学習通信060125
◎堀江社長は、不正な錬金術を……
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■れんきん‐じゅつ【錬金術】
鉄・鉛・銅などの卑金属から金・銀などの貴金属を製造しようとする秘術。さらに不老長寿の薬や万能薬を作ろうとする術にもわたり、近代化学成立以前の原始的な化学技術全般をもさす。古代エジプトの冶金術に起源をもつといわれ、ヨーロッパ、アラビアに伝わった。(小学館)
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錬金術
科学革命の完成者であるニュートンが錬金術に凝ったことは、彼が残した膨大な手稿から窺うことができる。
ニュートンが生きた時代においては、物質を構成する基本単位が互いに移りかわりうるものであり、薬品を加えたり、加熱したり、鍛えたりすれば、最後には鉄や亜鉛などの卑金属を金に変えうる「賢者の石」を得ることが可能と信じられていたのだ。
ようやく一九世紀に入って、物質の基本単位が原子であり、原子そのものは通常の化学的手法では改変できないことが知られるようになり、錬金術は廃れていった。
永久機関が成功しない理由を考える中で物理学の基本法則が発見されたのと同様に、数多くの錬金術の試みの失敗の中で物質問の反応における経験的な法則が蓄積され、やがて原子論を基盤とする化学という分野が開発された。
その意味では、一攫千金の夢を求めての神への接近の努力が、かえって神の不在を明らかにし、現実主義者たる科学者という悪魔を生み出すことになってしまった、と言えるだろ。
さて、錬金術には三つの起源があると言われている。
一つは、エジプトやパビロニアの冶金術で、鉱石から銅や鉄や金などの金属を精錬する技術の側面である。
二つめは、ギリシャの自然哲学で、物質が火、空気、水、土の四元素から成り、それらの乾と湿、暖と冷の条件下での組み合わせによって、さまざまな物質が形成されている、という理論的な側面である。
三つめは、ヘルメス(エジブトの神トトのギリシャ名)主義で、事物は秩序的に連鎖しており、万物に親和力が生じて物質が相互転換し対立物は統一される、という思想的側面である。
いずれも、地中海世界に起源があり、キリスト教とは関係なく、一二世紀まではアラブ世界でのみ普及していた。実際、アルケミーの、アルは定冠詞、ケミーはギリシャ語のキュメイアーで金属などを変容させることを指すが、さらにその語源は古代エジブトの名称khemで「黒い土地」に由来する。
一三世紀頃から、アラビア語に訳されていたギリシャの書物がラテン語に再翻訳され、アラビア独自の文化も流入するようになって、錬金術がヨーロッパに入ってきた。
ロジャー・べーコン(一二一四頃〜九四頃)が、正当にも、基本元素の組み合わせによる物質の生成とアルス(技術)によるその改変作業、という二つの要素から錬金術を理解しようとしているのほ注目に値する。しかし、魔術的要素を嫌ったローマ教会が錬金術を禁止したため、長く地下に潜ったが、ルネサンスを背景にして、錬金術は陽の当たる場所に躍り出ることになった。
その代表的な人物がスイス生まれのパラケルスス(一四九三〜一五四一)で、ヘルメス主義の根幹である天上の世界のマクロコスモスと人体というミクロコスモスの照応・感応関係を強調するとともに、四元素説を硫黄(霊魂、火と空気)と水銀(精神、水)と塩(身体、土)という三原質に置き換えることを主張した。
医師であったパラケルススは医術と錬金術を結びつけようとしたのだが、いずれも「完全ならざる自然を完璧へと導く技術」であると捉えたためである。
錬金術の一つの到達点は、デッラ・ポルタ(一五三五頃〜一六一五)の『自然魔術』で、「金属を変化させること──すなわち錬金術について論じる」として、当時の自然観と錬金術の中身について詳細にまとめられている。
この本には、「魔術」とはいかなる知識内容であるかや「魔術師」のあるべき姿が書かれており、近代科学と中世的神秘性が混淆(こんこう)していることがよくわかる。まさに、科学革命前夜の自然哲学の状況を如実に示しており興味深い。
たとえば、磁気や光学に関する知見を正しく記述する一方で、錬金術の秘技を次のように公開している。卑金属を金まで鍛えあげ練りあげるには、鉄の削り屑をるつぼで溶かし、そこに硼砂(ほうさ)と赤いヒ素を撒き、同じ割合の銀を投げ入れて浄化し、分離のための水を入れると金が底に溜まるから、それを取り出せばよい、と。
むろん、これで金ができるとはとても思えないが、金属の分離と化学薬品の調合という技術を発展させたのは確かだろう。実際、錬金術に必要とされた技術は、昇華、蒸留、溶解、発酵、酸化、還元、蒸解、結合、分離、着色など、現代の化学実験で通常使われている手法なのである。
錬金術を実験科学としての化学へと変貌させることになった最初の一撃は、一六六一年、イギリスのロバート・ボイルの著作『懐疑的化学者』であった。
彼は、錬金術師の呼称アルケミストからアルを取り払ってケミスト(化学者)と呼び、アリストテレスの四元素説やパラケルススの三原質説を批判し、化学と医学の分離を主張したのだ。
