学習通信060131
◎労働組合運動発展の戦術上の環……

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プロレタリアートの階級闘争の戦術

 マルクスは、すでに一八四四−一八四五年に、古い唯物論の根本的な欠陥の一つが革命的実践活動の諸条件を理解できず、またこのような活動の意義を評価できなかった点にあることを明らかにしたが、その全生涯をつうじて、理論的な労作とならんで、プロレタリアートの階級闘争の戦術の諸問題に絶えず注意をはらっていた。

この点については、マルクスのすべての著作が膨大な材料を提供しているが、ことに一九一三年に出版された彼とエンゲルスとの往復書簡集全四巻はそうである。

この材料は、収集され、まとめられ、研究され、仕上げられるまでにはまだなかなかたっていない。

だから、われわれはここでは、ごく一般的な、簡単な意見を述べるだけにとどめなければならないが、マルクスが、この側面の欠けた唯物論は中途半端で、一面的で、死んだものだと、正当にも考えていたことを、強調しておく。

マルクスは、プロレタリアートの戦術の基本的任務を、彼の唯物弁証法的世界観のすべての前提に厳密に一致して規定していた。

ある社会の、例外なくすべての階級の相互関係の総体を客観的に考慮すること、したがって、この社会の客観的な発展段階をも、この社会と他の諸社会との相互関係をも考慮することだけが、先進的な階級の正しい戦術の土台となりうる。

この場合、すべての階級とすべての国が、静態においてではなく動態において、すなわち、静止の状態においてではなく運動(この運動の諸法則はそれぞれの階級の経済的な生存条件から生まれる)において、考察される。

この運動そのものは、過去の観点かりだけではなく、また未来の観点からも考察され、しかもゆるやかな変化しか見ない「進化論者」の卑俗な考え方によってではなく、弁証法的に考察される。

マルクスはエンゲルスヘの手紙にこう書いている。「大きな歴史的発展においては二〇年は一日にも等しい。

もっとも、そのあとで、二〇年を一つに圧縮した数日がくることもあろうが」(『往復書簡集』第三巻、一二七ページ)。

どの発展段階にも、どの瞬間にも、プロレタリアートの戦術は、この、客観的に避けられない、人類史の弁証法を考慮にいれて、一方では、先進的な階級の自覚と力と闘争能力を向上させるために、政治的停滞の時期、または亀の歩みのようにのろのろした、いわゆる「平和的」発展の時期を利用するとともに他方では、その階級の運動の「終局目標」に向かって、「二〇年を一つに圧縮した」偉大な日々がきたとき偉大な任務を実践的に解決できる能力をこの階級のうちにつくりだす方向に向かって、この利用の活動全体をおこなわなければならない。
(「レーニン一〇巻選集E 『カール・マルクス』」大月書店 p36-37)
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闘争戦術の前提と基本

 労働組合の闘争戦術をくみたてるにあたって、次の前提をはっきりさせておかなければなりません。すでに学んできたので、ここでは項目で確認することにします。

 第一に、労働者と資本家の利害は一致しない。

 第二に、資本の社会的な力に対抗しうる労働者の力は数の力である。

 第三に、労働者階級の大衆組織である労働組合は、労働者の要求の一致を基礎とすることによって数の力である団結力を強化できる。

 第四に、ストライキをはじめとする労働者の団結力の行使は、ただしく設定される場合には、資本に打撃をあたえることができるが、設定をあやまれば、労働者自身が損害を受ける。

 以上の前提にくわえて、日本の労働組合の場合、本章の第二節でのべたような、「企業別労働組合」の問題点と、それが「産業別労働組合」の方向にむかう場合に、有利に転化できる特徴をもっていることをも十分に考慮しなければなりません。

 闘争戦術の基本はつぎの三つです。

 第一は、第二章でくわしく学んだ政治闘争と経済闘争をただしく結合するということです。

 第二は、内外の客観的な情勢や、資本の側と労働者の側の力関係、さらには労働者階級以外の勤労諸階層がどんな状態にあるかなどをただしくとらえて、戦術の土台とすることです。

 第三に、情勢があまり変化しないで労働組合運動が発展しにくい時期にあるのか、情勢が激動し、闘争が飛躍的に発展する時期にあるのかを見きわめ、それに応じた戦術をとることです。

 私たちは「企業別労働組合」のなかにおかれているために、どうしても企業内的なせまい視野で闘争を考えがちですから、以上の基本をたえず念頭におくことが、とくに大切です。
(「私たちと労働組合」学習の友社 p182-183)

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 周知のように、組合民主主義の確立は組合員の自発的な積極性を結集し、労働組合を労働者大衆がみずからの要求にもとづいて団結し、闘争する真の階級的な大衆組織とするための最大の保障となるものである。

労働組合の階級的前進をおそれ否定する右翼的幹部は組合民主主義をたえずふみにじり、労働組合の官僚的運営を強化しようとする(右翼的幹部が指導権を握っているところでは賃金要求アンケートすらおこなっていないことをみるがよい)。

