学習通信060126
◎奴隷の使用と家畜の使用とは……
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アリストテレスと奴隷制度
この時代の経済問題に関する論議は主としてアリストテレス(紀元前三八四─三二二年)の著作に見出されるが、たいした論議があるわけではない。誰しもアリストテレスの著作を読む人は、経済学に関する思考が或る程度雄弁にも錯乱しているのではないかと、ひそかに疑いをもたざるをえない。ここで「ひそかに」というのは、アリストテレスが著者である以上、誰しもこんなことを言うのは賢明でないと思うからだ。
しかし、もっと端的に言うと、のちの時代の経済学が関心を寄せるに至った諸問題のうち、アリストテレスが語っている社会にあてはまるものはほとんどないのである。アリストテレスがもっぱら関心を持った──持たざるをえなかった──問題は、倫理的色彩がことのほか強かった。経済学説史の著名な学者アレキサンダー・グレーの言葉によると、
「〔古代ギリシャの〕経済学は、倫理学の付添(つきそい)人であり侍女であったばかりではない〔常にそうあるべきなのかもしれない〕。経済学は、もっと威勢がよくてわがままなその姉によって押しつぶされ、消しつぶされている。そして、経済理論の起源を探求する後代の発堀者は、ばらばらになった断片や、めちゃくちゃになった遺跡を堀り出すことしかできない。」
経済生活が初歩的なものにとどまっていたという事情は別として、古代世界において倫理学の問題が経済問題を押しのけて提起されていた最も重要な理由は、奴隷制度の存在であった。
「ギリシャの世界は、あらゆる時代・場所を通じて、公的・私的の必要を充たすために、何らかの〔諸〕形態における従属的な労働に依存していた。……ここで従属的な労働というのは、親戚関係や共同体の義務以外の、強制によっておこなわれる仕事を指す。」労働に対して賃金が支払われることはなかったから、賃金がどうして決まるかについての見解かありえなかったのはきわめて明白なことである。
そして、アテネおよびギリシャの都市一般についてそうであったように、奴隷が仕事をしたから、労働は侮蔑的な一面を持っていたわけであり、そのためもあって、労働は学者の考察の対象とならなかったのである。奴隷制度の倫理的正当化と奴隷を取り扱うについての諸条件とが、それに代わって興味ある問題となった。このことは、奴隷制度を擁護するアリストテレスの次の言葉の示すとおりである。
「下層というのは、その性質上、奴隷のことである。彼らが主人のおきてに従うことは、あらゆる劣等者にとってと同様、彼らにとってもより良いことである。……奴隷の使用と家畜の使用とはあまり異なるところがない。」
古代の利子、価格
資本というものが存在しない場合の利子についても同様な問題があった。人がかねを借り利子を支払う理由には二つの場合がある。人は、所得を得るために資本財または運転資本を欲する。つまり、収益に寄与する機械や設備を入手したり、所得のもとになるところの製造または販売の途上にある財を持つことを欲するような場合である。
他方、そうではなしに、かねを少ししか持たない人が、さまざまに緊要な個人的必要を充たすためとか、現在ぜいたくをしてみるためとか、または過去のぜいたくを埋め合わせるとかするために、かねを余分に持っている人からかねを借り、それゆえに利子を支払う場合もある。
アリストテレス時代のギリシャの家庭経済では、資本財や運転資本には目に見えるほどの重要性がほとんどなかったのであって、そのような経済においては、かねの貸借の大半は第二の種類のもの、すなわち個人的な必要のためであった。こうした状況にあっては、利子は生産費とは見なされず、むしろ、より恵まれた人がより恵まれぬ人または賢明でない人に課する何かであると見なされる。したがって、ここでも、奴隷制度と同様に、利子は倫理の問題を提起する。
すなわち、かねを十分に持っている人と無気力または貧窮な人との間の、正しい、正義にかなった、礼節ある関係とは何か、という問題である。
アリストテレスは、利子を取ることを次のように強く非難したが、これは何ら驚くべきことではない。
「高利貸しは〔かねをもうけることのうち〕いちばん憎まれるものであり、またそれが憎まれるのは最も理由がある。……なぜなら、貨幣は交換に用いられるべきものであって、利子によってふやすべきものではないからだ。」同じ理由で──利子は、より恵まれた人が、かねを持っていることにより、より恵まれない人から不当に取り立てるものであった、という理由で──利子は中世全般を通じて引き続き強く非難された。
