勢カが武カで反抗するようなことがあれば、非平和的・強力的な形態に転換せざるをえなくなるかもしれない。しかし、そのときは、労働者階級のほうが、合法的・正統的な権力の立場に立っているのであって、反抗する者は、「合法的」権力にたいする「反逆」者として打倒されることになる。

 マルクスは、革命の議会的な道を、ここまでたちいって考察していたのです。
(不破哲三著「新・日本共産党綱領を読む」新日本出版社 p314-317)

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
◎「人々は生まれながらの権利を守るために、政府を作るが、政府が勝手なことをしたら政府を作り変えてしまう権利を持っている」と。

◎「社会変革をめざす運動は、本来は、平和的な発展をめざすものだ。その運動が、強力的な形態をとるのは、権力者が強力をもって発展を妨害してくるからだ」と。