学習通信060207
◎大きく変革したいという望み……。

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 自民党政治の危機とゆきづまりは、外交でも、内政でも、最も深刻な段階をむかえている。多くの国民が、現在と将来の暮らしに展望がもてず、不安と閉塞(へいそく)感を感じている。アジアの近隣諸国との関係の悪化をはじめ、日本外交のおちいっている「八方ふさがり」は、戦後かつてない深刻なものである。これらの根底には、世界の他の資本主義国にも類例のない、自民党政治の三つの異常な特質がある。

 ――過去の侵略戦争を正当化する異常。

 ――アメリカいいなり政治の異常。

 ――極端な大企業中心主義の異常。

 これらの異常な特質は、戦後の自民党政治に綿々とひきつがれてきたものだが、小泉内閣の四年九カ月は、それを極端なものにまで膨れ上がらせ、二一世紀の日本の前途をいよいよ危ういものにしている。

 さきの総選挙で、小泉・自民党は、郵政問題一本に争点をしぼり、自らの失政と悪政を覆い隠すという、国民をあざむく方法で、危機におちいった自民党政治の延命をはかる戦術をとった。それは、財界とマスメディアの全面支援をえて、国民の一定の支持を獲得し、自民・公明両党は、議席では多数をしめることに成功した。

 しかし、それは自民党政治の一時の延命になっても、この政治のもつ異常な特質と国民との矛盾、世界の流れとの矛盾を解決するものではない。うそとごまかしが明らかになれば、政治の大きな激動はさけられない。

 日本の政治のゆきづまりの打開の道は、三つの異常なゆがみそのものに根本からメスをいれ、それをただす改革をすすめることにある。日本の情勢は、古い政治の枠組みを打開する新しい政治を切実にもとめる、歴史的時期をむかえている。日本共産党が前大会で決定した新しい党綱領と日本改革の方針は、その道をしめすものである。
(「しんぶん赤旗 2006.01.15 日本共産党第24回党大会」)

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あすの話題
世界を変える50の方法
 総合研究学院大学教授 長谷川眞理子

 英国史上、クロムウェルはかなり大胆な社会改革を行った。なにしろ王制を廃止し、チャールズ一世の首をはねたのだ。世の中は激変した。しかしこれは長続きせず、彼のあとは、またすぐ王政復古する。

 アルジャジーラという放送局がある。BBCのアラビア語放送から出発して独立し、カタールに本拠を置く放送局だ。アメリカから閉鎖の圧力をかけられる一方、アラブ内の保守派からも攻撃されている。要は、なるべく客観的な姿勢でニュースを流そうとし、タブー視されている問題を取り上げ、討論番組に仕立てるからだ。

 アルジャジーラは、アフガニスタンでもイラクでも、戦争の現場からアラブ人が報道する。世界がアラブ世界を見る新しい目を提供し、そして、確かにアラブ世界も変えた。ごく普通と言えば普通の報道をずっと続けていくことで、アラブ人の心に変化をもたらしている。

 世の中の現状を変えるには、五十どころか、もっとたくさんの方法があるだろう。よい方法もあれば悪い方法もある。結果的に世の中を変えても、犠牲の大きい方法と少ない方法もある。

 最近の日本社会にはさまざまな閉塞感が漂っている。これを大きく変革したいという望みは、多くの人たちが持っているのだろう。小泉改革も「ホリエモン」流も、そのような望みを体現する、一つのあり方だったのではないか? しかし、世の中を変えるたくさんの方法のうち、よい方から何番目にあたるかは疑問だ。

 日本の社会は、何かを大きく変えるのが下手だ。変える試みのあり方も、あきらめずに試行錯誤しながら、国民的学習が必要なのだろう。
(「日経新聞 2006.2.6夕刊」)

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 これまでのすべての社会は、われわれが見てきたように、抑圧する階級と抑圧される階級との対立にもとづいていた。

しかし、一つの階級を抑圧しうるためには、その内部でこの階級に少なくともその奴隷的存在を維持することができる諸条件が保障されなければならない。

農奴は農奴制のなかでコミューンの成員に成りあがったが、小ブルジョアは封建制的絶対主義のくびきのもとでブルジョアに成りあがった。

これに反して、近代的労働者は、産業の発展とともに向上する代わりに、自分自身の階級の諸条件よりも下にますます深く沈んでゆく。

労働者は受救貧民となり、受救貧民層は人口および富よりもいっそう急速に発展する。

これとともに、ブルジョアジーには、いっそう長く社会の支配的階級であることを続けて、自分の階級の生活諸条件を規制的な法則として社会に押しつける力がないということが明らかになる。

ブルジョアジーに支配する力がないのは、ブルジョアジーには自分の奴隷制度の内部においてさえも自分の奴隷に生存を保障する力がないからであり、ブルジョアジーが奴隷によって養われる代わりに奴隷を養わなければならない状態に奴隷を沈ませざるをえないからである。

社会は、もはやブルジョアジーのもとで生活することはできない、すなわちブルジョアジーの生活はもはや社会と両立することができないのである。
(マルクス、エンゲルス著「共産党宣言」新日本出版社 p69-70)

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◎「いっそう長く社会の支配的階級であることを続けて、自分の階級の生活諸条件を規制的な法則として社会に押しつける力がないということが明らかに」と。