そして、のちに強調されるようになった論点の一つがここにある。すなわち、利子が生産的な資本に対する支払であるとして定義し直されたときに──かねを借りた人が借りたかねでかねをもうけ、したがって、初めにかねを貸してくれた人にももうけの一部を分かち与えるのが正義にかなう、ということがいや応なしに明らかになったときに──はじめて利子は名誉あるものとなった。
そうなると、宗教上の教えや、一般に受け入れられた倫理も、例外なしに、こうした状況に合わされることとなったのである。しかし、個人的な必要または使用のために貸し付けたかねで利子を取ることは、不健全であるとの評判、いかがわしいと言ってよいほどの評判を持ち続けた。この点で、非常に遠い過去は現在にも反響を及ぼしている。すなわち、個人的な貸付に対する利子は、今日でも或る程度は恥ずべきものとされていて、それに対する規制を要すると考えられている。高利貸しは激しい非難の的となっている。それが犯罪とつながる不当な傾向を持つと広く思い込まれているのは、理由なしとしない。
古代世界には賃金も利子もなかったので、近代的意味における価格理論もありえなかった。価格は何らかの仕方で生産費に由来するものであるが、奴隷の所有を基礎とする家庭経済にあっては、生産費は目に見えるほどの機能を有しなかった。したがってアリストテレスは、価格が正当または公正であるかどうか、ということだけを問題とするにとどまったのである。このような関心は、その後の二〇〇〇年の大半を通じて経済思想の中心となったばかりでなく、「この価格は本当に公正か?」という今日でも発せられる問いの基礎をなしているのである。
市場によって与えられる価格はあらゆる倫理的関心にまさって正当化されるものだ、ということを人々に納得させることは、何世紀にもわたって経済学者が最も注目した問題であった。これについてものちに述べる。
アリストテレスは、倫理的なひびきを持つもう一つの問題にも注目した。すなわち、一部の最も有用な物は市場でいちばん低く評価されており、他方、一部の最も有用性の低い物が最も高い価格をつけているが、これはなぜか、という問題であって、これは経済学者にとってその後も引き続き問題となった。
十九世紀がかなり経過したころになっても経済学者がまだ苦慮していた問題は、使用価値と交換価値とがなぜ違うか──パンやきれいな水は有用であって比較的安く、他方ダイヤモンドや絹は有用性がそれより低いのに価格は断然もっと高い、という事実──であった。何か倫理的に逆立ちしたものがここにある──またはあった──ことは疑いない。この問題が最終的に解決されたとき、経済学の一大進展があったと考えられることになるのである。
商売繁盛は今で言う経済成長に対する関心を表わす昔の用語であるが、それについてアリストテレスは、彼に続くローマ人同様、農業の組織およびやり方を改善するための示唆をするにとどまった。そしてアリストテレスは、ローマ人同様、大きな道徳的優越性を農業に付与した。この見解は十八世紀のフランスの経済著述家が強く反響するところとなり、また今日の農民の間にも強力な反響を有している。
初歩的な形態および使用における貨幣については、言えることはあまり多くない。貨幣は、分割可能で、耐久性があり、供給が十分ではあるが無制限ではなく、したがって誰にでも受領されうるがゆえに、交換を媒介する役割を果たす商品であるにすぎない。銀、金、銅、鉄、貝がら、タバコ、家畜、ウイスキーが、紙幣や銀行預金とともに貨幣の役割を果たした。
或る商品が貨幣として用いられるようになると、その商品は或る種の人格、神秘性、稀少性を持つようになり、そこで初めてその価格──それを保有するために提供すべき他の商品──が特別な問題となる。
さらに、貨幣としてのそうした商品が純粋に代表的な形態の貨幣──紙幣とか銀行預金──に道を譲るようになると、初めて貨幣の価値──ないしは、貨幣価値によって確立される一般的物価水準と普通言われるもの──の決定要因は何かということについて、非常に重々しい神秘性が展開されるようになる。
紀元前四世紀のアリストテレス時代のギリシャでは、金属を貨幣に鋳造する慣行が確立されていた。すでに紀元前五世紀に、ヘロドトス(紀元前四八四年ころ−四二五年ころ)は、この問題について次のようなすぐれた逸話を述べている。「リディア人の風俗・習慣は……若い女たちの売春〔が日常のこととなっている〕という点以外は、ギリシャ人のそれとあまり違わない。彼らは、金・銀を硬貨として用いた記録上最初の民族である。」アリストテレスは貨幣の起源を次のとおりすばらしく明瞭・簡潔に記述している。