また、物質の基本的な構成要素は、それ以上変換できない元素であろうと考え、元素の存在を実験によって証明すべきと主張した。脱錬金術宣言と言える。
古代から知られていた元素は、七つの金属(金、銀、銅、錫、鉄、鉛、水銀)と二つの非金属(炭素、硫黄)の九つであった。さらに、中世になって、ヒ素、アンチモン、ビスマス、亜鉛の四つが加わったが、これらは練金術師たちが発見したものである。
化学者が最初に発見した元素(つまり、誰が発見したかがわかっている最初の元素)は、一六六九年、ドイツのプラントによるリンであった。彼は、金を作り出せる物質を探そうとして自分の尿を分析し、空気中で光る物質であるリン(ギリシャ語で光を出すものという意味のphosphorus)を発見したのであった。まさに、錬金術から化学への転換時期を象徴するような発見と言える。
とはいえ、化学が錬金術とはっきり手が切れるのは、ようやく一七八七年のことであった。それまでに、化学実験技術が向上し、コバルト、白金、ニッケル、水素、窒素、酸素などの新元素が発見され、石灰石からの二酸化炭素の合成や水素と酸素からの水の生成というような化学反応実験がおこなわれるようになり、熱容量、潜熱、燃焼、光合成などの化学反応理論が研究され……というふうに化学の研究は進んでいったが、使われる用語や物質名は錬金術師たちが使っていたものをそのまま踏襲していた。
この年、フランスのラボアジエたちが『化学命名法』を出版して論理的な命名法を提唱し、科学にとって必須の共通用語が使われるようになったのである。これによって錬金術は最終的な死を迎えたのだが、物質を構成する元素とは原子のことであり、それは化学的な処理では変換しえないこと、つまり錬金術がなぜ失敗したのかが証明されたのは、一九世紀に入ってからのことであった。
錬金術は、その成立過程からわかるように、キリスト教と相容れ合う関係ではなかった。
地上の秩序を支配し、アリストテレス自然学によって天上界をも取り込んだキリスト教神学は、公的な客観世界を明白な形で提示したのに対し、錬金術は、神秘性や象徴性のような、私的な主観的世界と隠微な形で深く関わったからだ。
その意味では、キリスト教の神と対立したわけでなく、むしろ補完的であったと言えるかもしれない。したがって、地動説のようにローマ教会からの露骨な迫害を受けなかったが、積極的にキリスト教神学に取り入れられたわけでもない。神への鋭い反逆者ではなかったが、自然界(物質)への直接の働きかけを通じて神の不在を証明することになったという意味では、神の地上からの追放に加担したと言えるだろう。ここに、ニュートンが錬金術に凝った理由があるのかもしれない。
そこで、エントロピー増大則を宇宙全体にあてはめて考えてみようという悪魔が、一九世紀半ばに登場した。その不吉な予言は、「宇宙は熱死する」というものであった。神が創りたまいし宇宙が、やがて熱地獄となり、すべての天体が消滅してしまうというのだ。これこそ真に神に反逆した悪魔の登場かもしれない。
(池内了著「物理学と神」集英社新書 p66-71)
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潮流
童謡歌手の川田正子さんが亡くなりました。子どものころ、川田さんの歌う「とんがり帽子」をよくききました
▼もとは、NHKのラジオ番組「鐘の鳴る丘」の主題歌です。緑の丘の赤い屋根。とんがり帽子の時計台の鐘が嗚り、ヤギがなく。麦畑の丘。星が出てまた鐘が鴫れば、父さんも母さんもいない赤い屋根の家に帰る、「おいら」や仲間
▼「おいら」たちが戦争孤児で、丘の家が彼らのための施設だと知ったのは、かなり後です。「昨日にまさる今日よりも/あしたはもっとしあわせに/みんな仲よくおやすみなさい」(作詞・菊田一夫)
▼一九四七年に始まったラジオ劇には、「感傷的すぎる」と批判する人もいたようです。しかし、歌には希望がありました。まじめに働いて生きていけばいつか幸せになれるという、確信めいたのぞみが
▼ほんとうの話ですが、先ほど「鐘の鴫る丘」と書こうとしたら、パソコンが「金のなる丘」と文字を拾いました。パソコンも、汗水流して働く人より「濡れ手で粟」式にかせぐ人をもてはやす風潮に、染まった? ライブドアの堀江社長は、不正な錬金術をつかった疑いで捕まりましたが
▼小泉首相はいいます。事件と堀江氏を衆院選に立てたことは、「別問題」と。しかし、堀江氏が「人の心は金で買える」「格差社会を社会が容認しなければならない」などと話し物議をかもしたのは、衆院選の前です。そんな堀江氏をすばらしい若者≠ニほめそやしたのが、小泉首相や武部幹事長ではないか。
(「しんぶん赤旗」20060125)
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◎「ニュートンが生きた時代においては、物質を構成する基本単位が互いに移りかわりうるものであり、薬品を加えたり、加熱したり、鍛えたりすれば、最後には鉄や亜鉛などの卑金属を金に変えうる「賢者の石」を得ることが可能と信じられていたのだ」と。
「汗水流して働く人より「濡れ手で粟」式にかせぐ人をもてはやす風潮に」……。