学習通信060123
◎「天皇の赤子」……

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第二章 最初の社会について

 あらゆる社会の中でもっとも古く、またただ一つ自然なものは家族という社会である。ところが、子供たちが父親に結びつけられているのは、自分たちを保存するのに父を必要とする間だけである。この必要がなくなるやいなや、この自然の結びつきは解ける。

子供たちは父親に服従する義務をまぬがれ、父親は子供たちの世話をする義務をまぬがれて、両者ひとしく、ふたたび独立するようになる。

もし、彼らが相変らず結合しているとしても、それはもはや自然ではなく、意志にもとづいてである。だから、家族そのものも約束によってのみ維持されている。

 両者に共通のこの自由は、人間の本性の結果である。人間の最初のおきては、自己保存をはかることであり、その第一の配慮は自分自身にたいする配慮である。

そして、人間は、理性の年齢に達するやいなや、彼のみが自己保存に適当ないろいろな手段の判定者となるから、そのことによって自分自身の主人となる。

 だから、家族はいわば、政治社会の最初のモデルである。

支配者は父に似ており、人民は子供に似ている。そして、両者ともに平等で自由に生まれたのだから、自分に役立つのでなければ、その自由を譲りわたさない。

ただ異なるのは、家族においては、父親の子供にたいする世話をつぐなうものは子供たちにたいする愛だが、国家においては、支配者は人民にたいして、この愛を持たないのだから、支配する喜びがこれに代る、という点である。
(ルソー著「社会契約論」岩波文庫 p16)

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「天皇の前の平等」

 さて、そこで明治政府が考え出しだのが、驚くべきアイデア。
 こんな破天荒なことを考え、しかも実行に移したのは世界でも日本がただ1国。このおかげで、日本は非白人国家で最初のデモクラシー国家に変貌できた。

 そのアイデアとは何か。
 それは国家元首たる天皇を、日本人にとって唯一絶対の神にすること。天皇をキリスト教の神と同じようにするというアイデアです。

 すなわち「神の前の平等」ならぬ、「天皇の前の平等」です。現人神である天皇から見れば、すべての日本人は平等である。この観念を普及させることによって、日本人に近代精神を植え付けようと考えた。

 この試みは大変な成功を収めました。戦前の日本人は、自分たちを「天皇の赤子」と考えた。つまり日本人はみな天皇の子どもであって、天皇から見れば「一視同仁」、みな平等であると信じることができた。
 この確信があって初めて、日本に資本主義が生まれてくるようになった。

 末は博士か大臣か‥…・どんな貧農の子であっても、学問と努力さえあれば、出世することができる。そう思えたのは、結局のところ、天皇から見ればみな同じ人間ではないかと考えられるようになったからです。

 戦前の日本で、天皇および皇室が神格化されたことについては、いろいろなことが言われています。反動、ファッショ、封建的とさまざまなレッテルが貼られていますが、そうした既成のレッテルで片付けたのでは、明治の日本がやろうとしたことは分からない。

 明治政府がやろうとしたのは、キリスト教の代替物としての宗教を作ることにありました。ヨーロッパがキリスト教の力によってデモクラシー国家になったように、日本は独自の宗教をもってデモクラシー国家になる。そのために行なわれたのが、天皇の神格化です。

 史上、どこの国が近代化のために宗教を作ろうと考えたでしょう。こんな国はどこにもありません。その意味では、明治の日本がやったことは空前絶後です。

 しかし、もし明治日本が天皇を神格化せずに、単に制度や法律だけを輸入して近代化しようとしたら、どんな結果になったか。

 それは考えるまでもない。
大失敗に終わったでしょう。
 その実例は20世紀の歴史に無数に残されています。
 第2次大戦後、世界中で有色人種の国家が誕生しましたが、そのうち、どれだけの国が民主主義の国になれたか。また、平等な社会がそこに誕生したか。

 言うまでもありません。そのほとんどが無惨な失敗に終わりました。すぐに独裁者が現われて、前時代の階級制度も温存されたまま。

 近代資本主義の精神、近代デモクラシーの精神がなければ、制度や法律をいくら整えても、近代国家にはなれないのです。

 それに比べれば、明治の近代化は大成功といえます。
 もちろん、欠点をあげつらえばキリがない。「一視同仁」と言っても、現に差別が残ったではないかと言う人もあるでしょう。たしかに、それは事実です。

 しかし、明治の日本は江戸時代の日本とはまったく別の社会になった。これだけは間違いなく言えます。

 現にあの横暴な西洋諸国でさえ、日本を近代国家の一員として認め、明治27年(1894)から不平等条約も改訂されはじめました。その事実は誰にも否定できません。これを成功と言わずして、何と言いましょう。
(小室直樹著「痛快 憲法学」集英社 p214-215)

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──文部省検定官が言論の自由があったというのは、戦争に協力する言論の自由があったということなのです。しかし、考えてみれば、戦争中に戦争に協力する自由があったことは当然です。それどころか協力した人は勲章をたくさんもらったくらいです。どんな独裁的な体制の国家であっても、それに協力したり、賛美する自由はあるのです。そういう自由を自由と呼ぶならば、古今東西、いままでの国で自由のなかった国はありません。そういう自由は、実は意味のないものです。

 体制に反対する自由、体制の政策に反対する自由というものがなければ権利としての自由の意味がありません。言論の自由が権利であるためには、国家と国民とが対立関係にあることを前提として、国民が国家の体制や政策に反対する自由があることが必要なのです。

 対立関係を認めない考え方は、戦前の天皇制とも関係があります。「目本は天皇を中心としたひとつのまとまった国家であり、みな天皇の子どもである、この中に対立はない、階級対立はとんでもない」というふうに、私たちは教育をされました。国だけではなくて村でいえば、一つの村はまとまった共同体であって、村の人たちはみんな一つのまとまった村の住民である。村の住民の中に利害の対立や階級対立のあることを認めないということです。日本は全体としていうと、家・村・国というすべてのレベルで、全体がまとまった共同体的な国であって、その中で国民の利害の対立を認めないという考え方です。

これはファシズムにつながる考え方です。ファシズムというものは国民の中の対立を認めない一つの独栽的統合なのです。ヒトラーは民族国家、血族共同体=血のつながりということを言い出してユダヤ人を追い出したのです。過去のことだけではなくて、現在でも、共同体という考え方で国民が統合されていく可能性があります。

たとえば、会社の中でも、企業は一つの家である、そして社長が親で社員は子どもたちである、親子には対立がないと同じように、会社の中でも社長と社員の間には対立がないのである、使用者と労働者の間の階級的対立はみとめないという考えがあります。

 こういう企業一家@摧O、共同体思想は非常に根強いものがあります。こういう考えの下では、労使の対立をみとめた上で、相互に権利を尊重するという考えが出てきません。この考えは、結局において、労働者の権利を否認するものであり、使用者にとって都合のよいものです。

労働組合をみても、企業別に組織されるというめずらしい組織形態をとっている日本の労働組合では労資協調論つまり、和気あいあいと対立を認めないでみんなが一緒になるという団体主義的な考え方が根ぶかく、組合も、御用組合になりがちです。
(渡辺洋三著「憲法のはなし」新日本新書 p35-369)

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◎「ただ異なるのは、家族においては、父親の子供にたいする世話をつぐなうものは子供たちにたいする愛だが、国家においては、支配者は人民にたいして、この愛を持たないのだから、支配する喜びがこれに代る、という点である」と。