各種の生活必需品は容易に持ち運びできないので、人々は、たとえば鉄や銀のように、本来的に有用であって生活目的に容易に使用できる何らかの物を、相互の取引に用いることを合意した。こうした物の価値は、最初は大きさ・重量で測られたのであるが、時の経過とともに、いちいち計量して価値を記載する労をはぶくために、人々はその上に刻印するようになった。
アリストテレスは、貨幣および硬貨鋳造とはどういうものかを確定したうえで、かねもうけの考察に進む。彼は、純粋な形でのかねもうけを嫌悪すべきものと考えた。
「一部の人たちは、あらゆる資質・技能をかねもうけの手段としている。彼らはかねもうけを一つの目的として考えており、すべてのことがこの目的を推進することに貢献しなければならないと考えている。」高利貸しに関するアリストテレスの立場と同様に、こうした主張は、何世紀にもわたって、人々の考え方を的確に表現したものであった。
彼が述べていることの適例を現代に求めるならば、それは、金銭的利得のためにあらゆる個人的努力および良心を捧げ、その結果によってあらゆる個人的業績を測る若い金融取引業者である。ウォール街でアリストテレスが読まれてしかるべきだと思われる。
しかし、アリストテレスがかねもうけの形態を正当なものと不当なものとに区別するところまでくると──これはかなり苦労した議論であるように感じられるのだが──われわれはそれにとらわれる必要はない。この点では、アリストテレスの議論はあまり意味をなさないのではないか、という許し難い真理に踏み込む危険を冒すことになるのだ。
(J・K・ガルブレイス著「経済学の歴史」ダイヤモンド社 p17-23)
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マルクスのアリストテレス論
補論的な議論になりますが、価値形態論のなかには、たいへん興味深い歴史論があります。それは、マルクスが、この問題に関連して展開しているアリストテレス論です(『資本論』@一〇一〜一〇三ページ、)。
アリストテレスは、古代ギリシアの有名な哲学者ですが、『ニコマコス倫理学』という著書のなかで、早くも商品の研究をおこない、価値形態論まで展開して、「商品の貨幣形態は、簡単な価値形態の……いっそう発展した姿態にすぎない」(マルクスの要約)というこを明らかにしたのです。
アリストテレスは、「五台の寝台=一軒の家」ということは、「五台の寝台=これこれの額の貨幣」というのと「区別されない」ということまで言っている、とのことです(同前)。その限りでは、マルクスの価値形態論の先駆者といってもよいでしょう。商品交換や貨幣経済が始まると、二千数百年前の古代の哲学者のなかに、物事の本質をそこまで見抜く人物が現れたのです。
商品交換の問題をこれだけ深く分析したそのアリストテレスですが、分析はそこで止まってしまって、価値そのものの究明にまでは進めませんでした。どうしてそうなったのか。この問題についてのマルクスの解明が面白いのです。
価値形態の等式を理解したアリストテレスが、この等式の根底にある「共通の実体」、価値の概念にまで進みえなかったのは、ギリシア社会が奴隷社会で、労働というものは奴隷のやる仕事とされ、人間の不平等を公然の基礎とした社会だったからだ──これが、この間題についてのマルクスの回答でした。
人間が価値の秘密を解明することは、人間労働の平等性──どんな仕事をしていようと、人間の労働は平等の値打ちをもつという労働観が社会の共通の認識になった時、はじめて可能になる、マルクスはこう言って、次の文章でアリストテレス論をしめくくっていますが、歴史の見方としても、味わい深い文章だと思います。
「アリストテレスの天才は、まさに、彼が諸商品の価値表現のうちに一つの同等性関係を発見している点に、輝いている。ただ彼は、彼が生きていた社会の歴史的制約にさまたげられて、この同等性関係が、いったい『ほんとうは』なんであるかを、見いだすことができなかったのである」(同前一〇三ページ)。
(不破哲三著「資本論 全三部を読む 第一分冊」新日本出版社 p145-146)
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◎「人間が価値の秘密を解明することは、人間労働の平等性──どんな仕事をしていようと、人間の労働は平等の値打ちをもつという労働観が社会の共通の認識になった時、はじめて可能になる」と。