逆に労働組合の階級的前進を願う者は、組合民主主義のもっとも積極的な擁護者でなければならない。つまり、労働組合が階級的であるということと、民主的であるということは生きた弁証法によって統一されているものである。

 レーニンは、労働組合の階級的強化と組合民主主義との関連について「たんなる『承認』を追いもとめるのではなく、また違った考えをもつものを労働組合から追い出すのでもなく、われわれの宣伝、扇動および組織活動全体のなかでうまずたゆまず根気よくやらなければならない」(『論集「一二年間」の序文』)と述べている。

 レーニンは、ここで意見の違う組合員を除名することにたいしてはもとより「たんなる『承認』を追いもとめる」組合官僚主義や幹部ひきまわし主義に強く反対した。そうした方法は結局、組合員の自発性を否定し、その結果組合の階級的な力を弱めるものだからである。

 このように、経済闘争を準備し、たたかうにあたっては、あくまでも職場を基礎に大衆的に民主的になされなければならないことが明瞭になった。

 ところで、こうした基本的見地に立って、なおかつ実践的にはどうすればよいかという問題が提起される。それには当面、すくなくともつぎの二つの点があきらかにされる必要があろう。

 第一は、現在の蓄積過程のなかで、ますます激化しつつある資本と労働とのあいだの諸矛盾を敏感にとらえ、全力をあげて圧倒的多数の労働者を団結させる要求を組織することである。

 この点で、重要なのは、資本と労働の矛盾の結節点となっている問題についての要求の組織化である。

たとえば、職務給は、同一労働同一賃金の美名のもとに、ますます生産活動の中心的位置を占めるようになってきている青年労働者の不満を逆用して導入された。

しかし今日、職務給にたいする青年労働者の幻想は打ち破られ、職場には職務給に反対するさまざまな不満がうずをまいている。

しかもこの不満は、青年労働者だけでなく、職務給によって賃金の頭打ちを押しつけられている高年齢層や差別賃金を押しつけられている婦人労働者にとってはいっそう深刻である。

そしてこのことは、アメリカ式労務管理のもっとも重要な一環が破綻しつつあることを示すものである。

それゆえ、右翼的幹部が指導権を握っている組合でも、職務給にたいする労働者の不満を彼らなりにとりあげざるをえなくなっているめである。

したがって、こうした矛盾の結節点となっている要求(大幅賃上げとむすびつけて、職務給を事実上骨ぬきにするような体系要求)を大衆的に組織化することは、労働者の団結を強め闘争を発展させずにはおかない。

 また労働者の団結強化のためには、労働者のあらゆる層の要求と特殊性に大きな考慮をはらう必要がある。

たとえば資本の有機的構成の高まりと強蓄積から生じている青年労働者の技術教育など全面発達の要求、高年齢層の老後の不安からくる停年延長をはじめとする諸要求、婦人労働者や臨時工、社外工のたえがたい差別待遇にたいする不満など、これらすべての勢力の不満と要求に深い関心をはらい、それの結集をぬきにしては、経済闘争を真に大衆的に発展させることはできない。

 さらにいま、とくに重視すべきことは、監督労働者の不満と動揺の問題である。

過酷な人べらし「合理化」は、作業遂行に責任を負っている彼らに動揺をあたえ、また、今日の資本の強蓄積は、監督労働者の幅をしだいにせばめ、降職、配転、退職などの犠牲を強要し、そのため職場の専制支配機構そのものの内部矛盾を激化させている。

したがってもし、労働階級がこうした諸矛盾を利用し、彼らの要求を正しくとりあげてたたかうならば、職場における組合活動、政治活動の自由を拡大し、ますます広範な労働者の団結を強め、闘争を大きく発展させる条件となるであろう。

しかも彼らは、右翼的潮流の社会的支柱であることからその基礎をゆるがす闘争としていっそう重要である。

 第二は、職場における組織力の強化の問題である。どんなに資本と労働の矛盾、が激化していても、階級闘争の根本的領域としての職場に一定の組織力をもたずしては、その矛盾を階級闘争として現実的な運動に転化することはできない。

わが国の多くの労働組合には職場に労働組合組織が確立されていなかったり、またあってもその機能を果たしていない場合が少なくない。

それは企業別組合の一つの特徴として日常的な組合活動は組合幹部だけがおこなっているといった弱点ともむすびついている。

 こうした弱点を克服し、資本に対抗して広範な労働者を団結させるためには、職場におけるすぐれた組合活動家の養成とそれの結集が、どうしても必要である。

それは、今日の労働組合運動発展の戦術上の環ともいえる重要な問題であろう。
(「労働組合運動の理論E 『経済闘争の戦術』」大月書店 p46-48)

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◎「プロレタリアートの戦術は、この、客観的に避けられない、人類史の弁証法を考慮にいれて」と。